(近藤視点)
トシの部屋の前で隊士が一人、くるりと丸まって踞っている。この新選組でそんなことをする人物はひとりしかいないが、いくら昨日の祇園の火事の後で、他の隊士たちがほとんど寝入っているとはいえ、葉桜君はあまりに無防備すぎる。それとも、ここはそれほどに安心されているとでも言うのだろうか。
「まったく、この子は何を考えているんだか」
薄青の長着と瑠璃色の袴で丸まっている葉桜君を見ていると、まるでそこに空が落ちているように思えるけれど、かすかに上下する身体が俺に生きている証を伝えてくる。葉桜君の背に沿って長い黒髪が流れ、一枚の絵草紙でも見るような光景を前に、俺は止めていた足を進めた。
葉桜君まであと一間の位置に俺が足を置くと、ぎしりと床が鳴る。同時に、カラカラと辺りに鳴子の音が響き渡った。
「……え?」
俺が動揺して固まると、ストンと目の前に何かが飛んできて、壁に突き刺さる。前髪が少し煽られ、欠片がひらひらと目の前を落ちてゆくのを、俺は目を瞬いて見守る。
「あらー近藤さんがかかっちゃった」
軽い笑い声に誘われ、俺が顎を少し下げると、先程まで眠っていたはずの葉桜君が立てた膝に手を当てて、立ち上がるところだった。葉桜君は俺にごめんなさいと笑いながら謝罪し、目の前の矢を抜いてみせる。一体これは何の遊びだろう。
「葉桜君?」
「いやぁ眠いんだけど、眠っている間だけは警戒とけちゃうからさ。その代わりに、ね」
罠を張っておいた、と葉桜君はいう。普段から何を考えているのかわからない人だけれど、今日は本当に俺にも見当もつかない。
「何、眠っている間も警戒を解けないほど危険なの?」
「ある意味」
大きな欠伸をしながら、葉桜君は背中を向け、トシの部屋へ入ってゆく。仕事をする気なのかと思ったけど、俺が覗いてみれば、葉桜君は枕に頭を乗せて、横になる姿がある。部屋の中の書類はトシが行く前にほとんど片付けていったが、それでも毎日の報告書の数は変わらないだろうに、綺麗に片付けられている。どうやら葉桜君は終わってから休んでいたようだと、少しだけ俺は安堵した。
それにしても、昨日の祇園の火事でも出動していたし、いったい何時やっていたのだろうかと俺は首を傾げた。
ふと俺の目に、部屋の奥にある大きめの箱が映る。トシの部屋にしては珍しいものだからと、俺が覗いてみると。
「葉桜君、これはマズイって」
箱の中には書類がぎっちりと詰まっている。そりゃ、あれだけの書類を処理するのは大変だろうけど、こんな風に纏めておくのはマズイ。
「散らばってるよかマシでしょー」
「でもねぇ、これはちょっと」「なんなら近藤さんが片付けてくれても一向に高「ませんよ」
寝転がったままの状態で葉桜君が俺を睨みつける。
「本来は近藤さんのお仕事でしょー。なんで私がやることになったのか、ちゃあんと烝ちゃんから聞いていますからね」
葉桜君の投げやりな様子に、俺は指で頬を掻く。どうして烝も葉桜君に話すかな。しかも、肝心の部分はしっかりと除いて、さ。
「だって、そうでもしなきゃ葉桜君は無茶するでしょ」
横になっている葉桜君は、俺が近づくと身体を起こした。すぐにでも動ける態勢になっているのは、やっぱり、俺が男として警戒されているってことなのだろうか。
「私も自分が可愛いですから、そうそうは無茶しませんよ。あれは、ただどうしても山南さんを生かしたかったから」
葉桜君はこの西本願寺に移る前に山南さんと真剣で仕合をして大怪我をした。だから、俺やトシ、総司で外出禁止の葉桜君を見張っていたから、俺が言う「無茶」をその件だと葉桜君は考えたようだ。
だが、葉桜君の無茶は今に始まったことではないし、今俺が言いたいのはもっと最近の話だ。
「そうじゃない、昨日の火事の方」
思い当たった葉桜君が、俺の前で眉を潜め、口をへの字に曲げて、苦い顔をする。まさか俺に気が付かれていないとでも思っていたのだろうか。
あの火事の中、ほとんど火も回ってしまった後、もう皆が諦めていた中へたったひとり乗り込んでいった葉桜君は、階上から一人の
「だってまだ助けられたんだ。諦めたくないよ」
こういう無茶をするから、俺も他の誰でも葉桜君を放っておけない。自分を顧みないところは葉桜君の長所である、と同時に短所でもある。
「だからといって、葉桜君がもしも死んでしまったらどうするんだい?」
「死んでないんだからいいじゃないですかっ」
葉桜君はそうやって、いつも自分の命を顧みない。だから、俺は葉桜君に向かって手を伸ばした。
俺の手の先、かすかに葉桜君が動揺する姿がわかる。葉桜君の細いけれどがっしりとした手首を取ると、俺にも直に震えが伝わってくる。
「良くない。前にも俺はいったはずだよ」
「……そんなの知りません」
「いや、覚えてるでしょ?」
葉桜君は俺からふいと目を逸らし、顔を背ける。
「新選組を大切に思ってくれるのは嬉しい。だけど、自分の命を軽く扱う者は信用できないよ」
弾かれたように葉桜君の顔が俺に向き直る。こちらを見上げてくる葉桜君の瞳は泣きそうに俺を縋ってくる。葉桜君の小さな口が何かを言おうと僅かに開き、だが直ぐに俯き、唇を噛みしめる。
「ねえ、少しで良いから、葉桜君がいなくなると悲しむ人がいるということを心に留めておいて」
葉桜君の答えはなく、俺は彼女の前に膝をついて、彼女が強く握り締めている拳を開かせた。そこに一つの星の欠片を落とす。手の上を転がるキラキラとした星に葉桜君の頬が僅かに緩む。
「葉桜君の助けた女の子から、御礼だって」
「……綺麗……」
欠片を指で摘み、葉桜君はふわりと笑う。柔らかさとは反面、寂しそうな笑顔が俺の胸に痛い。女の子っていうのはもっと柔らかくて温かくて優しくて、とても弱くて強いものなのに。いや、葉桜君自身はその通りの人物なのだけれど。
摘まんでいた金平糖を少し眺めた後、葉桜君はそれを口に放り込んだ。あっという間に溶けたであろうそれを目を閉じて愉しんでいる。
「美味しい……」
葉桜君の潤んだ目尻に光る雫を俺が指で拭うと、手を掴まれた。その後に来るのは、いつもの葉桜君の意思の強い目だ。葉桜君はそうして弱さを押し隠して、強く笑む。
「ところで、近藤さん。まさか昨日の今日でまた遊んできたとか言わないですよね」
「事後処理に行ってきただけだよ」
「本当ですね?」
「信じてよ」
いつものように強く笑うのが作り笑いだと、何故今まで俺は気が付かなかったのだろう。思考を中断して頭を振ると葉桜君が不思議そうに俺を見ている。いや、本当は俺も最初から気が付いていた。不自然なぐらいに葉桜君はよく笑い、どんなに辛いときでも笑い飛ばしていた。その強さが弱さを吹き飛ばすためではなく、弱さを隠すためと何故に俺は気付けなかったのか。
「もちろん信じてますよ」
葉桜君のふわりとした強さで包み込んでしまうような笑顔を前に、追及しようとする俺の心が怯む。
どうしよう。今、葉桜君を思いっきり抱きしめてあげたい。大丈夫だよと、笑わなくても良いときだってあるのだと、俺が教えてあげたい。
だけど、その笑顔に阻まれて、俺は葉桜君にこれ以上の手を伸ばせなかった。強くて弱くて優しい葉桜君がとても愛おしいと感じるのに、抱きしめることができなかった。
「とにかく、無茶だけはしないでよ」
「はいはい」
わかりましたよーと笑いながらお座なりに返事する葉桜君に、俺もただ笑って返すことしかできなかった。
このファイルは、なんとなく特別。個人的に。
自分の誕生日番号のファイルって、大切。
だから、すいません。誰でも良かったんですけど、近藤夢です。
去年は何やったっけ…覚えてないなぁ(おい。
(2006/05/24)
近藤さんのモノローグの人称を修正
(2006/07/06 13:21)
改訂
(2010/06/16)