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書名:GS
章名:氷室零一

話名:赤いGLASS


作:ひまうさ
公開日(更新日):2002.8.26
状態:公開
ページ数:4 頁
文字数:10218 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 7 枚
デフォルト名:東雲/春霞/ハルカ
1)
ちゃんやす様のイラスト付き
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p.1

 氷室が開けてくれたドアを通ると、一斉にクラッカーの音が炸裂した。クラクラする私を、後から力強い腕が支える。

「大丈夫か?」
「…なんとか」
 私を後ろに庇うようにして、氷室が前に立った。

「あぶないだろう」
 ここに来ると、氷室の声は格段に柔らかくなる。それは幼なじみがいるという安心からかもしれない。

「一緒に来たってことは、そーゆーことだろ? いーじゃねーか、めでたいんだから!」
 その幼なじみのマスターが進み出て、私たちをピアノの前のテーブルに案内した。

「一人だったらどーする気だったんだ?」
「ありえないね」
 キッパリと言い切るマスターに氷室が不思議そうに返す。

「理由は、まぁ、ともかく」
「待て。なにがともかく、だ」
「そんときゃ、残念パーティーでもやるさ。なぁ?」
 マスターの意見に常連が皆、頷いた。要は、騒げれば何でも良いと。

「…貴様…」
 ため息をつきながらも、氷室の口角が上がっている。ひょっとしたら、この冷かしが嬉しいのかもしれない。

「ほらよ。今日はオレの奢りだ」
 二人の前に出されたのは、いつものレモネードではなかった。

 透き通る赤色のグラスを持ち上げると、マスターを睨みつける氷室が赤く染まっている。

「おい。東雲はまだ未成年だぞっ?」
「まぁまぁめでたいんだから…」
「そういう問題ではない!」
 赤い赤い液体はすごく魅力的で、私を飲んで、と誘っている。

「東雲」
「ぅはいぃぃぃっ!!」
 声に驚いてグラスが手から滑り落ちた。

「あっ!!」
 制服が…。

 場が一気に静まり返った。

「すまない。驚かせてしまったか?」
「…グラスは無事です、けど」
 グラスはスカートの上で抑えているが、中身はすべて制服のスカートの内に吸い込まれてしまっている。

「グラスなんぞはどうでもよろしい。割れたところで困るのはこいつだけだ。それより問題なのは…制服、か」
「春霞ちゃん、タオルどうぞ」
 マスターがカウンターから真っ白なタオルを差し出してくれた。

「マスターさん…」
「ごめんねぇ、奥の部屋で着替えるかい?」
 着替えるといっても替えはなし。

「そうさせてもらう」
 私が断る前に、氷室が腕を取って立ち上がらせた。

「せんせぇ、私、着替えが無いんですよ?」
「問題ない」
「ありまくりですっ」
 抗議の意見もお構いなしに、勝手知ったるカウンターの奥へと私を引きずって行く。

「襲うなよ~零一♪」
「……」
 無言で外野を睨みつけて、私を奥の扉に押し込んだ。

「…覗かないってば」
「ホットレモネード」
「はいはい」
 せんせぇ? それはもしや…私が飲むのですか?



p.2

「そんな拭き方では残るぞ」
 扉を閉めた氷室の、第一声はそんな色気もそっけもないセリフで。

 次に、バサリと大きな上着が降ってきた。

「脱ぎなさい」
 冷静に降ってくる言葉に私は冷静でいられるハズもなく。今までの優等生の仮面も役に立たず。

「せ、せんせぇ!?」
 そして、氷室は私に背を向けた。

「私の上着を掛けていればいい。そのまま拭いても後が残るだろうから、水洗いする」
 いつもの機械的なセリフに、少しがっかりしたような安心したような複雑な気分で、私はスカートを渡した。言われたとおりに、上着をしっかり掛けるまで、氷室はこちらを向かなかった。

「でも、今日以降、この制服着ないんですよね」
「そうだな」
 流水の音と氷室の背中に、一抹の寂しさを感じる。

「別に無理して落とさなくてもいいんじゃありませんか?」
「よくはない」
「どうしてですか?」
 洗う手が一瞬、止まった。

「どうして――?」
「そんなことはどうでもよろしい」
 焦ったような、でも、すごく優しいいつもの口癖。

「いや、どうでもよくはない、か」
 自分に言い聞かせるような囁きが聞こえた。

「私はまだ、迷っているのだと思う」
 生徒である、正確には生徒であった東雲に想いを告げた時、正直OKされるとは考えてもいなかった。教師が生徒に想いを寄せるなど、間違った行為だと信じてきた氷室自身には、血迷ったとしか言いようがない所業。でも、東雲は静かに受け止めてくれた。穏やかな湖面にも似た彼女の優しさに、さらに気持ちは溢れそうになる。

「東雲を、高校生であった東雲には、この制服のままにいて欲しいのだ」
 ただ汚れない純粋であったままに。

「でも、卒業しましたよ。今日」
 氷室の目の前で。

「私が言いたいのは、この制服が私の生徒であった象徴なのだということだ」
 だから、汚れたままにしてはおけない。後も残さずに、すべて洗い流してしまわなければならない。

 そんなことを云われたら何も言えなくなってしまって、私は大人しく待つことにした。先生の上着からはタバコの匂いはしないけれど、男の人の匂いがした。

「よし!」
 水の流れる音が止まったことに、私はなんとなく気がついた。その時には、ほとんど夢の世界に落ちてしまっていたが。

「東雲…?」
 だって、氷室の上着に包まれていると、抱かれているようで安心してしまって。

「ここで寝るな」
「…はぃ…」
 寝るなっていっても無理です。これ以上に安心して眠れる場所なんて、きっと世界のどこにもない。

「…ち、さん…」
「なんだ? こら、眠るなといっている」
 上半身が浮かび上がる浮遊感の次に、大きな腕と氷室のムースの香りがした。

「…おやふみにゃ…」
「おい、寝るなと…」
 氷室の声が段々と遠くなった。



 夢の中では、せんせぇが名前で呼んでくれて、軽くキスをしてくれた。



p.3

 腕の中で完全に眠ってしまった東雲を前に、氷室は途方にくれていた。 規則正しい寝息に規則正しく上下する胸。

「…春霞」
 無防備なその姿に、氷室はそっと髪を手に取った。柔らかくて真っ直ぐな髪は彼女そのもののようで、手に取れてもすぐに滑り落ちてしまう。

 せめてこの手をすり抜けない様にしておきたい。

 手に入れても、不安は付きまとう。幸福の中にいても、同じこと。しかも目の届かない場所に行ってしまうだけに、余計に不安は膨れる。手に入れるまでこの不安は消えないと思っていたが、手に入れた安心と同時に不安は振り子のように膨らんだ。

「春霞」
 何度、名を呼んでも消えない。生徒であったうちは、決して呼ぶことの叶わなかった名前。ソレが、一枚の壁のように隔たっていた。

「春霞…」
 小さな口に自分のを重ねる。



 印を付けたかったのだと、思う。



★cyanyas_inemuri_me.jpg★ちゃんやす★「居眠り」★



p.4

 部屋を出ると、一瞬の静まりのうちに歓声が沸き起こった。私はもう制服ではない。いつ用意したのか、目が覚めると渡されたのが赤いドレスだった。明るい赤だけでなんの柄もないシンプルなドレス。

 外で待っていた氷室が差し出す腕に飛び込んだ。

「せ、せんせぇ…」
「心配ない」
 服にしがみつく手を取って、席へつく。待ち構えたように、マスターがグラスを運んできた。

 今度は湯気の立つレモネード。

「…ぁぅ…っ」
 もうさっきのは飲めないのか…。手に入らないとなると、余計に惜しくなるもの。手を滑らせなければ、飲めたかもしれないのに。

 残念そうな私の頭を軽く叩いて、氷室は席を立った。そして、ピアノに向かって弾き始める。今日のはクラシックといっても、空気に合わせてなのか、かなり陽気な曲目だ。その中の優しさを感知して微笑みが零れる。

「楽しそうだねぇ~春霞ちゃん」
「はい~」
 陽気に返す私に一瞬驚いたようだったが、マスターはテーブルに軽く寄りかかった。

「零一なんかのどこがいいの?」
 不満そうというよりも、どこか暖かい眼差しで問い掛けられ、私はうつむいた。顔が熱を帯びてくる。

「全部、です」
「へぇ~」
「でも、ピアノ弾いているときのせんせぇが一番ですっ」
 握りこぶしを握り、強く主張するのはたぶん最初の印象がそれだったから。優しい音色につられ、放課後の音楽室で見た、それは楽しそうに演奏する氷室の姿。

「ふっふっふっ…いーこと、教えてあげようか」
「なんですか?」
「あいつね、昔、ピアノが嫌いだった時期があったんだよ」
 そういって、マスターは席を去った。

 いや、そこでいなくならないで。気になるから。

「マスターさん…」
「続きは本人に聞いてみな」
 至極楽しそうに言った笑顔は私の後ろを見ている。

「東雲に何を吹きこんだんだ」
「な~いしょ」
 少しの間の後、諦めたため息と共に、氷室は席についた。

「もう弾かないんですか?」
「質問があるのだろう?」
 真っ直ぐに見つめてくる瞳に、たじろいでしまう。

「え…と」
 射抜かれたように動けなくて、見つめたまま息が止まりそうになった。

 初めて会った時は、おっかなそうな担任だった。でも、ピアノがその印象を覆した。たった一曲が、私を変えた。

「ま、マスターさん!!」
 だめだ。視線を逸らし、わたわたをマスターを呼ぶとすぐに来た。

「ああの、さっきのカクテル、なんてゆうのですか?」
 マスターの視線が氷室を盗み見る。何かあったの?と、目が楽しそうだ。

「あぁあれ?ロイヤルカルテット」
「?」
「ホントはチェリーブロッサムにしようと思ったんだけど、強すぎるかなって」
「あれもコニャックを使ってあったとおもうが?」
 間に割ってはいる氷室の目は、マスターには厳しい。けれど、どこか優しい気がするのは気のせいかな。

「今日という日には丁度いいだろ。なにしろ、クルボアジェVSOPルージュを使っているんだし」
 特別だ、とマスターが微笑んだ。でも、まるで意味がわからない。

「アレに使ったブランデーはね、かのナポレオンの奥さん、ジョセフィーヌをイメージして作ったものなんだよ」
「…へぇ~…え…?」
 お、奥さんて、あの、それって、その、そーゆう意味!?

「春霞ちゃん、そのドレスすごく良く似合ってるよ」
 まだアタマがパニックしていて、マスターが何を言っているのか聞いていなかった。

「零一が見立て…っが!!」
 何か云おうとしたマスターは突然、脇を押さえてうずくまった。氷室が横から殴ったらしい。

「余計なことは言わなくてよろしい」
「…っで…」
「あっちへいってろ」
 どこか恨めしそうに、マスターは言った。

「春霞ちゃんがせっかく呼んでくれたのに…」
「東雲もあいつなんぞ呼ばんでよろしい」
 自分のグラスに口を付ける氷室の顔が、微かに赤い。

「何を笑っている」
 自分の顔に手を当てて、にやけているのを確認する。たしかに、笑っている。

「いえ…、怒りません?」
「何をだ」
「マスターさんとせんせぇのやりとりが微笑ましいなぁ、と」
 露骨にイヤな表情が返ってきた。

「くだらん」
 一刀両断に切り捨てられてしまうのは承知の上。でも、理由はもう一つ。

「いつ、このドレスを買ったんですか?」
 聞いていたのかと、氷室の眉がしかめられる。

「聞いてどうする」
「聞きたいだけです」
 今度は困っている。…楽しい。氷室を困らせると色々な表情を見せてくれるから。

「…秘密だ」
「えーっ」
 酔ったら、教えてくれるのかな。

「じゃぁ、教えてくれなくて云いです」
 意外そうな顔。私はわざと、顔をそむけてレモネードに口を付けた。胸に広がる温かさと、安心感。

「東雲?」
 でも、このままでは終わらせない。

「せんせぇ、私のこと、本当に好きなんですか?」
 わざと乱暴に言ってみる。

「嘘や狂言で、生徒に…コホンッ…告白などできない」
 テーブルに顔を付けると、木の冷たさとぬくもりが伝わってきて気持ちイイ。

「名前、呼んでください」
 こういうのも出来心というのだろうか。

 我侭を言いたかった。恋人になっての初めての我侭。これまで我慢して来たこと、全部ぶちまけてしまいたいけど、それを全部押さえてでもほしい一言。

「東雲?」
「それは苗字です。私の名前は、春霞です」
 本当に本当に困った顔が返ってきて、私は少し後悔した。

「酔ったのか?」
 ホットレモネードで酔うわけがない。

「せんせぇ」
「…もう遅い。車で送ろう」
 私を置いて、氷室は車を取りに行ってしまった。

「せんせぇのバカぁ」
 やっぱり、呼んでくれない。

「そーゆー春霞ちゃんもいつまで「せんせぇ」って呼んでるんだい?」
 からかい気味のマスターの言葉に、私もやっと気がついた。

 そーいえば、私も名前で呼んでない。



 せんせぇ。

 氷室先生。



 ずっとそう呼んできた。私はただの生徒だったから。



 先生サマ。

 ゼロワン。

 バイナリー。

 ヒムロッチ。



 は、奈津実や他の生徒が呼ぶあだ名。

 じゃぁ、恋人としての私は?



 零一。



 はなんか、私のイメージじゃない。呼び捨てになんて、出来ない。



 レイちゃん。



 は、ちょっと…。せんせぇはそんなに子供じゃない。

「東雲、帰るぞ!」
 戸口で呼ぶ声に、私はスキップする勢いで飛びついた。

「なっ…やめなさい」
 決めた。



 零一さん。



 これに決定。

「…いつか、呼ばせてやるんだから」
 助手席で、聞こえるか聞こえないかぐらいの大きさで呟いてやった。

あとがき

本人の預かり知らぬところで呼ばせてみました~っ
あぁでもこの主人公もなんか違う(爆
はぅぅぅっむずかしいねぇ~こんなに書いといて何だけど。
氷室と主人公のやり取りは、どうしてもマツモトトモさんの『キス』が過ぎります。
だから、こんなんになるのかなぁ…うぅっ
完成:2002/08/26


備考として、『CHERRY BLOSSOM』が絵的にすごいイイんですが…。なにしろ強すぎる。
ので、『ROYAL QUARTET』に下げてみました。
イラストはちゃんやす様にいただきました♪