アルバムを捲りながら私が忍び笑いをしていると、後ろから頭を叩かれ、隣に誰かが座った。
「何見てんの、美咲。……アルバム?」
隣りに座ったルカ君は、私の手元を覗きこんで、目を丸くしている。
「へぇ~、よくこんなにとったな」
「へへ、まあね」
すごいでしょう、と胸を張ると、ルカ君はすごいといいつつ、私の手元からアルバムを取り上げ、じっくりとめくる。
私たちがいるのはWestBeachのダイニングだ。ココアを作ってくれていたコウ君も、私の隣に座る。
「……狭い」
「ココア持ってきてやったんだろうが」
「サンキュ、コウ」
「テメェじゃねぇ」
私の文句をよそに、頭上で言い合いをはじめる二人は、実に仲が良い。仲がいいのはいいことだ、と小さく私は笑う。
「何笑ってんだ、美咲」
「うわ、コウ、悪い顔!」
「あぁ?」
アルバムを持ち上げたコウ君が写真を見て吹き出す。
「テメェもな」
どれどれとそれをみた私も吹き出した。
「あは、文化祭の時のっ」
そこにあったのは高校3年の文化祭で、私が知らない男の子からツーショットを頼まれた時の写真があった。写っているのは、悪そうな顔をしたコウ君とルカ君。
「あの時は驚いたなー。だってさ、写真撮って欲しいなんて言われたの初めてだったし。知らない人だから吃驚したけど、クラスの子に言われたら撮っちゃったかもね」
私が苦笑していると、いつの間にか両側から笑いが消えていて。
「ほぅ」
久々に、コウ君が黒い笑顔で笑ってる。
「誰、そいつ?」
ルカ君も、少し怒った笑顔だ。両側に挟まれて逃げ場のない私は、しまったと青ざめる。
「た、喩え話だよ、たとえばってこと! 実際、写真撮ってなんて言われたのは、あの時だけだもん」
ね、ね、と二人を交互に見ると、同時にため息を吐かれた。
「……このときは、間一髪間に合ったけど、一度間に合わなかった時があったな、コウ?」
「……しかし、アイツはルカの恩人なんだろーが」
ブツブツと小声でやり取りしているけれど、その内容は間にいるために私に筒抜けだ。
「誰も平くんのことだなんて言ってないよ!?」
「タイラーか……」
「こういうときは仕方ないよ、コウ。俺、行ってくる」
立ち上がったルカ君に私は慌てて手を伸ばす。
「え、どこに!?」
「美咲はここで大人しく待ってて」
子供にするみたいに優しく頭を押さえつけられ、だけど誤魔化されるわけにはいかない私は必死でルカ君の手を両手で掴んで握り締める。
「今日はホットケーキを作りたい! 蜂蜜いっぱいもらったから!」
「え、マジ?」
出処は言わないところがいいだろうか。
「ルカ、俺は行くぞ」
「び、ビーフシチュー作りたいっ! コウ君の秘伝のレシピ教えてくれるって言ってたじゃない!?」
「……今日はホットケーキ作るんだろうが」
「ホットケーキはご飯じゃないよ? おやつでしょ?」
私が首を傾げると、一瞬の間を置いて、二人同時に吹き出した。
「え、なに?」
「あはは、ま、そうだな、コウ?」
「しかたねぇな、美咲がビーフシチュー作るなら、許してやる」
「ホットケーキもね」
二人が落ち着いたのを見て、私はほっと胸をなでおろした。それから、さっきかくした蜂蜜で出処を伝える。
「蜂蜜、平君からもらったんだよね。なんかいっぱいもらっちゃったからって。だから……ちょ、二人とも、どこ行くの!?」
再びWestBeachを飛び出そうとする二人を慌てて引き止める。今度は両手で二人の右手と左手を掴んで。
「すぐに戻るよ、美咲」
「ビーフシチュー、楽しみにしてるぜ、美咲」
ああもうこいつらは、と頭を抱えたくなったが、私は最終手段に映ることを決意した。平くんは数少ない私の友人だ。迷惑をかけたくはない。
「……置いてっちゃ、ヤダ……」
俯いて、鼻をすする。目元を潤ませれば完璧なのだろうけど、どうにもすぐに出せるほど私は女優じゃない。
哀しいことを思い出せ、私。ほら、あれ、高校3年の冬のこと。コウ君が連れて行かれて、ルカ君がそれを追いかけて、二人で病院ーー。
「お、おい、美咲?」
「喧嘩、しないで。も、私、二人が傷付くところなんてみたくないよーー」
握りしめていた手はいつの間にか力をなくしていて、離れてしまった手を自分の目の前にしたら、ぽたりと滴が落ちた。
私は、弱い。コウ君とルカ君を守りたいといくら願っても、この手は小さすぎて、なにひとつ守れないままだ。二人はいつも私を守ってくれるのに、私は二人を守れない。なんて、不公平なんだろう。
「喧嘩なんてしないよ? タイラーに御礼を言うだけ」
しゃがみこんだルカ君が私を目線を合わせながら、私の目元を指で拭う。
「お、礼……」
「蜂蜜、ごちそうさまって」
素直にそれを信じられればいいのだけど、私は小さく眉根を寄せる。
「……さっき、怖い顔してた」
「してない」
「嘘、してたもん」
頭を軽く撫でるコウ君の手に、私は顔を上げる。
「してねぇよ。この顔は生まれつきだ」
「……コウ君は怖くないよ」
ぼたぼたと涙を流しながらも私が言い返すと、コウ君はこちらを見下ろし、さらに眉根を寄せる。それが、怖い顔のはずだけど、さっきとは違って、困った顔だと私にはわかる。
「行かねーから、泣き止め」
「泣いてないっ!」
「……おい、泣いてないってよ。どーするよ、ルカ」
「困った妹ちゃんだ」
苦笑しているルカ君の整った顔が近づいたかと思うと、目元に湿った温もりが触れた。しかも、リップ音までおまけで付いて。
驚いて、流石に私の涙も止まった。
「っ、な、ルカ君……っ」
「止まったよ、コウ」
嬉しそうに言うのはルカ君だけで、コウ君は拳を握りしめて、震えている。
「……ルカ、テメェ……」
今にも喧嘩が始まりそうな気配を察知し、私は慌ててコウ君の腕にしがみついた。
「喧嘩しちゃ駄目!」
すると、今度はコウ君が顔を赤くして怒りだした。
「は、離せ、美咲!」
「喧嘩しないっていわなきゃ、離さないっ」
「っ、だって、今、こいつはおまえに……!」
「スキンシップは挨拶みたいなものって言ってたのは、コウ君だよっ!?」
「ここは日本だろうがっ」
言い合いを初めた私達の間に割って入るというか、火に油を注ぐように、ルカ君が私を背後から抱きしめた。
「ルカっ!」
違う、これは油じゃなくて、ガソリンかけたんじゃないだろうか。
「羨ましいなら、コウもやればいい」
そうして、あっさりと私を手放したルカ君が、私をコウ君の前に押し出す。
「俺、ホットケーキ作ってくる」
そうして、あっさりとその場を去ってしまった。まあ、ダイニングにいるから、厨房に言ったとしてもルカ君から丸見えなのだけど。
私を険しい顔で見下ろすコウ君の前で、私は肩を竦める。
「どうする、コウ君?」
コウ君は、ルカ君ほどスキンシップは好きじゃない。だから、私も過度には触れ過ぎないようにしていた。だって、コウ君は、お兄ちゃんだもの。
ここは私が、と私はコウ君に屈んでとお願いする。
「なんだ?」
「いいから」
コウ君の顔が手の届く位置に来たところで、私は少しだけ背伸びする。
ちゅ。
リップ音はやけに大きく響いた気がした。でも、狙い通りには出来たはずだ。
「これで、ね?」
ルカ君と同じというほどではないけど、私はコウ君の頬にキスしたのだ。
たっぷりの間をおいてから、みるみるコウ君の浅黒い肌に赤みが差してくる。これは、少し面白いなと眺めていると、いきなり手を掴まれた。
「いい加減にしろ、美咲」
怒っているコウ君のそれはいつもなら照れ隠しだ。だけど、今は、違う気がする。
「……テメェ、どこまで俺らを弄べば気が済むんだ?」
「え?」
「俺は、言ったはずだ」
迫ってくるコウ君の顔に、私は失敗したと悟った。
私は、三人でいる空間を守りたかった。だから、二人の気持ちを無視して、そして、ここに、いる。
弄んだといわれれば、そうなのかもしれない。だって、二人は大切な幼馴染で、それはきっとこの先も変わらない。なのに、残酷にも二人の時間を奪っているのは私だから、どんなことでも受け入れるべきだ。
そう、わかっているから、私は笑う。
「私は、選べない」
口が触れる寸前で、コウ君が止まった。それならば、と私は続けた。目を、閉じたまま。
「子供の頃のままがいいって言ったら、二人とも困るから。だから、言えなかった。あの頃のままでいたいって、いいたかった」
「美咲」
ルカ君の声が、近くで聞こえて、後ろから私を抱きしめる。
「……もう、限界だよね? 私の我儘で振り回して、ごめんね。でも、後悔はしてないよ。だって、私は」
目を開けて、目の前のコウ君を見る。それから、顔を上げて、ルカ君を見上げて笑う。
「二人とも比べられないぐらい、大好きだから」
自分勝手で、縛り付けてごめんね、と。謝って済むなんて、私は思ってない。
「……先に、シャワー浴びていいかな? 私が返せるものは、私自身しか無いから」
じゃあねと歩き出そうとした私は、両手をそれぞれに掴まれた。
「まて、美咲」
「ちょっと、待って。あの、どういうこと?」
混乱をありありと表にした二人を前に泣きそうな心を、私は自分で叱咤し、笑いかける。
「そのままの意味だけど? あ、できれば一人ずつでお願いします。経験とかないから、その辺も考慮してもらえると」
「待て、美咲。おまえ、何言って」
「何って、コウ君、女の子にそこまで言わせるの? ……ううん、これも罰の一つなのかなぁ」
待って、という声はルカ君も口にしていた。理解できない、と大きく見開かれた目が語っている。
「後ね、避妊はしなくていい。できちゃったら、私一人で産むから」
むしろ望むところだよと笑ったら、コウ君にぎゅうと強く抱きしめられた。
「おい、ルカ、こいつに酒飲ませたのか?」
「コウじゃないの?」
「じゃあ、何か? なんで、こんなこと」
あまりに加減なく抱きしめられているので苦しい。
「私、飲んでない」
「じゃあなんだ、素面でなんでここまでぶっ飛んだ方向に行くんだ」
「コウ、美咲が苦しそう」
「あ、お、おぉ」
ルカ君の指摘で緩んだ腕から、私は顔を出し、ルカ君を見つめる。
「……ごめんね?」
「うわぁ……、何、急に」
「こんなベタなことは言いたくなかったけど、私さ、本当に本気で二人とも好きなの。比べたくない。比べられない。それでも一緒にいたいから、知らないふりしてた。だから、ね。ーー好きにしていいよ」
ごつっと重い拳が降ってきた。
「いたっ」
「馬鹿なこというんじゃねぇ」
「美咲はどこをどう間違えて、そういう結論に達しちゃうのかなぁ」
「間違い? だって、改めて言うのも恥ずかしいけど、二人とも私のこと好きでしょ? ……いや、自意識過剰かもしれないと思ったこともあるけど、紛れも無い事実だよね。だから、休みの日に私が来ても怒らないし、時々いたたまれない空気になるんだよね……」
なんだそれと、二人揃って見つめ返され、私は苦笑する。
「確認していいか」
「どうぞー」
「……今までのアレは、計算づくか」
コウ君の不機嫌な問いかけに、私は考えるより先に感情で答えを口にする。
「アレって言うのが何かわからないけど、計算て程ではないかな。触ってると安心できるから、つい、なんとなく?」
「つい、か」
「なんとなく、なの?」
聞き返されて頷くと、二人同時に呻いた。
「ほら、子供って安心できるものを握っていたくなるでしょ? そんな感じ。むこうではそんなことなかったのに、二人に再会したら、ちょっと逆行しちゃったみたいなかんじかな」
安心毛布とかそういった類なのだと説明すれば、ますます二人は考えこんでしまった。
「……わかんねぇ。ぜんっぜん、わかんねぇ」
「俺も。コウ、ちょっとさ、休憩しよう」
「コーヒー淹れてくる」
「俺、ココアね」
「ああ、美咲は?」
離されたかと思うと、ひょいとルカ君に抱え上げられ、私は目を丸くする。
「え?」
「コーヒーとココアどっちがいい?」
「……じゃあ、水で」
なんとなくどちらでもないものを飲みたくて、私は言うと、二人はやはり同じタイミングで笑った。
「コウ、水だって」
「水だな」
「え、そこ笑うトコ?」
「笑うトコだよ、美咲」
お姫様はこっちね、と運ばれた先は、さっきと変わらないソファの真ん中だ。さっきと同じく右側にルカ君が座り、トレイにコーヒーとココアと水を乗せたコウ君が左側に座る。
また挟まれてしまったな、と思ったけど、この場所は居心地がいいので、私は気に入っているのだ。
「コウ君、狭い」
「チッ、我慢しろ」
「ふふっ」
小さく笑うと、思いがけず、自分の目元から再び雫があふれた。今度は、計算してのことでもないのに、なかなか止まらない。
ほら、と差し出されたゴワゴワのタオルを顔に押し付け、背中を叩くルカくんの手と、頭をなでるコウ君の手を感じながら、しばらく私は泣いていた。
「美咲ってさ、泣く時、声上げないよね」
一頻り泣いて、すっきりした顔をあげると、唐突にルカ君が言った。
「昔からそうだったな」
「え、そうだっけ? てか、よく覚えてるね」
「そりゃそうだよ、好きな子のことだし。コウだって、そうでしょ?」
私がコウ君を見ると、こちらをじっと見下ろしている。
「……コウ君?」
「なんで、あんなこと言った」
「え?」
最初、私はコウ君が何を言っているのかわからなかった。でも、さっきまでのことを思い出して、それから苦笑する。
「笑い事じゃないよ、美咲。自分が何言ったかわかってる?」
ルカ君に指摘されるまでもなく、私はわかっているから笑うしかない。
「ね、高校の頃さ、私が影でなんて呼ばれてたか覚えてる?」
私の言葉に、二人が同時に眉をひそめた。
「はば学の女王」
いつの間にかついていたとんでもない渾名は、しかし的を射ていたような気がする。私は自分に都合いいように二人を利用していたのだから。
「今でも、十分すごいけどね」
「だな」
「こら、そこは今も可愛いよ、とか言わないと!」
「で、女王様、なんであんなこと言ったの」
はぐらかそうとした話題を蒸し返されて、私は笑みを消した。見逃してくれるつもりはないらしい。
「真面目な話、していい?」
二人から同意をもらい、私は両手を膝の上で組み、俯いたままに話しだした。引っ越してくる前の、自分の話を。
二人のことを忘れていたことも、思い出に縋ってしまっていた惨めな自分のことも。
「……二人とも見た目は変わっても中身は優しいまんまだったから、私はそこにつけこんだの。最低だよね、こんなの」
二人が今どんな顔をしているのか、私には怖くてみられなかった。それでも、いつかは私は話さなければいけなかったし、そうしなければ、私たちは永遠に前に進めないままになってしまう。
私はそれでもいいけれど、二人を巻き込むと考えた時、私は怖かったんだ。
「コウ君もルカ君も大好きな気持ちに嘘はないよ。でも、だからこそ、私の身勝手で二人を振り回すのは終わりにしなきゃいけないって考えてた」
「さっきのは、つい、感情的になっちゃったけど、いずれそうなったら……」
その先の言葉を私は続けることができなかった。震える私の手の上に、大きなコウ君の手が重なる。私の肩を抱くルカ君のちからは優しい。
「馬鹿か、テメェは」
「俺らは美咲を逃がしてやらないよ」
「……わかってる。今更、撤回するつもりもないよ」
本音を言えば、私は怖い。怖くないわけがない。二人を受け止めきれるとも思ってない。でも、与えられてばかりだった自分にできることは、これしか思い浮かばなかった。
「美咲」
耳元で聞こえたコウ君の声に、私はわかりやすくもひどく震えてしまった。心地よく、安心できる声のはずなのに、今は、今は怖い。逃げ出してしまいたい。
きっと、二人は私が逃げたいといえば、逃がしてくれる。だけど、私は自分でその道を塞いだ。
左側を向いて、私はコウ君の首に両腕を回す。自然近づく距離を気にせず、口を重ねると、コーヒーの薫りがした。すぐに離れてから、身体を反転させ、驚いているルカ君の肩に手をおいて、少しだけ身体を伸ばして、同じようにくちづける。こっちは、ココアの甘い味。
直後、コウ君がソファから落ちたのに、私は思わず笑ってしまった。
「ちょっと、流石に初めてでもないでしょ? 二人とも経験ありそうだもんねー」
「……美咲は?」
「んー、ふふふ、どっちだろうねぇー」
ルカ君の言葉に曖昧に返すと、すぐさま頭を撫でられた。
「初チューはコウじゃなくて、俺にして欲しかったなぁ」
あっさりバレた。やっぱり、慣れているという読みは当たっているらしい。
「ちなみに、コウは今のが」
「ルカ!」
全力でルカ君の口を塞ごうとするコウ君から、私も屈んで逃げをとる。潰されるのは本意じゃない。そんなことがしたかったんじゃない。
じゃれている二人を見ながら、少しずつ私は距離をとる。向かう先は出口ではなく。
「じゃあ、シャワー浴びてくるねー。覗いちゃやだよー?」
シャワールームのドアを閉めるまで、私は笑っていられた。だけど、一人になった途端に、ドアに背を預けて、立てなくなった。
「……は、はは……今更、何怖気づくってのよ、私……」
震えてやまない自分の身体を抱きしめて、私は必死で恐怖と戦った。
シャワーを終えた私は、少し考えた末に、バスタオルを身体に巻いたまま、部屋を出た。勢い余って着替えを用意していなかったのだ。幸いにもここにはよく来るので、着替えは置いてある。
扉から顔だけだしてダイニングの様子を伺うも、二人がいる様子はない。
(……出かけちゃったかな?)
もしかして、呆れて出て行ったのかもしれない。それならそれでいいか、と苦笑して、着替えの置いてある倉庫へと向かう。
ひたひたと裸足で歩く床の冷たさは、次第に私の心を冷やしてゆく。
(もう、終わりにしなきゃね)
倉庫を開けて、ハンガーに吊るされた服の中から、選んでゆく。ルカ君は女の子らしいのが好きで、コウ君はちょっと派手目なのが好き。もちろん、大人っぽいのも受けはいいけど。
考えつつ私が選んだのは、めったに着ることのない、動きやすいアクティブプリーツスカートに、Tシャツ、パーカーというラフな格好だ。それから、置いておいた衣装をひとつひとつバッグに詰めてゆく。どれもこれも想い出の深いものだけど。
(処分、するしかないよね)
想い出は時に残酷だ。逃げてはいけないのだろうけど、ここに残せば、二人にとっても良くない。
全部の衣装を詰めた私は、少々重いバッグを肩に掛け、よろめきながら倉庫を出た。
ダイニングには、いつのまにか二人が戻ってきていた。
「美咲」
「重そうだね」
私は努めて笑顔を向ける。
「そうでもないよ」
ルカ君は私の格好を見て、寂しそうに目を細める。
「……再会した時とおんなじ格好」
「そうだっけ」
言われてから、そういえば、あの日はまだ引越の片付けで忙しかったし、それほどおしゃれもしてないなと想い出す。
「動きやすいんだよね、こういうほうが。それとも、ルカ君たちが好きそうな格好にしたほうがいい?」
二人ともが苦笑して首を振ってくれたので、私は笑っていうことが出来た。
「次に会うときには、お互いに良い人を見つけられるといいね」
すると、寂しそうにルカ君が微笑む。
「美咲はもう決めちゃった?」
「うん」
「そっか」
それだけ言って、ルカ君は私から目線を外した。コウ君はじっと私を見つめたままだ。
「……言いたいことあるなら聞くよ、コウ君」
私が促すと、コウ君はやおら立ち上がり、入り口へと向かう。
「送ってく」
(ルカ君の前では話せないってこと?)
格好つけのコウ君だから、そうかもな、と思いつつ、私も入り口へと足を向けた。
促されるままにバイクの後部座席にまたがり、ハンドルを握るコウ君にしがみつく。これも、きっと最後だ。
本当は、手放したくない。二人の間でずるずると甘やかされていたい。ずっと、ずっと、一緒にいたい。
「っ」
強く目を瞑って、私はただ必死にしがみついていた。
ついたぞ、とコウ君が私を下ろしてくれたのは、自宅の前ではなかった。そこは、ルカ君と再会した教会。そして、私たちにとっての思い出の場所。
教会の敷地に入り、中に入った私の後をコウ君も追いかけてくる足音がする。
「美咲」
「何」
「……他に好きな男でも出来たのか?」
「は!?」
私が振り返ると、コウ君がすごく真剣な顔をして私を睨んでいた。そういう方向に誤解されるのは考えてなかった。
「だから、俺たちから離れようとしてるんじゃねぇのか」
「そんな人がいたら、そもそもWestBeachに行くわけ無いよ。今、私が好きなのは、ううん、愛してるのはコウ君とルカ君だけ」
言葉にすると、それは私の中でしっくりきた。そうか、私はただ二人が好きなんじゃない。愛しているから、負担になるのが嫌になったんだ。
自分の中で納得すると、いつになく私はホッとした。それが自然と顔に出ていたのだろうか。大股に近づいてきたコウ君の胸に顔を押し付けるように隠される。
「じゃあ、なんで……っ」
言葉にならない様子のコウ君の背中に私が腕を伸ばすと、大きな身体がびくりと震えた。
「気がついちゃったんだよねぇ。コウ君もルカ君も、私のせいで世界を狭めてるって」
「先生の新刊をね、読んだのよ。そうしたらね、私も二人を開放してあげたくなっちゃった。だってさ、もったいないよ。こんなイイオトコを二人も独り占めなんて、さ」
「……先生?」
コウ君の声音が尖ったものになったのを感じ、私は慌てて、その背を叩く。
「ちょ、違うよ? そりゃ、確かに一度は揺れたけど、今は全然違うから!」
「…………」
「そもそも会えるわけないし」
「……美咲、正直に言え」
「…………」
「俺もルカも、今のままでいいと思ってる訳じゃねぇ。いずれは、その、な?」
言葉を濁すのはコウ君の照れ隠しだ。そして、二人ともが別々に私との未来を見据えていることを、知っている。それぞれに、ということは、いつかは選ばなければいけないということだ。じゃあ、その後はと考えると、私は怖くなる。どちらか一方しか選べないというのは、すごく怖いことだ。だって、二人の人生を私が握ってしまっているのに、片方をどうしたって捨てなければならない。そんなの、責任なんて追い切れない。
「美咲」
「コウ君、もし私が今ここで、キスしてって言ったら、してくれる?」
私が腕の中で彼の顔を見上げると、一瞬固まった後でその顔が近づいてきた。
額に当たる感触の後で、再びその腕の中に閉じ込められる。そこはとんでもなく温かくて、居心地の良い場所で、優しい居場所で。
「んな顔すんな」
思いつめたような、コウ君の声を聞きながら、私は今どんな顔をしているのだろう。
「焦るな」
短い言葉をくれるコウ君に、思わず身体がビクリと震える。
「俺らの気持ちが美咲を追い詰めてるってのはわかった。でもな、これは違うだろ」
言われなくても、元々はこんなふうに終わらせるつもりはなかった。さっきコウ君に行った言葉に嘘は微塵もなく、私はこの二人の幼馴染が大切で大切で、大切になりすぎて。
「泣いちまえ」
「っ」
「そんで、またWestBeachに来い。ルカと二人で、待ってっから、よ」
優しい声音で続けてくれるコウ君を、しかし私は押し返した。コウ君も素直に離れてくれる。
「……だめだよ。コウ君たちが、そうやって甘やかしてくれるから、私は寄りかかっちゃうんじゃない」
「それでいいじゃねぇか」
「よくないよ」
私が静かに返すと、コウ君は黙って私を見つめてきた。
「……ったく、めんどくせー」
口癖が飛び出し、私は一気に眉を吊り上げる。
「わかってるよ、そんなの! だからって、これ以上放っておいたら、手遅れに……!」
「だから、んなことを今更気にすんじゃねぇってんだっ」
上から見下され、怒鳴られるのは少しだけ怖くて、私は両目を閉じ、肩をすくませ俯いた。
「そういや、最初に会った時もそうやって、怯えてたな」
急に話題を変えられ、されどもそれに乗っかるように記憶を蘇らせた私は、素直に答えていた。
「そりゃ、そうだよ。自分より体格の大きい人に上から睨まれたら、誰だって怖がるでしょ」
「…………そうか」
さっきまで言い合いを始めそうだったのに、すぐに訪れた静寂はやけに心地よかった。
夜風にされされ、少しだけ頭も冷えてきた私は、コウ君に背を向け、教会の脇へと足を進める。今は咲いていないが、そのあたりにある小さな葉は、私もコウ君もルカ君もよく知るものだ。
「ねえ、コウ君。もしも今、妖精の鍵を見つけたら、どうしようか」
しゃがんで、その辺りの草を撫でていると、上から軽く頭を叩かれる。文句を言おうと顔をあげた私は、しかしすぐに下を向いた。
「こころにおもいえがくひと、かぁ」
「いねぇのか」
「うーん、どうだろ」
とっくにそばにいるからねぇ、とは口に出せなかった。気がつけば、苦笑がこぼれ出ており、そんな自分に少しだけ驚いた。
もしも、卒業式の日にここを訪れていたら、扉は開いていたのだろうか。そうしたら、先生は来てくれただろうか。既に過ぎ去ってしまった過去は戻らないとはいえ、少しだけ私は気になった。
先生でなくても、ルカ君かコウ君、どちらかが来ていたら、私は選んでいたのだろうか。
「ーーわかんないや」
私の隣にコウ君がしゃがみ、こちらを窺い見る。
「もしもよ、卒業式の日にここに俺が来たら、美咲はどうした?」
「え?」
「だからよ、もしも、だ」
らしくなく、自信無さ気な彼を見るようになったのは、高校三年の冬ぐらいからだろうか。
「仮定は意味が無いとは思うけど、ね。たぶん、断っていると思う」
「じゃあ、ルカだったら?」
「断ってる。それに、二度と二人に合わないようにしたかもね」
コウ君は少し考えこんでいるようだったので、私は立ち上がって、教会の扉の取っ手に手をかけてみた。やはり、扉は開かなかった。
「美咲、どけろ」
「え? ーーあぁぁ、何しようとしてんの!?」
「あぁ? 入りたいんだろ?」
「壊してまで入りたくないってばぁっ」
教会に蹴り入れようなんて、無茶苦茶なことをしようとするコウ君を止めようとして、私はその腰に抱きつく。少しの間をおいて、コウ君は私の頭を軽く撫でてくれた。
頭を撫でられるのは好きだ。でも、まったくの他人に触れられるのは怖いし、たぶんこれは気を許している人間限定なのだろう。コウ君やルカ君に撫でられるのは、ため息が出るほど心地よい。
上からコウ君の苦笑が降ってくる。
「だから、んな顔してると……襲うぞ?」
「…………」
「黙んな」
艶っぽい声で囁かれ、私がなんて返したらいいのかわからずにいたら、上から少し強めに叩かれた。
「痛いよ」
叩かれた場所をさすっていると、急にふわりと身体が浮き上がった。そして、目の前にコウ君の顔。抱き上げられていると気がついて、私は羞恥で顔を赤くする。
「な……っ」
その先の言葉を、私は口にできなかった。だって、私を見るコウ君の目が、あまりに、甘く、優しかったから。
どうして、と音にならずとも勝手に口元が動いた。どうして、この幼馴染は私にそんな目を向けてくれるのだろう。先ほどの一件で愛想を尽かされてもおかしくはないのに、まだ好きだと言葉にせずとも伝えてくれる。
「もう~、困るよ、ホント。私、どっちも愛しちゃってるんだもの。比べられないもの」
「ああ」
わかっているというコウ君の首に両腕を回し、私は彼の肩に顔を埋めた。やばい、顔が熱い。
「焦らなくてイイ。でも、そうだな……おい、ちっと顔あげろ」
私がのろのろと顔をあげると、唇に柔らかな何かが触れた。眼の前にあるのは目を閉じているコウ君の顔で。
時間にしてさほど長くはないけれど、それが離れてからも私は完全に固まっていた。
「あんまりスキンシップすると、今後はこれぐらいはやり返すからな。ーー美咲?」
その時の私はコウ君の声の一切が耳に入っていなかった。名前を呼ばれて、振り返った私は一体どんな顔をしていたのだろう。
「おいおい、さっき自分からしたんじゃねぇか」
「っ、そ……っ」
「早めに慣れねぇと、これからがキツイぞ?」
え、と問い返す前に抱いている位置が変わり、横抱きにされた状態で再び口が重なりあう。それは、体験したことのない大人のキスというやつで、私は混乱した頭でもって迎えているため抵抗らしい抵抗も出来なかった。
呼吸ってどうするの、とか考えていたら、やっと口が離れて、私は荒い息をつく。それをコウ君は嬉しそうに見ている。
「っ、キス、したことないって……っ」
「ルカがんなことほざいてたけどな、俺はそんなことは一言も言ってねぇぞ」
しまった、と目を丸くすると、苦笑しつつコウ君は私を下ろしてくれた。
「あのな、美咲、おまえはわかってねぇようだが、おまえがいなきゃ、俺もルカももっとガキのままだった。もっと狭い世界で、刹那的に生きてるだけで終わりだった。その世界を広げてくれたのは、おまえだ」
「だから、俺達の世界がどうとか、気にするな。感謝こそすれ、俺らは美咲を恨んだりしない。それこそ、どっちを選んだとしても、だ」
「今は選べないならそれでいいじゃねぇか。むしろ、今回のことでもうキス解禁てことなんだろ? だったら、覚悟を決めちまえ」
なんで、と見上げると、強く抱きしめられた。
「ルカ、出てこい」
「え!?」
驚く私を他所に、ひょっこりとルカ君が現れた。そういえば、ここに来てから随分と時間も経っているし、追いついてもおかしくはない。ない、の、だけど。
「美咲、俺も愛してる」
嬉しそうにいうルカくんの前で、私は完全に赤くなった顔を隠すことが出来なかった。
「もう! いつからいたの、ルカ君?」
「美咲、可愛い」
「やめて、言わないでっ」
「ね、コウ、いいかな」
「……好きにしろ」
近づいてくるルカ君から逃げるように、私は背を向けた。顔を隠す意味も含めて俯いたのだが、ルカ君は私の正面に回って、下から覗きこんでくる。
「美咲、俺にも言って?」
「な、に?」
「二人とも比べられないなら、コウだけ聞くのはずるいよ。ね、言って?」
強請られて、さらに真っ赤になる私に段々とルカ君の整った顔が近づいてくる。
心臓がもう煩いぐらいになって、聞こえてしまうんじゃないかってぐらい、ぎゅっと目を閉じていると、ルカ君から伺うように声がかけられた。
「美咲」
不安そうな声にそっと目を開けると、寂しそうな顔で。今にも、消えてしまいそうで。
私はルカ君にそんな顔をさせたくなくて、その首に腕を回していた。
「愛してる」
蚊よりも小さな小さな声だったはずだ。だけど、私はルカ君からすぐに引き剥がされて、そのまま深く深く口付けられて。
でも、やっぱり息継ぎの仕方がわからなくて、軽くパニックになって、ルカ君の胸を叩いて押し返した。
「鼻で息するんだよ、美咲」
「む、無理……っ」
「早く慣れるように、もう一回しようか」
「へ?」
覆いかぶさってきたルカ君に流されるまま、だけどさっきよりもゆっくりと唇を食まれ、そう、とか、もうちょっと、とか言われながら、なんとかキスをマスターさせられて。
終わる頃には息も絶え絶えでした。
「やりすぎだ、馬鹿ルカ!」
「えー、これでも手加減してるんだけど」
勘弁して下さい、と私は結局二人に泣きついたのだった。
ちなみに、この日を境に私が毎日二人から「練習」と称して、キスをされるようになったのは言うまでもないでしょう。
決意はどうしたかといわれると、結局のところふたりに説得されて、未だにズルズルと三人デートを繰り返しています。
「観覧車だったら三人で乗れるよ」
「俺、美咲の隣」
「あぁ、何言ってやがる。ジャンケンだジャンケン」
「もう! 喧嘩するなら、一人で行ってくるからねっ」
一人先に歩き出した私を二人が慌てて追いかけてくる。それを小さく笑って、私は一度振り返った。
「ルカ君、コウ君、ずっと愛してるからね」
さほど大きくない声で言った言葉が届いたのかどうかは、私たちだけの秘密です。
3人EDが良すぎて、思わず書いてしまったその後。
最初はほのぼのにしようと思ったんですが、思った以上にヒロインが暴走しました。
なんか、いろいろと自己満足でごめんなさい。
桜井兄弟攻略中につまみ食いした作家先生が思いの外良かったんで、つい挟んでしまいました。
春のスチルイベント見るために、しばらく放置している間に、先生と遊んでたんでね…。
先生に逢わないって言われて、落ち込むヒロイン。
よくわからないけど、彼女を元気づけようと誘ってくる兄弟。と、女の子たち。
今作は女の子の可愛さが異常だと思います!
ミヨもカレンも、なんであんなに可愛いの!?
(2013/01/24)