みよさんと大迫先生のおかげで勉強もようやくわかるようになり、カレンさんのおかげで流行に目を向けることもできるようになった頃、ようやく私は落ち着いた高校生活というのを手に入れられた気がする。
「バイト?」
「そう、やってみる?」
急に母親から切りだされた私はデザートのプリンを食べながら、首を傾げた。
「なんで急に?」
「急でもないんだけど、知り合いのお店で人手が欲しいんだって」
「ふーん、別にいいけど、何のお店なの?」
そうして、翌日に私は母の言う知り合いのお店の前で、微妙な気持ちで立っていた。そこはけっこう立派な花屋だ。というか、この辺りでも一番大きい花屋なんじゃないだろうか。名前は「花屋アンネリー」。
これだけなら別に、と思うんだけど、問題が一つ。
(だからかー)
以前からバイトしたいなという話はしていたけれど、今までこれというのがなかった。だから、していなかったのだけど、急に言うから変だとは思ったんだ。もしかしなくても、これが理由ではないだろうか。
(私は監視ってことなのかな? ーーしないけど)
私が店に足を踏み入れると、琉夏君が飛びきりの営業スマイルで迎えてくれた。
「いらっしゃいませー……って、美咲ちゃん?」
時々通学路や学校ですれ違ったりはあるけれど、互いにこうして向き合って話すのはずいぶんと久しぶりな気がする。初めてのバイトの面接に加えて、そのせいで私はかなり緊張していた。
「あの、店長さんいる?」
「ん? ああ、店長ー」
奥から出てきた男の人と私が話している間、琉夏君は興味深そうにこちらを見ていたが、来客に声をかけられて、離れていった。
「じゃあ、毎週火曜日と木曜日に来てください」
「宜しくお願いします」
店長さんに頭を下げて、一先ず終了だ。さあ帰るかと踵を返すと、思ったよりも近くに琉夏君が立っていて、私は目を見開いていた。
「やった、初めての後輩」
「琉夏君もここでバイトしてたんだね」
「そうだよ? 美咲ちゃんも?」
まさか私が母親に言われて来たとは思ってもいないんだろうなぁ。
「うん、よろしくね」
私が笑って言うと、琉夏君は冗談みたいに笑顔のままで訂正を入れてきた。
「やり直し。よろしくお願いします、先輩。ほら、言って」
これは案外に手厳しいようだ。だけど、確かにバイトもしたことのない私からしたら、琉夏君は大先輩だろう。
「よろしくおねがいします、先輩」
「いいね。よろしく、美咲ちゃん」
じゃあねとバイト先を後にした私は、まっすぐ帰る気にもなれずにふらりと商店街へと足を踏み入れた。
カレンさんのおかげで流行にも詳しくなったせいか、ウィンドウショッピングをしているだけで案外に楽しい。おかげで、気がつけば手荷物にショッピングバッグがひとつ増えている。まあ、これからバイトも始めるし、このぐらいの出費はいいかと機嫌よく歩いていた私は、ガソリンスタンドから「バンビ」と泣きそうな声で呼ばれて振り返った。私をそういうふうに呼ぶのはカレンさんかみよさんぐらいしかいない。
「あれ、みよさん?」
「助けて」
スタンド内のショップ前に行くと、みよさんから助けまで求められた。可愛いけど、あのみよさんが助けを求めるなんて、よっぽどのことだろう。
「なに、どうしたの?」
問いかけた所で、ショップの中からガソリンスタンドの制服を来た琥一君が出てきた。琥一君とまともに目を合わせるのなんて、もしかすると入学式以来かもしれない。いつもは琉夏君と一緒だから、琉夏君とばかり話しているし、そもそも今の琥一君はすごく無口だし。
「あ、琥一君。今日はバイト?」
さっきの琉夏君と同じように、少しだけ緊張しながら話すと、琥一君からはそっけない返事が返ってきた。
「おう」
夏前に兄弟でバイクで登校をしているのに遭遇していたから、それは別に意外でもないバイト先だと思った。だから、疑問には思わなかったんだけど。みよさんの次の台詞で、私は目を丸くした。
「桜井琥一に襲われる」
「えぇ!? ちょっと、琥一君!」
思わずみよさんを背中にかばってしまった私は悪くない。まあ、琥一君は見た目よりも優しいから、そんなことはしないだろうけど。
「待てって! 俺は迷子のガキだと思って事務所に連れてこうと……なんで俺の名前知ってんだ」
「ガキって言った」
私に庇われているはずのみよさんから不満の声が上がる。たぶん、口を尖らせているんだろうけど、そういうところがまた幼く見えて、可愛いだなんて言ったら怒られるだろうか。って、痛いよ、みよさん! つねんないでよ!
「この子は、宇賀神みよさん。はば学で、同い年だよ? みよさんは、占いにこってるんだよね?」
「同い年だぁ? マジかよ」
信じられないと目を丸くする琥一君に、少しだけキレた様子のみよさんが、私の隣に進み出る。
「桜井琥一、牡牛座。A型。桜井琉夏の兄。性格は極めて粗暴。ガキっていうな、バカ」
「あぁ?」
「バンビ」
再び泣きついてきたみよさんを背中にかばいつつ、私は軽く息を吐いた。なにこれ、どっちもどっちだよね。でも、琥一君の睨みで怯えない女子は少ないだろう。
「もうっ!怖がってるでしょ!」
「いや、だってそいつが」
だめだ、このままじゃ埒があかない。
「みよさん、琥一君に何か用があったの?」
私が問いかけると、思った通りみよさんからは「情報収集してた」との答えを得られた。
「なんだそりゃ」
「みよさんの占いは当たるって有名なんだよ。ね?」
「当たる。星の導きによって」
琥一君の反応から、どうやら本当に彼がみよさんの噂を知らないらしいとわかる。
「よくわかんねーけど、とにかくチョロチョロすんな。危ねぇだろ」
彼の言うことはもっともだ。ガソリンスタンドには車もバイクもよく来るし、危険なのは間違いない。こうしてよく聞いてみると、やっぱり見た目に反してこの幼馴染みはやさしいな、と思わず私は顔を綻ばせていた。
「帰る。バイバイ、バンビ」
帰るというみよさんに私も手を振る。
「うん、じゃあね、みよさん」
しかし、みよさんて負けず嫌いなんだなと思ったのは、次の瞬間だった。
「チョロチョロって言うな、バカ」
「なんだぁっ?」
睨む琥一君から逃げるように去っていたみよさんをみて、とうとう私は堪えきれずに吹き出していた。
「あはは、みよさん、サイコー!」
お腹を抱えて笑っている私を、琥一君は呆れたように見ている。
「荒川、おまえ、変わったダチが多いな」
本当にそうだな、と今日はちょっと改めて思った。友達という枠に入れていいのかはわからないけど、琥一君も琉夏君もはば学内でもかなりの変わり者に入るし。
「うん、そうかも」
一頻り笑ってから、まだそばにいる琥一君に私が目をやると、なんだよと睨み返される。でも、さっきの優しさを見た後じゃ、余計に怖くない。心配してくれる優しいお兄ちゃんは、今でも変わらないということだろう。
みよさんのおかげか、私も最初の緊張は吹き飛んでしまったようだ。
「琥一君、バイト中じゃないの?」
「ん、ああ、ちっと休憩中だ。荒川はなにしてんだ?」
「私? 私は、バイトの面接帰り」
私が素直に言うと、何故か鼻で笑われた。
「おまえがバイト? できんのか?」
やる前からそんな風に言われるのは理不尽だ。やってもいないのに、できるできないかはわからないけど、嘲笑われるのは違うだろう。
「えぃっ!」
琥一君のお腹に軽くパンチをして見上げると、少し意外そうな顔で見下されていた。
「せっかくのチャンスだし、頑張るよ」
「お、おぉ」
「てことで、よろしく、先輩」
私が琉夏君に言ったのと同じように言うと、琥一君は訝しげに眉をひそめた。でも、ま、別のバイトでもバイト歴で言ったら確実に琥一君も私より長いはずだろう。
「どこでバイトすんだ?」
「アンネリーってお花屋さん。知ってる?」
「あ? そこならルカもバイトしてんぞ」
「知ってる。早速教育されちゃった。だから、先輩、ね?」
「……ま、頑張れ」
「うん、ありがとう、琥一君」
じゃあね、と私は琥一君に背中を向けながら手を振って、家路へと着いたのだった。