48#よくある戦場
俺が最初に主と認めた男との最後の茶会で、彼は言っていた。
「ディ、私は別に構わないんだ」
「あ?」
「私はやりたい人がこのリュドラントを治めればいいと思う。自分が器じゃないことぐらいわかってるんだ」
普段から穏やかで争いなど似合わない呑気な顔をしているくせに、肝心な時に自分の意見を言える男が、大国リュドラントを治める器がないと、俺には思えなかった。だが、男はそう言って笑っていた。あれは、きっとアイツが零した最初で最後の愚痴みたいなもんだったのだろうけど。
「騎士の誓いは、騎士の自由を制限するだろう。女神の従者であるディの自由を、私が奪うわけには行かないよ」
俺だって、本気で女神も眷属も探していたわけじゃなかった。他にやることがなかったし、男に会うまでは仕えたいと思えるような人物がいなかった。だから、心の底から初めて仕えたいと思ったのはお前だけだと言ったのに、俺がどれだけ説得しても、アイツは聞きやしなかった。
騎士の誓いさえしていれば、今のように主の危機を知ることができたし、アイツを失うこともなかった。そして、リュドラントが今のように攻めこむことも、なかった。
俺は舌打ちして、手にしていた長剣を敵の中心にある男めがけて投げつけた。そして、直ぐ様背中の大剣を抜いて構える。よほどの手練でなければ、この剣を抜く必要もないが、今は非常事態だ。
「はぁっ!」
振り回す一凪で、周囲の敵は大半剣風だけで薙ぎ倒され、視界が開ける。向かってくる相手がいない隙に、今の主人であるアデュラリアがいたはずの方向を首を巡らせ顧みた。そこはもう、天へ伸びる一筋の光が丁度消え行く処だ。予想外すぎる自体に、苛立ちが募る。
フィッシャーばかりを気にして、俺はもう一人を完全に警戒から外していた。ただの札士と侮っていた。そんな人物がこれほどにクセのある賢者と呼ばれる男と、付き合っていけるはずもないというのに。
俺と敵の間、目の前でひゅるりと風が渦巻き、じりじりと近づいてきていた周囲の兵士を敵味方問わず吹き飛ばしながら、中に人型を作り出す。それが完全に現れる前に、俺は大剣を彼に向ける。
「私じゃないよ」
だというのに、フィッシャーは顔色一つに、俺に向かって言い放ちやがった。白々しいにもほどがある、と俺は無言で眉根を寄せる。
「先ほどのはディルファウスト王の遺産のひとつ、長距離転移石だろう。もっているなら教えてくれればいいのに、イフは貴族のクセにケチだよ」
俺が刃先を向けても余裕が変わらないのは、殺されない自信の表れか。フィッシャーは少し困った様子を見せるだけだ。
「今回のことは、私には無関係だ。この私が、大切な未来の妻を他人の手に委ねる訳がないだろう」
確かにフィッシャーほどの魔法使いであれば、と考えたが、俺は直ぐに降ろしかけた腕を戻す。
「どこまで本気だ」
「冗談を言っているように見えるかい」
真っ直ぐに俺を見るフィッシャーの瞳に曇りは見えないが、しかし不安を煽る青灰色だと改めて思う。
「彼女ーーアデュラリアがリンカの魂を欠片でも継いでいるのならば、私はどんな手段を用いても、彼女の心を手に入れる。本気だよ」
フィッシャーの紡ぐ言葉に、俺は眉根を寄せた。リンカ、というのは何百年も前の女神の眷属の名であって、アデュラリアとは別であるはずだ。アデュラリアというのはもっと古い、それこそ創世の女神の名前であって、眷属ではない。それは本当の名前でないと彼女は言っていたが、俺の予想が確かであるなら、彼女の魂は間違いなく、創世の女神を継ぐ者だ。それがーー混じる?
「これでも前世とか転生といったうそくさい伝承なんか信じていなかったけど、リンカのおかげで、今では立派に女神信奉者さ。ーーああ、いや、違うか」
それまで決して変わらなかったフィッシャーの態度に、目に見えて変化が現れ、俺は戸惑った。誇らしげな表情の中に、かすかな恥じらいを秘めて、まるで思春期の少年のようだ。
「あんたは、」
「私はリンカとの約束を信じているだけなんだ。彼女は、女神の魂は何度でも転生し続ける。寂しがりな私の女神が一人で寂しい思いをしないように、私は何度でもリンカを愛すると誓ったんだよ」
だからとフィッシャーは続ける。
「仮にもリンカかもしれない女性を害するようなこと、この私がするわけがない」
真っ直ぐに見返してくるフィッシャーの瞳は本当に曇りなく、迷いもない。彼もまた、女神を探す者であったらしい。これでは疑っても無駄だと確信し、俺は剣を降ろしかけた、がそのまま横へと凪いだ。
瞬時にフィッシャーの周囲には薄い膜のような結界が張られ、次いで、ごぅと風を無理やりに斬りふせる音と共に悲鳴や絶命の声、そして、赤い飛沫が跳ねあがる。
「アンタは関わりないと、信用していいんだな?」
「ええ、今のところは」
フィッシャーが続けた力ある言葉により、彼の右手から溢れる光がバチバチと音を立て、弾け続けている。彼はそれを無造作に後方へ放り投げつつ、すかさず両手を自分の胸の前に組んだ。
ーー我ら女神に従い願うもの
周囲の空気がぐにゃりと不自然に揺らいだのは、それだけ大きな力をフィッシャーが行使しているからだ。彼の技で飛ばされた者たちの他、辺りにいる者たちも怖れをなして後退る。
だが、このまま指揮官が軒並み消えてしまえば、ルクレシアがリュドラントに蹂躙されることは、想像に難くない。それに、遠くから迫る土煙に俺は諦めの息を吐く。アレがいる限り、ここを放棄するわけにもいかない。
「おい、フィッシャー」
俺が声をかけると彼はわかっていると緩やかな笑顔で答えた。
ーー古き女神アデュラリアと眷属リンカの契約を共有せし我らに力を貸し給え
フィッシャーの組んだ指の隙間から光が溢れ出て、握る剣の熱さに視線を向けると、俺の大剣も同じようにうねる光を発している。どちらの光にも共通しているのは目を射す光ではなく、午後の陽だまりのような温かさだということだ。
俺は自然と剣を握る手を胸の前に引き寄せ、天へと向けて立てた剣を前に両目を閉じる。
ーー天を統べる女神アデュラリア
ーー地を統べる眷属リンカ
ーー二つの名において、ここに従うはディルファウスト・クラスターと
「ディ・ビアス」
促されるまでもなく、俺は勝手に己の名を口にしていたが、何よりも驚いたのはフィッシャーの言う名前のほうだ。そして、合点が行く。やはり、フィッシャーはかつて大魔法使いと言われたディルファウスト王の転生なのだろう。間違ってもここまで生きながらえているということはない、だろうが。
遠くから上がる土煙の先頭で、怒りとも歓喜とも言えない何かを叫んで俺達へと迫ってくるのは、リュドラント王その人であるが、俺には構っている時間などない。彼にとっても、先程から軍に甚大な被害を与えつつ呑気におしゃべりしているようにしか見えない俺らは邪魔でしかないのだろう。戦うつもりがないのならば、さっさと消えろとでもいうように投げつけられたリュドラント王の普通の三、四倍はある大長槍が、その手を離れて、俺達の方向へと投げつけられる。唸りを上げて飛来したそれを迎え撃とうとした俺の前で、フィッシャーは口端を余裕気に上げつつ、片手で俺を制した。
ーー白色の円卓を巡らせ
長槍が俺達の手前、一馬身分空けて、中空で何かに突き刺さったように留まる。かつて、魔法がもっとも発達した時代は、魔術師たちは己の身を守るために、術を行使するための文言を唱える間も己の魔力を周囲に結界として巡らせていたというが、もちろん現代でそれをできるほどの魔法力を持つものもいなければ、行使する方法を知るものもいないはずだ。
ここでも、フィッシャーがディルファウスト王の転生であるという証明がなされたようなものである。
ーーセレネの交響詩を奏でよ
フィッシャーの力ある言葉が終わると同時に呼応し、唸る地面で戦場の兵士達のすべてが膝をつく。俺とフィッシャー以外のすべて、だ。俺達の元まで迫っていたリュドラントの全軍も、俺達を守るように囲んでいた自軍さえも。
この眠りが望んでのことではないと、彼らの表情を見ればわかる。膝をついた傍から重い目蓋に押されて、眠りへとついてゆく。そうして、俺たちから光が消える頃には、彼らの乗っている馬を含め、全ての生き物が眠りについていた。
女神セレネは、夜を司る力の強い女神の名前だ。静寂を守り、安らかな眠りをもたらす。まだ日も昇ったばかりだというのに、夜の女神の支配下に置かれた戦場を見渡し、俺は改めてフィッシャーの、そしてディルファウスト王の力の程を知ったのだった。
49#よくある転移
静まり返った戦場に、ただ風の音だけが静かに流れてゆく。
「なあ、フィッシャー。あんたがディルファウスト王なら、アディのいる場所に転移することぐらい簡単だよな?」
俺がそう問うと、フィッシャーは目を伏せて、口元を歪ませた。
何の考えもなく、この戦場のすべてを眠らせたとは思わない。この男は仮にも賢者と呼ばれているのだ。無能者を人々は賢者と呼ばないだろう。だから、今この場はこのままにしておいても問題ないはずだからと、俺は戦場について考えることは後回しにした。そんなことよりも、今はアデュラリアだ。
「私はただの転生者だ。それに、女神ほど完璧な転生など、ヒトには無理だよ。私に出来たことは、この記憶を継がせることぐらいだし、本人がディルファウストの知識を認めなければ、扱うことさえできない」
「フィッシャーだって、ディルファウストを認めるまではただの凡人でしかなかったし。いくら魔法を構築しようと、糧となる魔力が不足していては発動もできない。ああ、今は増幅用に魔石を大量の身につけているからできただけだよ。コレ以上を行使するには、アデュラリアの命を使う魔法ぐらいになってしまうから、避けておきたいなぁ」
バサリとマントを広げてみせたフィッシャーは、確かに大量に魔石を身につけていたようだが、どれも灰色のただの石となってしまっているようだ。
「……もしかして、あのミゼットの屋敷に転移した時の魔法ってのは……」
「あれは最終確認のようなものだったんだけどね。本来なら、使うのは彼女の魔力だけだったんだけど、どうにも足りなくて、うっかり命の魔力をーーっ」
「おい」
俺が低い声で咎めると、フィッシャーは笑顔で誤魔化すように笑った。
「怒るなよ。こちらとしても、あれはただの手違いだったんだ。大体、女神の力があそこまで衰えてるなんて、こちらとしても想定外ーー」
「そんなことはどうでもいい」
俺は言い訳を連ねるフィッシャーを遮り、低い声で問いただした。
「いますぐにランバートまで行くことはできるのか?」
「ランバート?」
俺の問いかけに、フィッシャーは眉根を寄せる。
「もしかして、アデュラリアは今、王都に……王城にいると?」
「そうだ」
俺が間髪いれずに答えると、溜息が返される。
「残念ながら、長距離転移魔方陣を使うには、私の全容量の魔力を使っても足りない。もちろん、アデュラリアの命を使うわけにもいかない。それから、大神殿とルクレシアの王城にはあらゆる魔力を跳ね返す力が働いているので、仮に一緒にいるオーサー君を目当てにしたとしても辿り着くことは出来ないだろうな」
可能性を一つ一つ潰していくフィッシャーに、俺は次第に苛立ちを覚える。
「じゃあどうやってアディのところへ行けばいいっ」
俺の様子を苦笑するフィッシャーは、肩をすくめて答えた。
「まあ、落ち着け。騎士の誓いとやらで、少なくとも今彼女が無事であることぐらいはわかるだろう?」
確かにアデュラリアの命が潰えれば、女神の誓いといえども効力がなくなる。だから、今は無事なのだとわかっていても、彼女の焦燥のようなものは未だに伝わってくるのだ。彼女の感情がわかるというほどではない。だが、危険であるのは確かなはずだ。
「じゃあ、どうすりゃいいってんだ!」
大体なんで女神の従者に魔法を跳ね除ける力なんてものが備わっているのか。その辺を従者とした女神に問い正したいところだが、女神のいる場所とこの世界を使うには、大神官クラスの神力と鍵が必要だという話だ。
「ディの力に関しては、僕がサポートするです」
不意に耳元で小さな声が囁いた。この聞き覚えのある幼い少年の声は、アディを慕う風の妖精ってやつだ。
「ファラ、だったか? んなことできるのか?」
そちらの方向を見るが誰もいない。が、次の声はフィッシャーの方から聞こえた。
「それから、フィッシャー様には閣下より伝言があります」
「閣下?」
目を瞬くフィッシャーの前で、ファラが両手を前に出し、頭を下げる。すると、彼の前に薄い膜のような人の頭が現れた。それは、カラカラと笑いながら告げる。
「目ぇ醒めてんなら、はようこい。気分次第で契約してやらんこともないで」
それだけ告げると、それはあっという間に掻き消えて。残ったフィッシャーは両眉を下げ、口を曲げて応える。
「……アイツの狙いは女神だろ。それに、今の俺の魔力じゃ足しにもならんだろって伝えとけ」
「イヤです」
きっぱりとフィッシャーの伝言を断ったファラは、俺の隣にふわりと飛んできて、ちゃっかりと肩に座る。
「ダイダイさんを待ってもいいですけど、遅いです。早くしてください」
心なしか高圧的なファラに俺は首を傾げる。
「おい、ファラ」
「早くするです、魔法使いディル。
ファラの鋭い言葉に動揺したのは、フィッシャーだけではなかった。俺はファラの肩をつかもうとして手を伸ばしたが、それは空気を掴んであっさりと通り抜けた。呆れた視線が、ファラから俺に向けられる。だが、俺にはそれどころではない。
「おまえ、アイツの目的を知っているのかっ?」
「そりゃあ知ってます。そのためにニンゲンがアディを探しているから、僕が隠していたのに!」
それなのに、勝手にあの神殿に行くことをアディが決めてしまったんだと、口をとがらせる。
「そこの魔法使いも知っているですよ。あの王家の罪を知っているから、継承権を放棄しーー」
ファラが話している途中で、急にフィッシャーの空気が変わった。明らかに黒い方向に。
「王家の、か。あの馬鹿共、まだ続けてやがるのか?」
誰に問いかけるでもなくから笑いをし始めたフィッシャーに、一瞬後退りかけた俺だが、その前に俺たちを囲むように地面に魔法陣が浮かび上がり、発光を始めた。魔法を唱えている様子は一切なかったというのに、何が起こったというのだろうか。
光は徐々に強さを増してゆくが、寸前でフィッシャーは何かに気づいた様子で、リュドラントの方角へと右手をかざした。
「そうそう、このまま攻めこまれても困るし、リュドラントの軍は首都に帰って眠っていてもらうか」
続いて短い言葉を放つだけで、リュドラントの甲冑を身につけた者達は戦場から掻き消えた。どれもこれもさっきから規格外の魔法ばかりを展開しているようだが、魔力は大丈夫なのだろうか。
そんな僅かな心配をしている間に、俺達を囲んでいた光がはじけ飛ぶように消えて収まり、周囲の景色は一変した。
「お、来たな、坊主!」
高い木々に囲まれた森の中の少し開けた場所で、俺達は立っていて。俺の目の前には、見憶えのある癖のある人物が一様に揃っていて、思わず眉間に何本も皺が寄ってしまった。
「だれが坊主だ」
「はははっ、テメェがどんだけでかくなろうがえらくなろうが強くなろうが、わしらにとっちゃ坊主だっつったろうが。諦めろ!」
俺にそう言って笑ったのは、村長でありながら、元は近衛騎士団の団長であったウォルフという男だ。そして、隣で穏やかに目を細めて笑っている女性は、元女神眷属の候補とされ、神殿に仕えていた巫女のマリベル様。
「せっかく騎士の誓いまでしたのだから、最後まであの子を守り通しなさい、ディ・ビアス」
その穏やかな顔と声とは正反対に、非常に空気が刺々しい。ああ、わかっていたけど、そういえば最初から俺はこの人にアディを守れと呼ばれて来たんだった。それを今更ながらに思い出す。
「もちろんです、マリベル様」
俺がそう告げると、彼女は少しだけ空気を和らげ、微笑んだ。
話休題三四、よくある約束
前回感想を下さった慧さん、ILMAさん、寝逃げさん、 それから、楽しみに読んでくださる方々も有難うです♪
ナルの活躍を期待されてた皆さんには申し訳ないのですが、またしてもディ祭。いや、どちらかというと賢者祭?です。ディ視点なのに、賢者祭。なんか、ディが不憫だー…。
次回は、
【三五、よくいる対面】
最近は皆さんみんノベにかかりきりでしょうから、ここも寂しいですねー……。
感想・批評・酷評大歓迎です♪ ここまで読んでくださり、有難うでした~
ID:22663 (2009-07-01 08:17)
ID:22664 (2009-07-01 08:21)
ID:22665 (2009-07-01 08:24)
ID:22666 (2009-07-01 08:26)
ID:22667 (2009-07-01 08:28)
ID:22668 (2009-07-01 08:29)
あってたまるか。
と、自分でタイトルつけながらつっこみました。
圧倒的すぎる力の差で、リュドラントを退ける賢者。
時代が違えば違うのかもしれないですが、魔法全盛期に魔法使いだったディルの知識をもっているフィッシャーは基本的に無敵。
でも、転生理由がリンカってあたりが、変態……馬鹿ですよね。
書いてて、気持ち悪!て思った。
どんなに外見がよくても、中身がコレだとなーと。
あれ、もしかして、私この変態大好きか。
やだなーそれ(おい
でも、リンカとディの現代版を書きたいな☆とかは考えてます。
そのうちね、そのうち。
(2013/10/29)
ハロウィン書いたので、その後の更新にしました。
あっちもこっちもディルばっかり。
(2013/10/31)