1.はじまりのまほう
家中を磨き倒して、私は漸く一息ついた。自分のために、お湯を沸かして、欠けたカップに注いで一口飲むと、ホッとする暖かさが体中に染みわたる。
「……あの人達、王子の妃になるのがどういうことか、絶対わかってないわよねぇ」
四つの棒に四角い板を置いて、釘で打ち付けただけのような椅子の上で、私は重い溜息を吐き出した。
今夜、王宮で催されている舞踏会は第一王子にして、王太子であらせられる、ヨハン様のお妃選びということで、国中の貴族と称される家々から、全ての未婚女性が招待されている。もちろん、末端貴族である我が家もその一つだ。父親亡き後、どんどん私財を切り崩して、贅沢な日々を送る義母や義姉達も、そろそろ潮時と考えたのだろう。贅沢を続けるために、王子に見初められようと、意気揚々と出かけていった。
しかし、本来この家の正当な跡継ぎである私は、この家に仕事を命じて置いて行かれた身だ。着ていくドレスも無ければ、馬車も用意できない。そもそも、王子妃なんてものになれば、あの馬k、この家を建て直すことなんてできなくなる。だから、最初から私自身は辞退するつもりだった。
「でも、女の身で成り上がるなんてできないし、どうしたらいいかしら。ーーどうせなら、男だったら、正当な後継者になれたのに」
カップの中のお湯を飲み干し、もう一杯だけお湯を注いでから、私は思案する。
元が貴族だから、面倒なことだけど、亡くなった御父様が残してくださった唯一のものだもの。底辺でも爵位がある限りは、貴族なのだから、貴族として天に顔向けできないようなことはこれ以上したくないわ。
そのためにはやっぱり、義母と義姉たちが邪魔だけど、ひと思いにやってしまったら、あの人達と同じだもの。同じ場所に立っていたら、私に勝ち目はないわ。
どうしたら、御父様と御母様の遺してくれた男爵家を守ることができるかしら。
考えこんでいる私の耳に、勝手口の戸を小さく叩く音が聞こえた。
「はい、どなたかしら?」
こんな夜も遅い時間に来客なんておかしいわ。ーーもしかして、強盗!?
「そこにいるのはシンデレラかい?」
問いかけに問いかけを返してくる老婆の声に、私は眉を潜めます。老婆が強盗?いや、もしかして、強盗の手先なのかしら。ああどうしましょう。こんなとき男であれば、剣を手にとってでも、追い返してやるのに。
「シンデレラ、お城の舞踏会にはいかなかったのかい?」
「え、ええ、だって、着ていくドレスがないもの」
「ドレスがあればいいのかい?」
「ドレスがあっても、私は舞踏会に行かないわ。だって、王子妃になるわけにはいかないもの」
まさか、この老婆は人攫いなのかしら。攫われたら困るわ。本当に男爵家が潰れてしまうもの。
「おばあさんは人攫いなの?」
「ひっ!? 人聞きの悪いことをお言いでないよ! 誰が、ひっ、人攫いなものかっ。失礼な小娘だねっ」
ドアの向こうでおばあさんは憤慨しているようだ。結構、本気で怒っているようなので、私は素直に謝ることにした。
「ごめんなさい、おばあさん。こんなに遅い時間に御用聞きの方もいらっしゃらないから、強盗かと思ったの」
「人攫いの次は強盗かい。ほんっとうに失礼な小娘だね。私はね、王宮に雇われてる下っ端の魔法族だよ。今回の舞踏会は十歳から十九歳までの全ての未婚女性が対象だからね。来ていないものがいれば、フォローするのが仕事なのさ。それで、」
「魔法族!? え、実在したの!?」
魔法族とは人とは違う理を生きる種族で、世界の力を使うことを許された一族のことだ。あまり一般には知られていないが、王家は魔法族と半永久の契約を交わしており、常にその助力を受けることができるのだ。
「アンタみたいに下っ端の小娘が、魔法族を知ってるのかい」
「小さい頃に御父様とお母様からお聞きしたわ。でも、御伽話かと思ってた……」
私がまだ四歳ぐらいの頃、御父様と御母様はよく二人の馴れ初めを聞かせてくれた。曰く、魔法族の悪戯に二人で巻き込まれて、その際に交際するようになり、結婚するまで至ったのだと。ーーたぶん、国王様がまだ王子であられた頃に、かなり悪戯好きだときいたのと、今の王子もとても悪戯好きだと知っているから、その話は魔法族の悪戯ではなく、国王様の悪戯だと勝手に思ってたけど。
「魔法族の悪戯で、塔の最上階に丸一日閉じ込められたって聞いたのだけど」
「それは悪戯じゃなく、ダイスの命…っ、じゃない!」
あれ、やっぱり国王様の悪戯?
「ああもう、それで!? なんで、舞踏会に行きたくないんだい!?」
「だから、王子妃になったら、男爵家がなくなってしまうでしょ」
「アンタの継母や義理の姉たちがいるじゃないか」
「あの人達じゃ、もし私が王子妃になったとしても、この家は早晩潰れてしまうわっ。だから、私は舞踏会に行かないの」
「むしろどうしてそこまで自分が選ばれることを疑わずにいられるのかが、アタシには疑問なんだがね」
「……」
「選ばれなくても、この家は早晩潰れるだろ。何をそんなに守ることがあるんだか」
「……」
老婆に言われなくても、力のない女の身ではどうしようもないことなどわかっている。このまま私は指を咥えて、継母達に家を潰されるのを見ているしかないのだということも。
『もういいだろう、シンデレラ』
不意に老婆の声が若い男の声に変わり、私は慌てて椅子から立ち上がっていた。柔な椅子はあっさりと倒れ、室内に大きな音を響かせる。
『アルベルト様もユリシア様もいらっしゃらないんだ。それに、女の身で、貴様一人に何ができる』
『こんな家なんて、さっさと捨ててしまえ。お前さえいなければ、あの女どもがこれ以上貴族を名乗ることもできなくなるんだ。それぐらいわかっているはずだろう』
男の声が言っていることは正論で、だからこそ、継母達は自分を飼い殺しにしていることぐらいわかっている。だけど、それでもーー。
「魔法族の方、願いが一つだけあるの。貴女だけ、入ってきてもいいわ」
私が口にした途端、ドアを開けてもいないのに、室内に闇色のローブの老婆が現れた。
『っ、アリシアっ!』
焦った様子で乱暴が戸を叩かれるが、蹴破られることはない。それをわかっているから、私は目の前の老婆だけに身体を向け、膝をついて頭を下げた。
「ーー貴女が私の願いを叶えてくれる、本物の魔法族であるならば、一つだけお願いがあります」
『アリシアっ!!』
「私に男爵家を継ぐための力を、ください」
『馬鹿なことを考えるんじゃないっ!!』
「どうしてそこまで家に拘るんだい、シンデレラ」
他の人にとっては馬鹿げたことだと笑われるだろう。だけど、私は両親にたったひとつだけ残された家を守りたいのだ。そうでなければ、私がここに存在する意味などないだろうから。
「具体的にはどんな?」
「魔法族には性転換の秘術があると、お母様から聞いたことがあります。ーーどうか、私を男にしてください。そして、私を知る人達から、私が女であったことを忘れさせてください」
とを叩く音が激しくなる。
「女になれば、その力は使えなくなる。ユリシアから受け継いだその力を捨てるのかい」
魔法族が言う力とは、きっと今この家を守っている魔法のことだろう。
「これは私の力ではないから大丈夫。亡くなった御母様の置き土産なの。私か御父様が招いたものしか入ることができないっていうセキュリティシステムなのよ」
「……本当に、母親に似て馬鹿な娘だ」
「ふふ」
老婆はため息を付いてから、軽く首を振った。
「いいだろう。その願い、叶えてやる。ただし、私にも事情があってね、どうしても今夜アンタを舞踏会へ行かせなくちゃいけない。だが、舞踏会へ行って、王子と一曲踊ったならば、きっと願いは叶えてやろう」
「ーーどうしても、王子と踊らなくてはダメなのね」
「私にもね、事情があるんだよ。さあ、どうする、シンデレラ」
両目を閉じ、少しの間考えてから、私は意思を持って視界を開いた。
「いいわ。その条件を飲むから、もう一つだけ。男になった私を騎士学校に入れるようにして頂戴」
老婆はあっけにとられた様子の後で、軽やかな笑い声を上げた。
「ははは、いいだろう、面白いから乗ってやる! ただし、男でいられる期間を定めさせてもらうよ。アンタが男でいられるのは、一〇代である間だけだ。代わりに、その間の武勲がこの家に残るようにしてやる。それでいいかい?」
「ええ」
「契約成立だ!」
老婆が手を振ると、二人の間で大きな白い光が爆発するように輝いた。思わずと私は目を閉じる。そうして、次に瞳を開けた時には、私は最新型の美しい薄水色のドレスを身につけていた。長い髪はアップに結われ、頭を微かに動かすだけで、錫の軽やかな音色が振りまかれる。耳元でも揺れるシャララというイヤリングの音は、うっとりと聞き惚れてしまいそうだ。
「肌の調整はちょっとしたおわ……おまけさね。仕上げは特製の靴さ」
老婆が差し出した靴はガラスのように透き通っていて、その上、精緻な細工まで施された、見たことも聞いたこともない逸品でした。
「これは流石に高そうで、いただけませんよ」
「図々しい娘だね。貸してやるだけだと思わないのかい」
「だって、こんなにサイズの小さな靴、私以外に履けるのは幼女ぐらいでしょうに」
私の靴のサイズはあまりなく、基本的に履いているものは子供用ばかりだ。大人になってもそれを履き続けるのはかなり恥ずかしいが、サイズがないのだから仕方がない。
老婆は苦々しく舌打ちしつつ、顔を逸らした。
「……それは、もともとアンタのものさね。アンタの母親、ユリシアが大切にしていた宝物から、アタシがぶんどったんだからね」
「そんなこと言われたら、舞踏会の後に売れないわ」
「売るつもりだったのかいっ!?」
とんでもない娘だ、と愚痴りつつ、クツクツと楽しげに老婆は笑った。
「その格好で街を歩くわけにも行かないだろう。今、馬車を用意するからーー」
「馬車ならもう用意してある!」
いつの間にやら止んでいた勝手口の向こうで、必死な男の声が二人を遮った。私は老婆と顔を見合わせ、おや、と首を傾げる。
「ごめんなさい、おばあさんじゃなかったのね」
老婆に目を向けると、今更と鼻で笑われた。ローブの中はどうみても可愛らしい幼女でした。透き通るような肌は物理的に光っているようにみえるんですけど、魔法族って本当に人間じゃないのね、と感心半分で頷いていたら、再び笑われました。
「で、そこの男の用意する馬車に乗って行くのかい?」
「そんなことしたら、城に監禁コースまっしぐらでしょ。空とか飛んで行けないの?」
「目立つからダメー」
にべもなく断られた。
「じゃあ、馬車とかは用意できるの?」
「できるけど、準備が必要さね」
「準備?」
「カボチャとネズミと……なんだっけな」
「カボチャはあるし、ネズミは呼べば来ると思うけど、他に何が必要なの?」
私がカボチャを床下の倉庫から取り出しつつ尋ねると、幼女は手を叩いて喜んだ。
「まあ、美味しそうなカボチャじゃないかい。終わった後は、美味しくいただけそうさね」
出てくる声が嗄れ声のうえ、口調までも年寄りじみているから、見た目とのギャップがおかしいことになっている。
「終わった後?」
「じゃあ、こんなところでやるのも何だし、そこから外へ出てーー」
『アリシア!』
勝手口から聞こえる嬉しそうな声に、私と幼女は揃って顔を見合わせました。
「先にアレを何とかして」
「そうさね、じゃあ先に会場へ行っていていただこうか」
幼女が勝手口に手を伸ばすと、その指先から僅かな光のキラメキが流れでて、外へと向かい。
『うわ、なんだこれは! おい、こら、魔法使い! 契約を反故にするつもりかっ!』
男の声は徐々に遠ざかり、扉の閉まる音と馬のいななきとともに聞こえなくなっていった。
「さあ、これで準備はできた。姫君、お手をどうぞ」
恭しく差し出された幼女の手に手を重ね、私は勝手口から庭へと降り立った。
「ねえ、あれ、シャル……第二王子は大丈夫なの?」
「私の奴との契約は、娘たちを舞踏会場へと連れて行くことさね。そもそも、アイツが同伴することは、契約に含まれておらぬから問題はない」
「そ、そう」
幼女が庭にカボチャを置いて、数歩下がると、ポンと軽い音を立てて、馬車が出来上がった。若干カボチャ臭いのは、かなりいただけない。これなら、歩いて行ったほうがいいのではないだろうか。……王子に嫌われるためにはそのほうがいいかもしれないが、年頃の女性としての何かが失われるのは確かだ。
「ーーまあ、こんな格好も最後だものね。魔法族の方、さわやかな香りの香水がほしいのだけど。できれば、柑橘系の」
「ふふ、お気に入りのオラジュの香水さね。特別料金になるが」
「後払いでもいいかしら。女としての最後の夜になるかもしれないし、せっかくなら妥協したくないわ」
「本当に、図々しい小娘だ」
クツクツと笑いながらも、幼女は私が望むもの全てを用意してくれた。ただし、これらは全部城の大時計の夜中の十二時の鐘の音が終わる頃には消えてしまうものだとも言われた。そして、同時に女の私自身が消える時間だとも。
「では、最後の夜を楽しんでおいで、シンデレラ」
「ありがとう、魔法族のーーエリシア叔母様」
幼女が目を見開くと同時に、馬車が走りだしたので、私には残された彼女がどんな顔をしていたのか知るすべはない。だがおそらくは、あの緑石のような瞳を細めて、クツクツと笑ったことだろう。まさか、御母様が自分のことを娘に伝えているなんて、考えもしなかったのではないだろうか。
御伽話と惚気話の真ん中で、いつも御母様を振り回し、最後には助けてくれた優しい隣人ーーそれがあの魔法族の正体であるはずだ。でなければ、魔法族がただの人間の娘にここまで肩入れしてくれるはずもない。
馬車はあっという間に通りを駆け抜け、綺羅びやかな眩い光に彩られた舞踏会上へたどり着く。これが女としての最後の夜。
「ーー十二時前に逃げ出さないとね」
小さく呟く私の視線の先、舞踏会場から慌ただしく降りてくる見目麗しい男の姿が見える。王家の紋章を身につけ、王子の正装をしたその人は第二王子シャルドネ。どれほどに私が落ちぶれても、共にいてくれると約束してくれる優しい人。
「アリシア!」
馬車の前でエスコートに差し出される手を取り、私はゆったりと微笑んだ。
それからは夢の様な時間を過ごした。第二王子と共に会場へ入ると、ざわめきとともに迎え入れられた。義姉達は私が誰だかわからない様子だし、見知っていたはずの令嬢たちも同様だ。
「今夜の君はいつも以上に綺麗だよ、アリシア」
熱っぽく囁く第二王子を見上げ、私は何の含みもなく微笑む。今夜は、今夜だけは、いいだろう。これで、全てが終わるのだ。
「殿下」
「名を、名前を呼んでくれ」
「シャル様」
「ああ、アリシア」
「シャル様と踊ることができて、本当に幸せです」
「君が望むなら、何度でも、いつまででも踊るよ」
その言葉の通り、第二王子は他の令嬢の誘いも全て断りーーつまり第一王子に押し付けーー、私と踊り続けてくれた。ずっと言葉少なく、甘い囁きに顔を、耳を、首を染めながらも踊り続け、十二時の鐘がなる音で、私は我に返った。
「ご、ごきげんよう、シャル様!」
手を振り払って、城の大階段を駆け下り。
「あっ!」
途中でガラスの靴が片方脱げてしまったものの、後ろから追いかけてくる第二王子の声と、魔法族の彼女の言葉が重なるように紡がれる。
「十二時の鐘の音が鳴り終わったら、ガラスの靴以外すべてが消えて、アンタの身体は男になっちまう。せいぜい気をつけるんだね」
「待ってくれ、アリシア! 私は君をーー」
カボチャの馬車に飛び乗り、家路を急がせたものの、あと少しというところで私は路上へと追いだされた。
「きゃっ!」
強かに身体を打ち付けたものの、痛む身体を引きずり、家路を急ぐ。
そうして、勝手口から家へと倒れこんだ私は、深い深い眠りに落とされたのだった。
翌朝にはだれもシンデレラと呼ばれた女の子が男爵家にいたことを覚えていなかった。第二王子が拾ったガラスの靴の持ち主を探していたという話もあったが、そもそもあんなサイズのガラスの靴が入る女の子など、幼女ばかりだ。いくらなんでもそれはないと第二王子自身が取り下げ、それっきりシンデレラ探しの話は無くなったようだ。
翌年、とある貴族学校の門戸を、細い小柄な少年が叩くことになる。彼の名はアルベルトJr・ポンテカネ。ポンテカネ男爵の忘れ形見と言われる美少年が、昨年のガラスの靴騒動の当事者ということを知る人間は誰も居ない。
2.あといちねん
武勲を上げるというのが並大抵のことではないのはわかっていた。だが、魔法族との約束の期限は刻々と迫っている。
「ハッピーバースデイ、シンデレラ」
今の自分が女に戻ってしまえば、ポンテカネ家は無くなってしまう。だからなのか、期限があと一年となってから、魔法族は使用人の形で私の前に現れた。というか、今までの侍女のカリナはどこへやった。
「つい昨日、出産するために里帰りするって、暇をもらっていたじゃないかい」
「そう、だったな」
ちなみに了承の判を押したのも私自身だ。相手の男はもちろん私ではない。いや、何度か夜這いされたから、別の男を充てがったんだったな。男になって、夜這いの回数が増えるとは思わなかった。そもそも、女の時には夜這いも何もなかったけど。
「あれ、もしかして、私ってば、男のままのがモテるんじゃ」
「馬鹿言ってないで、どうするのかさっさと決めないと、女に戻ったら、即第二王子に食われるよ」
「今でも危ないのに余計なこと言わないでよ!」
予定通り貴族学校の騎士科に入学したものの、まさか二つ上の学年に殿下がいるとか知らなかった私は、色々あって殿下の同室となり、さらに色々あって卒業後は殿下の護衛の一人に収まっている。というか、無理矢理据えられたのだ。そして、嫉妒と羨望と野望に巻き込まれて、男女ともに貞操を狙われる日々を送っている。
「……違う、これはもててるのと違ったな」
ちなみに夜這いの筆頭が実は殿下というのが最も困る点である。拒否を許可されているため、私は全力で逃走し、今のところ純潔のままである。
戸をノックする音がする。
「アルベルト様、騎士団長のクリス様がお迎えにいらしております」
殿下のせいで近衛騎士団に所属しているわけだが、一つだけ利点があるとすれば、それは自宅から通うことが許されている点だろう。騎士団は基本的には騎士寮に住むことになるが、貴族階級の多い近衛騎士団の所属者は、自宅通いが許されているのだ。まあ、普通下っ端はダメなのだが、風紀が乱れるという理由で私は自宅から通うことを許されている。
「うわ」
「十分で用意するから、サロンで待たせておきなさい」
「承知いたしました」
私が何を言うでもなく、魔法族の女は恭しく私に頭を下げて。
「旦那様、失礼致します」
あっという間に私の身ぐるみを剥いで、騎士団服に着替えさせられた。
「手際いいな、おい」
「ふふ、もちろん、慣れておりますから」
「それは脱がすことに慣れてるって解釈でいいの?」
「ふふふふふ、しばき倒しますヨ、当主様」
不気味な笑顔の侍女に肩をすくめ、私は鏡台の前に座る。すかさず髪を整えてくる侍女はやはり、魔法族の女一人である。
「うちに使用人は多くないはずなんだけど、いつから入り込んでたの」
「本日から派遣されてまいりました、エリシアともうします。殿下に愛されてますね、当主様」
「うるさい」
我が家に派遣されている使用人は、数人以外すべて第二王子の息のかかったものばかりだ。安心と言っていいのか、安全と言っていいのか。時に血迷うものが多いのは、どうやら私の身に持つ血のせいらしい。
ーー魔法族の血族。自分が欠片なりと当事者であると知っても、まさかここまでの威力あるものとは。そう、他者への魅了効果があるというのなら、あの頃の継母たちの私へのイジメは何だったのだろう。
「やっぱり、男だったら、もうちょっと義母様たちと上手く渡り合えたのかなぁ」
「どうでしょうね。いってらっしゃませ、シンデレラ様」
返答なく自室を追い出された私はサロンへと足を向ける。行きたくない行きたくない行きたくない行きたくない、あ、庭に蝶々が……
「アル!」
百メートルは離れているはずのサロンのドアが勝手に開いて、待たせている相手がしっぽを振って飛びついてくる様に、私はウンザリしつつ、片手を前にして魔術を展開させる。
「シール」
ガキンという音とともに僅かに後退したのは、目の前にいる大型犬、もとい騎士団長のクリス・ローザン・セグラのせいである。
「おはようございます、団長」
「いつまでも他人行儀だな、アル。俺のことはクリスでいいと言っているだろう」
「他人ですから。それにセグラ侯爵家の団長の名前など、私如きが口にできるわけがないでしょう」
「ほー?」
「……クリス団長、近いです、離れてください」
私が苦々しく名前を呼ぶと、破顔してくる大型犬は無駄に整った顔立ちで、ただの令嬢であれば簡単に魅了されてしまう美丈夫だ。しかしながら、団長の肩書も伊達でなく、これで近衛騎士団どころか騎士団最強の名前をほしいままにする。
「それで、今日はどちらに視察に向かわれるご予定ですか?」
「お、知ってたのか。殿下に聞いたのか?」
「ええ」
聞きたくもない予定を毎日毎日繰り返さなければならないのは何故なのでしょうか。私は第二王子の秘書でもなければ、常駐を任されるほどの護衛ですらない。遠巻きにいるのが限界のただの近衛であるはずなのに。
そもそも私の希望は近衛ではなく、野趣溢れる第一師団であったはずなのだが。どうやってか捻じ曲げられて、男爵位であるはずの私が近衛なんてものに収まっている。ーーどうして、私は近衛師団なんてものに組み込まれているのかといえば、この眼の前にいるクリス団長のせいである。この人は私の学校時代の先輩で、かなり可愛がってもらったのだ。あの頃は危険など微塵も感じず、ただただ信頼できたはずなのに。
どこからか私が第一師団のラフィット様を崇拝していることと、入団希望していることを聞きつけてから、おかしくなったというひともいるが、これでもクリス様は愛妻家で愛らしい御子息と姫君まで授かっている。だから、違うと思いたいのだが。
「今回はカントナックだったかな? 例によってお忍びだから、護衛は俺とおまえの二人。殿下は自力で追手を撒いてくるそうだ」
楽しそうに苦笑するクリス団長の言葉に、青ざめるのは私だ。
「追手って、自分の親衛隊まで撒いてくるつもりですか、また!?」
「大体近衛どころか師団長が束になってもかなわない奴の何を護衛するんだろうな」
「そういう問題じゃありません! 後で誰が怒られると……!」
「一緒に怒られるからさ、デートしよう、アルベルト」
自分を背後から包むように抱きしめる相手に、赤くなればいいのか青くなればいいのかわからなくなりなって、私はこめかみを抑えて俯いた。
「視察でしょう視察! 誰が殿下を怒れるっていうですか。バルトン親衛隊長に怒られるのは私一人に決まってるでしょう! てか、いい加減に離れてくださいっ!」
「あれ? 侍女に今日は女装させるように言っておいたはずだけど、なんで騎士服なんて着てるんだ?」
お忍びでその服装は向いてないよ、と留め金に手をかけてくる第二王子の手を私は上から包みこんだ。同じく手を伸ばしてくるクリス団長には蹴り足を上げて構える。
「殿下、それから団長もセクハラはやめてください。てか、視察でどうして女装の必要が!」
「男三人で歩いてもむさ苦しいしい、このメンツじゃご令嬢たちが私たちを離してくれなくなるだろう」
「女を連れ歩いたほうが、面白い視察になるだろうが」
「だからって、どうして私が!」
「「一番小柄で、女装が似合うから」」
口をそろえて言われると、事実とはいえ落ち込みそうになる。そりゃ、元々女だし、今は一時的に男なわけだけども。それにしたって、女装が似合うとか、絶対褒め言葉じゃない!
「この視察が終わったら、絶対転属願いを了承させてやる!」
「何度でも破ってやるから、頑張れ」
「ーーーー覚えてろ!」
走って自室まで戻ってきた私を出迎えた侍女は、腹を抱えて大笑いしていた。
「良かったねぇ、シンデレラ。男のままでも嫁の貰い手があって」
「いいわけあるか、馬鹿!」
まったくもって頼りにならないこの侍女は、単に期限一年を切った私をばかにするためにきたのかと、頭に血を登らせながら、私は慣れたようにドレス姿の令嬢になるのであった。この慣れは、別に女装だからじゃない、元々女だからだ!と自分に言い聞かせながら。
男になったとはいえ、私の身体にはあまり筋肉がつかなかった。どんなに鍛錬しても腹筋が割れることもなかった。代わりにウエストが細くなって、令嬢たちに睨まれることも多い。だが、見た目はともかく、異能な力を持っていた私は剣で戦える魔法剣士として己を鍛え上げた。パワー不足は魔力とスピードで補い、これでも騎士科を上位の成績で収めている。
おかげで、見た目詐欺で使える騎士だと周囲は認めてくれたものの、平和な時世じゃ武勲など夢のまた夢だ。
「視察っても、平和だなぁ」
屋台で買った串焼きを頬張りながらクリス団長が呟いている。一応ご令嬢と婚約者の護衛役じゃなかっただろうか。
「まあね、こうして見て回ってるのも一役買ってはいるけど、おや、失礼」
軽くぶつかってしまった令嬢が可愛らしい悲鳴を上げるのを、笑顔で素通りしながら、私の反対の隣にいる第二王子が腕を組み直してくる。
もうちょっと離れてくれないだろうか。
「アリー、せっかくだから、アクセサリーを新調しようか」
経費で落ちるよ、と楽しそうに笑っておられるが、それで財政官に泣き付かれるのも私だけというのが腑に落ちない。
「……公園で噂のジュースでも飲みませんか、殿……シャル様」
「「噂?」」
「先程、通りの端で少女たちが噂していたんです。とても美味しいけれど、とても一人では頼めないという不思議なジュースの話を」
「量があるのか、はたまた、別の分けでもあるのか」
「「面白そうだ」」
「でしょう?」
私がかかったと微笑むと、殿下もクリス団長も楽しそうに笑った。ここまでは普段通りだったのだが。
まさか件のジュースが「カップル限定」などと知っていれば、話を振ったりなんてしなかったのに。目の前で繰り広げられるバカバカしい男二人の争いを横目に、私は一人でジュースを啜っていた。新発売されたストローが二本も刺さったその商品はラブストローなどと言われ、夫婦やカップルで使用するものだという。で、殿下とクリス団長のどちらが私と一緒に飲むかでもめているのだ。
じゅー。
「アリ―は私の婚約者なのだから、私と飲むのが筋だろう!」
殿下の言い分は正しい。だが、私は殿下とジュースを分け合うつもりはない。
「こんなところで色呆けに手を出させるわけ無いだろうが! アリ―は俺のだ!」
私は私のものであって、その台詞はクリス団長の妻子に言うべきものだと思う。
じゅー。じゅじゅじゅ。
「ごちそうさま」
飲み終わった後で、私は二人の頭上にいつもの魔法を展開させる。
「シール」
上に向けた指先を下に向けると、不可視の盾が二人の馬鹿の頭上に落ちた。喧々諤々と言い争っていたやかましい男二人が、唐突に頭を抱えて悶絶し始めたのを、周囲は不思議そうに一瞥するが、周囲はカップルばかりなので、興味は直ぐに目の前の相手に戻ってくれるのが救いだろう。音がしないのはこの魔法の利点なのか、欠点なのか。
「置いていきますよ、二人共」
私が空のコップとストローを返して歩き出すと、慌てた様子で殿下が駆け寄ってくる。クリス団長、どうしてストローを回収しようとしているんですか。そんな事のために、未婚女性に色仕掛けなんかしないでください。
「アリー、ジュースは!?」
「美味しかったです。まあ、摘発対象は含まれてなかったので、大丈夫でしょう。ほんのちょっと媚薬を使っていたようですが、私でしたら中和の範囲内です」
「媚薬入り!?」
「ほんの少しですよ。ちょっと積極的になれる程度の」
「……アリ―」
包むように抱きしめられ、背の低い私はすっぽりと殿下の腕の中に収まる。
「いますぐ帰ろう。いや、宿に泊まる手配をしよう。媚薬の効果が切れない内に」
人の話を聞いてほしい。私は中和したと言ったはずだが。
「今なら夜這いが成功しそうな予感がする!」
「是非俺も混ぜてくれ!」
いまは真っ昼間だし、初めてで三人は嫌だし、そもそもどうして男三人でどうにかなると思っているんだ。というか、令嬢の夢物語じゃなく、現実的に騎士団に男色家が多くて、身の危険をリアルに感じるとか、絶対におかしい!
「だから、中和したって……人の話を聞けぇぇぇっ!」
御父様、御母様、私は何を間違えたのでしょうか。女に、私に、男爵家を存続させることは、無理なのでしょうか。せめてドラゴンでも襲撃してくれば、撃退して英雄になって、こんな馬鹿どもから離れられるのになぁ。
「家に帰りたい……」
「おい、馬車を呼べ! アリ―とすぐに帰るぞ!」
「誰がその手にかかるかっ! アリ―、大丈夫か? 疲れてるなら休暇をとってもいいぞ。それで、うちに癒されに来いっ」
休暇はいいが、有給は取らせてもらえないだろう。主に、視察の度に経費で給料から差っ引かれてるからなぁぁぁ。第一、自分の屋敷に引っ張りこむとか何考えて……ん、もしかして、奥方様がいて、お子様たちもいるなら、むしろ安全?
「アリ―、いや、アルベルト、早まるな。クリスの奥方は三人目の出産を控えて、子供を連れて、のどかな地方に静養中だ」
耳元で囁く殿下を見上げて、それからクリス団長を見つめ。私はシクシクと俯いた。ああ、ここにいるのが第一師団長であれば、いいのに。
「ラフィット様、どうして私を(第一師団に)受け入れてくださらないのですかぁ」
シクシクと泣きながら呟き騎士寮の方角を見つめる私には、男二人の愕然とする様は、目にも耳にも入らなかった。どうやら、あのジュースには若干の酒精が混ざっていたようである。
「くっ、ここでラフィットとはな」
「俺だって、あと数年すれば……!」
第一師団のラフィット団長は、壮年の鉄色の髪の剣聖である。その剣技も肉体も熟年の粋を超え、孫までいるというのに人気は未だに鰻登りという人気の団長なのである。
「殿……っ、シャル様! どうして、いつもいつも我々を置いて行かれるので……っ、アル?」
駆け寄ってくる男の姿に顔を上げ、私はぼんやりと見上げた。いたのは親衛隊長であり近衛師団の副団長のレオヴィル・バルトンだ。爽やか系で、これぞ騎士と体現したような真面目な男である。
「またアルに酒を飲ませたのですか、クリス様」
「俺ぇ!? ちょ、今回は不可抗力だぞ、レオっ」
「大丈夫ですか、アル? 今、酒精を抜きますから」
目の前に手をかざされ、ほわほわと気持ち良い光りに包まれる。
「レモー、おむかえありがとー、いっしょにかえろぅー」
「迎えというか追いかけてきたんですけどね。歩けますか?」
「んー、だっこ」
「仕方ないですね」
「「ずるい、レオ!」」
なんか外野が騒いでるけど、レオがいるなら、もう寝てもいいかなぁ。ふわふわ暖かくて気持ちいい。
「んふー」
「「うらやましい……っ」」
「馬鹿言ってないで帰りますよ」
身体に飛翔の力が加わったような気がして、私はスンスンと鼻を身近なものに擦りつけた。いい匂いがする。私の好きな食べ物の匂いだ。
「オラジュだ、もーらい」
「「「あ」」」
がぶっと噛み付いたまでは覚えているのだが、その後は記憶に無い。
翌朝、魔法族の侍女に起こされ、爆笑しながら事情を教えられた私は、彼女に感謝するほかなかった。何しろ、レオの魔法で城に強制転移した私を即座に出迎え連れ帰ってくれる彼女がいなければ、私はどうなっていたかわからないのだから。
貞操の危機とかあってたまるか、馬鹿野郎! 私は、今はまだ、男なんだからな!!
3.あといっかげつ
「あと一ヶ月だね、シンデレラ」
どこか嬉しそうに告げる魔法族を睨みつけるが、彼女は至極楽しそうに告げる。
「そろそろ魔法の期限も切れる。月に一度だけ女に戻っていた日々も、ようやく終わるね」
彼女の告げる月に一度という言葉に、私は半眼でエリシアを睨みつけた。
「やっぱり、あれはわざとなのか」
「わざとっていうか、アンタのためさ。女であることを忘れたくはなかったんだろう?」
「最初に言っておいて欲しかったな」
男になったはずなのに、毎月毎月貧血で倒れるとか。なんの嫌がらせだと、エリシアを恨んでいたこともあったが、それが女であった頃の毎月のそれとほぼ一致していることと、必ず毎月訪れることでほとんど確信はしていた。おかげで、私は自分が男の姿であっても、いつか女に戻ることを忘れることはなかったけれど。
「ここまで何もできなかったんだ。観念したほうがいいんじゃないかい?」
「誰がするか」
むしろここまで女を捨てて、生きてきたんだ。結果を出さなければ、それが何の意味もないものになるなど、許されるわけがない。そもそも今更女に戻ったところで、いきおくれは間違いないのだから、これ以上恐れるものなど何もない。
「ならどうする。火の山に住むドラゴンでも退治してみるかい?」
「ドラゴン?」
「なんだい、魔法族の事は知っていても、ドラゴンは知らないのかい」
エリシアが言うには、南の国境あたりにある、常に煙が上がっている山があって、そこには老獪なドラゴンが住み着いているということだ。というか、ドラゴンとか御伽話の生き物ではなかったのか。
「本当にいるのか?」
「ああ、いけ好かない爺がいるさ」
「そいつは悪いドラゴンなのか?」
「アイツがいるせいで、私ら魔法族の国に繋がる道がひとつ塞がっているんだ。悪いやつに決まっているだろう!」
「だが、南は温暖な気候のリゾート地のはずだぞ? 海なのに暖かな湯が湧く場所まであるらしい」
「ふん! 人間共のことなんか知ったこっちゃないね。私が知ってるのは、ただアイツが邪魔だってことだけさ」
妙に不機嫌なエリシアだが、私は考えた。魔法族とこの国は大いに関わりがあり、多大なる恩恵を受けているのは確かだ。その魔法族が邪魔だというのなら、そのうち問題が起きるかもしれない。ーーもしかして、エリシアが言っているだけなのかもしれないけれど。
「ーー調べて見る価値はあるか」
ドラゴンを倒すかどうかはともかく。
そうして、私は調査を目的として、騎士団長に有給休暇を申請して、無事に受理されたわけだが。
「どうして、殿下たちまで一緒なんですかっ」
休暇当日にひっそりと旅立とうとしていた私は、朝っぱらから団長の襲撃を受け、呆気にとられている間に殿下のお忍び用馬車に乗せられてしまったのだ。うちの馬車は最後尾でエリシアに任せてあるが、どうなっているやら。
「だって、アルがひとりでバカンスに行くなんていうから! しかも、最近評判のブルーアクアビーチなんだろう!?」
「男一人で行くのは寂しかろうと思ってな。殿下も誘ってやった俺に感謝しろ?」
「男だらけで行くほうがよっぽど虚しいですよっ!」
一言叫んでから、私はため息を付いた。
期限一ヶ月を切ってから、段々と自分の体が変わり始めているというのに、この馬鹿どもは。
「アル? 怒ったのか?」
「殿下を叱れるわけがないでしょう。ーー呆れたんですよ、団長に」
「俺?」
「奥様は出産に備えて静養中、でしたよね?」
「ああ」
「私が聞いた処、話題のリゾートビーチが胎教にいいから行きたいとおねだりされたんですよね」
「…………」
「いい加減、人を口実にしないでくれませんか、団長」
顔を逸らして、馬車の外を眺めて惚ける上司に、私は又溜息を付いた。
「なんだ知っていたのか、アルベルト」
「いくら私でも、奥様を溺愛しているはずの団長に言い寄られたら、理由を調べますよ。城に上がっていても噂が男色ばかりであれば、奥方の心配も少ないだろうという配慮なんでしょうが、巻き込まれる方は迷惑です」
「ははは。心配というか、目をキラキラと輝かせて、話を強請ってくるんだがなぁー……」
馬車の外へ視線を向ける団長は、いつになく死んだ魚のような目で遠くを見ていた。そういえば、最近の社交場での淑女の話題のメインが、私と殿下と団長の三角関係的な展開のあれこれだとか、爆笑しながらエリシアが教えてくれてたなぁ。
「私は本気だぞ」
「……殿下はどれだけ探しても理由が見当たらないんですよね。いくら女性避けと入っても限度がありますし」
問題なのはこの人だ。女である「アリシア」がいなくなってから、この人が執着した人間はどうやら男である「アルベルト」ただ一人。本気で男色に鞍替えしたのだろうか。だとしたら、もし女に戻ったとしてももう私に言い寄ることはないだろう。それは、なんというか、胸の奥がモヤモヤする。
「アル」
ゆっくりと近づいてくる殿下の端正な顔をぼーっと見つめていたら、目の前に分厚くて大きな手のひらが差し込まれた。
「殿下、お願いですから、俺の目の前で部下を口説かないでください。それから、物騒な魅了は収めてください」
「アルが寂しそうに俺を見るから悪い」
殿下に言われて、私は自分が彼を見つめていたという事実にやっと気が付いた。
「……殿下を見ていたわけじゃないです。ただ、友人、のことを思い出してただけで」
「それは男か?」
即座に問われる内容に思わず微笑う。
「ここは普通逆でしょう?」
私の返しに、殿下は何故か驚いたように瞬きを繰り返し。次いで、笑った。
「そういえばそうだな」
「なにやってんですか、あんたらは」
笑い合う私たちとは対照的に、団長は呆れた様子で溜息を付いた。
「ところでそろそろ私たちにアルの本当の目的を話してくれてもいいんじゃないか?」
「は?」
「ワーカホリック気味な私の近衛が、個人的な用事で出かけるってことは、ただの休暇じゃないだろう」
「ただの休暇ですけど」
即座に返したのだが、どうして二人同時に否定するかな。
「なんですか、私がただの休暇で出かけるのはそんなに可笑しいですか」
「おかしくはないが」
「私だって、たまには ひ と り で休みたいんです。王都にいては、誰かさんたちのせいで休暇になりません」
大体休暇の度に、視察だ何だと押しかけてくるのは殿下たちだろうと非難を込めて睨みつければ、団長は目線をそらし、殿下は作り笑顔を返してきた。
「ぼっちのアルがひとりじゃ寂しいだろうと思って」
誰のせいだと思ってんだ。殿下が度々襲撃する上、学生時代から四六時中構うものだから、ろくな友人ができなかったからじゃないか。ーーまあ、作る気もなかったが。
諦めて私は馬車の外へ顔毎向けて、憤りをやり過ごした。
4. あといっかげつ(そのに)
ちょっと前まで、私は決意に燃えていた。殿下や団長のことなど忘れるほどに。
「……せつめー、しろ。してください、エリシアおばさま」
「お姉さま、でしょ」
人の何十倍モノ大きさの火の竜と魔法族本来の姿で戯れているのだろうか、この人は。幻想的で絵本の中から飛び出してきたみたいな情景であるのに、まったく心が踊らない。子供の頃はこういうの大好きだったはずなのに、どこで私は変わってしまったのだろうか。
「なんでもいいから、説明! てか、御父様が生きてたとか、どういうことなの!?」
「凛々しくなったなぁ、アリシアちゃん。昔のユリーにそっくりだ」
呆けたことを言い始めるこの火の竜、正体が亡くなったと思っていた父親と言われて、最初は信じられなかった。だが、口を開けば開くだけ、昔通りの父親で、信じざるを得ない。喋る度に口から炎が吐き出されるのは、不可抗力らしい。どうでもいいことだが。
「あっつい! 御父様は黙ってて!」
「そ、そんな……っ」
「エリシア、事と次第に寄っては、その羽根毟るよ」
「やめて!? ーー説明って言っても、見ての通り。感動の再開じゃないか」
「火の竜が魔王の再来とか言ってたのは」
「武勲に燃えるアリシアなら釣れると思って」
「私を、連れてきた目的は」
「こいつを正気にさせるため。ほら、いつまでもいじけてないで、人型になりなさいよ。アンタのせいで、道がひとつ塞がれて、私が大迷惑何だからね!?」
「「?」」
「こいつの塞いでいる道から帰ったほうが、アタシのうちが近いのよ。人間界に来るためだけにわざわざ今まで王城のゲートを使うしかなくて、もうほんっとうに不便で!」
「……ちょっと待って。つまり、このドラゴンを退治しても、武勲にならないってこと!?」
「なるわよ? ちゃんと、アタシが進言してあげるし」
「え、アリシアちゃん、俺を退治するつもりだったの? ひどい!!」
めそめそと大きな図体で泣き出す火の竜が、とかくうっとおしく。
「御父様、うざい」
私が半眼で睨みつけると、ガーンとでも擬音がつきそうな顔をしたあとで、メソメソと鳴き真似を始める。ドラゴンの巨体でますます鬱陶しい、と思っていたら、次第にその姿は小さくなり、記憶のままの人の姿をした父親が、地面にのの字を書いていじけている。
本気で鬱陶しい。
どうしてくれよう、と思っている間にエリシアは力いっぱい父親を踏みつけるように落ちてきた。
「うぐっ」
「大体ユリーのことでショックを受けている間に、馬鹿に操られて、馬鹿に騙されて、こんな場所でドラゴンやらされて。ーーユリシアが見たら、愛想つかす……ことはないか。見かけに反して、こういう女々しいところが面白いって言ってたものね……」
お母様!? そりゃ、お父様は昔からこんなだったような気がするけど、それにしたってーー。
「それで?」
「え?」
「父親が生きて見つかって、これで御家の存続は保たれると思うんだけど、アンタはどうする、アリシア?」
指をつきつけられて、指摘されて。そこで初めて私は気が付いた。お父様がいるってことは、もう私は男の姿で武勲を上げる必要はないし、すべてお父様に任せてしまえばいいのかもしれない。でも、あと一ヶ月。
「ーーお父様」
私は、自分が始めたことの責任を誰かに、それが実の父親であっても、押し付けようとは思わないーー。
5. あといっしゅうかん
休暇を終えて、父親と帰宅した私は、まだ男の姿で出仕していた。代わり映えのない日常だけれど、もう武勲に焦る必要もなくなって、穏やかな心地で毎日を過ごしている。
当初、私が家のために男の姿でいることに不満を訴えた父親だったが、自宅では元のアリシアに戻るということで折り合いをつけた。むしろ適齢期を過ぎた娘がこのまま嫁に行かずにいてくれることを喜ぶ父親に、私は何を言ったらいいのか。
「はぁ」
「どうしたんだい、アリシア」
自室で一人溜息をついていると、侍女姿のエリシアが暖かなミルクティーを運んできた。ほんのりと酒精が香るそれは少しのブランデーを入れてあるのかもしれない。
「なんか、気が抜けちゃったなーって」
「頑張り屋さんだからね、アリシアは。そういうところはそっくりだ」
誰にとは言わないけれど、エリシアがそういうからにはお母様に、ということなのだろう。
「でも、そんなに気を抜いていていいのかい?」
「え?」
「あの父親が戻ってきて、王宮は大騒ぎだろう」
「それはお父様の問題だし」
「そもそも、あいつをドラゴンにした相手がこのまま何もしないでいると思うのかね」
エリシアは言うが、お父様自身がいつ誰にドラゴンにされたか覚えていない。うちは貴族といっても超弱小だし、政敵にするとしても意味がなさすぎる。
「ーーこの国は魔法族に頼りすぎて、ちーっと平和ぼけしてんだ。何故、三年前から行方知れずの第一王子のことに誰も触れない?」
第一王子? たしか、私が行くはずだった舞踏会で、どこかの平民の娘に一目惚れしてーー。
立ち上がった私は、即座に衣装箪笥から騎士の制服を取り出して着こむ。帯剣し、玄関から出ていく私に、寝間着姿のお父様が声をかける。
「アリシア、こんな時間にどうしてそんな格好をしているんだ?」
「重要な案件を思い出したの。直ぐに殿下に報せないと!!」
「殿下なら今日から国境に視察へ行くって、お前が言っていたじゃないか」
お父様の言葉で思いだし、ざっと私の頭から血の気の引く音がした。
「そう、だった」
何故か今回に限って、強引に私を連れだそうとしなかった第二王子は、もしかして勘づいていたのだろうか。
「ともかく、早く寝て、明日の朝にしなさい」
「で、でもっ、お父様、」
「落ち着きなさい、アリシア。エリシア、濃い目の紅茶を頼む」
「オーケー、談話室に運んでおく」
エスコートされるままに談話室まで引き換えさせられ、ソファに座った私の手を、お父様が握りこむ。
「何を心配しているんだ、アリシア」
「殿下が、もしかしたら、殿下もいなくなってしまうかもしれないの」
「……君の言う殿下は誰のことかな?」
「え?」
「今の王家に王子はいなかったはずだが」
意味の分からないことを言い出すお父様に、私は更に血の気が引いた。これは、まるでーー。
「エリシア……」
「アタシじゃないよ。だが、王家に関与できる魔法族なんていないはずさね」
まるで、私が男になった時にエリシアがしたことに似ている。だが、いなかったことにするなんて、それはどちらかというと。
「お父様、やっぱり私、行ってきます」
「アリシア?」
「エリシア、お父様を寝室へお連れして」
「アリシア!?」
目の前でお父様の姿が消えるのを確認する前に、私は家を出て、走りだす。
「馬車が必要かい、アリシア?」
「馬だけでいいわ!」
追い付いてきたエリシアに馬を頼む。が、何故この場で出すのが真っ白のユニコーンなのか。翼まで生えている。だが、つっこんでいる時間はない。
「空を駆けた方が早かろう。ロシーヌ、お姫様を落っことすんじゃないよっ!」
高い嘶きを上げるユニコーンに私が乗り込むと、それは直ぐに翼をはためかせて、空を駆け上がる。
「ロシーヌさん、ジグ公国との国境砦へ向かって」
私が支持する通りに、ユニコーンは駆けてゆく。常であれば、目を輝かせて堪能したい夜空を私はただ祈る気持ちで、見ている余裕もない。
(ーーシャル、どうか御無事でーー!)
6. あと6にち
砦に向かう途中の街道の上を走っている途中で、私は大きな水柱のような瀑流が空に吹き上がるのを見つけた。それは、間違えようのない第二王子の魔力の奔流で。
「ロクサーヌさんっ!」
あの場所にと私が言うより先に、ユニコーンはその場所へと全力で駆け下りてゆく。
「シャル様! シャル様は御無事なのか!?」
ユニコーンから飛び降りた私の前には、倒れた第二王子と今にも止めを刺そうとしている黒い装束に黒い頭巾で顔を隠した襲撃者で、彼の護衛は近くに倒れる近衛隊長一人しか見当たらない。
「誰だ!?」
「シャル様から離れろ、痴れ者がっ!」
夜でまだ女の姿のままだったからだろう。昼間は押さえつけられた魔力が私の手のひらから弾けるように飛び出し、襲撃者を残らず周囲から弾き飛ばした。
「シャル様っ!」
私が駆け寄っても第二王子は微動だにせず、最悪の事態を覚悟して、私は彼の手首を取り、口元へ頬を寄せる。
「……誰、だ……?」
「よかった、生きてる……」
弱々しいけれど、確かな脈動を確認し、私はその場にへたり込んだ。
「アル? じゃ、ない。おまえ、は……?」
「クリス団長も御無事で何よりです。ひとまず、我が家に招待いたしますね。ロクサーヌさんっ」
離れた場所から様子をみていたユニコーンはどこかしぶしぶといった様子で私に近づいてくるので、苦笑しつつもその鼻の頭を撫でるために、私は手を伸ばして彼に触れた。
(ったくじょうだんじゃねー。なんでおれがおとこなんかはこばなきゃならねぇんだ)
姿に不釣り合いな、しかしよく合う美声が頭に飛び込んできて、私はビクリと身体を震わせた。
(おっと、もちろんびじんでけがれなきおとめならべつだぜ? とくにあんたみたいなとびっきりのびじょがおとめのままなんてさいこー)
手を離すとその声は聞こえなくなったということは、これはユニコーンが話しているーー否、思考している内容なのだろうか。
頭痛い。
「エリシア」
「あいよ」
私が思わず呼びかけると、第二王子を挟んで反対側に侍女姿のエリシアが現れた。この人、いつから見ていたのだろうか。
「ロクサーヌって、変態?」
「ユニコーンって一族はそういうもんだろ?」
何を当たり前なと言われても、魔法族の常識なんか知るわけがない。
「とりあえず、役に立たないから帰して」
(あんたがかわいらしくおねがいしてくれたら、そこのおとこもまとめてはこんでやってもいいんぜ。なにせ、あんたはすっげーいいにおいだしいいかんしょくだしできればもうずっとおれにまたがっててもらいたーー)
付け足すように急いで言ってくるが後半の駄々漏れの思考がどうにも不快だ。
「帰れ、馬鹿ユニコーン」
(ふぉぉぉっ、そのつめたいめもまたいいねぇ。おれあたらしいせかいのどあをひらいちまいそうだぜ)
触れなくても聞こえてくるユニコーンの思考に、頭痛に加えて胃痛まで加わりそうだ。
「ユニコーンは変態の一族だっていったろ」
「よーくわかったわ。エリシア、シャル様とクリス団長と私を我家の庭まで連れて行って」
エリシアは軽く肩をすくめると、ひとつぱちりと指を鳴らした。
「お前は自力でお帰り、ロクサーヌ。くれぐれも人間なんかに見つかるヘマなんかするんじゃないよ」
(いぇっさーっ!)
凛々しい嘶きと同時に気の抜ける返事をして、目の前からユニコーンの姿が消える。きがつけば、そこは見慣れた我が家の庭だ。
「ここは……?」
クリス団長が訝しげに立ち上がり、近づいてくる。
「それに、貴女は一体ーー」
「話は殿下ーーシャル様をベッドにお連れしてからにしましょう。私では殿下を抱えられないので、お願いできますか」
戸惑いながらも、団長は第二王子を抱えてくれた。
「貴女は、アルの妹、か?」
確かに今の私は女の姿だけれど、やはりこの人は男の姿の私をからかうと同時に、奥方を守るための隠れ蓑にしていたらしい。
「まずは殿下に治癒と休息をさしあげるのが、臣下の勤めです」
私に今応えるつもりがないとわかったからか、それ以上団長は私に尋ねて来なかった。
7. あと5にち
第二王子が目を覚ましたのは、次の夜になってからのことだ。昼間に出仕した私が帰宅して間もなくのことだ。様子を見に部屋に入った私は、何者かに背後から羽交い締めにされた。
「お前は誰だ。この私を閉じ込めて、何をーー」
「シャル様、落ち着いてください」
「私は落ち着いている」
「クリス団長も御無事です。それより、急に動かれてはお身体に障ります」
「何をーー、アル……、アリシア……!?」
私の顔を覗き見た第二王子が慌てて離れてくださったので、私は手荒なことをせずに済んだと、ほっと胸をなでおろした。
「え、どう、いう? アル? アリシア?」
「落ち着いてください、シャル様」
「本当に、本物の、アリシア、なのか? 私の幻覚ではなく?」
「幻覚に見えますか?」
「……触れても、いいだろうか」
「ええ」
震える手を伸ばしてくる第二王子のまえで、私は動かずに待つ。壊れ物を触るようにそっと手が頬をなでて、その手を首に、肩にと滑らせて、そしてーー。
「……って、ちょっと待って下さい。どこをさわろうとしてるんですか、どこを」
「胸があるか確かめたいんだが」
「あったらどうするつもりなんですか」
「揉む」
思わず私が拳を顔に向かって突き出すと、空いた手で防がれ、そのまま握りこまれて、引き寄せられる。引き寄せられた私は、自然と第二王子の腕に収まるように近づいてしまい。
「冗談だよ。あぁ、本物のアリシアだ。俺の妄想じゃなかったのかぁ」
強く抱きしめられて、耳元で嬉しそうに呟かれては、身動きができなかった。
「もう、そう……」
「アルに、ああ、俺の近衛に入れたやつなんだけど、そいつと会う少し前から、夢に君がずっと出てきていたんだ。舞踏会で一緒に踊って、話をしているのに、いつも君は十二時の鐘がなる前に逃げてしまって、捕まえられない。ずっと、ーーずっと、貴女に会いたかった。触れたかった」
第二王子が言っているのは、男になる前に出かけた、あの舞踏会のことだろう。確かに、それより前から面識もあったし、実際口説かれてもいたわけだけど、お父様が行方不明になって、うちが没落しそうになって、そのまま縁は途絶えたと思っていた。
「……シャル様……」
「どうして、アルが貴女に見えたのだろう。見間違えようもないのに」
それは、私がアルだからであって、結局第二王子は私が男でも女でもどちらであっても、変わらなかったってことで。
つまりそれは、シャル様にとって私は男でも女でも、間違えないってっていうことは、それだけ「私」のことを想ってくれているというわけで。
「アリシア」
腕の中で、頤(おとがい)を掴んで、顔を上向かされれば、私を甘く蕩けるような瞳で見つめるシャル様がいて。
「愛してる」
顔中に熱が集まり、指先一つ動かすこともままならない私をみて、シャル様が微笑む。その顔がゆっくりと降りてきてーー。
「はい、そこまで」
急に第二王子の拘束から逃れた私は、エリシアの足元でへたりと床に座り込んだ。
「だれだ、おまえ……は……」
「思い出してもらえたようだね、シャリール殿下」
「魔法族!? なぜ……っ」
「おっと、アタシはアンタに危害を加えるつもりはないよ。むしろ、運命の再会ってやつに協力してやったんだし、感謝して欲しいもんさね」
「だが、おまえたちは」
「それから、今回のことが魔法族の総意と思ってもらっちゃ困る。アタシは女王様の部下じゃあなく、カワイイ姪っ子のためにここにいるんだ」
「姪?」
「まだ流されちゃいけないよ、アリシア。今アレと結ばれたら、ここにアンタの父親が戻っていることも、アレが無事であることもすべてがあちらに筒抜けになる」
「エリシア……?」
「王族と魔法族の姫の婚姻が鍵だと教えたはずさね。聡明なアンタならわかるはずさ」
王族と魔法族の婚姻といえば、この国の守りの要ーー。
「魔法族が、この国を乗っ取ろうとしてるの!?」
「だから総意じゃないって言ったろう。アタシは、アタシらはね、新たなる女王の目覚めを待っているんだ。今の女王は耄碌しちまってる。このままじゃ、魔法族の都も直に荒れ果ててしまうことじゃろう。それじゃあ、困るんだ。アタシは、おもしろおかしい魔法族の国を愛してんだからさ」
新しい女王の目覚め? え、っと何、なんなの?
「アリシア、アンタはそれと結ばれるより先に、目覚めなきゃいけない。アンタが目覚めれば、魔法族の世界で新たな女王が目覚めるはずなのさ」
「……え?」
「もともと、ユリシアが次の女王になるはずだったんだ。それを人間なんかと一緒になって、国を出て行っちまうからーー」
「ちょ、っちょっとまって!?」
いきなり色々言われても困る!と私がエリシアを見上げると、彼女は柔らかに微笑んだ。
「カワイイ姪っ子、女王にされたくなけりゃ、新たな女王を目覚めさせるこった。でなけりゃ、アンタの願いは叶わないだろう」
光の粒子になって、エリシアの姿が消えたあと、そこには鉢植えがひとつ残されていた。緑の固い萼に覆われた大きな蕾は、まったく少しも開きそうには見えない。
8. あと4にち
残された第二王子と私は、鉢を前に途方にくれたわけではなかった。というか、殿下、ドサクサに紛れて触るのはやめてください。
「私はただ、貴女が現実であるか確かめているだけです」
「もう逃げませんから、とにかく今は状況を考えてください」
数秒考えた末に、第二王子はこう曰った。
「暗い部屋に愛しい人と二人きり……」
「
二人の間に見えない壁が出現し、第二王子はそれに手をつき、項垂れる。
「……逃げないと」
「現実を思い出してください。エリシアのいうことが本当であるなら、もしこのままであれば、国が魔法族に乗っ取られるか、或いは私が魔法族の女王に据えられるかなんですよ。そうなったら、」
私はひたりと第二王子の顔を見上げる。
「シャル様と一緒にいることが叶わなくなるじゃないですか」
自分でも驚くほどに拗ねた声が飛び出して、それがどこか恥ずかしくて、私は視線を床に、手元の鉢植えに移した。
「アリシア、それはーー」
「何故今になって、エリシアもこんなことを言い出したのかわからないですけど、今のこの国には妙な魔法が駆けられていて、王子は一人もいなかったことにされています。お父様まで、魔法に影響されているようですから、それほど時間は残っていないんです。とにかく、急いでこの女王の種を芽吹かさないと」
魔法的な力が必要なのだろうか、と両目を閉じて念じてみる。身のうちに魔法を扱う力があることは知っているが、私はそれを正しく扱う術をしらないのだ。
(開けー、開けー)
しばらく続けてみたが、まったく何も感じられない。
お母様の昔語りに何かヒントでもあるだろうか、と脳内で再生していると、ふわりと肩に何かをかけられた。見上げると、第二王子がブランケットをもってきて、私の前に座り込んでいる。そして、鉢植えを覗きこむ。
「これが咲けばいいのか?」
「エリシアが言うには、この花が咲けば、魔法族の国の中で新しい女王が目覚めるらしいですけど、そもそも芽さえ出てませんよね」
「水をやればでるんじゃないか?」
「普通の花であればそうでしょうけど、魔法族の女王の花ですよ。そんな簡単に芽が出るのでしょうか」
「やるだけやってみて、駄目なら他の方法を試せばいいだろう」
第二王子はサイドテーブルにあった水差しを手に戻ってきて、鉢に水を注いだ。が、やり過ぎた。
「シャル様、やりすぎですっ!」
慌てて止めたが、鉢は水で土が見えないほどになっている。
「これでは種が腐ってしまいますよっ」
「そうなのか?」
「うわぁ、これ、どうしましょう。ごめんなさい、シャル様が無茶して」
動転しながら思わず鉢植えに話しかけると、ぽんっ、と弾けるように芽が出た。
「え?」
「……もっとやってもよかったんじゃないか?」
第二王子の言葉の後で、何故か芽が震えるようにさざめいた気がした。
「アリシア、もっと水を」
ーー……って
「待ってください、シャル様。今、何かーー」
続いた、か細いけれど、甲高い少女の悲痛な声に、私と第二王子は顔を見合わせた。
「今のは……シャル様?」
「黙ってろ、アリシア」
急に自分の剣を持って、部屋の出入口に向かって構える第二王子に、私は首を傾げる。
「どうしましたか?」
「わからん。だが、アリシアはその鉢を持ってーー」
第二王子が最後まで言い終わらぬうちに、ドアが乱暴に叩かれた。
「アリシア様、そこにおられますか!?」
この声は団長の声だけど、「様」って、どういうことだ。嫌な予感に考えこんでいると、第二王子が私を守るように、前に立つ。ーーって、ちょっと、何かおかしい。
「アリシア」
「変、です。
私と第二王子の前に見えない壁のような盾ができあがるのと、ドアが蹴破られるのは同時だった。いつも通りに見えるけれど、いつも通りに見えないのは、第二王子と団長が互いに剣を向け合っているせいだろう。
「団長!」
「アリシア様の優しさにつけあがるなよ、若造」
完全に第二王子に敵意を見せる団長に、私は青ざめる。お父様の様子がおかしいとは思ったけれど、まさかこの家まで魔法族の洗脳が効いてきているというのだろうか。
「アリシア、下がっていなさい」
「シャル様、ダメです。団長は強いんですよ!?」
「わかっている。だが、今ここで君から引き離される訳にはいかない。ーーもう、二度と君を忘れたくはないんだ」
決意を込めた第二王子の声音に、私は動揺し、出していた不可視の盾がゆらぎ消える。
「おぉぉぉぉぉっ!」
「はぁぁぁぁっ!!!」
二人の剣がぶつかり合い、鈍い金属の音を響かせる。そこにあるのは、今まで私が男として見てきた二人であれば、ありえない光景で。
「……や、だ……」
震えながら、私は俯いて手元の鉢植えを強く抱えた。私が目を閉じていても、二人がぶつかり合う剣の音が聞こえる。手加減なんてみじんもない、本気で刃をかわし続ける二人だが、このままでは第二王子に分が悪い。何しろ相手は実力で近衛団長となった相手なのだから。
高い音が聞こえる度に、ひとつずつ大切な何かを壊されていくような気がして。
「……や、めて……っ」
小さく呻く言葉とともに零れた涙が、鉢植えの土を濡らす。まだ、何の芽も生えていない、ただの土を。
「やめてぇっ!」
自分の中の強い感情が叫びとともに一気に吹き出した。瞬間は目を閉じていたため、何が起こったのかは後からきいた話だ。
私が叫ぶと同時に、あっという間に鉢植えから芽が出て、一気に蕾となったらしい。
ぽんっと、場の空気を一気に壊すような軽い音がした。似ているのは、クッションを殴りつけた時のような音、だろうか。それともシャボンが弾けるような音だろうか。
「な、え?」
「……花?」
音に混じって届く第二王子の呆然とした声に、私はゆっくりと目を開けた。
視界の端で、鮮やかな色が浮かんで、弾けるように花開く。
「っ!?」
ぽぽぽぽぽ、と溢れる花は室内をどんどん埋めてゆき、あっという間に足元が埋め尽くされた。しかし、勢いは全く止まらず、あっという間に膝の高さになり、団長が慌てた様子で部屋の窓を開け放つ。
「殿下、そちらも窓を開けてくださいっ! 花に埋もれてしまいますよ」
声をかける団長の様子は先程とは全く違い、いつも通りとなっている。元に戻ったのだろうか。
「アルも、呆けてないで、さっさとしろ!」
「はいっ!」
私は鉢を抱えたまま、急いで部屋の窓を開けるために窓辺へと向かった。
9. あと4にち(そのに)
団長が正気に戻ったことで、ひとまず第二王子と団長が戦う必要もなくなったようだ。ほっと胸をなでおろしていると、私をじっと見つめる団長が首を傾げる。
「……アル?」
「あ。ハジメマシテ、アリシア・ポンテカネと申します」
「ポンテカネ男爵の、娘?」
「はい」
「ーー男爵の家に娘がいたとは聞いたことが……うん?」
首を傾げる団長と一緒に私も首を軽く傾けた。
「どうなさいました? まだ具合がすぐれないのでしたら、もう少しお休みになったほうがよろしいかと思いますが」
「ああ、体調は問題ない。むしろ、ここ数日の頭痛も怠さも消えているから、むしろ調子がいいぐらいだ」
「そうなんですか? それは良かったです」
ほっと安堵していると、いつの間にか近づいていた第二王子に腰を掴んで引き寄せられる。
「おそらくだが、君の周囲にいると魔法族の影響が薄れるのではないだろうか。確か、母君には守りの結界を張る力があっただろう?」
貴女も受け継いでいるのではないかと問われて、そういえば、と考える。お父様の様子に異変が生じたのは、私が家を離れていたからだ。ということは、今はもうもとのお父様に戻っているはず。
「ーーシャル様、クリス団長、夜が明けてから、お父様を襲撃しようと思います」
私がそう言うと、二人はそろって、目を瞬かせた。
そして、日が昇って直ぐ、まだ朝食の準備も始まらぬ時間に、私はお父様の寝室の扉を叩く。
「お父様、アリシアです」
部屋の中からは呑気な寝言しか聞こえてこない。というか、寝ながらお母様の惚気はやめていただきたい。
「お父様、起きてください。緊急なんです。このままだと、可愛い娘が魔法族の女王にされます」
寝言が一瞬静かになった後で、ひどく慌てた物音を立てて、ドアが空いた。外開きなので、既に私は扉から離れている。
「ユリシアは渡さんぞ!?」
「起きてください、お父様」
スパンと寝巻き姿の頭をひっぱたくと、お父様は数度瞬きをする。
「……アリシア?」
「はい」
「どうして、この家に第二王子と騎士団長がおられるのか、説明を求む」
「説明いたしますから、すぐに着替えていらしてください。応接室でお待たせいたしますから」
「すぐに行く」
扉が閉じた後で、私は応接室に通したはずの二人の姿が背後に確認し、深く息を吐いた。
「シャル様も団長も、応接室でお待ちくださいと言ったはずです」
「せっかくアリシアの父上にお会いできるのだ。ここは早めに許可を頂いておこうと思って」
「何の」
「もちろん、私とアリシアの!」
呑気な返答をする第二王子の頭を引っ叩きたい衝動を抑えて、私は団長を上目遣いに睨みつけた。
「どうして団長まで一緒にいらっしゃるんですか。というか、殿下を止めてください」
「ああ、いや、なんでだろうか。俺も一緒に来たほうがいい気がしたんだが……」
「迷惑です」
「……初対面のはずなんだが、貴女は随分と、その……」
私に近づきそうになった団長の前に、第二王子が立ちはだかる。
「クリス、申し訳ないが、彼女は私の婚約者だ。気軽に近寄るな」
「婚約者?」
「私は聞いてないし、認めないぞ!」
お父様の部屋の扉がばばーんと開かれ、すっかり身支度を整えたお父様が現れる。そういえば、まだここから一歩も動いていない。
「待っていてくれたのかい、アリシア。カワイイなぁ、アリシアは。嫁になんぞ行かなくてもいいんだぞ」
「お、お父様、シャル様も、皆さん落ち着いてください。こんなことを話している場合じゃないでしょう」
「アリシアのこと以上に優先されることなどない」
収集がつかない事態に、深く深く溜息を付いた私は、片手を上げて、小さく呟いた。
「
ごん、ごん、ごん、三つの音が重なった後で倒れている三人の男を見下ろし、言い放つ。
「先に応接室でお待ちしております」
団長が、なんで俺まで、と呻いているが、止めなかった時点で同罪に決まっているではないか。
父親と第二王子と団長と私、という顔ぶれでの初めての茶会は、実に緊張を孕んだ雰囲気で幕を開けることになった。
「お父様はどこまで、いえ、ここにおられるのが第二王子とわかっていらっしゃいますよね」
「アリシア、いつのまにこんなふしだらな娘に……!」
「お父様には私が長く殿下の近衛騎士であったという話は、覚えておられないご様子。それほどまでに娘の生活に興味は向けられませんでしたか。それほどまでに、わたくしは愛されていなかったのですね」
「そんなことあるはずがないだろう!」
「そうですね。では、この王国を乗っ取ろうと企てる魔法族の女王陛下に、如何なる手段で退位していただくか、考えてください」
娘からの無茶ぶりに、お父様は大慌てで頭を捻ってくれるのはいいのだが。
「退位?」
不思議そうに第二王子が首を傾げる。
「先程の蕾から次の女王が生まれれば、それで終わるのではないのか?」
「シャル様はいつまでも王子に戻れなくてもいいのですか?」
「アリシアといられるなら、別に王子でなくても構わないよ。あ、もちろん、夫として隣に立つ以外は認めない」
「っ、そういうことは全部が解決してからですっ! もともとこの国は魔法族の加護を持って存在しているんですよ。その魔法族が加護ではなく乗っ取りを企てた時点で、もうこの国の加護は消えかかってるはずです。直ぐには判明しなくとも、数年のうちには周辺諸国にそれが伝わり、今まで魔法族の加護に頼りきっていたこの国が攻められれば、ひとたまりもありません」
今までの知識を引き出して、今後の予想される展開を口にすると、流石参謀と団長が手を叩く。いや、なりたくてなってるわけじゃないんですけどね、参謀。武勲を上げるために剣の腕を磨いていたのに、なんで参謀候補になっていたのか謎なんだけど。
「つっても、魔法族?の女王を退位させるとか、人間がなんとかできるのか?」
尋ねてきた団長に、私はゆっくりと首を傾げる。
「力ずくってわけにはいかないでしょうね。私たちにできるのは、エリシアが言っている反勢力を助けるぐらいですか?」
「どうやって」
「それが問題ですよね。エリシアが言うように、次の女王が生まれさえすれば、っていうのはたぶん違うと思うんです。もしそれが本当であれば、お母様が生まれた時点で、次の女王になっていたはずですから」
困りましたね、と頬に手を当て、腕を組んで考えていると、何故か第二王子に抱きしめられた。
「……殿下」
「アリシアは真面目だな」
その上、頭を撫でられる。心地よさに思わずうっとりと目を細めてしまうのは、それが随分と久しぶりだからだろう。ひとりになってから、こうしてくれるものなんて、誰もいなかったのだから。再会した父も、一緒に暮らしていてもいまいち壁を感じてしまうような状態で、だからこそ私は、甘えることに飢えていたのかもーー。
「っ、え、エリシア!」
震える手を突き出し、慌てて私は第二王子から距離をとった。あぶない、このまま流されている場合じゃないというのに。
「アリシア?」
「エリ、エリシア叔母様に聞いてみるしかない。このままここでこうしていても何も変わらないんだから。お父様、何かあちらとやりとりする方法を知ってる?」
私が顔を向けると、父はわかりやすいほど顔を輝かせた。
「ユリシアが使っていたものが残っているよ。私には使うことができないから、どうすればいいかわからないものだけれど、アリシアなら使えるだろう」
「え、御母様の私物って残っていたんですか!?」
全部継母たちに売り飛ばされたと思っていた。
「私がユリシアのものを他の誰かに触らせるわけ無いだろう? ちゃんと、誰にも見つからない場所に保管してあるよ」
「え、誰にも?」
どういう意味ですか、と尋ねる前に、私の手は父にとられて、引き寄せられーーない。なんか、第二王子にがっちりホールドされてる。え、ちょ、待って。
「殿下?」
「アリシアをどこへ連れて行くつもりだ?」
「妻の部屋ですが」
なにか、と言い返す父は何故かドヤ顔だ。そして、第二王子は不機嫌を顕に言う。
「私も行く」
「妻の部屋に私以外の男を入れるわけがないでしょう」
何をアタリマエのことをと父は言うが、なんだろう。かつての団長と殿下とのやりとりを彷彿とさせるコレは。思わずクリス団長へと目を向ければ、何故か父の言葉に何度も頷いている。そういえば、この人奥方のために私(男)との噂を冗長させる行動をとるほどの人だった。
どうしたらいいんでしょうか、コレ。
私の深い溜息に、喧々諤々と言い合いを続ける二人は、一向に気が付きそうもなかった。
今朝思いついた話。
爵位とか適当。
家名は高級ワインから参考にした。
この話はボーイズラブではありません。
この話はボーイズラブではありません!
(大切なことなので、二回繰り返しました)
(2015-01-10)
なろうでの公開に合わせて本公開。
しかし、h無しが広がりすぎた上にファンタジー色が濃くなった。
もっとこうふわっとした感じの御伽話風が良かったのだが。
(2015/3/24)
#8
終わらせたいのに終わらない。
(2015/04/20)
#9. あと4にち(そのに)
まとめが思いつかない。
キャラを練り直したほうがいいような気もする。
(2015/06/18)