視界が白で埋め尽くされる。
それは、病院の無機質な白さでなく、おかんの最期の時の泣きたくなるくらい白い肌の色でなく。
もっとあたたかく、もっと満たされるなにかを持つ。
この白を手に入れれば、なくしたものの全部を取り戻せそうな気がする。
教室から見える春の風景はいつもと同じようで、いつもとまったく違う。校庭にたくさんいた、花を胸に飾った卒業生たちも段々疎らになり、そして、誰もいなくなる。
がらんとした教室は、時間を止めているように静かだ。
机に座って、いつものように眺めていても、そこにはなにもない。
もう、来ないからと怒る先生もいないし、答えられない問題を指す先生もいない。助けてくれる友人も、いない。ここで一緒に過ごした奴らは、もういない。
学校なんて別に、特別好きという訳でもなかった。ただ馬鹿やって笑いあえる友人と会える場所で、別に毎日なんて来なくたってよかった。
見慣れた机に俺は移動して、いつものように手をついた。そこには誰もおらんけど、記憶の中には彼女が笑っている。俺が毎日学校なんかに来てたのは、春霞のためやった。他のヤツらは、別に学校でなくとも会える。でも、春霞と毎日会える場所はここしかなかった。
学校のどこに行っても、思い出だけが鮮明で肝心の春霞がいない。
式の最中、春霞は目を潤ませてはいなかった。いつものように毅然として、いつものように奈津実らと笑っていた。
でも、教室から見ていた校庭の影の中にはいなかった。
まだ帰ってはいないってことや。
俺は最後にあんたにいいたいことがある。
いつも最期に口に出来ない言葉がある。
それを云えば、俺は前に進めるやろ。あんたが、きいてくれるなら。
階段や廊下でよく後姿を見つけて追いかけた。写真を見られたんもそんときやったな。
昇降口では春霞の来る時間に合うように、早起きしたりした。朝から春霞の笑顔を見られると、眠いのもなんもかんも吹き飛んだ。
屋上にいると、気がつくと隣りで寝てたりしたこともあった。何度襲おう思たか、春霞は知らんやろ。
でも、どこに行っても今までも影を思い出すばかりで、今日は一度も会うてへん。
どこにおるん?
何度も飲みこんだ言葉を伝えるんは今日しかないというに。
「姫条、話がある…」
「あとにしてや」
途中で会った奈津実を押しのけ、そのまま通りすぎた。はよせんと、あいつ、帰ってまう。そしたら、二度と会えんようになる気がしてた。
「今じゃないとダメなの」
いつも以上に固い言葉に、俺は足を止めた。こいつ、こんな話し方するヤツやったか。
「俺もな、今、忙しいねん。また後で電話で」
「電話じゃ意味ないの!」
泣きそうな声。春霞ももしかして、今泣いてるんか。人前じゃ何があっても泣かないヤツやから、もしかしてたった一人で泣いてるんか。
「あたし、姫条のことずっとーー」
続けられる言葉の先を、わざと遮る。その言葉が欲しいんは俺も同じやけど、奈津実からやない。
「俺が本気になれるんは、春霞だけや。たった一人だけなんや」
なぁどうして一人で泣く必要がある。俺はそんなに春霞にとって頼りないか。
「知ってるわよ。最後まで、言わせてくれてもいいじゃない」
「すまんな」
目の前で女が泣いてるゆうに、俺はそこからたった一人の姿しか思い浮かばん。ただ、姿を重ねて振り払うように、また駆け出した。
早よ探さな、春霞の目が溶けてまうわ。
「春霞ねーっ、たぶんっ、ーーーにいるっ」
廊下の向こうから教えてくれた藤井に、俺はただ手を上げて礼をした。
噂は多い。
でも、俺はどれも真実でない気はしてた。せやろ。敷地内にこんな教会なんかあるんは絶対あの理事長の趣味や。
いつも鍵がかかって、誰も入れない教会。
それが。
開いていた。中から、人の気配がする。ドアに近づくと、泣き声だとわかる。
不気味に思わんかった。たぶん、きっとあいつや。
中の暗さに目が慣れるのに少しかかった。慣れてくると、一番奥の祭壇に隠れる人影がある。
「誰かおるんか」
声は吸いこまれるように、教会の中に響く。
「…春霞か?」
動かない影に、俺は近づいていった。鼓動が、今までにないくらい大きい。
「そないな場所で、何」
まわりこんで、それから。言葉は続かへんかった。
しっかりと何かを抱え込んで、透明な涙を流して、大きな瞳で驚いたように俺を見上げている。
「ま、まど、か…?」
掠れた声で呼んで、瞬きをして、涙を拭おうとする腕を押さえる。やっぱりという気持ちと、どうしてという気持ちがマブール模様に入り混じって、なんやどうしたらええかわからへん。
「ひとりで、泣くなや」
引き寄せる体が押し返されるのも構わず、強く両腕で抱え込む。
「俺がいるやろ。胸、貸したるから」
腕の中で嗚咽が聞こえてくるのに、それほどの時間はかからんかった。
決して涙を見せない春霞が泣くのは、俺の腕の中だけて、思わせといてくれ。
俺も、なぁ、他の女なんかどうでもええし。
春霞さえ、この腕にいてくれるなら。
*
胸を叩く感覚で腕を緩めると、春霞は片腕を突っ張って俺をひっぺがして、顔をあげた。泣き腫らして赤くなった瞳が、俺を誘う。
「どうして、まどか、ここ…」
「春霞はどうしてこないな所にいたんや?」
「うん」
ずっと抱えていたものを春霞は俺の前に広げた。それは見たことのない絵本だ。しかも、日本語じゃない。
「思い出したの。あたし、ここで…」
「待ちや」
なんや、イヤな予感がした。男の勘てヤツやろか。聞いたら、なんか何もいえへん気がした。その前に伝えるべき言葉が俺にはある。
「あんたに、春霞に聞いて欲しいことがある」
俺な。たったひとりでええねん。あんただけが俺の隣で笑ろていてくれれば、それで、それだけで。
この先ずっと、一緒に歩いていけるなら。
窓から差しこむ光は、春霞の姿を照らして、たったひとつの舞台を作り上げる。
ここが正念場や。頑張れ、俺。
「俺、俺なーー」
涼代リアスさんリクエストで『主人公一番!な姫条』。
なんとなく卒業気分ですが(気分じゃねェ)いかがですか。
いきなり卒業させて申し訳ないです。
おそらく、自分の卒業が片足ツッコんで、気分そのまま~なんて。
遅くなってスイマセンでした! ネタ提供ありがとうございました~!!
完成:2003/03/26