遠くから聞こえる祭囃子の音を聞きながら、私は急いで境内までの階段を駆け上がった。待ち合わせ場所に来ない相手を待つことに飽きて、一人で屋台を見て回っていたら、唐突にスマフォで呼び出されたのだ。
「はぁ、はぁ、」
紺色の浴衣に薄水色で畝るような川と小さな金魚の描かれた浴衣と赤い蝶のような帯を結んだ格好は、普段するものとは余りに違って歩きづらい。否、歩きづらいのは見栄張って、下駄まで履いてしまったからかも。こんなことなら、おねえちゃんの言うとおりにスニーカーにしとけばよかった。でも、浴衣にスニーカーとか、いくら私がセンスなくても、駄目だとわかる。そんなちぐはぐじゃ、流石に表に出れません。
歩きづらいのは他にも水風船にボールすくいの景品、ひよこ笛、綿飴、りんご飴、金平糖。それから、手がふさがっちゃってるから、背中にうちわ、頭には日曜ヒーローのお面といろいろあるからだ。でも、せっかく手に入れたものを捨てるわけがない!
「っ、疲れたぁ」
境内の階段の中ほどで足を止め、息を整える。今更だけど、このお祭り満喫してましたって格好は、待ち合わせ相手を怒らせる気がする。いや、でも遅れたのは向こうだし。
考え込んだのは数秒で、まあ怒られるのも日常だしね、と虚しい諦めとともに、再び境内への階段を登り始めた。
この神社は昔からこの辺りにある古い神社なのだけど、小さな社と小さな鳥居しかないくせに、街を見渡せる丘の上にある。当然、この辺りは公園として整備されているし、そこそこ警備もされている。季節ごとに祭りを企画し、いつも大いに賑わっているので、訪れる人も多い。だけど、この神社があることを知っている人はどのぐらいいるのだろうか。そもそもメインの会場から階段を登らないと辿りつけないとか、一体どんなツンデレ神様が祀られているんだか。
境内の階段を登り切ったところに鳥居があって、その先には待ち合わせ相手がいて、私は苦笑いしながら、鳥居をくぐるために、最後の石段に足をかけた。
「お待たぁっ!?」
足元の石段が急に崩れて、バランスを崩しかけた私は慌てて手をつくために、荷物いっぱいの両手をつきだした。当然こぼれ落ちる景品たち。
「あぁ!!」
倒れまいとする私を横から支えるために手を伸ばすのは、濃紺に紫陽花柄の浴衣を着た艶やかな美女で、私の友人の陽花(ひな)さんだ。
「気をつけて、楓」
体勢を立て直す私の前に駆け寄ってくるのは、祭りでお神輿担ぐみたいな格好をした少年で、同じく友人の嗣郎(しろ)くん。見た目はジャニーズ系なのに色々と残念と陽花さんに言われている。
「大丈夫、楓ちゃん?」
「うん、ありがと、陽花さん、シロくん」
礼を言うと、二人でほんのり頬を染めて笑ってくれる。そして。
「遅い、楓」
不機嫌そうに社の側に立つ桜の木に寄りかかって、文句を言っている藍の着流し姿の青年は装いは祭りらしいが、全く削ぐわない不機嫌な空気で周囲を淀ませている。目に見えて不機嫌、というのはこういうのをいうのだろうな、と私は苦笑し、同じく苦笑する二人が私の背中を押す。
「遅いのは蓮二君たちでしょー。私は時間通りにここで待ってたのに、三人共全然来ないんだもん。連絡もないし、今年はないのかと思っちゃった」
「雨でも祭りはあるに決まってるだろ。そもそも、何のためにこの俺が待ってやってたと思ってーー」
「はいはい、私が悪うございましたっ」
蓮二君の前にたっても、相手の身長の方が高いので、私には見上げなければ彼の顔は見えない。その代わり、顔をうつむかせても見えるというのは利点だと考えることにしている。
「蓮二君、行こう」
「……お前はひとりでもずいぶんと楽しんでたようじゃないか」
私の格好を上から下まで見た上で、ジト目で睨まれてしまう。これは、拗ねているのだろう。
「だって、せっかくのお祭りだし」
「ふん、俺がいなくても楽しいならそれでいいじゃないか」
拗ねた様子の蓮二君は私よりもずっと大人に見えるのに、小さな子供みたいだ。
「そんなの、蓮二君も一緒のほうが楽しいに決まってるじゃない」
お祭りは好きだけど、やっぱり皆で遊んだほうがもっと楽しいよね、と笑っていうと、すねていた様子の蓮二君は大きな手を伸ばしてきた。予想通りにぐしゃぐしゃと頭を撫でられて、私はホッと安堵の息を吐く。これは仲直りの合図なんだ。まあ、蓮二君が勝手に拗ねているだけだけど。
「行くぞ」
それから、自然に手を掴まれて歩き出す私の目には機嫌の良さそうなフサフサの尻尾。
「……蓮二」
「連兄」
「蓮二君」
三人同時に名前を呼ぶと、すっとそれが消える。
「なんだ」
照れ隠しで少し怒った様子の蓮二君を笑って、陽花さんとシロ君が鳥居を通り抜けて消える。それを不満そうに見ながらも、蓮二君は私と手をつないだまま歩き出し。
「楓」
鳥居の前で私を呼び止める。
「なあに、蓮二君?」
意識はもう祭り会場へ向いている私は満面の笑顔で、蓮二君を見上げる。そんな私を見た蓮二君は無表情で私を数秒見たあとで、軽く握った手に力を込めて。
「なんでもない。行くぞ」
「うんっ」
そうして、鳥居を通り抜けた先のもう一つの祭りへと向かう。一見先程の何も変わらぬように見えて、見える景色が変わったのがわかる。
楽しげな祭囃子も騒々しい空気も変わらないけれど、そこにいるのは普段は見ない変わった姿の生き物たち。妖、と呼ばれる彼らは、私たちの世界の裏側で同じように生きている。
「陽花さんとシロ君、どこかなー?」
キョロキョロと人混みを見回していると、歩き出した蓮二君に腕を引っ張られる。
「その辺にいるだろ。それより、何やりたいんだ」
「射的! さっき、やったけど、全然当たんないんだもん」
「くっ」
軽く笑われ、私は繋いだ手に強く力を入れる。
「蓮二君だって、やってみたら難しいと思うよ?」
「んなわけねーだろ」
「いやいや、無理だって」
「その手にはのらねー」
「むー」
歩いて連れて来られたのは、お面屋の屋台で。蓮二君は狐のお面をひとつ掴んで、私の頭のヒーローお面を取る。
「こっちにしとけ」
「えー、やだ」
「楓にはこっちのが似合う」
「やだ。これで隣の悟君を手懐ける予定なんだから」
「……おまえなぁ」
「まだ小学一年生だし、これなら行けると思うんだ。あの子いーっつもゲームばっかしてんだもん」
そりゃあお節介だってわかってるけど、平日はうちで預かってることも多いし、やっぱりここは姉としてかまってやりたいし。
「わっ」
「……これ以上、敵を増やすんじゃねぇ……」
私の顔に無理矢理お面をつけて、視界を制限して。敵って、何言ってんだろう、蓮二君。
「っち、行くぞ、楓」
「わ、ちょ、待ってよ、蓮二君っ」
お面を付けられたまま、蓮二君に手を惹かれるに任せて歩き出した私は、程なく喧騒を抜けたようだ。
立ち止まった彼の隣でお面をずらしたところで、大きな音がなり、夜空に鮮やかな光の花が咲く。今夜の祭のメインの花火だ。
「わ」
蓮二君が連れてきてくれたのは、人混みを少し離れた、しかし花火がよく見える公園の一角だ。辺りには他に何の気配もない。少なくとも見える範囲に妖の姿はない。
「この公園、あっちでは花火の隠れスポットになってて、すっごい混んでるんだよ。こっちじゃ、特等席だね」
「あ、あぁ」
そういえば、蓮二君と会ったのもこの公園だった気がする。まだ子供の頃、祭りに夢中になって、両親とはぐれた私はこの世界に迷い込んで。
すごくきれいな男の子が泣きべそかいていたことを思い出した私は、蓮二君を見て小さく笑っていた。
「なんだ」
「初めて蓮二君とあったときのこと思い出しちゃった」
「ああ、あの時か」
「お人形みたいな男の子が泣き出すから、私のほうが泣き止んじゃったんだよね。あの頃は可愛かったなぁ」
「昔の話はするな」
拗ねて顔をそらす蓮二君は、あの頃も綺麗だけど、もっと綺麗になった。ーーもう、同じ目線ではいられなくなってしまった。
花火に視線を向けて、私は小さな決意を口にする。
「来年から、もう来られないと思う。私、決めたんだ」
蓮二君の方は見られなくて、私はただ花火を見つめたまま、告げる。
「昔、蓮二君言ってたよね。ここから離れられないって。だから、私はもっともっと色々見て、色々集めて、ここに持ってくる。蓮二君たちが世界を見られるように、楽しんでくれるように」
「楓……」
蓮二君のちからない声に彼を見ると、珍しく沈んた様子で。私は背伸びしてその頬に触れる。本当は頭をなでてあげたいんだけど、届かないから。
「一度この街を出たら、もう蓮二君たちを見つけられないかもしれないとしても、」
「わかってて、行くってのか」
「うん」
打ち上げられた花火が蓮二君の綺麗な顔を照らす。何かを考えている様子の蓮二君の瞳が様々な色を移し、そして苛立ちを閉じて抑えこむ。
「このままここにいても、いつかは会えなくなるってわかってるのに、ただその日を待つとか、私の性に合わないよ。絶対の戻ってくるとは言えない。でも、あっちでいっぱいおみやげをもってくるから、だから」
泣かないで。
「楓」
抱きついてきて、私の方に顔を埋める蓮二君を私も抱きしめ返す。
「泣き虫は直ったんじゃなかった?」
「楓が、悪い」
「うん」
「戻ってこなかったら、許さない」
「うん」
「次に来たら、絶対に、逃がさない」
急に蓮二君の力が増して、不穏な言葉が繋げられた。
「へ?」
「俺の心の広さに感謝しろ、楓」
「あ、の?」
泣いてたわけじゃないの、と問う前に、額に何かが触れる。私から見えるのは、蓮二君の形の良い喉仏で。
「ここまで待ってやったんだ。下手な土産をもってきたら、ただじゃおかねぇ」
え、と、これは何を要求されているのでしょうか。
「良いおみやげだったら?」
「そうだな、楓が嫌になるほど、可愛がってやる」
どういう意味だろう。今でも十分、可愛がってもらっていると思う。というか、蓮二君も陽花さんもシロ君も、私に甘すぎると思う。
「意味がわかったからって、逃げんなよ。呪いの期限は一〇年。それ以上は待てねぇからな」
「う、うん」
何かとんでもない約束をさせられている気がするけど、その前にとんでもないことを言われた気もするけど。まあ、蓮二君だし。
「俺の知らねぇところで、死ぬんじゃねぇぞ、楓」
「ふふっ、今の平和な表の世界の何を心配してるの、蓮二君」
心配症な蓮二君の首に両手を回して抱きついて、私は無理矢理に彼の頭を撫で回した。
「じゃあまたね、蓮二君。陽花さんとシロ君にもよろしく」
「ああ」
ざぁとテレビの砂嵐みたいに蓮二君の姿が消えて、私は騒がしい公園の一角で夜空の花を見上げる。
毎年の異界祭り見物も終わって、現実の花火も終わって。帰ってゆく人並みを見つめながら、よしと握りこぶしを作る。
十年と蓮二君は言ってたから、十年で私は集められるだけこの世界の良い物を一杯集めて、カメラに収めよう。そして、十年後にきっとここに戻ってきて、そうしたら。
「何にせよ、さっさと始めないとね」
歩き出そうとした私は、何かに気が付き頭に手をやる。そこにあるのは私が買ったヒーローのお面ではなく、蓮二君がくれた狐のお面。これで小学生は釣れないだろう。
「……なんとかなるか」
カラコロと慣れない下駄を鳴らして、私は帰路へとつくのだった。
ーー 一方、楓がいなくなったあとの公園では。
「蓮兄のへたれー」
「あそこでいけないなんて、いつもの勢いはどうしたのよ、蓮二」
容赦無い嗣郎と陽花の言葉に、ニヤリと蓮二は嗤う。
「いーんだよ、これで。楓が自分でこっちに残らなきゃ意味ねぇんだから」
「今年が最後のチャンスだったのに、十年後、なんて見栄張っちゃって」
「十年後のための呪いだ」
「行きの分だけの?」
「そう。帰りはない」
「ーーもし、楓ちゃんが戻ってこなかったら? おれらがあっちに行けるのは、あの場所だけなのに」
「戻ってくるさ、楓は」
「根拠の無い自信はどこからくるのよ」
「ふっ、わかってねぇのはお前らだ。俺と楓の絆、なめんなよ」
「さむーい。嗣郎、甘酒ほしくなぁい?」
「イラネ。それより、あっちで麦酒売ってたぜ、陽花ちゃん」
「んふ、それもいいわね」
好き勝手に離れていく嗣郎と陽花の背ではなく、夜空を見上げ、かすかに蓮二は瞳を揺らす。
(ーー楓)
舌に乗せることさえできない不安を押し殺し、蓮二は視線を地面に落とした。
人にとっての十年は裏側で生きる自分たちには然程長い時間ではないけれど、楓にとってはひどく長い時間だ。だけど、十年後に満面の笑顔で会いに来た楓とどうなるのか、蓮二には想像もできない。
ーー 十年後。
変わらないままの神社の階段を登るのは、動きやすいジーンズのパンツにチューブトップというかなり軽装の二〇代半ばと思しき女性だ。背中には中身の詰まった大きなリュックサックを背負い、両手にもトランクを二つぶら下げているというのに、ひょいひょいと登ってゆく。年齢による衰えを感じさせないのは、彼女の日常がそれだけハードであることを物語っている。伸ばしっぱなしのウェーブがかった髪をゴムで一本に結わえただけ、化粧もほとんどしていないようだ。
「ふぅ、もうちょっと」
辺りはまだ日が高く、昼食も終わったばかりというところだ。あの時とはまったく時間が違いすぎる。
境内まで来ると、私は荷物を持ったまま、社に手を合わせて、それから、あの時蓮二が寄りかかっていた桜の木に身体を預けて座り込んだ。
「はぁ、あっつーぅ」
夏の高い空を見上げれば、入道雲が半分を占拠しているものの、あとの半分は抜けるような青空だ。日頃の疲れが出たのか、ゆっくりと瞼を落とした楓の側に木陰から出てきた男が歩み寄る。眠っている彼女を大切そうに抱き上げ、名を呼ぶのはあの日より少しばかりの成長をした蓮二だ。そして、あとから出てきた嗣郎が成長したような姿の青年が楓の持ち物を軽々と持ち上げる。
「行くぞ」
「いーんですか、勝手に連れてって」
「ここまで来たんだ。否とは言わせん」
そして、再び楓を抱えた蓮二と嗣郎が影へ消えると、後には、何も残らなかった。
なろうで見かけた「仮面トリップ企画」に触発されました。
ちゃんと書きたい気もするけど、コレでいいような気もする。
(2015/04/01)