彼が最も愛しているのは、眠ること。
いつだったか公園で寝ている彼を見つけたこともあった。
先生に「道端で眠くなったら…?」と聞かれているのも見た。
いつだってどこでだって、誰が見ていても彼は気にせず眠ってしまう。
何故と問いかけることさえ、もう意味がないかもしれない。
まるで何かに導かれるように、柔らかな夢の世界へ落ちていってしまう。
卒業式の日、教会で愛していると言ってくれたし、初めてのキスは私を彼と同じ世界に誘うような甘い甘いハニーソースみたいな匂いがした。軽く口が触れ合うだけの優しいキスは、いつしか深く私を飲み込み、珪以外の何も考えられなくさせる。でも、ぼぅっとした私のひざに彼は頭を乗せて、優しい微笑を残して眠ってしまった。
驚いたけど、膝の上に乗った寝顔は本当に安心しきっていて、子供みたいで。今朝の期待というか不安というか何かいろいろ混じった気持ちを全部、昇華させてくれたさっきの告白を思い出して、またドキドキとその髪に触れた。
珪が私を好きだといってくれたのが本当に嬉しかった。誇らしかった。…少し、恥ずかしかった。
そっとそっと起こさないように撫でる髪はとても柔らかいし、ゆっくりと開く瞳は深い森の木漏れ日の通った葉っぱみたい――。
「…ん…春霞?」
て、あ、お、起きてるっっっ
「あぁ、ごめん。オレ…今、何時だ?」
慌てて起きあがろうとする葉月が、新鮮で可愛い。
「オレ、眠くて…」
「だーめっ」
もう一度、膝の上に引き寄せると、びっくりしたと目が物語っている。
「今日は仕事、ないんでしょ? もう少し、このままで」
私の行動に驚いていた葉月がもう一度目をつぶる。私はまたそっと柔らかな髪を梳いた。お母さんにでもなった気分だった。
「………じーさん…」
「ぇ…」
…えーっと、今、ちょっとお母さんの気分だったんだけど…?
「昔、じーさんもこーやってくれたんだ。今の春霞みたいに」
そういえば、葉月はお祖父さん子だった。目をつぶってる彼には、私がお母さんでなく、お祖父さんってことか。
――ちょっと複雑だけど、まぁいいか。それでも。
「オレが泣いてると、よくこうやって『お話』してくれたんだ」
この教会の伝説となった、お姫サマと王子サマのおとぎばなし。
「なつかしい?」
葉月が小さい頃から何度も聞いてきた、お話。きっと、私が日本昔話とかアンデルセンとかグリム童話とか聞くのと同じように、お祖父さんに聞かせてもらってたんだろうな。
返事はなかなか返ってこなくて、代わりに葉月が起きあがった。
「…もう、眠くないから」
耳が赤くなってる。
私も聞いてみたいな。膝枕で、まどろみの中で『お話』を。
「…ぁふ…」
「今度はオレが、春霞に、やってやる」
葉月は、欠伸した私をそっと自分の膝に倒した。男の子の膝枕なんて初めてで緊張したけど、本当に眠くなってて、近くにある幸せをかみしめると顔も綻んでくる。
「でも、そろそろ帰らないと…」
「もう…?」
一度起きあがったけど、ステンドグラスに薄く日が差し込み始めているのを見て、私は彼の膝に戻った。
「…もう少し、こーしてよっか」
目を閉じても、目蓋の裏に映るのは葉月の姿だったから、すごく嬉しい。目を開けても目を閉じていても、きっとずっと一緒だね。さっきの私みたいに、髪を梳いてくれる手は、最初のぎこちない様子から、段々落ち着いて、時に止まって、また梳いて。何度も繰り返されるソレは、キスよりももっと私をドキドキさせる。
「ねぇ、お祖父さんのしてくれた『お話』して?」
「もう聞いただろ、おまえ」
少し、照れくさそうな声。
「もう一度、聞かせて?」
珪、あなたの声で。
*
「――このクローバーの指輪は、少し本物と違うけど…」
お話を聞いているうちに、更に眠くなっていて、「クローバーの指輪」と聞いてから、すぐにはわからなかった。
何が、違うのかな。何も違わないよ。
「だからこれは、ずっと春霞と、一緒にいる約束だ。本物は…いつか…」
軽く触れ合った部分から、言葉が伝わってくる。
――いつか、春霞と結婚する時に、やる。
キスは、約束の印。
いつか、この教会で愛を誓う、約束の印。
それは、決して遠い未来の話ではなく――。
『お話』って、葉月のお祖父さんが考えたのかな?
『教会』と、どっちが先に出来たのかな?
葉月がこのお話を好きだったのは、主人公に自分がお話したからなのかな。
(2002/08/21)