おまえは手を繋いでいるだけなのに、たったそれだけでオレを優しくさせる。
「何年ぶりかな、ここに来るの」
教会を仰いで春霞は眩しそうに目を細めた。そんな彼女が愛しくてオレも目を細めた。
「全然変わってないんだ――」
嬉しそうに、少しだけ寂しそうにいう春霞の手を、強く握り返す。
卒業して何年か経ったある日曜日。オレたちは学園の小さな教会を再び訪れた。オレは――白いロングコートを羽織って。春霞は花をあしらった白のワンピースを着て。
「私たちの全部は、ここから始まってきたね」
うっとりとささやく肩を抱き寄せると、春霞は軽く頭を預けてきた。
「…そうだな」
言葉がもどかしくて、気の利いたセリフも出てこない。
「ねぇ、私のこと…」
「愛してる、ずっと」
言葉と共に被せようとしたキスを、あっさりと拒絶される。
「聞きたいわ、『お話』して?」
どうしていつも、残酷なくらい可愛い魅力的な笑顔で、おまえはそれを言うんだ。
二人で教会に入ったけれど、おまえは先に真ん中まで駆けて行ってしまって。
「おい、走ると…」
「ここがいいわ」
そのまんま、その場に座り込んでしまった。長く伸びた髪が絵本の姫と同じくらいまで伸びていた。近づいて、取ろうとした手まで弾かれてしまって、オレは途方にくれる。
「ここで」
瞳は全然潤んでいなくて、聖女みたいに微笑んでいるおまえがどうしようもなく愛しい。
「ここなら――聞こえるから」
その微笑みからは、もう何も読み取れない。壊れてしまったおまえに、オレは何も出来ないのかと思うと悔しかった。
そして、オレはまたおまえに話をする。
王子と姫の物語を。
話終わってから、おまえは小さく呟いた。
「…ごめんね」
どうして、謝るんだ。
「…ごめんね」
繰り返される謝罪の言葉が、痛くて、痛くて、愛しくて。でも、よせる唇はやっぱり拒絶されて。
「…神サマが見てる、から」
そう囁いて、おまえは祭壇まで駆けて行ってしまった。
「春霞…っ」
伸ばした手は、届かなくて。おまえの笑顔もそのままで。
「『奥さん』失格、だね」
あんまり楽しそうに笑うから、オレ、動けなくて。
「家族、あげられなくて、ごめん」
祭壇の上で座って手招きするおまえに近づくと、抱き寄せられた胸のうちから、その心の中から泣き叫ぶおまえを見た。
「…そんなこと」
「罰が当たったんだ、きっと」
言っている意味がわからない。春霞、おまえが今何を考えているのか、考えたくない。
「小さくても、教会であんなことしちゃダメだったんだよ」
――彼女の言う意味。
考えられるのはひとつ。
「ここで、おまえを抱いたことか」
ただ静かに、おまえはオレの髪を撫でている。
「だったら何故、オレでなくおまえが…」
これも罰なのか。大切なものを愛しくて、近づきたくて、離したくなくて、誰にも渡したくなくて、おまえをオレのものにすることが?
「教会で、愛されて、授かったから。だから、あの子は神サマのところに連れて行かれちゃったんだ」
目を閉じて、天を仰ぐ姿が神々しくて、そのままおまえまでどこかへ飛んでいきそうだった。
「春霞」
「――呼ばないで」
「どうして?」
もう名を呼ぶことさえも許されないのか。
「私、もう珪のそばに、いられない」
感情のない声で、ただ静かに告げられる。
「行かせない」
「家族に、なれない『奥さん』は」
「どこにも、行かせない!!」
「いらないでしょ?」
オレを見ているのに、実際は何もその瞳に映っていない。頼むから、聖女のように微笑まないでくれ。
そんなおまえをもう見ていたくなくて、乱暴に引き寄せて口付けた。祭壇から落ちるおまえを抱きとめて、逃げられないように強く抱きしめて。始めは抵抗していたおまえが、抱き寄せてくれるまで離さないと思ったけど。肩に触れた手は、躊躇して、抱き寄せてくれない。
「…っ」
「カギ、かけて」
「…?」
「どこにも、行かせない」
「…できない、よ」
どこまでも優しい声。
「珪は、優しい、もの」
酸素を求めて喘ぎながら、呟く。オレの願う夢はどこまで残酷なんだろう。おまえをオレだけのものにしておきたくて、オレだけを見ていてほしくて、何度も祈った。
――ずっと二人でいられますように、と。
そして、手に入れた家族はあっさりと願いの前に掻き消えた。
本当の家族になるはずだった。本当の家族になれるはずだった。
でも、残ったのは心の壊れてしまった愛しい春霞だけ。
こんなのは夢であって欲しい。きっと目が覚めたら、おまえは本当の笑顔で笑っていてくれると信じてる――。
「泣かないで、珪」
目の前の聖女は、そっとオレの涙を指で拭った。
目が覚めると、そこはいつもの自分の部屋で、他には誰もいなかった。今がいつなのか、まだオレは何の力もない高校生のままでモデルというバイトに縛られているのか、それとも春霞と共に未来を歩いているのか、判別しがたかった。それほどまでに混乱していた。夢に心乱され、今ここにいないコトが夢を肯定しているようで、無性に春霞に逢いたかった。
玄関のチャイムが鳴る。誰だ、と思う。でも、誰なのかなんとなくわかっていた。
もう一度鳴るチャイム。予想が外れるとは思わない。
少し長い間を置いて、もう一度鳴る。いつも、こんなにチャイムを鳴らしていたんだ。
カギをあけて、家に入ってくる音。パタパタと走ってきて、オレの部屋のドアの前で止まる。そして、控えめなノックで春霞が現れた。
「珪…珍しいーっ、もう起きてるなんて」
笑いながら微笑んでいるおまえはホンモノ。じゃぁさっきのは夢だ。後者であることにホッとして、笑みが零れた。
「もう、時間か」
春霞はオレが撮影に遅れないように、起こしに来てくれたのだ。放っておくと、オレは寝過ごしてしまうから。マネージャーに頼まれたと、言っていた。
「あれ…?」
気だるそうに起き上がると、なんの躊躇もなく近づいてきた春霞はオレの頬に触れた。小さな手がなぞるのはオレのココロ。
「泣いてたの?」
不思議そうに目を大きくして、おまえ、それは失礼だろう。
「怖い夢、見た?」
哀しそうなおまえを見ているのは、いやだったから聞き返した。
「どうして?」
「だって、ここには珪クンしかいないもの」
申し訳なさそうに離そうとする手を捕らえて、頬を摺り寄せる。
「聞きたいか?」
話したかった。話してしまえば、夢は現実にならない。あんなのは二度とごめんだ。
「…いい。撮影、遅れちゃうよ」
「まだ十分、時間あるだろ」
春霞がたっぷり余裕を持って、起こしに来てくれているのは知っている。
抱き上げて、ベッドに座って抱き寄せた。何度もこうしているのに、おまえはやっぱり緊張している。額に口付けると、完全に固まってしまって。何度もこんなコトしているのに慣れないみたいだな。
「け、珪クン…」
「そのまえに、キス、していいか?」
思ったより、夢の中で拒まれているのは響いているみたいだ。今まで、聞いたことなかったのに。
「ど、どうしたの?」
それはおまえにも伝わったらしく、戸惑った様子が返って来た。
「いいか?」
頷く顔が上がったところで、不意打ちのように触れると、驚いたと目が見開かれる。
どれだけ深く愛しても、オレは決して満たされないこと、気づいてる。それでも、おまえと共にいたい。共に未来を生きていたい。そう願うのは、ダメか?
「一体、どんな夢、見たのよ?」
胸と肩を上下させて、でも嬉しそうに聞いてくる春霞をもう一度抱きしめる。
「…秘密」
「あのねー!!」
「…おまえが『奥さん』になる夢」
一瞬にして、顔が真っ赤になる姿は嬉しいけど。
「奥さん、ですか」
「イヤか?」
「……いわせないでよ」
真っ赤な顔を胸に押し付けて、小さく囁く声が届いた。
――待ってる。
愛しい愛しいオレの姫。
あんな夢は絶対、現実にさせないから。
いつまでも変わらぬその笑顔で微笑んでいてほしい。
願うのは、おまえと本当に家族になる未来。
なんてもの書いてんだ…そして載せてんだ…。
書いてて、ものすごく痛い。衝動的に書いちゃいかんです。
しかも夢オチ…。あぅぅぅっ
完成:2002/08/28