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書名:シリウス・ブラック
章名:読み切り

話名:キズアト


作:ひまうさ
公開日(更新日):2003.6.9
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:6802 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 5 枚
デフォルト名:///ミヤマ/リサ
1)

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p.1

 自傷、というのがある。自殺とは違うのかと聞くと、リサは全くの別物だと答えた。両者の違いは死ぬ気があるかどうか、死を知っているかいないかなのだという。

「別にね、あたしは死にたいわけじゃないのよ」
 手元でひらひらと白刃を操りながら言われても、全然説得力はない。剣が揺れるたびに月光が煌いて、少女の白い顔に妖しい光を灯す。どこか危険で、どこか消えそうな儚さ、加えて鋭くピンと張られた空気。

 昼間の青白い顔で生気の乏しい姿とは、かけ離れすぎていて、まさに別人。それともこれは月が見せる幻想だろうか。

「そんなに長く生きてるわけじゃないし、何かしたわけでもない」
 放り投げられ、リサの手元を離れた短剣は自身を回転させ、弧を描いて戻ってくる。鋭い切っ先がその手に牙をむくのに焦って動きかけた俺に対し、冷静にそれを受け止める。平べったい刃を細い人差し指と親指でつまんでいるので、怪我はしなかったようだ。

 血を見なかったことに安心したが、次にはそうじゃないだろと自分を叱咤する。リサが危険な玩具をもてあそんでいる事実は揺らぎようがないのだから。

「何もしてないのに死ぬなんて、死に対して失礼だわ。そう思わない?」
 注意というか、危険なそれを取り上げようと踏み出した一歩を、リサはたったひとつの笑顔で止めさせる。そうしなければいけないような奇妙な強制力がそこにあって、俺は動けない。シリウス・ブラックともあろうものがなんてざまだと友人に笑われそうだが、今のリサを前にして動けるものなどいたら、それこそ驚きだ。手放しで賞賛に値する。たとえ昼間であっても俺はリサに対して、思うように動けているわけではないが。

 先とか後とか関係なく、多く好きになってしまっているせいともいえるし、リサの天然の鈍感ゆえでもある。もっともそれも含めてのリサの全部を好きになってしまっているのだから、俺もどうしようもないか。

「自殺は勇気じゃない。ただ愚かで、弱いだけ。ただ誰も追ってこられない場所に逃げるだけの臆病者のすることよ」
 俺が聞いていてもいなくてもかまわないのか、同意も何も求めずに彼女は続ける。愉しそうに。風が窓に体当たりして、大きく揺らしてしまえば決して聞こえないくらい小さな笑い声を立てながら。

 どこからか入りこんだ風が、リサの闇に融けた細い黒髪の一房を揺らすのを、煩そうに左手で跳ね除ける。右手は変わらず危うげない手つきで剣を弄ぶ。細い指先は授業中に杖を操るときよりも数段器用に見える。

「かといって、私に勇気があるかといえばそうでもないわよ。死ぬのは怖いもの」
 愉しそうに俺に向かって話しながら、リサはずっと遠いところを見ている。俺を見ているのにその向こうの誰かを愛しそうに、哀しそうに、しかしその全部を憎々しく。複雑な色を灯す様子は昼間は決して見せない部分があり、闇が色を加えてよりいっそう艶やかになる。

 ローブから僅かに覗く肌はただ白く、ただただ滑らかで、ごくりと唾を飲む自分をどこか遠いところでみている俺がいる。今はそんな場合じゃないのに。

「ふふふ、後悔してるって顔よ。シリウス」
「してねぇよ」
 軽く返したつもりが、耳に届くときには低く唸っていた。ということはつまり、そういう風にリサの耳にも届いているということだ。クスクス笑いながら、白刃をまた放り投げる。煌きが月光を反射して、直接目に届いて眩しいが、閉じた間に彼女が消えてしまうような気がして、そうできない。それはある種の怖さと呼ばれるかもしれない。

 恐怖を振り払う意味で、俺は一歩を踏み出した。リサはどこか不思議そうに面白そうに眺めている。

「そーゆーわけだから、これは自殺じゃないわ」
 両手を上げるとローブの袖が重力に従って落ち、肉付きのよくない細く白い手首と腕が現れる。理由が、現れる。

 彼女が呼び出した第一の理由はわかっていた。ただ、少しぐらい期待もしていたのは確かだ。

 はっきりと彼女に対して、告白したことはない。がしかし、彼女も少しは俺を好きになってくれているのかと思っていた。だから、こんな時間に呼び出されたのかと。男なら誰でも思うだろ。こんな時間に呼び出すなら、それなりにって。

 手首にかすかに見えたキズの痕跡は、彼女のもつ内面の傷そのままかと思ったのだ。でなければ、彼女がスリザリンなんてありえないと思っていた。

 成果はほしくなかったのに、事実はあった。手首といわず、その骨ばった腕のいたるところに切傷はあった。生々しい痕は古いものも新しいものも、深いものも浅いものも混ざっている。彼女曰く、ほとんどが彼女自身の行為だという。

「だからって、マゾってわけでもないわよ?」
 付け加えられた言葉は、ついでという風にしか聞こえない。でなければ、どうして好き好んで傷つきたがる。

「じゃなんでわざわざ…」
 自分についているわけでもないのに、己の腕をつかもうとする俺の手は、別なところに意識でも持っているのか。

 キレイな身体にわざと傷をつけ。あえてそれを残しておく(マダム・ポンフリーの手にかかれば消えてしまいそうなものばかりだ)。

 その理由さえ俺にはわからない。

 白い肌には間違いなく赤い液体が通っているのに、リサは普通の人よりも透き通って純粋に思えてしまって、その想像に舌打ちしたくなる。傷さえも愛しくなって、直せるなら、消せるならそうしてやりたいと思っただけなのに、夜と闇が心を狂わせてゆく。それと、リサの空気が。

「わからないわ」
「は?」
 間の抜けた返し方だと思う。でも、何を言い出したのかが一瞬わからなかった。さっきから、彼女の話の運び方が唐突過ぎるのだ。

「自分でもはっきりとわからないの。どうしてこんなことしてるのか」
 表面的に楽しそうだった笑顔が、わざとらしく真面目くさって眉を顰める。右手で弄んでいた剣を左手に持ち替え、右腕を優雅にあげて、何かを持つようにする。形だけならそれはバイオリンという楽器を弾くときのそれによく似ていた。

「人に傷つけられるのは我慢ならないのよ。なのに、自分ではこんな風に簡単にしてるーー」
「やめろ…っ!」
 駆け出す足が後一歩速くても止められなかったろう。自然にまったく顔色を変えることなく、一瞬の躊躇いもなく、腕に添えて引かれた刃の跡には赤い線ができる。

 溢れ出す鮮烈な赤は強い光を放ち、白い腕を伝い、ゆっくりと下ろす腕から手首へ伝い、ほんの少し下げられた爪先に留まり、そして、ゆっくりと落下を始める。月光が雲間に消えるわずかな光を反射し、煌きを共にしたそれは床の上で一瞬丸い玉となり、弾けて飛び散った。

「こんな傷じゃ死なないのよ」
「ばかやろう! 死ぬときゃ死ぬんだよ!!」
「人間って丈夫よ?」
 もちろん落ち着いてその様子を見てられるはずもなく、リサの腕を取る。手にとってもまだ血は溢れ出していて、止まる様子を見せない。ポケットから取り出した青いハンカチで止血を試みても、それはすぐに黒く染まってゆく。まったくの躊躇いもないと感じたのが、真実だと知らされる心地だ。気分の良いものではない。

「…くそ…っ」
「気にしなくてもそのうち止まるわ」
「…痛いだろ」
「別に」
「見てる俺が痛いんだよ」
 わかっていたのに。ここに来て、彼女が剣を弄んでいるのを見たときからこうすると予想がついていたのに、止められなかった自分が歯がゆい。ギリリ…と強く奥歯の軋ませる音が聞こえた気がした。

「ずいぶん優しいのね」
 ふいに手を振り払って、彼女はハンカチを振り落とした。

 拒絶。

 当然の行動であるのに、俺は何故か驚いた。拒絶される理由が即座に思いあたらなかったからだ。

「スリザリンの女は嫌いなんじゃなかった?」
 棘のある言葉を吐き出し、自分で傷口に口を寄せる様子に舌打ちしたくなった。野生の猫のように自分で傷を舐めて舌で血を拭い取る様子が、どれほど俺の心まで掻き乱すか知っててやってんのか。リサに限って、ありえないけど。

「嫌いだよ。当たり前だろ」
 リサの首にきちんと締められているのは間違いなく緑と銀のカラーのネクタイで、俺のポケットにとりあえず突っ込んであるのは間違いなく赤と金のカラーのネクタイである。つまり、説明なんて不要なくらいリサはスリザリンで俺はグリフィンドールで、敵対寮同士である。

 昼間、それほど気にすることはなかった。なにしろ始めて会った時、リサはネクタイを授業中に誤まって燃やしてしまったとかでしてなかったし、彼女も無ければ無いで誰かに借りようとも思わなかったらしく、届くまでの2週間弱もの間、ノータイで通していた。加えて、彼女は人当たりもよく、とてもスリザリンとは思えない性格であったから、彼女にどの色の寮ネクタイが似合うか密かに投票が行われたという噂もある。

「でも、リサは別だ」
 聖人がいるというなら彼女のような者を言うのだと思っていたが、今夜のこの性格は間違いなく破れ帽子の選択が正しかったと証明されている。

「あらどうして?」
 心底不思議そうに、しかし間違いなく棘を含ませて、小首を傾げる。決して媚びているのではなく、まさに天然な動作に泣きたくなった。

 こうしている間も彼女は自らの傷口を舐めている。ハンカチで押さえるとか、そういったことは考えてもないらしい。もちろん、魔法を使う気もないのだろう。そうやって舐めて治すことが極当たり前だというように、剣を持った手はだらりと降ろされているが手放す様子はない。

「別に決まってんだろ」
 そっちがその気ならと俺も大またで近づいて、もう一度腕を取った。リサは何をしようとしているのか気がついていないのか、不思議そうに俺を見ている。痛がる様子は微塵もない。本当に痛くないのかもしれない。

「リサは全然らしくねーしな」
 強く引いても変わらなかったのに、大きく目を見開くのを視界に収め、俺はようやく止まりかけてきた傷口に同じように口を寄せた。舐めると口いっぱいに鉄の味が広がる。それでも消えない赤い線を、流れ落ちようとする液体を何度も、何度も舐めとっても傷は癒えない。

「…吐くわよ」
 今までに聞いたこともない、何かを堪えるような苦い声に顔を上げると、リサはなぜか泣きそうになっている。

「吐けば」
「私じゃなく、あなたがよ」
「吐くかよ」
 どうしてリサの血を飲んで俺が死ななきゃならない。恋という名の毒ならば、もうとっくに飲み込んでる。俺は吸血鬼じゃないけれど、好きな女の血が何より甘いという彼らの話に少し頷ける。たしかにリサの血は別の生き物みたいに哀しい甘さを秘めている。

「…やめて…」
 舐めるたびに、さっきまでの強気な声が弱々しく変化する。

「…はなして…」
「いやだ」
 腕を流れる血が脈動する音を聞いた気がした。また顔を上げると、丁度雲を取り去った月を瞳に捕え、蕩けそうな色をしている。

「リサ…おまえ…」
「…はなし、て…」
「感じてんのか?」
 びくりと、今度は明確に腕が震えて、急いで引っ込められた。次いで足が動き、あっという間に姿が5メートルは離れる。

「ち、ちがっちがっう」
 行動と声が図星だと、示してくれているのに、そんなことをいう。強い月光に照らされる肌は、明らかに紅を帯びているのに。

 誰もこんな表情の彼女はみたことなどなかっただろう。俺だって初めてだ。いつも同じ笑顔で静かに微笑む姿しか見たことがなかったから。いつも、声を立てずに世界の全部を優しく包括するみたいな少女だったから。彼女の居る場所の空気は常に穏やかで、争いとは無縁で、誰も、その手を取ることなどできない。癒しをその身に持っているのだと、そんな馬鹿げたことを言うやつさえいた。

 でも、俺はそうは思わない。

 同じ位の時間しか生きてないのに、そんな人間いるわけないと。まして、ホグワーツに来てからは同じ経験しかしてないはず、だろう。

 聖人なんかじゃない、生身のリサをみたいと思った。好奇心が恋だと気づかされたのは、もうずっと前のことだ。

「なにが、違うんだ?」
 からかいを含んだ声の奥の焦りに気づかれはしないだろう。それ以上に絶対リサのが余裕がなくなっている。こんなに余裕のない表情を見せるのも俺が初めてか。

 泣きそうに下げられた両眉、徐々に潤んでくる目許、突きつけられる白銀の剣。

 …なにか俺が襲ってるみたいじゃないか? 変だな。そんなつもりはなかったのに。ーー1万分の2%くらいしか。

「そ、れより、き、かないの…っ?」
「なにを?」
 うろたえる様子が楽しくて、また一歩、距離を縮める。今夜初めてみせる怯えの表情は、非常にそそられるんだが。

 剣の触れる手前で足を止めると、一瞬彼女の面に安堵が見て取れた。ーー甘いな。ここで引き下がるような男だと思ってるのか。

 飲み込んだ血が身体の中で熱に変換されているのがわかる。

「な、なにって…」
「リサはさ、つまり、生きてる実感が欲しいんじゃないのか?」
 痛みと隣り合わせにある死に近づくことで得られる、生きているという感覚。それはひどく孤独で、ひどく不安定で、常に恐怖を身に持つようなもの。甘い死の誘惑と日々戦う彼女は、確かに人よりもっと高い位置にいるのかもしれない。

 現実はとてつもなく遠いところにあって、今居る場所が本当に本物の現実なのか。どうやって本物なのか知る術なんか知らない。五感が教えてくれるとするなら、きっとおそらく痛覚はもっとも安易でわかりやすい実感を与えてくれるのだと考えるやつのが多いのかもしれない。

 突き出された震える剣を右手で無造作に掴むと、当然刃は突き刺さる。肉に食い込む嫌な感触に顔を顰めかけたが、リサが顔色も変えずにやってのけていたことを思い、無理やりに堪えて笑う。

「!?」
 手のひらにあふれる血が指の間からボタリと大きな粒を落とす。それは彼女のように珠となったり、固まったりすることなく、弾けて、幾分大きめに飛び散った。

「実感なら、もっと他の方法で与えてやれるから」
 これで悲鳴を上げる女じゃないと思ったけど、さすがに顔が顰められ、視線は俺の手とそこから落ちる赤い液体に注がれている。

 掴んだ二の腕は思ったより骨ばっていなくて、柔らかく食い込みそうになる自分の指を加減して引き寄せる。

「だから、もうこんなことやめとけ」
 上げられた顔は驚いたままで、堪えきれないままの俺とリサの、二つの影が重なる様子が、月光によって教室に浮かんだ。



p.2

 石と木で作られたホグワーツの廊下は、無機質なのにどこか意識でもあるみたいな不思議な目を持っている気がしていた。その廊下をゆっくりと一歩一歩踏みしめながら、いつもどおりに歩く。誰も、何も、悟られないように。

 ズキズキと痛む気がするのは、腕の傷たちではなく、私の心でもなく、別の場所。

 背筋をしゃんと伸ばし、顔はまっすぐに正面を見据え、両手で勉強道具を抱え、ただゆっくりと普段どおりに通り過ぎる廊下。向かう先にあるのは、いつものお気に入りの庭。

 木漏れ日の差す穏やかな庭は、石壁で区切られた正真正銘の箱庭で、見つける人間は限られる。よほどの暇人か、よほどの偶然でもなければ近寄るものなどいない。

 当然、私は後者だ。

 向かい側の廊下の角を曲がってきた集団、赤と金のネクタイの彼らを目に留め、意識してゆっくりと瞬きする。グリフィンドールと馴れ合うスリザリンはいない。何度も上級生に繰り返されなくてもわかってる。だが、私は別にそんなことはどうでもいい。やっかいごとに巻き込まれるのはごめんだ。

 目を明けた時はもうすれ違う寸前で、私は緩めることも速めることもなく、歩く。

 近づいてくる気配に神経が研ぎ澄まされてくる。

ーー…って…だから…ーー

 拾う音はどうしてか彼の声ばかりで。

ーー…今度は…ーー

 世界のすべてがすれ違う瞬間に集約してしまいそうに、引き込まれる。

『また、傷作りたくなる前に言えよな』

 昨夜のわかれる時の、やけにさっぱりとした彼の言葉を思い出した。それは右手の真白い包帯のせいかもしれないし、同じほうの腕にある傷が疼いたせいかもしれない。思い出しそうな感触を振り払い、すれ違う寸前に小さくつぶやいた。

「言わないわ」
 もう、必要ない。傷を作らなくても、生きている証はここにあるから。

「絶対言わない」
 立ち止まった足音に振り返らずに告げ、廊下を曲がった。

 明日になったら、この腕の傷も消してしまおう。生きている証はもういらないから。最高の証を手に入れたのだから。たったひとつの証だけ、大切にしまって、ずっと生きていけるから。

 面と向かっては言えないけど、こっそり、後でハニーデュークスのケーキでも贈りつけてあげるわ。半分のお礼と、半分の悪戯を兼ねて、ね。



あとがき

痛すぎるなぁ…(自分で言うか)。いえね。ぶっちゃけ、エロシリウスで書いてたものです。
それにしても痛すぎる。自殺者の気持ちなんて、私にはわかりませんよ。逃げるの嫌いですから。
どちらかというと、闘える人になりたい。負けたら怖い?負けと思わなければ、負けじゃないです。
むちゃくちゃな持論でどうにかなるんだから、運良いなぁ。私。
迷った末に…更新するもの無くてすいません。こんなものしか書けなくて、ごめんなさい。
暗いなぁ~明るい要素はただいまオリジナルに注ぎ込む中なんです。ーーえっと、言訳です(笑。
掲載:2003/06/09