18)昼寝
(ミオ視点)
明るい光の下にいるのに、そこは真っ暗な穴みたいだ。ぐらぐらゆれる。揺れる枝葉は小さく震える。
震えているのは、あたしのほうだけど。
笑ったはずなのに、涙が零れそうだった。胸が強く押さえつけられてるみたいに苦しい。苦しくて、死んでしまいたい。柔らかい葉っぱでは傷一つつかない丈夫な身体で、ぶらぶら足だけ落として見てるけど、だれもここには気がつかない。目の前を覆う緑の葉っぱはただ青く黒く木漏れ日さえも通さずに在る。ただそこにあるというだけで、意味なんてないのだろう。
意味なんてない生だと思っていたのに。力なんて何もないと思っていたのに。ホグワーツの魔法が、目覚めさせてしまった。楽しいだけの力だと思ったのに、それは怖いモノになる。
「うちの家系に『夢見』なんていたのかなぁ」
千切った葉っぱをばら撒いて、ふっと息をかける。くるくる踊る木葉は一瞬だけ浮いて、あとはただただ落下する。
ホグワーツは世界を変えた。変えるために来たのだけれど、世界は逆転しすぎて手に余る。
夢は話してしまえば現実にならないものだった。夢はただ夢で、御神木だけが教えてくれる私の力だった。
もうすべては過去のモノだけれど。
話す夢が全部現実になって、話さない夢がそうではなくなった。それは、図書室で、赤い目の青年に会って以来。セブルスがいつになく心配してくるようになって以来だ。
これまでが怖い夢は話して消してしまっていたのが、話せば現実になってしまうと気がついてからは大変だ。このあいだもそれで小さくリーマスにこぼしてしまった。
もっとも恐れている夢への気持ちを寝ぼけて吐露していた。今はそれだけが怖い。本当になってしまいそうな、彼の言葉だけが怖い。
「話したら、殺すよ」
冷たい冴えて澄んだ青年の声は、涼やか過ぎて身体の芯を冷やしてゆく。聞きたくないのに、覚えていたくないのに、耳に吸いついて離れないのは、あまりに冷たく哀しい響きだったからだろうか。笑いが混じっていたけれど、それはたしかに冷めていたけど、世界と決別している声だったけれど。ひどく引っかかりのある声で。
葉が全部落下してから、私は太い枝に両手をかけて、足をかけて、もっと高い場所へと登る。意味は、ある。
息は神の気。緑よ木の葉よ、風と闇よ。私の姿を隠してください。息を潜めて、幹に背中を預ける。わずかに空気が変化し、騒がしい少年達の声が聞こえてくる。
「ジェームズ! いねーよ!?」
「そんなはずないよ。シリウス、目ぇ悪いんじゃないのかい?」
「その目つきの悪さが本当に近眼なせいだったとはねー」
「違うわっ!…ったく、んなことゆーなら、あいつらが登れよな。なんでわざわざ俺があんな子供捜さなきゃなんねーんだよ」
登ってくる音に耳を澄ませ、もう少し上の枝に手をかけて、飛び乗る。
ギシッ
少し嫌な音がしたけど、構わず登る。もう少し上に洞があると、知っているから。
「…!」
「…!?」
「…?」
声は遠く、聞こえなくなって消える。わかっているけど、私は登らなければいけない。だって、ここにいなければいけないんだ。そう、決まってしまったから。
強い緑の匂いに日向の匂いが混じってくる。光が当たる葉の辺りまで登って来てしまったらしい。…こんなに早く届いたかな。
「ミオ!」
「わわっ?」
急に現れた黒い影にバランスを崩した身体を、それは腕を掴んで支えてくれる。て、彼のせいでこうしているんだった。
「っぶねぇっ」
「ホント、あぶなーぃ」
引き寄せられた腕の中はとてもがっしりとして、力強く心臓の音が響いてくる。リーマスとは違う早くて強くて大きい音がする。
「おまえが逃げるからだろ」
「シリウスが登ってくるなんて、見てないよ」
時間を間違えたのか、木を間違えたのか。どうやら夢はまだ追いついていなかったらしい。上げた顔に木漏れ日を僅かに受けて細められた瞳が強い非難を向けてくる。
「一度も振りかえんなかったもんな、ミオは」
だって、振り返ってる暇なんてなかったと思ったから。
「なんでこんなとこまで登ってんだよ?」
非難の奥に心配を見え隠れさせながら、のぞきこんで来る瞳を注視せずに、私は視線をさまよわせる。
「眠かったから」
「は?」
「痛いよ、腕ーー」
「眠いなら、寮行けよ。枝で寝るなってこないだ言ったろ?」
「いたいって、い…シリウス」
強く食いこむ拳で引っ張りあげられるように僅かに身体が浮いている気がする。片足は枝からもう浮いている。
「あんまり、心配させんな。馬鹿」
浮いた身体ごと、どこかに引っ張られる。
「ああ、危ないって」
「下でジェームズ達も待ってんだぞ。いいかげん昼は起きてろ」
無理いわないで。という言葉は喉の奥で引っかかって出てこない。だって、夜は彼が来るよ。声が追ってきて、ゆっくり眠っているとつかまってしまいそうで、安心してなんて眠れない。幸い、昼の光の下だと見ないからいいのだけれど、それでも。
夢は見るから。忘れ難い恐怖の夢を。怒りを、思い出してしまう。
誰も、死んで欲しくなんてないのに。助けられるなら、この命さえも惜しくなんてないのに。
私はまだ術を持たない。
(シリウス視点)
折れそうな小さな身体は強く腕に抱いても、空気や風を掴んでいるような感覚がした。生きているのかどう血の脈動する音でしか確かめられない。どうしてこんなにも自分が憤っているのかがわからない。
ミオに対する感情は、兄のようなものだ。なのに、消えてしまいそうな不安に鼓動が震える。足元から凍り付いてしまいそうな喪失感が容易に想像できてしまう。
(俺は、こんな女が好きなのか?)
自問しても答えは返らず、きょとんと見上げてくるあどけない表情に手を出しそうになるのを堪える。俺は、決してロリコンではない。
「この上にね」
「まだ登るのかよ」
「良い場所があるの。シリウスも来る?」
ひょいとあげた顔はあどけないのに、妙に艶があった。光っているのは、その黒い髪か、その赤い口唇か、その黒い瞳の奥か。
「行く」
いやまて。俺はロリコンじゃねぇぞ。まて自分。堪えろ俺。
風がふわりと動いた。目の前にいたはずの少女の姿がない。そして、上から葉っぱの欠片が降ってきた。引き千切られた深い緑の欠片が雨みたいに降ってくる。一瞬上げた視線はぶらぶらゆれる白い足を捕える。すらりと伸びやかで、折れそうな棒みたいな片足は、たぶんミオの。
「ぼけっとしてたら置いてくよ?」
何かを頭に投げつけられて、危うくバランスを崩しかけた。
「てめっ何なげ…!?」
「靴に決まってんじゃない」
さっきよりもっと高い位置の枝に彼女は立っていた。両足は靴下で、片手に革靴を持っている。もう片方の手は細めの枝を掴んでいる。
「投げんなよ、そんなもん」
「ボケっとしてるほうが悪い。よけないやつが悪い」
人の悪い笑みを見せて、ミオは枝に両手をかけて、さらに上へと器用に登って行く。
「まちやがれ!」
俺も枝に手をかけたり、反動を利用したりしながら登る。ミオにはすぐに追いつき、追い越した。
「おっせ~」
見下ろすと、ミオの額に珠が光っているのがわかる。流れ落ちる汗を追わないように、目をしっかりと合わせる。
木漏れ日に弱く照らされているのに、その姿は白く輝いているようで、どんな時より生き生きとしていた。ほかの奴らといるときよりは子供のようだけど、いや、今も実際に子供のようなんだけど、年下とは感じさせない空気がある。ミオの周囲だけ、触れがたい空気が巡らされている。
「馬鹿シリウス、そこ邪魔」
「どけてくださいって言えば、引っ張りあげてやる」
鋭い視線に意地悪く笑いながら返すと、素直にミオは手を上げた。たまに素直なんだけど。
上げた手は手首から先を力なく落とし、斜めに振った。
「しっしっ」
「俺は犬か?」
「似たようなものじゃない?」
別の枝に手をかけて、ひらりと体が宙を舞い、隣に立つ。肩に重さが軽く加わる。
「ごめん」
「え?」
背中に強い重力を受けて、危うく枝から落ちかけた。その一瞬の間に起こったことは、奇跡のような絵画のようなとても美しい光景で。
昔見た蝶々の羽化のようだと思った。四肢が伸びて、端を捕え、落ちかけた身体を両手で引っ張り上げる。羽根がついているのかと思うぐらい軽やかで、無駄のない動き。でもその羽根は畳まれたままだった。
ミオが飛びこんだのは、少し高めに位置する木の洞だ。こんなものがあったなんて、しらなかったのも無理はない。いくら俺達がホグワーツを知り尽くしているとはいえ、限度はある。
洞の中に消えた影を追うために、俺も枝に両手をかけて、飛び乗る。次の枝に行って、上から飛び込んだほうがいいかと少し遠回りに枝を伝うことにする。ミオが俺の背中を蹴って飛び込んだのは、この遠回りが嫌だったせいだろう。幹を一周しなければならない、妙な葉の茂り方をしている。だが、一筋の道のように掴むべき枝も置くべき足も場所が定まりやすかった。風は木の葉に遮られて、強くは吹いてこない。落ちてくる汗を袖で拭い、たどり着くのに何時間も登っていたような気がする。ズボンのポケットにいれておいた銀の懐中時計は十数分しか経っていないと告げているが。
「ミオー?」
洞はけっこう広めで、光が弱すぎて、中がどういう風になっているのか見当もつかない。
「
取り出した杖の先に光を灯すと、一面の緑の絨毯が敷き詰められ、奥に、いた。眠れる少女は、安心しきった顔ですやすやと気持ち良く眠っていた。疲れと、疲れと、寝不足と。11歳とか関係ないと思ってしまう、アンバランスな魅力を放つ少女は、ネコのように丸まっている。
「本当に寝不足だったんだな…」
隣に静かに座り、前髪を書き上げると微かに顔を顰める。そこには似合わないものがうっすらと浮かんでいる。
「…くぅ…」
「おやすみ、ミオ」
髪の一房に口づけて、俺も横になる。不思議と安心する場所で、ミオが眠ってしまっていたのも頷ける。
「俺も寝よ…」
背中がわに寝転がるとミオが寝返りを打ってぶつかってくる。温かくて柔らかで、緑よりも透明な空気で、擦り寄ってきた身体を軽く抱きとめて、腕だけ貸すことにした。
透明透明と思っていると、本当に消えてしまいそうな気がして、急に不安が押し寄せてくる。手にしっかりと感触があるのに、どこか遠い場所にいるような感覚が迫ってくる。
勝手に消えてくれるなよ、と。祈りながら、目を閉じた。
19)重なる恐怖
(ミオ視点)
闇が、落ちてくる。白い光に桜が浮かぶ。はらり、はらりと花が散る。
「…ーっ」
太い幹の後ろに隠れて泣いてる女の子がいる。花が彼女を慰めるように散っているようだった。真っ黒な髪に落ちる薄紅の花弁は、桜の涙みたいで。風に揺れる枝葉は彼女を守るようで。
これは、父の亡くなった日だ。ずっとみていなかったのに、どうして今見るんだろう。見せているのは、
「リドル」
「はいはい?」
声は背後から聞こえた。怖いと思う気持ちを抑えつけて、振りかえる。赤い瞳が笑ってる。
「なんのつもりよ」
「何が?」
わかっていて、言い返してくる。むかつく男だ。
「これ」
「どれ」
「夢」
闇に赤い丸テーブルが浮かぶ。高さは立っていて丁度言いぐらいだけど、椅子が現れて、リドルが座る。次に青磁の湯呑茶碗が現れる。湯気がゆらゆら立ち上る。緑茶は嫌いだろうかと思ったが、他の何も考える気が起きない。こいつには気持ちだけでも負けてはいけないのだ。
「君は話さないの?」
わかっていて、聞いてくる。
「何を」
私もリドルを睨みつけたまま椅子に座る。桜はそのまま、まだ葉を散らしている。
「何しに来たの」
寝る時に本は持っていなかった。持っていたのは杖だけで、床にしたのは葉っぱだけ。どうして、この人が出てくるんだ。
「何て言えば気にいってくれるかな。…暇つぶし?」
暇つぶしででてくるな。
「君の夢は、なんだか繋がりやすくてね」
それは、私があの夢を覚えているから。
「そう、君が覚えているから。だからこんなにも簡単に遊びに来れちゃう」
「来ないでよ」
「僕の勝手だろ?」
クスクス笑いが耳につく。
「あの夢が本当に楽しかったんだねー」
あの夢。赤と黒の闇につぶされる、夢。白い着物が赤く染まる。赤が濃くなり、強くなる。大きな蛇が襲ってくる。
彼が立って、椅子もテーブルも消えた。
「本当はね、訂正に来たんだ。君が僕のせいにしてるみたいだから」
ひらりと、花弁が落ちて来た。
「僕は何もしてないよ。君が話さないでいてくれるからね」
白い光から逃げるように、リドルの姿が闇に溶けてゆく。ただ赤い目だけが光る。
「話さないでいてくれるなら、何もしない。そう言ったよ」
完全にその姿が消えるまで、私はリドルのいた空間を睨みつけていた。白い闇の中にいる。
「あとは、君がーーなら」
「え?」
微かに残された音は聞きはぐった。リドルでないのなら、私の力はなんなのだろう。逆転してしまった、この力。夢が本当になる、力。
手の甲に落ちた花弁をそっと掴む。なつかしい香りが広がり、私は現実が近づいてくる気配に身をゆだねた。
濃茶の低い天井が目に入った。ホグワーツであてがわれている自室のベッドみたいだ。姉にもらった、桜の匂い袋から振りまかれる香りが広がっている、唯一の安心できる場所。ここは、日本の家と変わらない。
「んー…」
手を伸ばして伸びをすると、がんと低い天井に指をぶつけた。痛い。
「あら、起きたみたいね」
優しいリリーの声の後で、ベッドに掛けられたカーテンが開けられる。開ける手がやけに大きい。
「寝過ぎだよ、ミオ」
「夕食食いっぱぐれてるぞ、おまえ」
カーテンを開けたのはリーマスでその隣でピーターが心配そうにしていて、部屋の奥で笑ってるのはシリウスで、あとはリリーとジェームズがお茶を飲んでる。
ここは、ホグワーツの私の部屋だよね。男子寮でもなければ、リリーの部屋でもない、よね?
「あれ…?」
それにたしか、樹の洞で眠っていたはず。
「シリウスがいなかったら、ずっとあそこで寝てるつもりだったの?」
「う…、あ…」
差し出される手を取って、ベッドから抜け出す。だって、そんな流れで。
「良く眠れた?」
「う、うん」
ピーターにも小さく頷き返す。身体が、痛い。
手招きと連れられるままに、リリーの隣に座る。反対側にはリーマスで、その向こうにピーターが。正面にはシリウスがいる。なんだか追い詰められているような気がするのは、気のせいですか。気のせいだよね。
「ミオ」
現実逃避しかけるミオに掛けられた声は、それを許す様子はなかった。
「おなかは空いてるかい?」
「ううん」
「それはよかった」
なにがどういいのかわからないけど、なんだか、えっと、怒ってませんか。みなさん。
「お菓子は食べられるのかしら?」
「うん」
「そう、じゃ後で焼いてくるわ」
今じゃないんだ。
「良く眠れた?」
「う……うん???」
ピーターまで変じゃないですか。
両手を開いたり閉じたりしていて気がついた。手元にいつもあるものがない。ベッドに視線を移しても、見当たらない。
「杖ならここ」
「え、あ、りがと?」
シリウスが差し出してきたそれを掴もうとしたら、かわされてしまった。笑ってもいないが怒ってもいないようだけど、瞳だけが真剣だ。変な怖さに心が震える。
「ミオは、僕たちが何を聞きたがっているかわかるかい?」
やんわりと言ったリーマスを見上げると、笑顔だけどとても怖かった。なんだか反論を許さないといわれているようで。真面目に考えてみる。
「わ、かん、な」
「だろうね」
(あ、あたりだ)
なんでか知らないけど、そんな言葉が浮かんできた。何が当りだ。わからないけど、今のリーマスの笑顔はそんな感じがした。
「単刀直入に言うよ。ミオ、君はいつも昼間眠いみたいだけど、その理由はわかってないね」
寝不足なのは、夢を見ているから。
「寝てるよ」
「残念だけど、それは違う。だって目撃者が何人もいるんだよ。君が夜中にホグワーツをフラフラ歩いているのを見たっていうね」
「私は、夢しか、見てない」
「どんな夢だ?」
どんな夢かなんて、話せない。本当に、なってしまうのに。
「今は、言えない」
「だめよ。ミオ」
やんわりとした声だけど、止められてしまう。肩に手がかかって、リリーに抱き寄せられる。
「今日はもうだめなの」
かさりと、手紙を渡された。姉の印がついている。
「お姉ちゃんから?」
「私にも来てるんだけど、それはミオの分ね」
封を開けて、開く。花弁が数枚落ちて、膝の上に散らばった。
「読んで」
促されるまでもなく、便箋を開く。墨の匂いがする。畳と線香と独特の日本の香り。手紙は昨日きたばかりだった。まだ私は返事を返していない。それでも確かに字は姉のもので、いつもとは違う文面だった。
読んでいくうちに嫌な予感が胸に広がってゆく。
「読み終わったか?」
「シーリーウースー。急かさないの」
「だってなぁ…」
「だってでもなんででもいいから、黙ってなさい」
「ぅあぃ…」
大欠伸しながら人の杖をくるくる回すな。
「い、え…帰らな、きゃ」
「まだ休みじゃないわよ。帰ってからでもいいじゃない」
手紙に書いてあるのは哀しいことじゃなかったけど、逆にもっととても嬉しいことだったのだけど、それは私が知っていることだったから。その後に起きることを全部、知ってしまっていたから。
「おねえちゃんを、止めないと…っ」
「え?」
「止め、ないと」
変だよ。ねぇ。私、誰にも話してないのにどうして? どうして、話していない夢が現実になるの。おかしいよ。こんなの絶対。
「落ち着いて、ミオ」
「それにどうやって帰る気なんだい?」
宥める声なんて、なんの足しにもならない。帰る方法なんて、何だっていい。帰れるなら、なんだって。
「どうして止めるの? 結婚するなんて、良いことじゃない」
本当なら祝福して上げられるはずだと言われても、情景が浮かんでくる。白と赤と黒が混ざり合って、私の大切な者の全部を壊してゆく。
「それはこの間の夢と関係あるのかな?」
リーマスの声だけがやけに鮮明に聞えてくる。
話し、た? あのときから、始まっていた?
「『夢は夢のまま』じゃないのかい?」
あぁ、だめだ。もう。全部。
「忘れてって、言ったのに」
視界が滲んで暗くなる。目を開けていられない。
「ミオ? ミオ!?」
音が響く。煩い音が遠ざかる。ホグワーツにいることも全部夢なら良かった。そうすれば、夢は夢のままで、リドルにも誰にも会わなくて、ただ静かに過ごせたのに。
これだけの変化なんて望んでいなかった。私は、ご神木の桜といられればそれで良かった。 力なんて、いらなかった。
『 逃げるんじゃない』
強い声で呼びとめられて、私は目を開いた。十の瞳が心配そうに私を覗っている。
(さっきの、誰だ?)
聞いたことのある、懐かしい声なのに誰なのか思い出せない。でも、とても優しい気がした。
「だ、れ?」
不思議そうに自分を見つめる視線が気にならない。ただ、壁面や天井を見まわし、外の闇を見やる。立って、ドアを開けても誰もいない。いないこと。それが今、ひどく不自然な気がした。
「ミオ、どうしたの?」
肩に置かれるリーマスの手をすり抜けて、窓に向かう。音を立てて窓を開くと、夜風と梟が舞いこんできた。
「わっ!?痛いっ」
梟の羽ばたきに眩んで倒れそうになる身体を後ろから支えられる。その隙に、数羽がミオ以外の5人に向かっていった。
「ね、え…」
「これって」
「吼えメールにそっくりだね~」
「 離れろ!!」
合図と共に5人ともが部屋の隅に逃げ、両手で耳を塞いだ。
「…違う…」
これは、こんなのは違う。全部、違う。
「違う違う違う違う違う!! まだ何も出来てない。まだ始まってない。まだ、時間はあるでしょ!? 待ってよ!! まだ…言ってないことあるのに…っ」
悲痛な叫びは吼えメールに掻き消されて、誰の耳にも届かなかった。終った後、ミオの姿はどこにもなくなっていた。杖はシリウスが持ったままなのに、どこにもその姿はなかった。
20)行方不明
(リーマス視点)
一晩中探して回ったのに、小さな姿はどこにもなかった。朝になって、授業が始まっても誰も騒がない。まるで最初からミオなんていなかったみたいに、日常が繰り返されようとしている。
僕たちだって、遊んでばかりいるわけじゃない。仮にも学期末試験が近づいてるんだ。勉強もしなきゃいけない。普段なら悪戯を仕掛けてまわる時間を全部ミオを探す時間に置き換えても、どうしてかどこにもその姿がなかった。他より少しだけ余裕のあるジェームズとシリウスは、今日も探しに行っている。
「ホグワーツ内にはいるよねぇ…?」
心配そうにピーターがペンを止める。
「家に帰る方法なんてないはずだよ。ミオの杖は僕達のところだし、ミオの家には暖炉がない。日本はすごく遠いし、どうやって帰るんだい?」
いくらミオであっても。
とんとん、と指で机を叩いてピーターのペンを進ませてから、僕も考える。たしかにホグワーツは広いし、抜け道はいくらでもある。でも、抜けられるといっても魔法使いだけが住むホグズミードに行くとか、叫びの館ぐらいしか思いつかないし、そこを抜けたとしてもイギリスはそんなに狭い国じゃない。地図でしか見たことはないけど、ミオの自宅がある日本はとてもとても遠くて、地図を半分ぐらい過ぎないと見つからない。
そんなに遠い場所に行くなんて、僕達だけじゃ絶対無理だ。マグルの空を飛ぶ乗り物に乗ってきたと言っていた。それがどんなものなのか、見たことはない。僕は隠されて育てられて来たから。
ミオの持ち物に不思議なものはけっこうよく見る。普段着ているあの変なパジャマもそうだ。それにいつも落ち着く香りを纏っている。他の女の子がつけていたりするような香水ではなく、包み込むほどに優しい香り。それはたぶんミオも同じだから、本当に大切にしているのだろう。普段から公言するように、確かに彼女は故郷を愛している。本当に日本が大切で、家族が大切で。
リリーがもらったというミオの姉からの手紙は、結婚するという報告だった。本当なら喜んでいるはずなのに、ミオは手紙を読むうちに顔を青ざめさせ、身体中を震わせて、必死になにかを堪えていた。たしかの彼女は普段から変わっているけど、それはなにか違う気がした。理由があるのだと思う。それもたぶんあの夜に彼女が零した弱音の中に。
ドアと窓を叩く音で僕とピーターはそれぞれに向かった。ドアが開いて、風が通る。窓を開けたほうからは梟の羽ばたきが聞えてくる。
「今日もだめだったんだね?」
「これ以上の抜け道なんて、僕達もわからないよ」
「こんなことなら早く地図作るんだった…っ」
いまさら悔やんでも仕方のないことだ。ミオの状態を考えて、それからジェームズもシリウスもクィディッチの練習もあったから先送りにしていた秘密の地図の話は進んでいなかった。
「どこにいるか、わかればなぁ」
「ミオの行きそうなところは全部当ったんだけど…」
そういえば。
「セブルスって、ミオとよく話してたよね?」
彼の名を出したとたんに、シリウスが嫌々そうに頷く。ジェームズの眼鏡が妖しく反射光を返してくる。
「そういえば、そんなこともあったね」
なにかを企む時のそれは、そんな場合じゃないとわかっていてもワクワクさせる。
「ジェームズ、リーマス、シリウス! リリーから!!」
紙切れを掲げてピーターが叫ぶのに急いで駆け寄る。
「何かわかったのかな?」
「いや、いつも催促じゃねぇか? いつも遊んでるのにこんなときに役に立たないんだからって」
高い気味の悪い声でシリウスがリリーの真似をする。
「あー…シリウスも言われたんだ…」
それを疲れたように僕達は笑って見ていた。
「も、って事はジェームズも?」
「てことはリーマスもか。ピーター、君は?」
「え?僕はなにも言われてないよ?」
おかしい。なんでピーターだけ言われないんだろう。
「それより、読むよ」
宣言して、ピーターが声を掲げる。
「えーっと、役に立たない魔法悪戯仕掛人へ」
その一言で、さらに嫌になってきた。
「役に立たない、か」
「あいつがわけわかんねーのが問題あるだろ」
「ミオのせいにしないの、シリウス」
「続けて良い? えっと、ミオが見つかりました」
え?
「だからもう探さなくていい…ってあぁ、まだ読んでる途中なのに!!」
ピーターの手から手紙をシリウスが奪い取り、食いいるように見つめた後、ジェームズに渡す。ジェームズも読んでから、僕に渡した。文面は、たしかにミオが見つかったということだった。
それも、日本で。
「本当に帰りやがってたのかよっ」
「でもどうやって?」
杖はここにあるのに。まだ1年のミオは自分の箒だって持ってない。それなのに、どうやって。
「しかも明日には戻ってくるって?」
「いや無理だろ」
「お姉さんてどんな人かなぁ?」
小さくピーターが呟いた。
「お、ま、え、は! ミオが心配じゃねーのかよ?」
「いたいたいたいたいたいたいたい」
ピーターの頭を捕えて、こめかみの辺りを拳でぐりぐりと痛めつける。シリウスも実はちょっと珍しい。だって、ミオのお姉さんて、ミオから聞く限りじゃかなり凄い人みたいだ。それに年上専門なのに話に乗ってこないなんて、変すぎる。
「そういえば、姉が送りに来るってあるな」
「ホグワーツの誘いがあったのに、来なかったって人でしょ?」
「え、校長が振られたんじゃなかった?」
いわれたい放題である。
「何にしても、最初に見たいよね。ミオの姉」
ジェームズが言うのに、三人とも大きく頷く。問題はどこから出てくるかだけど。
「下から来るか、上から来るか、か?」
「いや、たぶん校長室だと思う」
妙に確信的にジェームズが言う。なにか根拠でもあるのだろうか。
「ないよ」
きっぱりと言い返されてしまった。
「でも考えてみようよ。ミオのお姉さんはあの白い鷹で手紙を送って来るんだよ?しかも魔法を解く方法がキス」
ミオの姉が送ってくる真白い鷹は有名で、だが日常となっていた。
それでも不思議であることには代りない。
「そんな人が、普通にホグワーツに来るかな?」
どうしてか知らないけれど、彼女は来られるらしい。ホグワーツの場所は誰にも知られていないのにどうしてなのかわからないけれど。そもそもどうやってミオが帰ってのかも僕らにはさっぱりわからないのだ。
「そこでだけど、僕が考えてることは、伝わったよね」
魔法悪戯仕掛人として、盛大に歓迎を。
「バレてるとは思うんだよね。うん」
「ゾンコのやつはどれだけ余ってる?」
「げ、俺ほとんどねぇかも…」
「期待してない」
きっぱり言われて、シリウスが意地やける。いつものことだから、放っておく。今から用意してどれだけ間に合うかな。
「今日は徹夜だぞ。寝るなよ、同志!」
「おー!」
しかし、なんでかシリウスだけ既に涙目である。しょうのない男だ。
21)姉は最強
(ミオ視点)
怒られる覚悟はしていた。でも、怒られない覚悟なんてものは全然なくて、すべてを知っているとでもいうように笑う姉に、私は何も言えなかった。
「大丈夫よ。おねえちゃんを信じなさいな」
言い出す前にそう言われて、強く微笑まれては何も言えない。
「あんたのおねえちゃんは強いわよ?」
「知ってるけど、でも」
「それに、あの人もけっこうやるわよ?」
あの人というのは、私のホグワーツ準備を整えてくれた人だ。その人はどうやら魔法族であるらしい。話してくれれば良かったのに。どうしてあんなに姉が私のホグワーツ行きを手伝ってくれていたのか、やっと合点がいった。
やはり知っていたのだ。
「それは知らないけど、そうなの?」
「デスクワークが専門とかって言ってたけど、大丈夫」
腕を見たことはあるらしい。
とにかく大丈夫といわれ、促されるままに外に出ると、その人とダンブルドアが話しこんでいた。
「逃げ帰ってきたわけじゃないみたいだから、今は怒らないでおいてあげる」
私を目線を合わせて言う姿が、とても怖い。でも、両肩を押さえられて動けない。
「今は…?」
風が髪を揺らして、邪魔をする。彼女の真っ直ぐな髪も流れる。 そうして微笑んでから、姉は背筋を伸ばして、ダンブルドア達のほうを見た。
「あ、ねぇ。アレある?」
「アレ?」
「こないだの仕事で、あんたが使ったやつ」
「だから、代名詞でいうなよ。どれのこと言ってんだ?」
「いきなり、建物から出れたやつ」
「ポートキーじゃな」
ダンブルドアが話に割り込む。私にはわからない。
「ポートキー…?」
小さなつぶやきは誰にも届かなかったみたいだ。
「そうか、それなら…君も回りくどいことをせずに来られるんじゃな…」
「え、ダンブルドア校長!?」
「は?」
「あまりミオに負担をかけすぎるのは問題じゃろ」
負担…?
「な、んだって?」
「あらーバレテマシタか」
バレ…?
ダンブルドア校長と姉の言っていることがよく理解できないのは、私の頭が悪いせいだろうか。セブルスのいうように、もう少しぐらい勉強しとけばわかっただろうか。
「おまえさんが楽しんでおるようじゃったからのー」
「それで止めなかったんですか」
「ふぉっふぉっふぉっ。ゴースト達もなかなか楽しかったようじゃよ。そろそろ姿を見せてやってはいかがかな?」
「えー」
楽しそうに笑う姉と、校長。それを不思議そうに眺めていたら、振りかえった姉の婚約者と目が合った。彼は私と同じように困ったように微笑んでいた。
(リリー視点)
ミオがいない。それだけで時間にぽっかりと穴が開いてしまうようだった。ホグワーツ内での変化は顕著で、ゴースト達の動きが急に活発になり、ビープスが所かまわず現れてくる。ミオが現れてから、出てこないのが日常だと思いかけていたけど、本当にそうらしい。
勘が鈍ったわ、私。
「ピーター?」
廊下の端に小さな影を見つけたけれど、彼は聞えなかったのかどこかに走っていってしまった。そういえば、悪戯仕掛人の面々にもここ最近会っていない。またなにかやっているのだろう。
「まったく皆で私をのけものにしてっ…面白くないったら…」
がたんと、通りかかった教室のドアが開いてジェームズが飛び出してくる。
「そんなっのけものにしているつもりはないんだよ!?」
「じゃぁなんでこそこそしてるのよっ」
優等生の彼の面が静かになる。静かで優しい微笑を浮かべる。こんな表情に騙されてしまう。
「それはっ」
開かれた口が次の言葉を吐き出す前に、その姿がずっと私から遠ざかった。引っ張っている黒い影は間違えようもなくシリウス。覚えてなさいって、いったわよね。前に。
「早いねーシリウスもジェームズも」
落ち着いた足音を立てて、声はわずかばかり後方から聞える。
「リーマス」
この人も魔法悪戯仕掛人の一員だ。何を企んできたのだろうと、杖に手をかける。
「もっともジェームズはリリーの前じゃ、口に鍵をかけられないみたいだからね。仕方ないよ」
ね、と超不審な笑顔を振り撒いて、なんのつもりなんでしょう。他の誰が騙されても、私は騙されてあげないわよ。
「知ってるわ。だから聞こうとしたんじゃないの」
一瞬、彼の面に淋しげな表情がよぎる。
「もう少しだけ、ジェームズに何も聞かないでおいてほしい」
どうして、とは聞けない空気を放っていた。
「いつまで」
「ミオが戻るまで」
ミオが戻る日なんて、わからないじゃない。だって日本に帰ってしまっているのに、帰ってくるのは1週間後?2週間後? そんなに私は気長じゃないわよ。
「ジェームズが言うには今夜にも着くんじゃないかって言ってたよ」
またそんな根拠のないことを。
「なんでも、ゴーストが騒がしいからだって」
「なによそれ」
なんだろうね?と笑って、リーマスは歩いていってしまった。私はそれを追いかける気もおきなかった。
なんなのよ、それ。どういう意味よ。
(ミオ視点)
終始お姉ちゃんは不気味だった。
「ミオ」
「はい」
「邪魔するんじゃないわよ?」
「……」
何を、とは、聞けない空気だ。さっきのアレもだけど、これも。
私たちはもう、ホグワーツに戻ってきている。石作りの偉大な城は相変わらずで、私がいないことなんてなんでもないように過ごしていたみたいだ。校長室に三人で現れてすぐ、お姉ちゃんは別の通路を使って校長室から出た。
お姉ちゃんは迷いなく歩いてゆく。鮮烈な赤に鮮やかなボタンの刺繍してあるチャイナドレスはホグワーツではとても浮いている。でもお姉ちゃんにはとてもよく似合っているので、それを言うかどうか悩んだ末に黙っておいた。
「どこに行くの?」
聞いてから聞かなきゃ良かったと思った。すごく愉しそうだ。真っ直ぐで硬質な髪が流れて、風をはらんで受け止める。
「もうひとりの元凶に宣戦布告するの」
向かう先は図書館で。どうしてお姉ちゃんが知っているのだろうと、ぼんやり考えた。夕食時なので、普段なら司書とほんの数人しか残っていないそこには、不自然なくらいに誰もいない。代りに空気が妙だ。
「お邪魔するわよ」
「どうぞー」
誰もいないと思ったのに、奥から声が聞える。本能が危険を告げる。姉の袖を引っ張る。
「大丈夫」
彼女はただ安心させるように微笑んだ。そうじゃない。ちがう。違うのに。会っちゃダメなの。ダメだよ。ねぇ。おねえちゃん。
「あなたが、リドル?」
奥のテーブルに座って、本を読んでいる少年に、お姉ちゃんは仕事用の声で言った。声が掠れている。少年が着ているのはホグワーツの制服だ。ネクタイの色は銀と緑のスリザリン。基本的に私は、スリザリンだからとかグリフィンドールだからとか、そういう区別は気にしない。セブルスが良い例だ。スリザリンなのにあんなに優しいもの。ジェームズだって、スリザリンよりずっと狡猾になる時がある。だからあまり気にしたことはない。
でも、見た瞬間に鳴り出した警報は変わらない。
「そうだよ」
振り向いて、リドルが笑う。赤い瞳を細めて、不吉を運んでくる。もうだめだと、それをみて思ってしまった。
「そう簡単に諦めてはあげないわよ、私」
水にゆるゆる溶かした赤い絵の具みたいな赤い瞳が、また本に戻る。
「私の未来は私が造る。誰にも邪魔させない」
「そう。頑張ってね」
気のない返事。でも、その奥に見え隠れする嫌な気配。
「…お姉ちゃん」
「亡霊になんて、負けないわ」
細い手を結んで、力のある言葉を唱える。強い力に包み込まれる。強さとは別の、優しい気配。癒されていくほどの優しい、空気。心地良さに目を閉じる。
「貴方だけには絶対負けない」
掠れる声は、強く放たれる。私は、意識を遠く運ばれる。その途中で、聞えた。
「話しちゃダメって言ったのに」
残酷な声がくるくると周って消える。とても愉しげで、とても切ない声だった。
(シリウス視点)
「ねえ、大変だ」
唐突にジェームズが呟く。突然なのはいつものことだが、
「なんだよ。まだだろ?」
「いや、ヤバイ。読まれてたのかも」
「何を」
説明もせずに走り出す。それを追いかける。
「おい、ジェームズ!?」
「リーマスにも伝えてこい、急いで大広間に!!」
「わかった」
よくわからないけど、道を逸れてリーマスのいる場所へ向かう。その途中で走っているピーターにも出くわす。
「ピーター、大広間だ!」
「わかったーっ」
そのすぐ後を、ビープズが追いかけて行く。どうやら逃げている最中らしい。…仮にも魔法悪戯仕掛人だ。自力でどうにかすんだろ。途中でリーマスとも合流できた。こいつも何か感じて大広間にむかっているという。
「だってシリウスは変だと思わなかった?」
「何を」
「ゴーストがいない」
言われてみれば、俺たち以外の誰も何も廊下にいない。
「みんな大広間に向かってるんだ」
瞳を輝かせ、リーマスは息を弾ませる。
「彼女が来るから」
「なんだそれ」
「シリウスは本当に何も感じないのかい?」
何もって、なんだよ。何があるんだよ。たしかにミオの姉ってのは聞けば聞くほど興味深い。ミステリアスという言葉がとてもしっくりきそうだけど、でも、ミオの姉だろ。しかももうすぐ人妻。
「そういうことを言ってるんじゃないんだけどなぁ」
「じゃあなんだ」
「ミオのお姉さん、すごい力の持ち主だよ。このホグワーツで一気に大広間近くまで飛んだ」
「は?」
リーマスの言葉を反芻してみる。
ーーこのホグワーツで一気に大広間近くまで飛んだ。
飛ぶといったら。
「箒じゃないよ」
俺の考えていることを見越して、挫かれる。
「でも姿あらわしも姿くらましも出来ないだろ?」
「うん」
ホグワーツでほかにできる移動方法なんてあっただろうか。
「たぶん全然別のやつ」
「別?」
大広間の扉が見えてくる。その前で、ジェームズとピーターが待っている。
「別ってなんだ?」
「本当に何も感じないのかい?」
愉しそうに笑って、リーマスはスピードを上げた。
「なに…」
「遅い!」
扉の前に着いたとたんに、ジェームズに一喝された。リーマスは深呼吸して、息を整える。俺はこれぐらいじゃ、まぁ、息はあがらねえし。それほど柔じゃない。
「もう来てるの?」
「まだだよ」
「でも近くにいるね」
「そ」
4人で足を揃えて大広間の中に入る。そこには何も気がついていない生徒たちが、夕食を楽しんでいる。不機嫌なのは2人だけだ。グリフィンドールのリリーと、スリザリンのスネイプ。あいつもミオのことが気にかかっているらしい。どういう繋がりでミオと知り合ったかは知らない。でもあいつも助けるだろ。ミオを。
グリフィンドールのテーブルに着くやいなや、リリーが口を開いて文句を言い出す前に、広間に風が吹き荒れた。
「きゃー!」
「うわー!!」
「なんだよこれ?」
突然の出来事に、辺りが騒然となる。そうして風が収まった後に、正面のマクゴナガルとダンブルドア校長の間のテーブルにひとりの女性が座っていた。
「これぐらいのことで騒いでもらっちゃ困るわねぇ、ホグワーツの生徒諸君」
赤いチャイナドレスを着て、艶然と微笑む。その笑顔にくらくらする。袖はゆったりとした白い布地で、その先から白くて細長な指先が覗いている。真っ黒で真っ直ぐで流れる黒髪を少し高い位置で赤い紐で結わえている。髪と同じ色の黒い双眸はよく動いて楽しんでいる。
誰かを彷彿とさせる。
「なるほど、派手好き、ね」
納得したとリーマスが頷いている。ジェームズも。
「変わってないわーっ」
乙女手で瞳を輝かせているリリーから一歩離れる。だって、なんか怖い。
こちらからずっと見えていなかった右手が挙げられる。その手にあるのは白い羽付きの扇子だ。それを優雅に開く。口元を隠して、恥ずかしげに名乗りをあげる。
「不肖の妹がお世話かけてます。私はミオ・カミキの姉です」
大広間中からどよめきがあがる。彼女はそれに満足したように扇子を閉じた。口元はやはり愉しげだ。
「今期は幾人かの皆さんに迷惑をかけてしまいましたようなので、ご挨拶にあがりました。それからーーゴーストの皆さんにもお礼を」
その先を続ける前に、ほとんど首なしニックが彼女の前に跪く。そこには各寮の他のゴースト3人も珍しく集まっている。
「それには及びません」
「あら、いいの?」
「貴方からなにかいただくなんて恐れ多い」
「そう?」
本当に、と彼女が浮かべる微笑に、ゴーストたちは震え上がったように見えた。
「ええ」
ほとんど首無しニックはそう答えてから引きつった笑いを残し、合図のようにゴーストたちは消えた。
「では生徒の皆さんに心ばかりの品を受け取っていただきましょうっ」
ぱちりと音がする。扇子を閉じた音だ。同時に手元にそれぞれ箱が現れる。それぞれ違う色の箱だ。
「中身は心がけ次第、かしら。それでは生徒諸君、テスト頑張ってね」
「おねーちゃん!?」
ミオの叫び声で慌てて顔を上げた時には、彼女の姿はなくなっていた。大広間の扉から真っ直ぐ教師席にかけこんでゆく姿。何日かぶりの姿に箱を取り落とす。元気に走っている。表情は焦ったものだけれども、それでも元気だというだけで安心した。入学当初よりも長くなった髪が肩で跳ねている。
「校長先生、おねえちゃんは!?」
「ほっほっほっ、ミオ、おぬしにもプレゼントがあるようじゃぞ」
放り投げられたその箱を両手でキャッチし、ミオは困ったような顔をして笑っている。
「もうしょうがないんだから」
その箱を高く放り投げて、呪文を唱える。
「
空中に浮かんだそれに、ミオは杖で触れる。そうすると箱が音を立てて変化して、ショートケーキになった。
あれ、ミオの杖は俺が持ってたはず。寮に置いてきたはず、なのに。
「へぇ、面白そう…」
隣でミオのまねをして杖を取り出すジェームズ。同じように浮遊術を唱えて浮かせて、杖で触れる。するとそれは真っ白なホールケーキに。ケーキの上で小人が輪を描いて踊っている。ピーターはチョコレートケーキだ。ケーキの上では楽器が好き勝手に演奏している。
そこら中で広がる甘い香りに、だんだん気分が…。どれも甘いお菓子ばかりなんだもんよ。嫌がらせかよ。
「リリー!」
走ってきて俺の横をすり抜ける小さな影を捕える。
「あ、シリウス」
「……」
あれ、何を言おうとしたんだったか。
「おかえり、ミオ」
「う、うん。ただいま」
困惑気味に浮かべる笑顔を、その時初めて愛しいと思った。
「シリウス?」
「悪ぃ」
やばい。甘い匂いで頭がガンガン痛い。小さな影が揺らぐ。
「シリウス!?」
視界の端に丁度リーマスが特大の五段重ねパーティーケーキを出したのを収め、もうだめだと悟る。心配しているミオに悪いと思いつつ、俺は意識を手放した。
こいつから香る甘い匂いは他のどれとも違って、優しい気がする。いつもの消えそうな甘く緩やかな花の香。あの夜の淡い桜の紅茶の香りが。
- 18)昼寝
なんだか久しぶりのエターナル更新! そしていろいろ変換の可笑しいMYパソ子!
いっぱいいっぱいですが、ハリポタの翻訳やってるので更に更新が滞ってます。申し訳ありません。
あー読者サマに見捨てられてないといいなぁ…(しゃれにならん。
(2003/07/04)
- 19)重なる恐怖
あ、主人公消しちゃった。
よくわからない話の運びでごめんなさい。そろそろ終らせようかと思います。
(2003/08/09)
- 20)行方不明
いろいろ(無駄に)考えて、姉を登場させること決定♪
魔法悪戯仕掛人vs主人公の姉! はてさてどちらに軍配は上がるのでしょうか?
(2003/08/10)
- 21)姉は最強
公開
(2003/08/15)