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書名:GS
章名:マスター

話名:the sound of FOOTSTEPs


作:ひまうさ
公開日(更新日):2003.7.12
状態:公開
ページ数:1 頁
文字数:5637 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 4 枚
デフォルト名:東雲/春霞/ハルカ
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義人同盟投稿

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p.1

 自分の足音がやけに耳につく日だった。

 普段はこれほど気になることなどないのに、どうしてか足音に敏感な日。

 足音が耳につくのは、たぶん緊張しているせいだとわかっている。吹奏楽部の発表の時だって、こんなに緊張しなかった。

 大通りを少し離れた場所に立っている、樹肌色のこんじまりとした小さな店の前で私は足を止める。

「まだ、開いてないか。当たり前だわ」
 小さなつぶやきに、自分でさらに呟いて、ノックしかけた手を下げた。硝子の向こうは暗くてよく見えないし、丁度目線の高さに「CLOSE」と手書きのプレートが揺れている。

 店の名前は「CANTALOUPE」という。マスクメロンの一種にそんな名前があると、辞書に載っていた。マスクメロンにそんなに種類があるのかと、ちょっと笑った。

 時刻は夕刻5時半を少し過ぎたところ。夏の始まる直前とはいえ、もう日も高くまだまだ明るい。もっとも、あと一時間もすれば、暗くなってくるのだろうが。

「でも」
 もしかして、開店準備で開いていたりしないだろうか。そうは見えないが、氷室先生の親友みたいだし。もしかすると、かなり几帳面で、責任感が強くて、もう開店準備なんてしてたりなんて――しないか。

 軽い気持ちでまわしたドアノブは、なんの引っかかりもなくまわる。

(……うそ…)
 腕に力を入れて、気持ちと一緒に押してみる。

「まだ開店準備中だぜ、れ…」
 楽しげな声がぴたりと止まる。

「あれ、君は」
 薄暗さの奥から聞こえてくるのは、間違えようもないマスターの声。早くその姿を捉えられるように数度両目を閉じ、深く息を吸いこんでから開く。そうした後には先ほどまでの位置にマスターの姿はなく、一瞬焦る。

 声と気配は、すぐ近くから聞えた。

「いらっしゃい、と言いたいところだけど、制服はちょっと」
 カウンター左の奥から声も顔も苦笑しながら歩いてくる男は、どことなく飄々とした雰囲気を醸し出しているが、どこか憎めない愛嬌が滲んでいる。

 つられた笑いを返しながら、一度帰って着替えたほうが良かったかと後悔する。今更、だけど。

「氷室先生かと思いました?」
「氷室?」
 一時、考えこんでから、そうか、と笑う。親友の苗字に思い当たらなかったらしい。その手に導かれるままに私はカウンター席へ案内される。

 椅子は高めで、足はつかず。気持ちも一緒に浮かんでいる。

「だって零一以外に開店前のこんな時間に来る奴はいないしね」
 カウンター内はディスプレイのようにワインの瓶が飾ってあって、異国情緒を醸し出す。だって、ラベルがほとんど英語とかフランス語とか…読めない言葉ばかりだ。

「一人できたのかい?」
「はい」
「見つかったら、零一に怒られるぜ」
「そうですね、見つかったら」
 合わさった視線は同じことを考えている。

「ま、見つからなければいいさ」
 言われた言葉は思った通りで、あまりに同じだったので、堪える笑いが声となってこぼれてしまった。

「あははっ」
「アイス食べる?」
 軽い音と共に目の前に置かれた縁の広いグラスに、白いアイスが丸く転がり、上から琥珀飴色のカラメルが網目状に無造作にかけられている。申し訳程度に乗せてある小さ目の枝つきチェリーが彩りを添える。

「わ」
 カラメル掛けがそれほど簡単でないのは知っているけど、無造作に見えて計算された美しさだ。やはり手先が器用だということなのだろう。

「いいんですか?」
「メロンじゃなくて悪いけどね」
 小さく添えられた台詞に視線を上げると、マスターはもう別な作業に移っている。

「いいえ」
 なにか他のことを言おうとしたのに、喉が詰まって、声をふさがれてしまったみたいだ。何故か、今、その笑顔が淋しげに見えてしまった。

「それ食べたら、帰りなよ」
 やわらかく言われたのに、拒絶されているようで心に深く突き刺さる。

 笑顔が、痛いと思ったのは初めてだ。

 変だと思ったんだ。同じなのに、違う。笑顔だけど、マスターがくれていたのは営業用の作られた笑顔。氷室先生と来た時とは全然違う笑顔。

 そんな顔を見たくて、来たわけじゃないのに。

 何かを紛らわすように口に含んだバニラのアイスは、甘いけど冷たくて、なんだかマスターみたいだ。表面上は甘いオブラートに包んでいるけど、でもその奥に冷たい殻を持って拒んでる。氷室先生と一緒の時だけ、その殻は開かれるのだろうか。

 急いで食べてしまってから、カウンターから出てくるマスターに近づく。

「アイス、ありがとうございます。手伝います」
 帰れという前に、台布巾を取り上げる。驚いていたようだけど、何か言われる前に私は視線を合わせないようにテーブルへ向かった。

 開店準備の基本は恐らく喫茶店と変わらないだろう。こんなところでアルバイトの経験が役に立つとは思わなかった。

 マスターは何も言わない。何も言わずに、自分はピアノの方へ向かう。

「零一のピアノ、聞いたことあるかい?」
「はい」
「…そう」
 短い会話はすぐに途切れる。繋げるのは、マスターの方からだ。

「良い音だろ」
「はい」
「普段はあんななのにな」
 笑ってごまかすつもりだったのだろうけど、澄んだ一音でそれは止まる。押したのは私。

「先生は普段も優しいです」
 最初は3オクターブ上のド。使うのは人差し指だけ。

「あぁ、そうだね」
 優しい音は氷室先生から響く小さな音色。聞き取れるようになったのはつい最近だ。普段から奏でている包み込む音色。

 同じ音はマスターからも出ている。

「君は、わかってるんだ」
 この意味がわかるのは、きっと世界中に何人もいない。このはばたき市ではきっと、私とマスターだけだ。

「ええ」
 低い音が店内に響く。

「あ、6時」



 帰らなきゃ、と続けようとした頬に柔らかな感触が触れた。



「そろそろ帰ったほうが良い。じきに零一も来る」
「え、あ、はい」
 カウンターから私の荷物を取って、渡してもらいながら、私は混乱していた。

ーーえーっと、今のは?

「手伝ってくれて助かったよ」
「いえ、こちらこそアイスご馳走様でしたっ」
「気をつけて帰ってね」
 躊躇なく閉められたドアを見上げ、私は呆然としていたに違いない。

 さっきのはなんだったのだろう。

 時を告げる音と共にあった、あれは。

 まさか、ね。まさか。うん。そんなこと。でもーー。

 踵を返そうとしたところで、誰かにぶつかった。夏も近いこの暑さだというのに、濃いグレーのスーツをきっちりと着ている人物に私は心当たりがある。

「ひ、氷室先生!?」
「こんな時間に何をしている」
 黄昏時は人の顔の判別はつきにくいというが、見なくても声でわかる。咎めるほどにきつい口調は怒っているけど、心配していると言った方が強い。

「何って、あの、そのっ」
 この店に一人で入ったことがばれたら、さっきまでのことを話したらきっと拙いことになると、直感が告げる。私より、きっとマスターが。

「なんだ?」
 言訳を思いつくまで、待ってくださいとは流石に言えない。

 でも、少しだけ、もう少しだけ冷静になれるまで待っていただけませんか。

 入るまではあんなに聞えていた足音が静かになっていたことに私は気がつかなかった。



 代りに聞えてくるのは、波瀾の恋の足音ーー。

あとがき

jazz bar CANTALOUPE ~義人の店の常連になりたい同盟~ 参加記念(笑。
つか、単純に久々に感想貰って嬉しかったから書いてみただけとも。


名前を呼ばれないドリーム小説です(オイ。
お題企画の中に『アイス』があったので、それを使ってみました。
つか、アイスが申し訳程度にしかないってっっ。
しかも、先生に捕まってるし。


えー…マスターエンディング計画発足(待て。
先生にバーに連れてってもらった(レモネード編)後日の話ってことで。
完成:2003/07/12