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書名:GS
章名:マスター

話名:赤いGLASS (Master ver.)


作:ひまうさ
公開日(更新日):2003.9.23
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:8133 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 6 枚
デフォルト名:東雲/春霞/ハルカ
1)
Master ver.

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p.1

 自分の足音と人の足音の区別をつけるのは簡単だろうか。それともとてつもなく難しいものなのだろうか。ただ、私がいまわかるのは、早くいつもの場所へ逃げ込みたいというコトだけだった。安心して、休める場所はあまりない。

 ノックもせずに、開いているかも確認せずに、私は蹴破る勢いで店内に駆け込んだ。夕日とはいえ、真っ直ぐ見ていたせいもあって、すぐにはその暗さに慣れない。明反応と暗反応という言葉が即座に浮かんで、曲げていた背中を叩かれて、びくりと身体を震わせる。

「はい、水」
「あ、りが、と」
 肩で息をしながら、中身をまったく確認せずにグラスの中身をあおる。冷たい液体が身体の中心をすぅっと通り、その勢いで酸素も一緒に飲み込んで、一瞬の間の後、一気に吐き出した。

「はぁ…っ」
 空のグラスを奪って、私の背を軽く押すのは、この店の店主だ。落ち着いたクラシックなジャズバー『カンタローペ』は彼、益田義人の店である。

 私は、その友人。まだ。

「今日はまたえらく急いでるね~」
 案内されるままにカウンターに座り、そのままテーブルに頭を置く。まだ呼吸は整っていないのは無理もないだろう。いったいどれだけ全力疾走したかしれない。高校の体育祭だって、ここまでは走ったことがない。

「もう一杯飲む?」
「お願い、しま」
「敬語はなし」
 します、と続けようとして、遮られ、ようやく笑みが零れた。同時に心にも余裕が出てきて、ぐるりと店内に目を向ける。

 こざっぱりとした店内はもう客を待つばかりになっていて、薄暗い室内燈にニス塗りの木机が鈍い光を照り返している。各テーブルにセットされた透明の灰皿も、磨き上げたばかりの光を放ち、幻想の灯りを生み出して、カンタローペに色を添えている。

「せんせぇはまだですよね?」
「うん、君が一番だよ」
 返答に満足な微笑みが零れる。それでこそ走って来た甲斐もあるというものだ。

 卒業して、交響楽団に入った私は毎週末をこのカンタローペで、零一先生と店主と過ごしている。まだ未成年だからお酒は出されないが、ここでこうして過ごす時間はとても楽しくて、唯一安らぐことの出来る時間でもある。

「これで10連続、せんせぇより先に来たことだし、ご褒美くれるでしょ?」
 水を出して、目があった瞬間に、目を細めて笑う。そうすると、店主はとても驚いた顔をしてくれる。いつもはその後にとても優しい顔をして笑ってくれるのだ。

 私はその笑顔がとても好きだ。いつもと違って、本当の笑顔みたいに思えるから。

「前にそう言いましたよね?」
「覚えてたのか~」
 そういう賭けだったし。

「ご褒美って、なにくれるんですか?」
 ぐるりとカウンターを回ってくる店主を身体全体で追いかける。そのままこっちに来ないだろうと予想し、椅子から飛び降りる。くやしいけど、カウンター席はまだちょっと高めなのだ。おかげで店主の近くまで近づけて嬉しいのだけれど、椅子から降りるととたんにその差が開く。

「あ、座っててイイよ」
「えー」
「ちょっと待ってて」
 不満の声を当てると、苦笑して奥の部屋への扉に消えてしまった。

 もしかしてもう用意してあるのかなと、期待しながら、すぐ近くの椅子を引き寄せて座る。机に肘をつくと、冷たい感触が伝わってくる。香りは真新しい木の匂いと、古い木の匂いが入り混じり、そこにさらに芳しい香りが混在する。

 切り出して、すぐに奥へ行くというコトは、すでに何か用意してあるのだろう。でなければ、もう少し困った様相を見せてくれるはずだ。

 店内を見まわしても、店主のセンスのよさは分かるというものだが、ここで私にとって重要なのはそんなものでは全然なくて、店主からもらうという点のほうがよっぽど重要だ。もし何もなかったら、ひとつだけ「お願い」を聞いてもらおうと思っていたけど、それは忘れておこう。

 木の扉の軋む音に思考を中断し、首を巡らせる。自然と零れていた微笑が、急に不可解な謎に捕われる。

「…マスターさん…?」
「たしかに約束は約束だからね。もったいないけど、これはとっておきの内緒だよ」
 小さな足音を響かせ、目の前を通って、テーブルにそれが置かれるのを困惑したまま見つめる。コルクの抜ける音と、グラスとソレが当たって、流麗な音楽を奏でる。空気を透き通らせる魔法を掛けられた私の前に、ひとつのグラスが置かれた。

「せんせぇ、に、バレませんかね…」
「あれ? ブランデー入りのコーヒーのが良かった?」
「そんな子供だましは要りませんっ」
 店主ももうひとつのグラスにソレーーワインを注ぐ。夕陽色のその液体は表面で灯りを照り返し、今この時をまた鮮やかに彩る。

「前に飲みたいって言ってたろ」
「でも、未成年…」
「零一みたいなコト言うなよ」
 グラスを掲げて、店主は何かを待っている。何をと聞くことはしなくても、わかる。

 指先でグラスを弾くと、キンッと涼やかな音を立てる。併せて中の液体が誘う。グラスの足を指先で持つ。わずかに浮かせたグラスはバランスが悪く、慌てて力を込めると中身がぐるりと目を回す。

「乾杯っ」
 差し出されるグラスに軽くぶつけると、店主は一気に飲んでしまう。私はーー私はまだ、迷っている。

 飲んだコトがないわけでは、ない。公演の後の打ち上げで、軽く口にしたコトはある(これは零一先生も知らないことだが)。

「あれ、気に入らない?」
「え、や、そーいうわけじゃ…」
 気を悪くさせたくない。折角用意してくれたのに。

 そんな気持ちでグラスを傾けて、目を閉じ、一気に喉に流しこんだ。するりと水と同じく、身体の芯を取りぬけてゆくソレは、夕焼と同じ味がする。

「どう?」
「…美味しい」
「だろ? なにしろ、これは…っと」
 私のグラスにもう一杯を注ぎながら、僅かにその手がぶれる。

「春霞ちゃんの生れた年に出来たものだからね」
 二杯目は、来る途中で見かけた公園の紅葉を浮かべる味がした。穏やかで、温かいけれど、少し淋しい気持ちが広がる。

「そう、なんですか?」
「零一に頼まれてね。探して来た」
「じゃあ、飲んだらバレちゃいますね」
 身体が少し、熱い。なんだろう。酔ったのかもしれない。まぁ、店主しかいないし、いいか。

 微笑んでみせると、店主も柔らかい微笑を返してくれる。それが嬉しい。穏やかで、温かい笑顔を持つ人だから、安心できる。

 店主も酔ったのだろうか、少し頬が赤い。

「バレないよ。あいつにはまだ言ってないから」
「そうなんですか」
 目の前が店主だけしか見えなくなる。この時間が永遠に続いて欲しいと、誰も壊さないで欲しいと願う。

「…いや、ごめん」
「もう1杯、いいですか?」
「いや、止めたほうがいいね。零一も、そろそろ来るかもしれないし」
「え~」
 その後に出て来た言葉に驚いたのは、店主よりも私のほうが大きかった。

「まだ来ませんよ、義人さん」
 店主の空のグラスに自分のグラスを併せる。ガラスのぶつかる音は、氷とはまた違う。堅い透明が響く。

「ね。もう一杯」
「…本当にお酒、弱かったんだ…」
「ねぇ、義人さんってば」
 なんでこんなに気軽に名前なんて、呼んでるんだろう。私。店主は絶対、呆れてる。わかっているのに、口が勝手に動いてる。

「零一が来るまで、奥で休んでおこう。ね?」
「もう一杯ちょーだいっ」
「立てる? 大丈夫?」
 腕を引っ張りあげられる。悲鳴をあげかけて、止める。

「ごめん、痛かったかい?」
「だいじょーぶっ」
 腕にしがみつく。店主の心臓の音が近くに聞えて、私の心臓の音はもっと煩い。触れられるだけで、こんなにドキドキしてるのに、店主は気がついていないんだろう。

 急にそれが哀しくなる。

 開けられたドアの向こうに引っ張られ、大きめのふかふかソファーに座らされる。ベージュのソファーのスプリングの反動で、身体が横倒しになる。なんだろう、ふわふわ身体が軽くて、イイ気分。ここは、店主と同じ香りがする。

「春霞ちゃん、水ーー」
 夢うつつに焦った声が聞える。

 私は何て返したのか覚えていない。

 でも、唇に何かが触れて、生暖かな液体が滑りこんで来た気がする。

 店主は優しい。とても、残酷なほどに優しい。

「…義人さん、大好き…」
 いるかいないかもわからないトコロで、ふらふらのふわふわのゆらゆらの場所で、幸せに呟いた。



p.2

 零一の元生徒で、零一の大切にしている少女だというのは、わかっていた。

 ずっと、この想いは明かさないつもりでいたんだ。だって、零一は不器用な奴だから、だからこそ幸せになってほしいと、親友として本気で願っている。

 無造作に床に置いたままのガラスのコップの周囲には水が飛び散っている。それは、堪えきれなかった罪か。それとも、抗えなかった罪か。

 酔わせてみたいという悪戯心だけだったのに、グラス2杯で簡単に酔ってしまった少女は、実に艶やかで。普段なら明確に真っ直ぐな視線は媚びない甘さを帯び、酔いのせいで普段より赤く色づいた口唇は艶めかしく、舌足らずになった言葉に心を乱される。

 なによりも少女だとばかり思っていたのが、こうも女なのだと魅せられては。

「……ん…」
 額にかかるピンクブラウンをかきあげて、耳にかけてやると、触れた指先が熱を伝えてくる。

 酔いを醒まさせるために水をもって来たのは俺なのに、ソファーで眠る姿に誘われて、つい。

「て、最低じゃん。俺」
 つい、触れたくなってしまって。

 口移しで、水を飲ませるなんてことをしてしまった。今まで付き合ってきた女にそんなことをしたこともないのに。

 唯一の救いは、その後の寝言。だろうか。

 親友には悪いと思いつつ、こみ上げてくる衝動は抑えがたい。

「なあ、俺、本気になってもいいかな…」
 先程の口付けのせいでまだ艶の残るそれに、自分を重ねる。

 本当は知っているんだよ。春霞が零一を振ったこと。知っていても冷たく出来ない。零一に言われたからとかじゃなく、その視線が俺を追ってきてくれているのを知ってるんだ。

 でも、君はずっとそれを隠していくものだと思っていたから、正直、名前を呼ばれた時は驚いた。酔った勢いとはいえ、まさか呼んでくれるとは思わなかったから。

 賭けをしよう。

 君が起きてから、さっきのことを覚えていたら、俺の気持ちを伝えるよ。覚えていなかったら、俺ももう少し知らないフリをしておく。

ーーそんな賭けを。

あとがき

さて、どうしたもんか…。マスター常連同盟(略)の主催者サマ。いりませんか?<聞くなよ。
なんか『紅葉』テーマで書こうとしたら、何故か先生の赤グラスと別バージョンに。
不思議マジックですかね。でも実は自分でちょこと気に入ってたりして(笑。
別名『マスターに襲われる』話<ぇ。


(2003/09/23)