むかしむかしあるところにひとりの小さな女の子がおりました。
「…っ…っ」
大きな目にいっぱいの涙を溜めて、とぼとぼと歩いているのはいつのまにやら迷い込んだ深い深い森の中。
お空はだんだん暗くなってくるのに、女の子は自分の家へ帰る道がわからなくなってしまったのです。
「…ママ…パパ…」
何度も目をこすりながら歩いていたので、顔も瞳も真っ赤になっていました。
それでも女の子は立ち止まる気配も見せずに歩いていきます。止まったら、なにかとても怖いモノにつかまってしまいそうだったので、どんどん早足になって行きます。
「なっちゃん…たまちゃん…みぢゅきちゃん…しほちゃん…」
おともだちの名前を呼んでもさっきわかれたばかりです。みんなお母さんが迎えにきてくれたのです。ただ女の子のおうちはもうすぐあかちゃんが産まれるので、おかあさんは検診に出掛けているのでした。
「おうち…帰りたいよぅ…」
西の空は真っ赤に焼けて、こんがりトーストの匂いがしてくるようでした。
「おなか空いたよー」
泣きながら歩いていても誰も通りかからない深い深い森の中では誰も助けてくれません。
「……っ」
木の影がだんだんカタチを変えて襲ってきそうで、女の子は地面を蹴って走り出します。何度か転びましたが、痛いよりも暗くなってくる森のほうが怖くて、ただひたすらにまっすぐ走りました。
どのくらい走ったでしょう。
疲れ果てて、辺りもすっかり暗くなった頃、女の子は森を抜けました。
「はぁ…っはぁ…っおうち、どこ?」
そこは真っ白な壁の綺麗な一軒の家が立っていました。見たことの無い綺麗なおうちの扉は女の子のおうちの玄関をもっと高くして、ふたつくっつけたぐらい大きいです。
昨日おかあさんに読んでもらった絵本にこんな絵が出ていることを、女の子は覚えていました。
「教会には、天使様がいらっしゃるのよね」
女の子はもう泣くのを止めていました。それよりもここに天使様がいるんだということにとてもドキドキしてしまって、会ってみたいと思う気持ちのほうが強くなって。
呼び鈴はないので、女の子はいつもお母さんがするように軽くドアをノックしてみました。けれど、おかあさんがするような綺麗な音が出ません。
次はもうすこし強く叩いてみました。
「こんにちはーっ」
しばらく待ってみましたが、返事はありません。
「ん…っしょ」
精一杯背伸びして、少し高いところにある取っ手にぶら下がりながら、一生懸命ドアを開けました。
鍵のかかっていないおうちには、やわらかくて穏やかな空気が流れていました。
「だれか、いらっしゃいますかー?」
女の子の声は教会の奥へすぅっと消えてゆきます。
「わたしは東雲春霞といいます」
「はばたきほいくえんのばらぐみです」
扉の前の女の子が自己紹介をしているずっと先は、上から光が零れて、硝子をきらきら輝かせています。
「おうちがわからなくてこまっています」
じわりとまた涙が滲んできました。
「ママのおうちに帰りたい…」
そこはとても優しい場所でしたが、それでもやっぱり女の子はママのいる温かい家に帰りたいのでした。
「うぇ…っ ママーっパパーっ」
とうとう女の子はその場に座り込んで、大声で泣き出しました。
そのときでした。
「どうしたの?」
女の子が顔を上げると、金色の髪に緑の綺麗な目をした男の子が歩いてくるところでした。大きな本を抱えていますが、しっかりとした足取りで歩いてきます。
でもなによりその男の子が光り輝いているように見えて、女の子は小さく「天使様だ」と呟いていました。涙はまた休憩です。
「なんで泣いてるの?」
声もとっても透き通って、女の子が今まで聞いた中で一番綺麗な良く響く声でした。
「てんしさまだ…」
2度目の呟きは男の子にも届いて、彼はにっこりと優しく微笑みました。
「ちがうよ」
「んんん! ぜったいてんしさま!!」
「ぼくは葉月珪ってゆーんだよ」
「にんげんかいでのおなまえなのね!?」
「だからちがうってば」
「だいじょうぶ!わたしくちはかたいほうなのよ」
頑として譲らない女の子の手をとると、彼女は目を大きく見開きました。
「ぼくはふつうの人間だよ。ね?」
「う、うん」
そのとき、女の子には男の子が天使様よりももっと近いモノに思えました。
「えと、じゃ、おーじさま…」
「だったら、きみがおひめさまだよ」
「わ、わたし?」
「おひめさまはどうしてそんなに泣いてたの?」
「えと、あのね」
そうして、女の子と男の子に物語りは始まったのでした。
緑の道を歩くのは大きめのバスケットを下げた一人の女性。着ているのはパステルカラーの爽やかな印象を受けるブラウスにフレアスカートで、歩くたびにふわりふわりと揺れる。足取りは軽く、向かう先は白い小さな教会で。
扉の前に立ってから彼女は軽くドアをノックした。
「珪君、もう来てる?」
中から返事が聞えてこないので、春霞は首に下げた鍵を手繰り寄せ、鍵穴にさしこんだ。
鍵はカチリと小さな音を立てて、彼女を招き入れた。
昼の柔らかな陽光が差しこんで、ここはいつも穏やかだ。
ゆっくりと中央へ進みながら、くすりと彼女は微笑む。
「何…笑ってんだ」
何時聞いてもどきどきするハスキーな声は、祭壇から一番前の右側の席から聞えた。
「来てたの?」
「…寝てた」
影がまた椅子の背に隠れるけれど、目当てにまっすぐそちらへ向かう。
「また遅くまで工房にこもってたんじゃないでしょうね?」
「…帰った」
「何時に?」
「………」
どうやらまた無理をしたらしい。
「モデルやってたころのが規則正しかったんじゃない?」
「…そうか…?」
「あの頃のがよく寝てた気もするし」
「……あぁ…」
椅子の正面にまわると、もう珪君の目は閉じている。
「楽しい?」
「…そうだな…」
「ならいいけど」
珪君がモデルをやめると言い出した時、みんなが反対した。マネージャーにもカメラさんにもファンの子達にも頼まれた。続けるように説得してくれと。
でも、私は珪君が何をやりたいのか知っていたから。それを応援してあげたかったから、止めなかった。
「春霞」
「もうちょっとだけ、寝かせてあげる」
「…悪い」
いつもの位置に座ると、いつもどおりに膝に珪君は頭を乗せてくる。最初は照れたけど、なんだかこの方が安心できるっていわれちゃうとそんな気もしなくなってくる。
珪君本人は自分が変わったなんていうけど、あどけない寝顔はずっと変わらない。
いつまでも私が一番大好きで大切な人だってことは変わらない。
「夢…見た」
「んー?」
眠そうにつむがれる言葉はすとんとココロに落ちてくる。
「初めてあった頃のこと」
「…高校の時の?」
「いや、その前」
春霞は最初に会った時のことはまだ思い出していなかった。それでも、珪君はいいと言ってくれたけど、夢で思い出すのはいつも最初のお別れのときのこと。約束の夢。
「おまえ、あの頃から変わってたな」
「そう?」
心地良い振動が伝わってくる。
「春霞」
「ん?」
腕が伸びてきて、引き寄せられる。
「愛してる」
「私も」
覚えていても覚えていなくても、何度出会っても、何度も恋をして愛を知る。
それは遠い昔の約束どおり、永遠に続くラブストーリィ。
自由リクエストで翠嵐サマから頂いたお題で、『葉月とのラブストーリー』
調子が出てんだかないんだか…。リク消化力高いうちに消化しよっと。
前半部分でやめようかなとも考えたんですが、
それじゃラブストーリーの『ら』も始まってないので(笑。
翠嵐サマ、素敵なリクエストありがとうございました♪
完成:2003/07/23