報われないと知っていても、何かをしてあげたかった。私には時間がないから。
生れた時に、二十歳までの命だと言われたと聞かされてきた。それはどうしようもない天命なのだと。違えようもない事実なのだと。見た目だけならば、どこも悪くないのに、どうして私だけがと世界を呪ったこともあった。
そうして、ホグワーツに来て彼に出会った。
鳶色の髪はやわらかで、ふわふわ風に流れる笑顔は甘いショートケーキで。見ているうちに気がついた。彼が人狼なのだと。不思議と怖くはなかった。人狼でも何でも生きられる時間が決まっているわけじゃない。だから、彼も私にとっては普通で。その普通の中で、いつしか恋に変わった。
人の想いというのはどうにも計りようがないのだけれど、いつのまにか私は彼に自分の残りの生を生きて欲しいと思うようになっていた。自分の分もなんて、卑怯でしかないけど、でも、生きて、笑っていて欲しいと願った。
こんなのスリザリンらしくないかしら。それでも一向に気にしないのだけれど。だって彼は、リーマス・ルーピンは敵対寮のグリフィンドールだ。敵寮に好かれようなんて思っていやしない。
切り刻んだばかりの樫の実を無造作に鍋に放りこんだ時、ドアに人の気配が現れて。
その人はドアを開くと同時に「馬鹿者」と言った。大声というわけでなく、つぶやきほどには小さくない声は、地下教室によく響く。
「遅いよ、セブルス」
「手紙で寄越すより直接言ったほうが早いと思わないのか」
「本に夢中で聞かないでしょーが」
小さくイチ、ニ、サン…、と秒読みしながら、差し出された小瓶を奪いとって月の光にかざす。瓶の中にほんの一滴しかないそれが生き物のようにチャプンと跳ねた気がした。
視点をそのままに鍋の火を止める。
「よく見つけたわね」
コルクを抜いて、逆さにする。滑り落ちる水滴はゆっくりと鍋に吸いこまれてゆく。
「薬草学の教授から拝借して来た」
「あらーじゃぁ返さなくちゃいけないの?」
「いや」
二人の視線は静かに水滴を追う。
一滴が波を作り、鍋の中全体に広がる。それはとても聖なる気持ちを広めていって、私の世界も一緒に連れていってくれて、全部の気持ちを流してくれそうな気がした。
「…いつもごめん」
「いや」
遠くなる意識の端で小さく見えたセブルスの姿は、とても遠いのに近くで微笑んでいるような気がした。
意識は遠くとおくトオク…
越えるのは時間と空間と…それだけでいい。
降り立つのは元どおりの暗い地下教室。待っているのは、セブルス1人。
「こんばんわ」
彼は振り向かない。その背後を通りすぎて、私は教室を出た。
月が高い。でも、まだ満月じゃない。
教室の一角で足を止める。そこに、ある人がいる。
「こんばんわ」
ここでは声は聞こえない。ただ焦燥の募る乱雑な音だけが聞えてくる。
「あと少しなのに…っ、何が足りないんだ?」
部屋に散らばった羊皮紙は数えるのもうんざりするぐらい大量で、そこに書いてあるのはすべて何かの魔法薬の計算方式で、私は彼がどうしてそんなに必死になっているかなんて知らない。
「まだ進んでないのね。1ヶ月後に設定できてなかったのかしら」
覗きこんだ鍋の中は深い緑の森の色。魔物の出そうな暗い色。だけど、それは私を助ける光でもある。
「銀の角の粉? なにこれ…方向間違ってきてるじゃない」
羊皮紙を踏みつけて歩いても、何も起らない。何の音もしない。
「あーぁ。やっぱりセブルスのが上か~。やなのよね、勘よくって」
彼を残して教室を後にする。そうして、残された時間を私はセブルスと過ごすのだ。十年先の未来のセブルスと。
最初は単純に未来であれば方法が見つかると思ったのだ。希望的観測と言う人もいるけど、それでも私は諦めずにはいられなかった。セブルスには、秘密の研究と誤魔化しているが、彼なりに予想はついているかもしれない。元来、勘の良い人だから。
「でも、さっきみたかんじじゃ、こっちも進んでないしねー」
地下教室に戻って、その辺の机に座る。セブルスは一瞬こちらに視線をやり、向き直って歩いてくる。私はただ、静かに呼吸する。
「ねぇ」
声は、届かない。
「どうして、セブルスなのかしらね?」
彼は通りすぎて、影になる。私も振りかえらずに外を見る。
「どうして、セブルスがやってくれてるのかしらね?」
月の光に身体が透ける。光がどんどん透き通って、ただ消えて、戻る。
未来でここで研究しているのは自分だと思っていた。でも、そこには私がいなくて、世界のどこにもいなくて、ああそうかと納得してしまった。ふとすると忘れそうになる時間。こうして思い出させる辛い時間。
私には時間なんてもうあまり残っていない。
パタンと本の閉じる音と、時計の秒針が重なって時を告げる音で私は目を覚ます。寒さに身震いする。
「そろそろ気が済んだか?」
「ぜーんぜん」
笑おうとしたのに、腹から吐き出された空気は短く止まった。こぽりと、音がする。
「無理をするなといっても聞かんだろうが、今日は休め。教師にはいっといてやる」
「やーさしいの」
でも。
「そんなのしなくていいよ。授業出るし」
「休め」
「嫌。なによ、そんなに私の成績が上がるのが嫌なわけ? 心狭っ 知ってたけど、すっごい狭っっっ」
ごんとすごく良い音が耳に響いた。本の角でふつー女の子の頭を殴りますか。
「そこまでして、あの馬鹿どもに会いたいか」
心配と怒りを含んだ声は、やさしさという液体に混ぜられる。
「…ええ」
会いたいかといえば、会いたい。でも、私は素直にはなれないから、きっとなにかやらかすとは思うけど、それでも。
「羨ましい?」
もう一度叩かれたけど、今度はさっきより強烈だった。からかい過ぎたらしい。
会いたいと思える人がいることが何よりも大切で。会いたいと思える人が生きていることが大切で。私はそれ以上に望むものなんてない。
「大広間に行くか?」
「地下教室」
「夜と授業だけにしておけ」
言葉はずっと前から突き刺さったままだ。その棘を抜いてしまえば、きっと自分は死んでしまうと思う。
「はぁい」
くすくすと笑いを撒き散らしながら、私はスリザリン寮のドアから出ていった。
好きな人は敵対寮なんて、ロマンチックでもなんでもない。ただ普通より少しだけ彼の意識に滑り込んで、いつか忘れられなくしてあげることだけが私の望み。願い。
魔法が使えたって、どうにもならないことがいっぱいある。私はねぇどうしたらいい?
どうせ未来に私がいないのならば、せめて忘れないように引っ掻き回すぐらい許してよね。
「ちっ」
盛大に起きた音に、私は舌打ちする。引っ掛けようと思ったのはシリウス・ブラックじゃないのに、どうして彼がかかるんだろう。
「まただよ。まただよ、あの女!」
しかも正体バレてるし。
「またなんであなたがひっかかるのよ、シリウス」
呆れた声で上から言ってやると、4人がこちらを見た。
「そんなんじゃ、今年の寮対抗杯はうちのモノね」
「それとこれはかんけーねー!!」
「にっぶい選手抱えてると苦労するわねぇ、ジェームズ・ポッター」
「そうなんだよねー」
フォローする気のない返事に、シリウスが涙を目の端に溜める。なので、上から水をぶっ掛けてやった。バケツで汲んでおいた綺麗な水だ。
「ごっめーん。手が滑って…」
あ、睨んでる。
「リサ、わざとじゃなくて?」
「もちろん」
水をかぶったのはシリウスだけで、三人ともとっさに避けたらしい。
「わざとよ?」
まったくもって良い友人達である。
食事を終えて、すぐに私は向かう。そこに誰か人がいたことなどない。地下教室にわざわざ来るモノ好きはいない。
私とセブルス以外は。
「よぉ、遅かったな」
でも他の誰がいても全然不思議じゃないとは思っていたけど、まさかシリウスがいるとは予想外。
「夕食は?」
「食べた」
「補習?」
「あると思うか」
「じゃ、罰掃除」
「だったもっと別な場所やらせるだろ」
「へぇ?」
そんなこと知るか。
机に座っている彼の前を通り越して、いつもどおりに道具を準備して行く。
「なぁ」
「邪魔」
「まだなにもしてねぇよ」
「存在が」
嘘はついていないが、それなりにへこんでくれたかと思ったのに、意外にも彼はニヤニヤと笑っていた。
「何しに来たの」
「答えを聞きに」
「何の」
なにか誰かに言付かっただろうかと考えこんでも、何も思い当たらない。
「リーマスは無理だと思うぜ。あいつ、そーゆーのにはとことん鈍いんだ」
あぁ、と。
なんだか何しに来たのかわかったので、もう私はそれを追及するのは止めた。
「それでいいのよ」
「なんで?」
「別にリーマス・ルーピンとどうこうしたいってわけじゃない。あの人が本当に笑っていられるならそれでいい」
呼び寄せ呪文でいつものようにいつもの材料袋を引き寄せる。手元に現れるそれを掴む手は、なかったけれど。
「本当か?」
「たまに私を思い出して笑ってくれるなら、それでいいの」
痛いぐらいに強く握られた腕を振り払い、不敵に笑ってみせる。それだけで、彼は何を思ったのか、一番近い机に座った。
「スリザリンらしくねぇの」
「私もそう思うわ」
昨夜見たばかりの材料で、羊皮紙に盗み見た作り方で、私は魔法薬を作り出す。
「いっつもなんか作ってるけど、なに作ってんだ?」
「ひみつ」
「媚薬とか?」
「そんなもの欲しいの?」
「心が手に入るなら」
ふと振り向くと、視線に射抜かれそうだった。笑っているのに、鋭い視線が痛い。
「あなたならいらないんじゃない?」
返した声は何故か震えていた。どうして、私がこいつに怯えなければいけない。
ふっと小さな笑いが聞えた。
「かもな」
そうして、私は風に噛まれた。
「また来る」
「…お好きにどうぞ」
呆然と呟いて彼が出て行くまで私はそのままだった。
引っ掛けたかったのはリーマスなのに、変なのがかかっちゃったわ。触れた唇はずいぶんと冷たかった。
扉からセブルスが入ってきても、その骨ばってごつごつした手が目の前で振られるまで、私は自分の唇に手を当てたまま動けなかった。
「どうした?」
「…犬に噛まれた」
「そうか」
淡々としたモノだが、セブルスはこれが普通だ。心配するセブルスなんて気味が悪い。
シリウスは嫌いではないけど、好きでもない。犬に噛まれたと思えばどうってことはない。
「完成したか?」
「…ええ。あとは実験できればそれがベスト」
「実験、か」
鍋の中を見てセブルスは顔を顰める。
「普通の人間ならば影響はないのか?」
「さぁ?」
まさか本人に人体実験を迫るわけにはいかない。
「必要なのは人狼の血か?」
「ええ」
幸い1週間で満月が来る。
「今回は1人でやるわ」
「いいのか」
血を流させなければいけないということは、つまりは傷つけなければいけないということか。
これ以上、セブルスに迷惑をかけるわけにはいかない。
「ええ」
憎まれるのは私だけで良い。
これだけ協力してもらっているのに、私は話していないことがある。未来に私がいないことを。人狼化を戻す薬を未来のセブルスから盗んでいることを。
「ごめん、セブ…」
「あやまるな。もう決めたのであろう」
「うん。ごめん」
謝らずにはいられないけど、真実は話せない。あなたは大切な親友だから。
「ごめん、セブルス」
いらいらした空気が伝わってきて、私はまた繰り返した。視界がぼやけそうだった。
なにもない1週間が過ぎた。私は誰とも話さず、ただリーマスだけを見つめていた。どこか翳りのある笑顔は満月が近づくと共に色濃くなる。
他のなにも目に入らなかった。
シリウスが話しかけてきても無視して、ただ静かに見つめている私を、学校中が怪訝そうにしていた。それも1週間もたつと収まってくる。
「セブルス」
「なんだ」
図書室で静かに本を読む彼の前に座る。一瞥しただけで、なにも言わない。リーマスなら微笑んでくれるところだろうか。少し困ったように。
「私が死んだら悲しんでくれる?」
「やめろ」
本が閉じた。珍しい。
「嘘でも冗談でも言うな」
強い口調に癒される。心配してくれてありがとう。
でも、いつかの未来に私はいない。
「ごめん、ありがとう」
そのまま図書室を後にした。
柔らかな陽射しの差す木陰で、居眠りをした。
うとうとと、うとうとうとう、うとうとと。
「リサ」
愛しい響きだった。すぐ近くで聞きたかったから、きっと幻聴だと思った。
「寝てるのかい?」
返事をすることなんて、できない。息も苦しい。胸が痛い。
そばにいたいと願ったのに、自分のいない未来を知った時、そうできないと悟った。だったら、リーマスの側にいなくても助けたいと願った。抱えきれない願いは持てない。だから、一番近い未来を叶えることにした。
あなたが本当に笑っていたれるように。これ以上傷つかないように。
「セブルスから聞いたんだ」
嘘だ。とっさに思う。彼はああみえて口が堅い。
「リサを止めてくれと言われた」
そんなことをグリフィンドールに頼む人じゃない。
「もしかして、それとこの1週間は関係あるのかな」
1週間は決意の時間だった。どうしても必要だった。
「リサは知ってるのかい、僕の…」
風が流れて、音が消えた。
「あなたはなにも気にする必要はないわ」
口が勝手に動いていた。話さなくてもいいことまで話してしまいそうだけど、止めたくなかった。
「私が好きでやってることよ」
「薬は完成してるの?」
「してるわ。だから、邪魔をしたら殺すわよ。シリウス・ブラック」
強く剣を含ませて睨み返す。すると、姿が溶けて、鳶色の髪が漆黒になり、瞳も深い灰色を灯した。
「なんだ、ばれてたのか」
「あたりまえでしょ。リーマス・ルーピンが私になにか言うわけないでしょ」
まったく無関係な私に。
「ああ、だから俺が来た」
許可なく隣に座るシリウスに私はなにも言わなかった。言うべき言葉なんて、持ち合わせていない。
「おせっかい」
「わかってても何かしてやりたいんだよ」
「誰に?」
「リサに」
「どうして」
なぜこの男はこうも私を構いたがるんだろう。
「…まだ気づいてないのか?」
「なにに」
深いため息を手で追い払う。
「俺がリサを好きだってことに、だ」
そんなものに気づいて何になる。
「私が好きなのは、リーマス・ルーピンよ」
「知ってる」
「殺したいぐらい、愛してる」
「その表現はなにか間違ってるぞ」
普通の愛してるじゃ足りないぐらい、愛してる。そんな言葉は照れもなく出てくるのに、隣にいるシリウスのほうが照れてるみたいだ。
「あなたに言ったんじゃないわ」
「っわかってるよ」
追い討ちをかけると、即座に拗ねてみせる。別にどうでもいいが、廊下の視線が気になる。こいつはこんなに馬鹿だけど、それでも人気は高い。こんなんのどこがいいのかしら。
たちあがって土を払う。
「もうすぐ満月ね」
なんとなく言った一言に、静かな警戒が伝わって来た。
「シリウス・ブラックも嫌いじゃないけど、やっぱりリーマス・ルーピンしか好きじゃないわ」
歩きさって行く間、背中に感じた視線はとても哀しげだった。
(リーマス視点)
彼女が去ったあと、木の上から僕らは飛び降りた。
「シリウス、生きてる?」
「だめだ。振られなれてないから、しばらくこのまんまだろ」
「かわいそー」
僕がひらひらと目の前で手を振っても、彼は固まったまま動かない。
「シリウスの変身が見破られるとは思わなかったけど、よく僕達に気づかなかったな」
「そっちのが確率高いと思ったんだけどなぁ」
本当に彼女にとっては他のなにもどうでも良いことなのかもしれない。
セブルスが僕達に言って来たのは本当だった。内容までは教えてくれなかったけれど、いやいやながら頼んできた。彼にはとてもありえないことなのだけれど、それ故にリサを大切にしているのだということが伝わってくる。
「愛されてるねーリーマス君」
「…うん」
先ほどの台詞に顔が熱くなってくる。
『殺したいぐらい、愛してる』
もちろん好きだとか言われたことがないわけじゃないけど、まさか愛してると言われるとは思わなかった。リサのことは好きだ。たぶん、彼女と同じ気持ちで。
でも、僕は人狼だから。一生隠していくつもりでいる。
「どうして「殺したいぐらい」なんだろう?」
ピーターが不思議そうに言った。
死ぬほどとか、殺されても良いとか、いろいろあるけど、なぜ敢えて彼女は「殺したい」と使ったのかがわからない。
「セブルスの感じじゃ、リサは死ぬ気だとか言ってたよね?」
「もしかして、リーマス、君を殺しに来るとか?」
「あはは、まさか」
笑って返したのに、みんな神妙にしている。
「襲いに来る、とか」
どうにもしゃれにならない気がしてきた。リサはいつも手段を選んでこない。どんな手を使っても仕掛ける時は仕掛けてくる。
「まさか」
だったらいいなと、少しだけ考えた。
そのまさかが起きるとは思わなかった。しかもよりによって、こんな晩にこんな場所で。
「あら、塞がれちゃったわね」
極軽い口調に、僕は激昂しそうだった。満月で血が騒いでいるせいというより、どうして今と。
「お先にお邪魔してるわ、リーマス・ルーピン」
「なんで、君がここにいるんだ!」
「叫ばなくても聞えるわよー。あなたも一本どう?」
ほんのりと頬を染めて、ブラウスのボタンを3つも外して、だらしないのに彼女は綺麗で。差し出した手を掴んだとたん、瓶が落ちて割れた。
「もったいなーい」
「じゃなくて、リサ、どうして…っ!」
だめだ。マズイ。今はダメだ。
「会いたいから」
顔を引き寄せて、彼女は瞳を潤ませて囁く。
「どぉしてもっ欲しいものがあるから、かしら」
「そんなのあとでいくらでもあげるよっでも、今はっ」
「今じゃないきゃ手に入らないものが欲しいのよ」
声は静かだった。とても。
酔っているわけではないのかもしれないと考えかけたが、すぐさまそれは否定された。
「人狼の血が欲しいの」
静かだった。
「どうして」
焦る心と相反する冷静な感情に、僕は泣きたくもなってくる。
「セブルスはどこまで話したの? 私の実験のことは聞いた?」
月明かりの下、魔物のように妖しく瞳が輝く。
「実験?」
「聞いてないなら別にいいわ」
なんといっていたっけ。彼は。
「人狼化…を戻す薬…」
なんだと笑う彼女は泣きそうだ。
「聞いてるんじゃない」
「それで君を止めてと…」
「出来るの、リーマス・ルーピンに」
僕がリサを止める、?
「君の気持ちは嬉しいけど、僕は」
「そのままでいいなんて言葉は聞かないわよ」
「リサっ」
「リーマス・ルーピンにはよくても、私には良くない」
リサは屈まずに割れた瓶の欠片を蹴り上げた。その手に欠片は弧を描いて収まる。あまり行儀のよい行動ではないけど、今の僕に背を向けるのもまた、得策ではない。
「腕を」
「いやだ」
あとづさる。逃げるべきは彼女のほうなのに、どうしてか僕が。
「早くしなさい。殺しはしないから」
ふっと微笑んだ姿は、どこか聖人を思わせる。
「私も死にたくはない。血をもらったらすぐに出るわ」
でも、彼女の居る場所は月が、見える。
「早く」
早く、逃げて。
「血を貰ったらね」
彼女が近づいてくる。だめだ。やめろ。まだ出てくるな。
「手を」
「にげ、て」
「ええ、だから」
月が僕を狂わせることを、今ほど憎んだことはない。
「ごめん」
小さな謝罪はどちらのモノであったのか。それともどちらとものモノであったのか。
(リサ視点)
気がつけば、ベッドの傍らでセブルスが怒っていた。
「大馬鹿者が」
「ごめん」
「心配したぞ」
「ごめん」
「二度と、やるな」
「………うん」
そのあと、力いっぱい頭を叩かれた。
リーマス・ルーピンには避けられるようになっていた。いや、避けていたのはどちらだろう。私は故意に罠を張って、不特定多数の誰かがかかるのを愉しむぐらいしかやることもなくなっていた。
満月が近づく。私は、禁断の森へと向かう。
「付き合わんぞ」
「ええ」
薬は飲んだ。大丈夫だとしても、もしもを考えて、人のいない場所を考えた。禁断の森の奥深くに深い深い洞があると、ハグリットに教わった。
森は暗いけれど、怖くはなかった。遠目に私を伺う魔法生物達。
血が、騒ぐ。
「なぜお前はここにいる」
一頭のケンタウロスが前に立ちはだかる。
「人間に関わらないようにとか言われていないの?」
「だが、おまえは…」
「人間よ、まだ」
まだ。
傷が疼く。
「用があるのは洞だけよ。一晩だけだから、見逃して」
「本当か」
「本当よ」
それだけで納得したのか、彼は4本の足を蹴って走り去っていった。心臓が痛い。
「ひとりって、淋しいね。リーマス・ルーピン」
息が荒くなってくる。疲れたからではない。身体中で悲鳴が聞える。
「失敗、かしら?」
先に実験してよかったかも、と。倒れ消えゆく意識の端に思った。
そうして完成した薬は、人狼化を戻すことにはならなかったけど、少なくとも人狼化しても暴れなくなる薬として学会に発表され、その研究は評価された。若干16歳の少女の研究として。
そして、彼女の姿をそれから見かけた者はいない。
「セブルスは知ってるんでしょ?」
「知らん」
「そんなつれないこと言わないで教えてよ。僕と君の仲じゃない」
「少なくとも貴様と馴れ合う仲ではないと記憶しているが?」
「あはは。そうかもねー」
かもではない。
「見かけたら教えてよ。御礼を言いたいんだ」
「まだ言っていなかったのか」
「だって、みつからないんだもん」
かわいらしく言ってみせる姿にセブルスは心底嫌そうにしている。
「さっさと出て行けっ」
「またねー」
「二度と来るなっっっ」
追い返され、微笑みを残していなくなる背を追う。
「セブルスつめたいのー。もうちょっと相手してあげてもよかったんじゃない?」
奥の部屋から顔を出していってやる。そこにいるのは、あの時の姿のままのリサだ。
あの時から、リサの身体は時間軸を飛び越えてしまっていた。決して年を取らない、不老の身体を手に入れたといえば聞えはいいが、結局時間に置いていかれる虚しさと焦燥感で、内面はすっかり大人だ。ずっと欲しいと思っていた時間が急に溢れても、やりたいことはたったひとつしかない。そういう未来を選んだから。
「馬鹿言え。なぜ我輩があんな奴の相手をしてやらねばならんのだ」
「せっかくの再会じゃないの」
不快に鼻を鳴らす姿を笑いながら、リサはもっていた試験管をランプに翳した。
「私なら会いたいけどねー」
「その姿でか」
「もうちょっとグラマーならいいかも」
「おい」
「うっそ。じょーだん。会えないわよ、もう」
もう会えない。
そう口に出しても、もう何の感慨も出てこなくなっていた。今だってずっと好きだけど、会えなくても生きていてくれるだけでいいと思える。後悔なんて、したことはない。リーマス・ルーピンが世界に絶望して、死んでしまうよりずっといい。
願いは、ただ生きていてくれること。それだけだから。
「調合、終ったわよ。なぁに、まだ終ってないの、セブ」
「…薬草園にエルーラの実を忘れてきた」
「は!?」
「暇ならとってきてくれ」
「ーーいやよ」
「心配せずともその姿なら学生にしか見えんさ」
「やだ」
「出なければ、次の晩のあいつの薬が完成しないぞ」
「…この私を脅す気ね。良い身分になったもんじゃないの」
セブルスの背中からは、何も読み取れなかった。
小さく呪文を唱える。姿あらわし術なんて簡単なものは全然苦にならないし、目当ては行きなれた薬草園だ。迷うことなどない。だけど、少しだけひっかかる。
意識が飛んで、流れて、目当てに降り立つ。それは風の精とも草木の精とも違うが、ただ静かな静寂の音を立てる。
「エルーラね。ったく、なんで私がわっざわざ…」
薬草園の入口を開けて中に入る。どうせすぐに出るつもりだったから、入口も開けっぱなしで。
がさがさと入りこんで、奥を目指す。
緑に囲まれて、緑を吸いこんで。
「学生は奥に入るのは禁止のはずだけど?」
「いいのよ、セブルスが取って来いっていいやがったんだからーー」
やられた。
うしろからかけられる穏やかな声に、硬直しながらとっさに思う。逃げるべきか、逃げざるべきか。
「セブルス、ね」
「そー…よ。生徒をこき使うとんでもない教師よね」
黙れ、私。暢気に話している場合じゃない。逃げなきゃ。会う資格なんて、私にはないんだから。
「あはは。でも、良い友人でしょ」
変わらない声で、変わらない調子で、お願い。呼ばないで。
「リサ」
名前を呼ばれるだけで、苦しくて、胸を押さえてうずくまる。とっさに掴んだ葉っぱは脆く、悲鳴を上げて千切られる。
返すことも出来ない。苦しい。息が、できない。
どうやって、息を、してきたのか、わからない。
「ひ、と…ちが、い…です」
苦しいのに、そんな言訳をしようとしてる自分が滑稽だ。リーマスにそれが通じるわけがない。
この人が見誤るなんて、ありえない。それが嬉しい反面、今はただ苦しい。
「リサにずっと御礼を言いたかったんだ」
「だか、ら…人違い…って…」
「リサのおかげで、僕はここで教師を出来た。だから、ありがとうと言いたかった。それと、」
包み込まれる。世界が覆われる。
「ごめん」
どうして、あなたが、あやまる。
「ごめん」
言葉が心に浸透して、息が楽になる。
「謝られるようなことはされてない」
「リサを、人狼に変えてしまったのは、僕だろう?」
「リーマス・ルーピンの気に病むことじゃない。全部計画通りだったんだから」
勇気を。
「あの時、私は本当は死ぬ気だった。死んでもいいと、思ってた。それであなたの中に残るなら、それでもいいと。きっと苛むとわかってたけど、それでも」
あの時、月明かりの下で入ってきたリーマスを見て、身震いした。なんて、弱い。生き物だと思った。私も、リーマスも。
お酒を飲んでいたのは、怖かったから。でも、怖さ故に酔えていなかった。だから、酔ったフリをした。
「薬をセブルスが完成させると知っていたから、それでもいいと思ったの」
結果が良ければ、それで。
「…人狼になるのは賭けだった。実験するには、人狼が必要だったから」
「僕に言えばよかったのに」
「できないわよ。下手をすれば死んでしまうもの」
「リサの薬で死ねるなら、別にいいよ」
「良くない! あなたを生かす薬を作っているのに、殺したら意味がないわ!!」
声を荒げて振りかえると、彼は驚いた顔をしていた。
「生きて。ただ生きていて。それだけを願っているわ」
「苦しくても?」
「苦しくても」
「裏切られても?」
「裏切り者は…自分で見極めなさい。甘えるんじゃないわよ」
すべてを知ってるけど、話すべきことは何もない。
「手厳しいなぁ」
でも誰よりも厳しいのはリーマスなのよ。
「許すことも裁くこともしなくていい。私は…っ」
許されるべきではないと知っているから。
頬に触れるリーマスの大きな手が水で濡れる。いや、これは私の涙だ。泣いていると気づいた時には、その胸に顔を押し付けられる。相変わらずの甘い匂い。なつかしい、匂い。
「許す気はないよ。手段を選ばないとは知っていたけど、君はやりすぎた」
抱きしめる手に力がこめられる。
「僕に憎まれてもいいなんて、考える必要はなかった。だって、僕も君が好きだったのだから」
気休めでも、そう言われてうれしかった。
「何も話してくれなかった君を殺したいぐらい、愛してる」
「…それは、憎んでいるんじゃなくて…?」
愛と憎しみは似て非なるものではないの?
「君が言ったんだよ。直接にではなかったけど」
いつ、いったっけ。それは、彼にではなかったはず。あれは、そう、シリウスに。
「…聞き出したの?」
「聞えたんだ」
それだけで、意味は通じる。
「なんだ、覗いてたんだ」
少し泣き笑いのように見上げたリーマスはいつもどおりの優しい微笑を浮かべていて。
「ごめんね」
小さなつぶやきを口の中に閉じ込めた。
「ずっと好きでいて、ごめん」
「それ、あやまることじゃないよ」
「うん」
わかってる。
どちらともなく合わせた唇は、儀式のようにそっと触れるだけ。
「昔からずるいんだよね。リサは」
「は?」
離したとたんに、リーマスは笑顔のまま言い放った。
「僕が決心するといなくなるんだから」
「へ?」
「しかもずっとその姿なんて…ずるい」
「え、そんなこといったって」
「僕はこんなにおじさんなっちゃって、どう見てもロリコンにしか見えないじゃないか」
「はぁ…」
いや、そんなこと言われても。
「ずっとセブルスのところにいたのかい?」
「たまにしか来ないわ。セブルスは遊ばれてくれないから。いつもは薬草園をしてる」
小さく笑いながら、それでも二人とも目を外さずに続ける。
「薬草園か。じゃあ、セブルスのところには薬草を届けに来てるだけなんだね?」
「それと、研究かな」
「なんの…て、あぁ、まだ続けてるんだ?」
「ええ。大人しくなるぐらいじゃ、全然戻ったことにならないわ」
普通に満月の晩に変身することのない人間でいられるように。
「あれ以来飛べなくなっちゃったからねー。今度こそ自力で頑張らないと!」
「飛ぶ?」
言ってもいいものだろうかと一瞬考え、話さないことに決める。だって、気にするもの。
「ひみつっ」
「秘密?」
「そう。ひみつよ」
絶対教えない。この姿だって、その罪の対価なんだもの。
「ねぇ、夏休みになったら僕も…行って良いかな。君の薬草園に」
「荒らさなければね」
気をとりなおして、腕からするりと抜け出して奥のエルーラの実を取りにゆく。彼は静かについてくる。
「手伝わせて欲しいんだ」
最初の実に手を伸ばしかけて、振り返った。
「正気?」
口をついて出てくるのはそんな言葉で。
「本気」
にっこりと微笑む瞳の奥で、悪戯の光が見える。
「リサと一緒にいたいんだ」
言葉は飾られているようでもなくて、ただ学生の頃と変わらない様子で。
「ーー人遣い荒いわよ、私」
憎まれ口しか出てこないけど、夢みたいな出来事に、足元がふらふら浮かんでゆくようで。
「覚悟しとくよ」
夢のような出来事を抱えて、私はセブルスのところに戻った。
「どうしよ、セブルス…」
彼はただただ不機嫌で。
「私、セブルスを許しちゃいそうだわ」
「我輩は許されなければならんようなことはしていないはずだが?」
うそつき。
「リーマス・ルーピンを夏休みにこき使えるみたいっ」
激しく違う。
「それは災難だな」
「どうしよう、うれしくて死んじゃいたい!!」
「今度こそ放っておくからな」
「え、や、だめよ。リーマス・ルーピンと毎日一緒にいたら、うれしくて生きてられないわ! だから、セブルスも夏休みはうちに来てよ!!」
「遠慮させていただく」
「あぁもう、どうしよう。この夏で薬を完成できるかもしれないわねっ」
「そんなことぐらいで出来ていたら、とっくに完成したであろう」
「もう胸がいっぱいで、息ができない! て、聞いてるの、セブルス!?」
何年振りかの彼女ののろけ話にセブルスは一晩中突き合わされ、その間にとっととリーマスを追い出すことを決意したとかしないとか。
*
そうして、また夏が来る。パタパタと家の大掃除をしているリサの耳に玄関のベルが届く。
扉の前に立っているのは薄汚れた男がひとりと、大きな黒犬が一匹。
「はーいっ」
玄関を開けて、彼女が微笑む。それをリーマスが迷わず抱きしめてキスを落とし、犬が目をまるくするまではあとほんの数分だ。
「いらっしゃい、リーマス・ルーピン。シリウス・ブラック!」
ホグワーツより一足早い夏なんて、彼等には関係がなかった。
なんでリーマスなのかなぁ。
つか、リーマスに走ると絶対シリウスが振られるなぁ?
わざとじゃないですよ。わざとじゃv
タイトルのLastは最後じゃなく最新のって意味で取ってくれると嬉しいです。
完成:2003/08/04
ファイルまとめた。
分けることなかった?
(2012/10/12)