その時、オレの中の最後の欠片が埋まったんだ。
春霞のたった一言が、オレの世界を変えた。
それがオレのすべて。
「おつかれ~!! 今日も良い絵が取れたよ~、葉月ちゃん」
スタジオに響くカメラマンの声で、オレはほっと息をついた。顔には出ないけれど。
きょろきょろと辺りを見回すと、暗がりからマネージャーが姿を現す。
「おつかれさま。次のスケジュールだけど…」
「あいつは…?」
マネージャーのいた方に目を凝らすと、椅子におまえは座っていた。少し俯きかげんで顔が見えない。仕事の後、一番にみたいのは春霞の笑顔だけなのに。
近づいてみると、春霞は幸せそうにぐっすりと眠っていた。いくらオレのマネージャーが隣にいたとはいえ、スタジオには男も多いんだぞ。あいかわらず、警戒心の欠片も持ち合わせていないんだな。
「ああら、寝ちゃったの。彼女?」
後ろから声をかけられて、オレはスタッフが集まってきたことに気づいた。
「カワイ~ぃ」
「これが例のお姫さんか」
好奇の目より、問題だ。おまえ、寝顔も無防備なんだぞ。…このままじゃ、危険すぎる。
抱き上げると、ふっと瞼が開いた。そのままふにゃっとした力の抜けたような笑顔になって、また閉じて眠りこむ。のんきな奴だ。オレ以外の前でそんな顔をしたら、襲われるぞ。
「…おつかれ」
椅子の上の春霞の荷物を持ち、足早にオレはスタジオを出た。控え室には、行きたくない。オレの荷物は後だ。かといって、春霞を抱えて外に出るのはイヤだ。この寝顔を誰にも見せたくない。
隣のアルカード、たしか裏口から繋がってたよな?
いつもスタッフが出るドアを抜けると、思ったとおりアルカードの裏路地に出た。マスターは快く従業員休憩室を貸してくれた。長椅子に寝かせる間も、春霞はまったく目を覚まさなくて、時折楽しげに微笑んだ。
「…ホント、よく寝てる」
起こすのがもったいないくらい、幸せそうな笑顔だ。一人占め、していたくなる。でも、いくら撮影中だったからって、簡単に寝るなよ。
ドアのノックされる音で振りかえると、マスターがタオルとモカを差し入れてくれた。
「…ありがとう、ございます」
何とはなしに出た礼の言葉に、マスターが笑った。
「いえいえ、どういたしまして」
なんで、笑っているんだろう。
「春霞ちゃんがキレイになったのは、やっぱり葉月くんの効果かな?」
にこにこと笑顔を振り撒いて、いつも変なおっさんだ。
「入ったときからね、頑張ってるなぁって思ったんだ。葉月くんのためなら、うん、わかるよ」
オレの、ため?
「俺より美味いって評判のヤツね、きっと葉月くんの為に頑張って練習したんだね。
お客さんが言ってたんだけど、女の子は大好きな人の為にキレイになるんだって。だから、いつも笑っているんだよ。
それに、ここに学校の先生や学校の友達が来た時も、いつも変わらない笑顔でいられるのは、やっぱり支えてくれる人がいるからなんだろうね。
春霞ちゃんにとって、それが葉月くんだったんだね」
マスターのいうこと、オレにはよくわからない。でも、春霞がいつも頑張っていたのは知ってる。
「…そう、なのか?」
全部、オレのために頑張ってきたのか。問いかけても、おまえは笑っているだけで答えない。
後ろでドアの閉まる音が響いた。マスターは仕事に戻っていったようだ。
ずっと小さなおまえに支えられてきたと思っていたけど。オレ、おまえを支えてやれてるのか。
「…珪…」
さまよう手を捕まえて握ってやる。どうやら、オレの夢を見ているらしいが、一体どんな夢なんだろうな。
「…春霞」
夢の中のオレでなく、今、オレを見て欲しい。夢の中のオレなんか、ホンモノじゃないから。そんなオレなんか、どうでもいいから。今すぐ起きて、オレに微笑んで欲しい。
眠っている人を見ると、時々怖くなる。そのまんま、夢の世界へ連れていってしまいそうで。それに、祖父さんを思い出す。今のおまえみたいな笑顔のまま、眠るように亡くなった、優しい祖父さん。
これ以上、オレを置いていかないでくれ。
もう、ひとりでいるのはツライ。
独りで生きられるほど、強くないんだ。オレ。
「…ひとりじゃない、よ」
独白のように、春霞は言葉を紡いだ。眠っているから、寝言、か。
「…ずっと…」
夢の中で、オレ、心配させてるのか。
「…ずっと、そばにいるから。…心配、しないで」
笑いながら、目に涙をいっぱいに溜めて起きあがる。
「…春霞…?」
泣き虫な所は変わらないのに、おまえは包み込む優しさでオレを癒してくれるんだな。
「今、珪クンがいなくなる夢、見ちゃった」
無理やりに笑おうとしている。なんで、そんな夢見て笑って…?
両腕を首に回して、抱きついてきて、春霞はオレの肩に顔を埋めた。震える小さな肩が、泣いているのだと言っている。そうして、声も出さずに泣くようになったのか。
「ここに、いるだろ」
抱きしめようと思ったけど、少し怖くて、背中を軽く叩いた。
「うん、変だよね」
泣いてるのに、笑っている。変な奴だよ、ホント。
「あぁ、変だ」
こんなオレを好きでいてくれる、おまえが本当に愛しくて仕方がない。やっぱり、支えられてるのはオレみたいだ。
「……」
「春霞?」
「あんまり、「変」って言わないでよ」
肩から上げられた顔が拗ねてて、可愛い。目が少し、赤い。泣いた後のおまえにはどうしてもキスしてしまいたくなる。
「…っ」
小さな桜色の口唇も、柔らかく抱きとめる身体も、オレを包み込むココロも、全部オレのもの。
いや、オレが春霞のもの。
息ひとつ逃さず、おまえがオレだけにその笑顔を向けてくれるなら、他になにもいらない。
誰もいらない。
あぁまただよ。続きモノだよ。
とか、云わないでやってください。わかってますから。
しかも、誰だよコイツ!!なんか、葉月なのかどうかさえ怪しい。
恋人の夢の中の自分に嫉妬って、一体…。
色サマで使えそうなネタだったか、これ?
というか、もう強制終了。
(2002/08/29)