(菊丸視点)
あの一瞬の動きを見たとき、何故かピンときた。あの女の子は、オレと同じだって。別に、性格が同じってことじゃなく、あの動き方がね、ほら、オレとよく似てると思わない?ーーて、思わないよな。オレだって、いつもなら、こんな風に思わない。
カタチの無い動きを彼女も持っていると思った。俺とおんなじ。
テニスコートで振りかえった時、初めて目が合った。つまんなそうに見せていても隠せない、深い深い色の向こうで笑っている。これから何が起こるかを楽しみにしているのだと、分かる。
桃と同じ学年の、ひとつ年下の女の子。風に揺れる髪がさわさわ聞えてきそうで、オレもわくわくしてた。
「フィッチ?」
「ラフ」
声が鳴る音、というのがあるなら、今の彼女のこそ、そうだというべきだろう。風に乗って、辺りの空気を飲みこみ、自分のものにしている。くるくる回るラケットをじっと見つめるその視線が一瞬、コートの外に向けられる。オレもそれとなくそっちを見ようとしたら、先にラケットが倒れる音がする。乾いた音がする直前はラフ(裏)だったのに、ネットに軽く触れただけで、それが反転した。
「オレ、コート!」
「え!?」
驚く声を背に、ボールを放る。それをしっかりと受け止める手はとても小さく、片手じゃ全部は握れない。零れたボールを軽く跳ねさせ、もう一度今度は掬うように拾う。
「サービスはあげるよ」
ちょっとしたハンデのつもりだった。だってさ、オレ、レギュラーだし。彼女はテニスを出来るかもしれなくても、やっぱ差があるじゃん。遊ぶぐらいなら別に、ね。
「…マジですか」
小さく呟く声音は努めて絶望的だけど、その口許、端っこのほうだけわずかに上がっているように見える。
「オレが勝ったら、マネージャーやってくれる?」
返答は言葉でなく、ただ笑み。力無い、諦めの強い微笑。しかし、そこにも楽しさの影が潜んでいる。ねえ、もしかして自分で気がついてなかったりするのかな。今、ものすごく愉しそうだよ。
数回ボールを弾ませ、ひたりとこちらを見つめてくる。高く上がるボールを打つ寸前、ほんの一瞬止まったように見えた。動きに合わせて、飛んで、すぐ後。ボールは軽い音を立ててフェンスにぶつかる。ほかのどこにも当たっていない。なのに、彼女は笑っていた。
「あはは、失敗。失敗」
うつむき加減に笑う姿に、目を止める者は少ない。
「せめてコートに入らないと、ね」
ざわめきの中に、小さく真剣な呟きが混じる。笑いを止めているのはレギュラーと、1年の越前とかいう奴だけだ。
再度、ボールを弾ませ、膝を落とす。それを打つ姿は、先程の失敗が間違いではないのかと思うほどに綺麗なフォームだ。なにをどうしたのか。ボールはまっすぐに俺に向かっていき、その手前で跳ね上がった。
ーーこれで初心者は、ないっしょ。
「わっ!?」
とっさに構えたラケットに、偶然そのボールは当たったけれど、その音は見た目の勢いに反して、なんとも気の抜けるような極軽い音。当然のように勢いの足りないボールは、1メートルも満たない少しばかり先の地面に転がった。
偶然か、まぐれか。だがしかし、明らかにこの2球目は本気を混じらせている。威力はないけど。
「あ、はいったっ」
楽しそうに笑う晴樹を、全員が不思議そうに見る。そして、あっけにとられている俺を見て、ボールを見て、また晴樹に視線を戻す。すでに彼女はこちらを見ていないけど。
「リョーマ、入ったよね!?」
身体ごと、越前とかって1年に向き直ってる。今、試合してるのは俺なのに、どうして俺じゃなく、そっちを見るの。ちりりと胸に痛みが走るのを、人事の用に思う。
「…相変わらず、ラケットだとパワーないよね」
「うるさい」
皮肉を込めて返されたのに、笑顔で応じる姿はどこか懐かしい感じを覚える。乾が言うように、やっぱり見たことあるのは球技大会、なのかなぁ。
そんで、相変わらずっていうことは。普段、あの1年とテニスしてるってことで。
「…へへ、手加減はいらないってことか」
こちらに戻された笑顔は、すでに作り物めいた部分が外されていて、ヒマワリみたいだ。太陽に向かって輝くのでなく、俺に向かって輝く地上の太陽。
「最初っからそんなのないんじゃーないですか?」
「もっちろんっ」
俺の放つサーブに、辛うじてラケットを当てる。それは初心者らしくひょろ玉だけど、視界の端に映る彼女は笑っている。わざとか、それとも罠か。いいやと打ちこんだスマッシュを打つ寸前、彼女が消えた。
「やっ!」
テニス、したコトないなんて、マジでウソでしょ。なんで当たるんだよ!?
返球されたそれは届かない範囲じゃないし、返せた。けど、その位置に晴樹が飛ぶ。偶然か故意か。かなりの余裕を持って、それは当たる。
「らっきっ」
動きが俊敏なのは元々として、ラケットを振るフォームは知らないもののそれではない。
予想外に返されても、俺は普段通り対処できる。しかしどういうわけだか、彼女もそれが出来る。思ったとおり、ふたりともプレイスタイルが似ているので、猫が2匹じゃれあっているように見えるとか。それは後で不二と大石に言われたこと。
「晴樹ちゃん、テニスやったことないって嘘でしょ!?」
「つい最近まではぜんぜんラケットに触ってませんでしたよ」
平然と言い返しながら、あろうことか晴樹はロブを上げた。通常よりも一段と高く飛ぶ。
「あったりぃ~」
しかしボールは上に高く上げられる。絶好のチャンスボールだ。
ーーそう、誰もが思った。
しかし、ボールがなかなか落ちてこない。
「なんで!?」
「あ~…ごめん。また、やったかも…」
謝罪の言葉は風より軽く、左手で光を遮って楽しそうに言った。
ふと不二が空に目を向ける。そして、小さく何か呟いている。高い、だろうか? 俺が見上げた空はいつもどおりの青空で、四月雲がゆるりと流れる。あらためて見ると、上空は雲の流れが早い。きっと風も強い。だが、普通はあんな上まで軽く当てたぐらいで届くのだろうか。
「…ノーコン…」
「だっから、やりたくないんだよねー」
越前と晴樹の会話が、静かなコート内に暢気に響く。それこそ、今日の空みたいに澄んだ空気を響かせる。
「え、え、どーゆーこと!?」
ネット越しに聞く俺に対して、晴樹は困った顔で微笑んだ。
「つまり、ボールは上の風に流されて、どっかいっちゃいましたってことです」
からりと笑って、そーゆーことですから。と。上の風って、そんなに強い風が吹いているかと言われればそうかもしれないが、しかし。
ボール捜してきまーすと元気良く出て行く姿を全員が何もせずに見送ってしまった後、まずタカさんの力ない笑いが始まる。それにつられるように、テニスコートへ笑いの渦が広がってゆく。
でも、俺は。コートを出て行く寸前の、晴樹の安心したような少し辛そうな表情が気になってた。少し前までは本当に楽しそうだったのに、なにかに謝ってて。隣をすり抜けて行かれた手塚が、向き直りかけて止めるのを見て、もう止まれなかった。
「手塚、俺も行ってくる!」
後ろでなにか言ってた気もするけど、それは晴樹を連れて帰ったら聞くよ。
なんでもない風に行ってしまったけど、晴樹はそのままどこかにいなくなってしまってもおかしくない空気を残していたから。笑顔しか浮かんで来ないのに、泣いてる気がしてた。
(晴樹視点)
空に高く、ボールが飛ぶ。視界いっぱいの青空と白い雲に、瞳を細める。久々に空を見上げている気がする。視界の約半分は白い光。半分は黄色いボールを追って、高く高く飛んでゆく。風が網の目を通り抜ける音は耳通りが良くて、心を一緒に連れてゆく。
今では唯一、息をつける時間。
菊丸とのテニスはリョーマや南次郎おじさんとはまた違った強さで、愉しかった。でも、いいかげん限界だ。こんなに晴れた日に片目でテニスなんてやった日には。
「やば。もう…っ」
勝手に落ちてくる涙を拭き取ろうと、ポケットを探る。目が痛い。
「晴樹ちゃん~。ボールあっ…た?」
近づく足音に背を向ける。その視界に丁度見つけた黄色いボールを拾い上げ、そのまま後ろへ放り投げた。
「先、戻ってください」
目が、痛い。戻ってといったのに、気配は近づいてくる。ハンカチは見つからない。右目の視界が歪んでいるということは、つまり今現在ぜんぜん周りが見えないわけで、そんな状態で走って逃げるほどの力は無い。どこにぶつかるかわからないのに。
「こないで」
こころから願う。だって、こんな顔見せられないよ。誰にも。リョーマにも。
同情されるのも憐れまれるのも嫌だから、誰にも泣き顔なんて見せない。そう決めたのは、ずっとずっと昔。まだとてもとても小さくて、でもバスケプレイヤーの両親というプレッシャーに負けそうだった時だ。それは、リョーマに出会う前のことだから、彼も知らないはず。
春の穏やかな日が翳る。
「…泣いてる女の子はひとりにしちゃいけないんだよ」
すぐ近くに聞える、自分ではない他人の心臓の音に安心する。
「泣きやむまで、オレ、いちゃダメ?」
ダメと言っても聞かないというように、肩が苦しくなる。
「目、痛いだけです。泣いてるわけじゃ、」
泣いているわけじゃない。そう言おうとしたのに、もっと強く抱きしめられる。
「泣いてる」
「…だから、目が痛いだけです」
「じゃなくて!」
「晴れてる時は、しかたないんです。右の目でしか見られないから、長時間集中するとすぐにこうなる」
ーーいつものこと。
そう紡ごうとした言葉は喉の奥に詰まって、出て来れないようだ。
「右目、だけ?」
「…聞いてませんか、乾先輩から」
「なんにもきいてないよ。目、悪いの?」
腕が緩んだと思ったら、肩を掴まれる。正面にピカピカの赤い色が揺れる。
「左が光に弱くて。で、右目が痛くて、コレだから。今視界利かないんですよ」
今が言っておくときだろう。
「だから」
「じゃ、やっぱさっきのはわざと?」
気が付かれていた、か。てことは他の人達にもばれてるのかな。
「はい」
自分の限界は、わかっている。リョーマも知ってる。
「そっかぁ~よかった」
また日が翳る。勢いはあるのに、力を込める一歩手前みたいに抱きしめられる。大切な宝物みたいにされて、くすぐったい気分だ。
「よかったって?」
「だってさ、無理やりテニスさせちゃったし、泣くほど嫌だったのかな、テニス、嫌いなのかにゃって。ちょびっと心配だったんだよね」
そのわりには、ずいぶん楽しそうだったよねぇ…。
「それは、晴樹ちゃんが愉しそうだったから、釣られちゃったの!」
私が、愉しそう、だった?
いつもと違う場所でやるテニスは、たしかに面白かったけど。…やっぱりまだ、バスケ以上に好きだとは思えない。
「そう、ですか?」
「絶対そう!」
強くダイレクトに響いてくる声は、心地良い。
「だから、またテニスしよ?」
「え」
「晴樹ちゃんとテニスすんの、すっげーたのしかった。だからさ、またやってよ。マネージャーはやんなくても良いから、俺と遊んでよねっ」
「はぁ」
「決まり!てことで戻ろうっ 手塚怒ってるよ~きっと」
離れたと思うと、手首を掴まれ、強く引っ張られる。私の体も逆らわずについてゆく。問題は歩幅の違いで、私は軽く走らなけりゃならないってことだけど、視界はだんだんとクリアになってきている。
腕を引く菊丸の髪は、彼自身の起こす風に上下に揺れている。ふわふわふわり。掴まれていないほうの手を伸ばして、引っ張りたい衝動に駆られる。まずい。それはやっちゃあかんでしょ。
「晴樹ちゃん、あぶな!」
後ろから頭をどつく勢いで伸ばした手が空を切り、私は態勢を崩す。地面に倒れる前に、菊丸の腕に倒れこむ。
「うわ、あぶなっ」
安堵の深い息と溜息とどちらが吐き出されたのかわからないけど、顔を見るとにっこりと微笑む。
「まだ前見えてない?」
「だんだんクリアにはなってますから」
「でも、このままじゃ何周増えるか、わかんないしね。しっつれー」
周が増えるというのは、つまり、私を迎えに来たせいか。と考えた瞬間、足が地面から離れる。
「かっるーいっ」
「な!?」
「このほうが絶対速いって!捕まってっ」
ぐん、と風が強く体当たりしてくる。本当に落ちそうで、怖くて。その首にしがみつく。
「な、な、な、」
「あ、オレのことは「英二」でいいからねっ オレも晴樹ちゃんって呼ぶし」
「なー!?」
「これからよろしくっ、晴樹ちゃん」
菊丸、もとい英二にしがみついたまま、明るい日溜りみたいな声を聞いた。
宜しくも何も考えられないぐらい、私はしがみつくのに必死だった。
海堂視点だけど、実は菊丸メインです。そんな罠(笑。
とりあえず、菊丸のお気に入りに入った模様です。
これからじゃんじゃん飛びつかれますw(違っ
(2003/09/13)
菊丸の台詞だけ書き直し。特徴が掴みきれてない…。
(改訂:2003/09/17)
海堂視点を全部菊丸視点に変更。
(改訂:2003/09/23)