窓の外は、ちょっと曇っていた。映画やドラマじゃあるまいし、いつだって快晴というわけにはいかない。おてんとさまにはおてんとさまの都合があるってものだ。人間は世界中にいるけど、おてんとさまはひとつ。だったら、たったひとりのために天気が快晴になるわけもないから、今日は曇りでも全然問題ない。
持ち物はなにもない。ただこの身ひとつで、どこか遠くへ行けるはずも無い。いや、小学校の頃なら歩いてどこまでも信じていたけど、高校生にもなって、ねぇ。
だから、私は学校にいる。
夏休みに入ってしまっているから授業は無いけど、職員室には先生が数人いたし、用務員のオジサンにも会った。あとは野球部やサッカー部、チアリーディング部が学生らしく部活動に勤しんでいる。私服で、うろついているのも数人いるけど、その数人に私も入るのかな。
「終わったかー、明良」
がらりと教室を開けて入ってきたのは、半袖半ズボンのラフで涼しげな服装をした男。
「終わっても、行かないよ」
…っぽい友人、珠子。名前のとおりというか何と言うか、ボールが好きで、球技と名の付くものなら一通りこなす上に、その辺の男よりも男らしいという変な友人だ。それを本人の前で言うと、「かっこいいだろ?」とポーズをつけて、あらぬ方を向いて話し出すので言わないでおくようにしている。第一、共学校でそんなことを言った日には、男子生徒に喧嘩を売られ、あげく勝ってしまう。つまり、そーゆー前科も彼女にはあるのだが。
「えー、いーじゃん。来いよ」
「いや。汗かくの嫌い」
「何をぅ! バスケはさわやかだぞ?」
「そんな汗だくで何を言う」
彼女は私の前の席の椅子を引いて、そのままこちらを向いて座った。
「なー、人数足りないんだよ」
「いかない」
「一ゲームでいいからっ」
「やらない」
「勝てば、アイスおごるし!」
「負けたら?」
顔を上げて聞き返すと、にやりと微笑まれる。
「俺が明良と組んで、負けたことあったか?」
絶対に負けないという、その自信は過去の経験から成り立っている。ずっと間近で見てきた私じゃなくても、誰だって知ってる。それこそが、彼女の魅力なのだと思う。
「わかったら、行くぞ」
「まだ行くって言ってないわよ」
「言わなくてもその気だろ?」
で、彼女も私を私以上によく知っている。手を引かれるままで走りながら、小さく言ってみる。
「…いっつも強引なんだから…」
「でも、絶対断らないよな」
「…アイスじゃ割に合わないわ…」
「えーっと、この間言ってたケーキ屋でおごってやるから」
「…食べ放題?」
「俺の財布に無茶を言わないでくれ」
「じゃ、アイス+「サンセット」のチョコパフェ&マロンケーキで我慢してあげる」
て、これもいつものパターンなんだけど。体育館に着く直前で、やっと気がつく。
「そういえば、相手は?」
中から飛んできたボールを片手で受けると、手がジンと熱くなる。ボールを持つだけで、身体も熱くなる。ただでさえ暑いのに、それに倍化された暑さでは、十五分が限度か?
体育館の中には、ちょっとどう見ても高校生に見えない男たちがいた。
「相手は、大学生? もしかして、男バスのOBとか」
「あたーりー。しかもほら、あれってインターハイいっただろ?」
「腕が落ちてないと、面白いけどね」
バンッと、靴を脱いで体育館に入りながら、ボールをつく。直接伝わってくる振動と、冷たい床。色とりどりのラインと、好奇の視線が集まる。
「おいおい、こんなお嬢ちゃんが助っ人か?」
とりあえず、ボールを大きく振りかぶって、第一声を発した男に投げつけておいた。体育館の端には倒れたり、怪我をしたりしているバスケ部員がいる。OB自らのしごきという名目の苛めに来たということが人目で分かる。
「ずいぶん、ゆっくり呼びに来たのね。珠子」
「何回もケータイかけただろ」
ケータイ?
少し考え込んで、手を打つ。
「あ、昨日、踏んだら壊れた」
「踏むなよ! ったく、なんでそう壊すかな。このクラッシャーは!」
「でも、その力を頼みにきたんでしょ?」
「へいへい、そのとーりでございやす」
「さっさと片付けて、ケーキ食べに行くわよ」
大好物のケーキを思い浮かべて、にっこりと笑う。曇った日でも、晴れた日でも、大好きなものがあれば、とてもイイ顔で笑ってしまうのは生理現象みたいなものだし、抑えるのも精神衛生上良くないと思う。だから、そのまま笑ったら、笑いかけられたと思われたらしい。別に、いいけど。気にしないし。
「ケータイ、また買わなきゃね」
「いや、もう持つだけ無駄じゃないか…? 壊すか不携帯かの二択しかないし」
「ないと珠子にケーキおごってもらえなくなっちゃうじゃない」
「…いや、そこなのか?」
「うん」
脱力している間に、飛んできたボールを受け止める。
「ゲーム、始めましょうか」
バスケ部員の喜びと、大学生の驚愕を受け取って、もう一度ボールを持って飛んだ。高い位置で私の手を離れたボールは、綺麗な放物線を描き、ゴールに入った。
「アイスとケーキのために」
「せめて、バスケ部員のためにって言えよ。ケーキをアイスおごってくれるのは、あいつらだぞ?」
「…ついでに、バスケ部員のみなさんのために。全力を尽くさせていただきますっ」
それから、いろいろ端折ると怒られるけど、長くなるのであとでそのうち。結果はもちろん勝ちました。弱いわけじゃないけど、伊達にクラッシャーの異名は持っていない私は、数々の選手を病院送りにするという伝説を再び築いたのだった。
冗談はさておき。
「はい、明良ちゃん」
「…新しいケータイ…?」
試合が終わった頃に、姉とその彼氏が体育館に新しいケータイを届けてくれた。
「さっき、貴之さんと買ってきたのよ」
「今度は壊すなよ」
「そうそう、壊さないようにケータイケースを作ったのよ。使ってみてね」
ありがとう、と受け取ったときに漸く後ろの気配に気がついた。空気がとてもざわめいている。
「全日本メンバーの松岡じゃないか?」
「なんで、ここに?」
気がついた姉も、彼の手を引く。
「じゃ、私たち用事あるからっ」
しっかりと繋がれた手には細いリングが光っている。二人はとても幸せそうで、少し羨ましい気もする。だからといって、彼氏とか欲しいわけじゃないけどさ。
考え込んでいる私の肩に手がかかる。
「明良、彼氏欲しいなら、その辺にいっぱいいるじゃない」
「はぁ?」
「今倒した奴らだって、悪くないと思うけど?」
良くもないと思うよ。
肩にかけられた手をとって、にっこりと微笑む。瞬間、珠子が後ずさる。なにか不穏な空気を感じ取ったということならば、自分が何を言ったか分かっているということなのだろう。
「ケーキ、食べたいね」
「あ、そ、そう、だな?」
「ケーキは甘いっ、甘いはケーキっ。珠ちゃんの作ったっケーキがっ食っべたっいなーぁ」
「おい。「サンセット」のケーキ、食べるんじゃないのかっ?」
情けない声を出す親友の手を取る。彼女はとても甘味類が苦手なのだが、何故か料理やお菓子を作るのが上手いのだ。なんでも、母親が洋菓子店の娘だったらしく、小さい頃から仕込まれたとか。そのせいで甘いもの嫌いになったと聞いたことがある。
「珠ちゃん」
「それだけは、勘弁してくれっ」
「ダメよ、珠ちゃん」
絶望的な、彼女の顔を見るのが好きな私は、変かもしれない。
「だって、もう決めちゃったもの」
「…決めちゃったの…?」
「うんっ」
この世の終りみたいな顔をしている親友の手を引き、体育館を後にする。外はイヤになるぐらいに快晴だったけど、それ以上に私の心も快晴なので、全然気にならない。こんな日にはアイスがとっても美味しくて、ケーキもとっても美味しいに違いない。そう考えながら仰ぐ空は、世界で一番最高に見えた。
…携帯電話で、何日引っかかっているんだか…。
もうすっごい難しくて。なんだかなぁ。これ。
時間かかった割に、出来良くないですね。
珠ちゃん視点のが良かっただろうか?