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書名:読切
章名:お嬢様と執事

話名:13. 螺旋


作:ひまうさ
公開日(更新日):2004.9.1
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:3722 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 3 枚
モノカキさんに30のお題(13)


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p.1

 浜辺には一つの足跡が続いている。それはすぐに波に消され、その後で私の足跡が続く。彼女は裸足で、両手にはお気に入りの白いヒールを持っている。汚れるからという理由ではなく、ただ砂の感触を感じたいからなのだそうだ。お気に入りの白いワンピースの裾が潮風に揺れ、彼女はただ楽しそうに歩く。風が濃茶の髪を巻き上げても、その風で飛ばされそうになっても、楽しそうだ。

「レイリも裸足のが気持ち良いわよ」
 そういえば、砂の感触など何年味わっていないだろう。目の前の少女は軽いスキップをしながら、波と戯れている。

「あまり遠くに行かないでください」
「わかってるわよ」
 子供扱いしないで、と少しむくれた返事が返される。もちろん、彼女は外見も中身もまったく子供ではない。同じ年代の女性に比べると発育はあまりよくないが、それ以上の明晰な頭脳は知る人ぞ知る、グループの重要な戦力となっている。

 これでまだたったの14歳だというのだから、末恐ろしいというものだ。

「レイリー」
 楽しそうに走ってくる姿は、まだ14にしか見えないのに、その処理能力は天才と称されても足りないほどだ。彼女にわからないことがあるとすれば、それは。

「みて、綺麗な貝殻っ」
 差し出した彼女の手には大きな巻貝が乗っている。彼女の手の上だから大きいのかもしれない。手に取ってみると、私の手には小さく、簡単に握りつぶしてしまいそうだ。ぐるぐると螺旋を描いたその先で、小さな足がのぞいている。

「アルト様、これは海に返しましょう」
「どうして?」
「先客がいます」
 砂浜にそれを置く。何の動きもないそれを、彼女がつつく。

「やどかりさん、いたのね」
 ごめんなさいね、とそれをつまみ上げ、静かに戻ってゆく。おそらく、その貝のあった場所に。



p.2

 そんなことのあったことも忘れかけていた夜、私はアルト様の枕元の椅子に座っていた。闇は深く、この鏡の迷路の中では今が昼なのか夜なのかもわからない。

 不思議と眠くはなかった。ただ彼女の安らかな寝顔が見られれば、それでよかった。

 遠く聞こえる金属のぶつかり合う音、悲鳴、罵声。あまりに遠い音が、現実味に欠けている。こうしていると、昔に戻った気が

「レイリ、起きてる?」
 小さくかけられた声に、はっとして彼女を見る。ここがどこかも、今がどんな状況なのかも忘れそうな、穏やかな微笑みを前に、私も小さく笑う。

「あのときのやどかりさんは、どうしたかしらね」
「もう…」
 死んでいるのでは、という言葉を飲み込む。死、という単語が、あまりに残酷なイメージを運んできたからだ。彼女に、そんなものは似合わない。

「もう、海に還ったのかしら」
「おそらく」
 私の返答に満足したように、彼女は笑っている。

「螺旋のおうちは、どうなったかしら」
「壊れて、しまったのかしら」
 静かな彼女の言葉は、深く響いてくる。彼女の家を、世界を壊してしまったのは私なのに、彼女は一度も私を責めない。全てを受け入れて、ここにいる。

 ある意味でそれは、とてもありがたい。彼女の身体を傷つけずにすむから。

 ある意味でそれは、とても辛い。彼女の精神が傷つき続ける証拠でもあるから。

 そういえば、彼女が誰かを責める言葉というのは聞いたことがない。どんなに傷つけられても、誰も責めずにすべてを受け入れる強さはどこからくるのだろう。

「新しいおうちは、みつかるかしら」
 ねぇ、と。問われて、何も返せなかった。

 彼女のそばにいることは、嬉しくて辛い。卑怯な自分、汚い自分を見せ付けられるように、螺旋状に奈落へ落とされるようだ。いつだって、いつまでも彼女は高く高く上ってゆく、白い螺旋階段を昇ってゆく。それを見上げて、私はただ嬉しく思うのだ。自分が反対の暗い螺旋階段を降りているのだとしても、決して届かないのだとしても。

 それでも、アルトがただ白く気高くあることは、私の喜びだ。

「レイリ」
 白い小さな手が、私の荒れてごくごつした手をとり、口付ける。

「お願いがあるの」
 高みにいる彼女の行動も言動も、私は一度も見通せたことはない。それで、いいんだ。彼女はいつだって、私の光なのだから。

「なんでしょうか、アルト様」
 ベッドから身体を起こす。さらりと、薄茶の髪が流れた。

「様、はやめて」
「なんでしょうか、アルト」
 悪意のない優しい命令に、従う。小さな少女は、自分の傍らを叩く。

「一緒に寝ましょう?」
 可愛らしく小首をかしげる彼女を前に、さすがに固まってしまった。彼女が言うのは、小さな子供であった時と同じことだ。だが、今は未成熟とはいえ立派な女性だ。そんな真似をした日には、さすがの私の理性も持ちそうにない。

 小さな頃のように一緒に眠ってくれるのを期待している瞳を見て、私はどうやって断ろうかと頭を悩ませた。

あとがき

あれ? アルトお嬢様の性格が変わった…?
短編で始まり、短編に終わるシリーズっぽくなってますね。これ。