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書名:読切
章名:お嬢様と執事

話名:17. 君は誰


作:ひまうさ
公開日(更新日):2004.10.21
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:5396 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 4 枚
モノカキさんに30のお題(17)


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p.1

 誰も私を見る人はいなかった。彼が現れるまで、誰ひとりとして、私を私個人として見てくれなかった。なんでも与えられないことはなかったけれど、お父様の娘としてしか私を認識できない周囲の者を、半ば馬鹿にしていたのは本当だ。

 私はここにいるのに、お父様の娘として以外の私を見てくれる人なんて、ここには誰もいない。だから、始めて会う人や、お父様を知らない人達を、私は愛した。

「ありがとうございますっ」
 目の前の少年が顔を真っ赤にして、お礼を言うのを好ましく思いながら、車に戻る。

「お嬢様、あまりお戯れが過ぎるのでは?」
 運転手の耳障りな忠告を無視して、発信した車窓から外を眺める。町の喧噪がだんだんとなくなり、大川に差しかかる。この辺りまでくると、散歩をする人やジョギングをする人がまばらいるようになってくる。それをぼんやりと眺めていると、いつもならすぐに家についてしまうのだが。

「止めて」
 私の言葉で止められた車のあたりから土手を下ったところに、人が群がっている。

「なにかあったんですか?」
 やじ馬に向かって尋ねる。

「あぁ、人が死んでんだよ。ここに流れ着いたらし」
「お嬢さん! 見ない方がいいですよ」
 見知った顔が、私の前に立つ。屋敷の使用人のひとりだ。

「死んでるの?」
「ええ、だから、早く屋敷にお戻りください」
 そう言われると、ますます見たくなる。

「どきなさい」
 彼を押しのけて、やじ馬を避けて、その中心に行く。遠めから見てもひどい怪我だ。たしかにこれは死んでいるのかもしれない。

 近づいて、呼吸を確認する。息はない。触れると、鉄のように冷たい。脈をとってみる。弱々しいが、確かな脈動がある。つまり、仮死状態みたいなものかもしれない。

 応急処置をしたあと、私はその男を屋敷に運んだ。文句を言われると思って自分で世話をした。そして、二日目の夜を迎えた。

 彼のベッドでうたた寝をしていた耳に、怒気を含んだ足音が聞こえて目を覚ます。これは、お父様の足音だ。足音は部屋の前で止まり、すぐにノック音が聞こえた。

 こんな夜中にくるなんて、非常識にもほどがある。

「アルト、そこにいるのだろう。出てきなさい」
 何度目かの問いかけのあと、止む気配がないので、仕方なく部屋を出た。彼が口を開く前に、言う。

「居間で話しましょう。お父様」
 彼が何かを言う前に、さっさと歩きだす。初めての反抗だった。今まで口答えなどしたことのない娘が意見したことを、彼は怒らなかった。ただ、命じた。すべてを自分の責任とすることを。

 それからまた数日が過ぎた。彼の意識はまだ戻らない。

 血色のよくない青白い頬を両手で暖める。毎朝、その色のない口に触れて、呼吸を確かめる。まだ、死んでいない。でも、生きていない。

 この人はどんな風に話すのだろう。細い手足はあまり運動を得手とするものには見えない。きっと学者みたいな人だ。それで、先生と呼ばれたりしているんだ。笑う時は少し寂しげで、優しく穏やかな声で、私を呼んでくれる。私、を。

 怒る時は怒った顔でも、瞳だけは心配そうにして。泣く時は、きっと静かに声を立てずに。

「アルトって、呼んでね。先生」
 額の髪を避けて、その額にそっと口づけた。

 良くあるパターンだと、こういうことで眠っている人は目が覚めるんだけど、そう上手くはいかないらしい。

 ドアをノックする音がする。もう朝食の時間らしい。私の胃袋もおなかがすいたといっているし、食堂に行くとしましょう。

「またね、先生」
 今日の予定を頭で繰り返し、ドアの前で一度立ち止まる。たぶん、お昼にはまた来られるはずだ。そう考えて、ドアノブに手をかける。

 そこに、小さなうめき声が聞こえた。気のせいだろうか。いや、きっと気のせいじゃない。

 踵を返して、ベッドに向かう。そこでは、薄い茶色の瞳の人がいた。もっと黒いと思ったのに、そう簡単にはあたらないらしい。

「おはよう。気分はどう?」
 声をかけると、驚いたようにゆっくりと私を見る。不安そうな人に微笑んであげる。彼は、口を静かに開閉させ、小さな声で確かめるように言葉を紡ぐ。

「あ…君、は、だれ…?」
 かすれた声だけど、低く響く声は心地よい。

「私はアルト。あなたは?」
 小さく、途切れる声で、彼は繰り返す。

「ア、ル、ト」
「そう。アルトよ」
 なんだろう。彼の口から出る私の名前は、とても特別なものに聞こえた。初めて、私を認めてくれた気がした。私が、私であるということを。

 泣き出した私に驚いた彼は、起き上がろうとしたが、やっぱり起き上がれなくなっていて、震える細い腕を私の頬に伸ばしてきて。

「どうして?」
 話してもきっとわかってはもらえない。でも、嬉しく何も言葉にならなくて、骨と皮だけの冷たい手に頬をすりよせた。

「もう一度、呼んで?」
 私はここにいる。誰の子供だとか、そんな肩書なんていらない。

 この人も父やその会社の名前を聞けば、やはり私を私と見なくなるかもしれないとは、思わなかった。彼はきっと違う。

「アルト?」
 戸惑いの残る響きをかみしめる。

 アルト。私の名前。私だけの、名前。



p.2

 反対だと、ベッドに座る彼女が笑う。蓮の花の慈愛に満ちた微笑を向けてくるのを、心底愛しく思う。触れてくる指もまた、彼女の心のままに温かい。

 手の温かい人は心が冷たいのだというけれど、彼女に限って、それはない。だって、彼女はこんなにも温かい。冷たく凍っていた俺の心を長い時間をかけて、溶かしてくれた。だから、温かい。

「今だからいうけど、あなたはとっても変だったわよ。すごく大人みたいなのに、すごく子供で。それから、」
 流れる彼女の言葉に耳を傾けながら、彼女の髪を撫でる。少しずつ重くなってゆく髪を彼女は嫌がっているけれど、俺は彼女のその柔らかな髪が愛しい。軽く引くと、大した力も込めていないのに彼女の体が揺れる。揺れて、この腕に収まる。

「あとどのくらい、こうして居られるのかしら」
 小さな問いに不安の色はない。

「あとどのくらい、あなたの名前を呼べるのかしら」
 零里、と。囁く。俺の、俺だけの名前を。

 数少ない、俺の名を呼ぶ人。俺を世界に繋ぎとめる声。かがんで、その髪に口付ける。

「貴女の望むだけです。アルト」
 彼女を縛る気はない。権利もない。ただ自由に。

 内なる思いと対照的な自分の行動を、彼女は理解していないだろう。でも、全身全霊で、あなたの自由を望みます。

 身じろぎして、彼女が顔を上げて微笑む。

「じゃあ、ずっと一緒ね。零里」
 全てを知っていても、同じ言葉を繰り返す。

「ずっと一緒で、死ぬまで一緒。最期まで、呼んでいてあげるわ」
 無理と知りながら、繰り返す。その思いを受け止めて、返す。

「では、俺も」
 泣きそうだったけれど、努めて微笑んだ。彼女が覚えていてくれる自分が、せめて良い思い出となるように。

 アルトは、俺の光だから。

あとがき

消えたーっ! さっきまで書いてたこの話の続きが消えたー!! うわーん…(泣
まぁいいかぁ。ちょっと蛇足っぽかったし。でも、悔しいっっ
一応お嬢様と執事の出会い編です。
(2004.10.18)


消えた分ではないけれど、書き足し。
なんか浮かんだし。終わりに納得いかないし。てゆーか、終わらないよ、これー!?
(2004.10.21)