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書名:Routes
章名:読切

話名:Routes -x- rina - 19. 予定外の出来事


作:ひまうさ
公開日(更新日):2004.12.22
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:11880 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 8 枚
モノカキさんに30のお題(19)

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p.1

 すべての事は偶然なんかじゃなく、必然。

 すべての物事はあるべくして、ある。

 すべての出来事は起こるべくして、起こる。



 だったら、今目の前のこれもそうなのだろうか。そう考えて、メイリーナは眉根を寄せた。彼女にとって、たんたんとこなす日常はすべて計算されたものであり、予想外も予定外も起こらない。すべてが彼女の手のひらの範疇に納まる世界だ。それ以外の世界など、メイリーナにとっては不必要なもの。

 村中で一番冷静沈着、鉄面皮な彼女をここまで動揺させるものは、夕暮れ時の人通りのほとんどない彼女の帰路に落ちていた。一見、満身創痍の人間であるが、そこに不釣合いな黒い羽が一枚ついている。羽といってもそこにはひらひらした羽毛があるわけではなく、むき出しの皮膚が黒光りしているだけだ。

(ありえない)
 人間の骨格はそもそも飛ぶようには出来ていないのだ。そこに羽があるというだけで不自然だというのに、羽毛もついていない。色も黒く、これではまるで。

「魔族…なのかしら」
 醜悪な異形の姿をするものをそう呼ぶことぐらいは知っている。醜悪というよりも、異形の姿に心がひるみ、後退りそうになるのを必死に堪える。よく見れば、慣れる。そう言い聞かせる。可愛いものだ、と。

「っあの」
 近寄りながら、声をかける。手持ちの籠には買ったばかりの卵も数個入っているので、その場に置いておく。近寄りながら、エプロンを外す。怪我がひどそうだから、これで応急処置をしようと思ったのだ。我ながら、お人好しだとも思うが、目の前の怪我人を放っておけるほど薄情でもない。それが、たとえ何であっても。

「生きてますかぁ?」
 あまり近づくのを避けて、手がギリギリ届く距離にしゃがみ、指先で触れてみる。まだ、温かい。でも、返事はない。これなら、まぁ、もう少し近づいてみてもいいだろう。でなければ、怪我の状態がさっぱりわからない。

「動かないでくださいね」
 意識のない相手だが、一応小声で言っておく。

 近くでよく見てみると、表面的には細かい傷ばかりでそれほど大きな怪我というのは見当たらない。ゆっくりと彼の後ろ側、例の羽のあるほうへ移動してすぐ、吐きそうになった。ものの焼ける臭いが強い。それはすべて彼の翼と背中からしていた。

 怪我なんてものじゃない。これで本当に生きているのだろうか。羽といっても作り物ではないのはよくわかる。背中にしっかりと根付いているのだ。神経だって通っているだろう。きっと足や手を焼かれる以上に痛いに違いない。エプロンでは覆いきれないが、それでも不自然な片翼をいぶかしむ。彼の背に張り付いているのは確かなんだが、どう考えてもその位置が半分なのだ。背中の半分。ということは、もうひとつあってしかるべきだろう。

 足音を静かに、彼の頭のほうから近づく。もしも、本当は二枚あるはずならば、今これがひとつに見えるということは。

 つまりは。

「!」
 目にしたそれは、とても表現しきれない惨さで、そのまま走って、道端の影で吐いた。我慢し切れなかった。でも、放っておけないという気持ちはますます強くなった。

 口元を拭い、苦さをかみ締めながら、もう一度彼に近づく。そして、今度はそれを見ないように、彼にエプロンをかける。あまりに酷すぎて、エプロンでは覆いきれない。もっともっと大きな布を。

 ポツリと、地面に染みが落ちる。雨だろうか。だったら、早く木の陰でもいいから彼を運ばなければ。

「起きて」
 恐れる気持ちはもうなくて、正面に回って、彼の頬を叩く。体を揺らす。痛みでいい。とにかく起きてくれなければ運べない。

「立って、歩くの。私じゃ、貴方を運べないのよ」
 かすかに片翼が動いた気がして、もっと強く叩く。

「起きてっ」
 さっきのは気のせいだったのか。彼はまったく目覚める気配がなくて。

 怖くて、目の前で命が消えてゆくのが、怖くて。体が震える。助けを呼べば、彼は殺される。直感ではなく、事実として知っていた。つい先日も腕に鱗を持っていた少女が村を追われたばかりだからだ。外は雨こそ降っていなかったものの、既に暗くなっていた。彼女は無事でいるだろうか。

 そんなことより、目の前の男はまったく目を覚ます気配がない。しかたないので、彼の片腕を持ち、背中に背負う。

「っ重…」
 押しつぶされそうになりながら、一歩一歩、自分の帰路を歩き出す。ここが村の外れの外れでよかった。村人は他に誰も通らない。見つけたのが私でよかったかどうかと言われると、困るけど。

 ズッ ズッ ズッ …。

 引きずる重さは命の重さだ。簡単に壊れる、命の重さ。意識を失っている人間は重いというが、これほどとは思わなかった。

 数歩ごとに休み、五分もかからない帰路を三十分もかかってしまった。彼を戸口に下ろし、ドアを開け、もう一度背負いなおす。今度は階段だ。たった二段が、これほど恨めしく思ったことはない。

 居間について彼を床に降ろし、ドアを閉める。

 バタン、と聞いて。ドアを背に座り込んだ。

「…疲れたぁ」
 そのまま、意識は遠くなった。



p.2

 などとやっている場合ではない。

 頭を振って、体を起こす。目の前には、片翼の人間らしきものが倒れている。全く微動だにしないのだから、余程の怪我なのか。あるいは、もう死んでいるのか。

「死なれちゃ困るわね。…っと」
 体を動かすと、ほとんどない筋肉が悲鳴をあげる。でも、このままではどの道、彼は死ぬ。誰かが死ぬのは、見たくない。それが私が臆病なせいだとしても。

 ダイニングと繋がっているキッチンの流しで、タオルを絞り、流し台の下からバケツにをとって、水をたっぷりと入れる。それを持って、彼のところへ戻る。

「痛いかもしれないけど、動かないでね」
 返事のない相手に、一応、言っておく。意識がないのだから、言ってもしかたないのだろうけど。

 とりあえず、泥だらけの顔を拭く。

「あら…」
 思ったほど酷い造形ではない。むしろ背中の異形さえなければ、世界中の女性がほうっておかない、顔立ちをしている。優しげで、儚げで、守ってあげたくなるような。

 余計なことを考えている場合じゃない。気を取り直して、腕、体、足、と順に拭いてゆく。そうすると細かい傷が目立ってくる。とりあえず、真っ黒になってしまったバケツの水を変えるべく、一度流し台に戻る。バケツに新しい水を汲みなおす間に、救急箱から傷薬、火傷薬、包帯、絆創膏などをありったけ捜し出す。

 ざぁぁっと、バケツの水が溢れる音で慌てて戻り、水を止めて、今度は彼の背中側にまわる。用意しておいた薬と包帯を持って戻り、意を決して、包帯代りにしておいたエプロンを外す。

 何度見ても、惨い。羽の異様さなどどうでも良くなるぐらいに、酷い。よく平気でこんなことをできるものだ。

 筋肉ばかりの羽に手をかけて、そっと、そぅっと拭き、火傷薬を塗り、包帯を丁寧に巻いてゆく。こういうとき、自分の器用さは有り難い。火傷の薬も先日大量に買い置きしたばかりだから、ギリギリ足りるだろう。問題は、包帯が足りないことだが、それもシーツを裂いて作ればいい。

 一通り終えても、彼は動かない。

 彼の体を完全にうつ伏せにし、一番酷い背中にうつる。どんな具合なのかがわからないけれど、まず傷口を洗わなければならない。バケツの水を汲み直し、腕まくりをし、大きく深呼吸をしたあと。口をぐっと結んでとりかかる。

 傷口に軽く水をかけた瞬間だった。

「っ!」
 ばさりと、きっと羽毛があれば聞こえていただろう片翼が、強かにメイリーナを打った。筋肉ばかりなのだから、そりゃあ痛い。しっかりと口を結んで、歯を食いしばっていなければ、口の中を切ったかもしれない。

「動かないで。治療中よっ!」
 それでもそれは動くのを止めなくて、もう意地になってじゃぼじゃぼと背中に水をかけ、さっさと傷口を拭き、一番酷い傷(おそらく片翼をもぎ取られた跡だ)にアルコールを吹き付け、周囲の火傷に傷薬をつけ、急ごしらえの包帯を巻き付ける。

「おとなしくしてっていったのに、もう!」
 バケツと薬とタオルを持って、今度は風呂場に向かい、そこに全部ほうり出して鏡に向かう。

 まったく、顔には随分な怪我をしてしまうし、押さえていた腕にも痣はできるし、体中痛いし。散々だ。

 毛布を持って、居間に戻り、眠っている男にかけてやる。額に手を当てると案の定熱が出てきている。冷蔵庫から氷を取り出し、今度はタオルをそれにつけて絞り、彼の額にかけてやる。

 そこまでやって、どっと疲れが押し寄せてきた。向かい合うように彼の隣に横になり、その顔をのぞき込んだ。見つけたときよりも表情が表れている。苦しそうではあるが、たしかに生きていることに安堵する。

「死なないでね」
 命が消えてゆくのが、なによりも怖い。普段は心を鈍くしていても、こういうときは強く思う。簡単に消えてゆくけれど、だからこそ、こんな死に方はさせたくない。ただの嬲り殺しなど、絶対に許せない。

 彼の額に落ちかかってきた一筋の髪をつまみあげる。生乾きの髪はやわらかく、しなやかさを失わない。ゆっくりと耳の後ろにかけ、そっと戻そうとした手を掴まれた。

 もちろん、ここには彼と私しかいないわけだし、私の手が私以外の手に掴まれるとしたらそれは間違えようもなく、彼のものだ。

「おはようございます」
 叫びだしそうな私の先回りをして、彼は穏やかに微笑んだ。とても安らいだ顔で、思ったとおり儚げで。

 ずっと見ていた私なのに、思わず叫びだしそうに自分を抑えるために、必死に笑顔を取り繕った。

「いつから気が付いていたの?」
「今です」
「本当に?」
 実はさっき水をかけたときじゃないのだろうか。

「はい」
 怪我人とは思えない朗らかな笑顔であったので、作り物ではなく、へらりとつられ笑いが零れてしまった。和んでいる場合じゃないのに。

「まぁ、まだ眠ってなさい。動けないでしょう? 寒いなら、もう少し毛布もってくるわ」
 筋肉痛で軋む体を無理やり起こし、立ち上がる。声をかけられたような気もしているけど、とりあえず毛布だ。冬用にしまっておいたものを引っ張り出して、戻ってきて羽に触れないようにそっと掛けてゆく。

「ありがとうございます」
 起き上がろうとする彼を制して、もう一度同じ場所に、今度は膝をついて座る。

「クッションしかないんだけど、枕はこれでいいかしら?」
「はい、かまいません」
「あぁ、ほら。起きないでいいから」
 彼は笑顔だけど、笑顔なんだけど、ものすごく警戒している。当然といえば当然だ。起きたら、見ず知らずの他人の家にいるんだから。

「「私は」」
 二つの声が重なる。

 こういう場合は。と、私は彼の目の前に人差し指を立てる。

「なにも話さないで。私も聞かない」
「いえ、しかし、それでは」
「わけありでしょ。ほら、もう眠りなさい」
 瞼の上に手を翳そうと伸ばす。しかし、その体勢を維持できないとは思わなかった。ぐらりと、彼の方に体が倒れる。

 やばい、と思った時には大抵手近な掴まりやすいものに、手が伸びるものだ。

「あっ! 避けて!」
 とっさに言ったが、無茶である。正直、本当に避けられるはずがないのだ。あれだけの重傷なのだから。でも、だからといってメイリーナ自身にも避ける自信はない。

 衝撃がきたら、せめて早く体勢を立て直そうと心に決め、それに構える。

――とんっ。

 思ったより軽い衝撃だった。そのまま体を起こそうとしたが、背中が押さえ付けられてしまう。そんなに疲れていたのかとも考えかけたが、すぐに間違いだと頭を振る。

「動けるの?」
 上ずった声は、メイリーナの口から零れていた。

「はい。お怪我はありませんか?」
 柔らかな声は頭の上から聞こえる。先程まで目も覚めていなかった人のものだ。信じられないことに、メイリーナはその人物の腕で支えられていた。いや、支えられているというより、抱きとめられている。

「私は大丈夫。それより、あなた…」
 肩の辺りが暖かさと共に軽くなる。別に持ち上げられたとか、そういうわけじゃない。

 彼の手でゆっくりと体を起こされ、メイリーナの頬に手が添えられる。

「ずいぶんとご迷惑をかけてしまったようですね」
 申し訳なさそうというより、哀しそうに微笑みながら彼は言う。

「そうね」
 言って返すと、その微笑みが深くなる。彼の手が添えられた辺りが、ゆるりと温かくなる。痛みが消える。つまり、この人は魔法が使えるわけだ。まぁ、羽が生えてる時点で普通ではないのだから、今更驚くことではない。

 大きな腕を取り、彼を見上げる。

「人の治療なんかする前に、自分のをしなさ」



 言葉は。

 続かなかった。

 彼の温かさが。

 直に。

 流れ込んで。



 やけに近い男の顔を目の前に、呆然としながら声が流れる。

「お金、とるわよ」
「はい」
 あっさりと答えてくれる。どう見ても無一文だろうが。これでは助けてやったのに、助け損ではないか。目の前でやけに笑顔な男を睨みつけるが、なおも嬉しそうにされては怒る気も失せる。

「冗談よ」
 これだけ動けるなら大丈夫だろうと、彼の肩を軽く押し返す。

「あぁっ」
 たったそれだけなのに、彼の体は倒れてしまって、とっさに掴まれていたメイリーナはその上に乗る体勢になっていた。今度こそ、慌てて起き上がる。

「全然大丈夫じゃないじゃない! 私なんかを治す前に、自分を大切にしなさいっ」
 怒っているのに、彼はへらへらと笑っていて。まったく調子が狂ってしまう。引き寄せられるままに、彼の隣に横になる。彼は嬉しそうに私を抱きしめる。初めて逢った人間にすることではないと、彼はわかっているのだろうか。

「熱でも出てるのかも…」
 そうだったら、なんとか納得できそうだ。でも、どのぐらいで熱が高いと判断すればいいのだろう。普通の人間と同じでいいのなら、とりあえずは手のひらは大して高くはない。

 少し高くてとても近い位置から聞こえる寝息に、ほっと微笑む。

 ただ死んでほしくなかっただけなのに、予定外に仲良くなり過ぎてしまった。動けるようになったら、追い出すつもりだったのに。

 いやいや、つもりではない。近かったからここに運んだだけなのだ。明るくなって動かれても困るが、明日の夕方頃にはせめて他の場所に移ってもらわなければならない。完全に全快するまでほうり出すつもりはないが、だからといって、ここにいられても困る。ここは安全ではないのだ。

「メイリーナ」
 呼ばれて、顔を向ける。彼はすっかり眠ったままで、寝ぼけているのだと思った。

「今度こそ…」
 寝ぼけたまま、その腕に力が込められる。誰か自分と同じ名前の人と間違えているのだろう。そして、その人と何かつらいことがあったのだろう。夢でまでうなされている人をつきはなすなんてことは、できない。

 手を伸ばし、彼の髪に触れ、撫でる。

「良い夢を」
 すべての事は必然で。すべての物事はあるべくして、ある。すべての出来事は起こるべくして、起こる。そんな逆らい難い時を生きているのだから、せめて。

 夢の中だけは、思う通りの世界を描きましょう。幸せな世界を。

あとがき

人生行き当たりばったりの場合は、よていがいもあったもんじゃないけど。
まぁ、それだと周囲に迷惑をかけることもあるので、少しぐらい計画どおり行きましょう。