銃声を子守歌に眠ることなんて、望んでいたわけじゃない。私だって、普通の女の子なのだ。普通に生活していたいし、普通に恋愛もしたい。すべては、家のため、お父様のため。だったのだけど。
手元の黒光りするモノを軽く放り投げる。と、それは落ちてくることはなく、代わりに優秀な私の執事が目の前に立つ。
「あら、早かったのね。零里」
彼は普段とは違う焦ったような表情で、怒りたい様子なのも心配そうなのもよく見えてしまう。勘のいい自分は嫌いだ。
すべてを押し隠して、いつもと変わらない笑顔を作って彼に向ける。いや、作っているわけじゃない。本当に、彼が目の前にいるだけで、たったそれだけで笑っていられる。今日も怪我はしていないし、今日も走れるだけの体力もある。それだけで、十分だ。
「こーゆーものを、軽々しく、投げないでくださいっ」
怒られたけど、なんだかその様子が普段通りでとても嬉しい。状況は違うけど、私は嬉しい。
「はぁい」
私があまりにもけろりとしているせいだろう。彼は大きくため息をついた。全て彼が導いた状況とはいえ、こうも人質が脳天気なのが困るのだろう。
ならば、どうして人質に拳銃なんてものを渡したのだろう。何故、零里ひとりで私を見張っているのだろう。
「お願いしますから、おとなしくしてください」
「おとなしくしてるじゃない。ちゃんと」
ベッドから立って、彼の腕にしがみつく。
「…何をなさっておられるのですか?」
「またまた。わかってるくせに」
しがみついた腕を引っ張って、彼の後方で捻り上げる。でも、彼は抵抗する素振りも見せない。本当に私を捕まえておくつもりがあるのかどうか、怪しいどころではない。
「どうしてさ、抵抗しないの? 私、逃げるわよ?」
「どうぞ」
なんだか投げやりな返事だった。それが、頭にきた。私は、誰かの思い通りに動くのは好きじゃないのよ。
彼の腕を放し、またベッドに戻る。
「アルト…様?」
「今日は何日目?」
「三日目、ですが、その…アルト」
様、と続けようとするのを声を張り上げて邪魔する。
「三日ね」
もう三日。まだ三日。彼らは、いつまで来るはずのない人を待ち続けるのだろう。お父様は、絶対来ない。私のためなんかで動くはずがない。
やめよう、こんなことを考えるのは。私がやるべきことは、零里とここを抜け出すことだ。零里は、これからの私に絶対に必要だから。でも、だからといって、帰ろうの一言で帰るとも思えない。彼にしてみれば仇討ちのようなものなのだから。
三日もたつのに、まだいい考えは浮かばない。
「もうすぐ、零里が家に来て五年になるかしら?」
彼は複雑な顔で私を見ている。それに気がつかないふりをしながら、ベッドに横たわる。目を瞑って、世界を閉じて、零里を感じる。
「零里は、うちが嫌いだった?」
「いえ、そのようなことは」
「私が嫌いだった?」
少しの間の後、声が、返ってきた。
「いいえ」
落ち着いた静かな声。目を閉じていると、変わらない日常の中に戻ったみたいで嬉しい。すぐ近くでゆれる風の気配を捕まえると、風はびくりと震えた。
「じゃあ、好き?」
間髪入れずに、囁くように問いかける。答えが返ってくることは期待していないから、まぁ独り言と同じだ。
しばらく待っても返答はなくて、やっぱりそのまま私は眠ってしまって。
いつか、闇の縁に私は立っていて、零里はやっぱりもっと遠くにいて。叫んでも声は出なくて、聞こえなくて、届かないままで。遠くなる姿が恐くて、独りが、恐くて。心が壊れてしまいそうだった。
「(独りに、しないで)」
もう、独りはいやだ。零里がいない世界になんて、いたくないよ。
なんてことを聞くのだろう。面には出さなかったものの、心中は穏やかでないどころではなかった。答えは最初から決まっているが、俺には口に出す資格などない。彼女の信頼を裏切って、こんなことをしている俺には。
目を閉じた彼女から穏やかな寝息が聞こえてくるまで、指先さえも動かすことが出来ずに固まっていて。軽く頭を振って、正気を呼び起こす。
もっと違う出会い方なら、いや、もっと違う立場であったならどれほど良かっただろう。だが、その場合は俺たちの出会いはなかった。彼女との出会いを否定する気はないが、せめて彼女の父親が違っていたなら。もっと普通に出会えたら。
ベッドに横になり、目を閉じたまま楽しそうに問いかけてきた彼女の姿を想う。それだけでも、俺は十分に満たされる。
「零里、これが終わったら、」
眠っている彼女に掛け物をかけてやるために近寄りかけた足を留める。起きているのだろうか。それとも、寝言、だろうか。
「全部、終わったら、さ。あのお屋敷で、お茶しよぅ?」
彼女の言う屋敷は、夏になるとよく出かけるあの幽霊屋敷のことだろう。
「全部、終わったら、また…」
眠そうな声が途絶えて、再び寝息が聞こえてきた。
全部終わったら、俺はもう彼女そばにはいられないのに。相変わらず、無茶なことを言う。俺は復讐を諦めるつもりはないのだから、もう再び安穏とした日々に戻れることなどないのだ。
ポケットから拳銃を取り出し、彼女に向ける。焦点を合わせ、引き金を、引く。
好きだから、他の誰の手にもかけさせたくない。愛しているから、生きて、幸せになってほしい。相反する想いで焦点がぶれる。こんなことをこの三日間、何度繰り返してきただろう。機会なんてありすぎるほどあったのに、ただの一度も引き金を引けない自分がいる。
本当は、こんな復讐劇になんの意味もないことはわかっているんだ。だから、アルトを殺すことも出来ない。憎んだのはアルトの父親であって、アルトじゃない。それどころか、アルトは恩人なのだ。体と、心を救ってくれた、かけがえのない人なのだ。殺せるわけがない。
だったらさっさと逃がしてしまえばいいのだが、彼女はまったく出て行こうとしない。機会なんていくらでもあったのに、出て行かずに俺のそばにとどまり続けている。その、真意がわからないわけじゃない。
足を進め、彼女に掛け物をかけてやる。軽く触れてしまった髪を離し、彼女から離れる。
「アルト」
この期に及んで、俺は何をしているのだと言われたけれど、これだけは譲れないんだ。
「生きてください」
この光を消すことなんて、誰にもさせない。
元に戻るのは絶対に不可能かもしれないけれど、少なくともアルトだけはあのゆるやかだった日常に返す。絶対に誰にも殺させやしない、と。堅く心に誓った。
好きだから、死なせたくない。
好きだから、幸せになってほしい。
好きだから、一緒にいたい。
好きだから、あの穏やかに日常に返りたい。
そう思うのは、いったいどちらが不可能なことなのだろう。
cry for the moon 実現不可狽ネことを望む by 三省堂提供『EXCEED 英和辞典』より
長かった。とっても長かった。
そして、これだけは書きたくなかった…!(じゃぁ書くなよ)
待っていなくてもお待たせしました。
2004年内とかいいながら、結局3分の1を残して年明けてしまいました。
しかもひと月すぎてしまいました。垂オ開きもできません。
実現不可狽ネことで、明るい話って難しいですねー。
どう書いても無理。医者でも頑張ったけど、あれ自体暗いから無理。
お嬢様も暗くなってしまいましたがね…。
お嬢様と執事もクライマックスにいけそうです。
最初の嵐閧ヘもっと明るい話にする嵐閧セったような気がしないでもないですが(ぇ、
とりあえず、もうちょっとラブx2にしてあげたい二人です。
次は、『ふたり』がテーマか。
…双子?いやいや、それじゃ近親相姦ですよ!?←何を書こうとしているんだ。