はーさん>> モノカキさんに30のお題>> 29. おかえり

書名:はーさん
章名:モノカキさんに30のお題

話名:29. おかえり


作:ひまうさ
公開日(更新日):2005.10.5
状態:公開
ページ数:1 頁
文字数:2969 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 2 枚

モノカキさんに30のお題(29)


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p.1

 夏の庭に蝉が泣く。生きたいと、夏空と白雲と緑風に向かって、力一杯に。

 私は冷たい縁側に頭を置いて、頑張れと呟いた。そこはいつも日陰になっており、家の中を通り抜ける風の通り道となっている。風が触れる度に、縁側は静かな冷たさを伝えてくる。

「はーさん、はーさん」
 床の振動がダイレクトに響いてくる。

「何してるの?」
 上からのぞき込む彼女の顔は心配の色など微塵もない。冷たい手を私の頭に乗せて、自分の額にもう片方の手を置いて、熱を測る。

「熱はないね」
「あはは、あるわけないじゃん」
「暑気中りかな」
 彼女は私を病気にしたがっているようだ。冗談じゃない。

「暑気中りなら、大根おろしを背中に…」
「あー大丈夫大丈夫。単に涼んでるだけだから」
 紛らわしい、と額を叩かれた。

「まぁ、ともかくお客さんだよ。はーさん」
 彼女がこうして来たと言うことはそういうことだろうと思っていたけど。

「やだ。今日は仕事したくないー」
「わがままいわないー」
 連れてくるね、と彼女が走っていった。今日の客はどうやらここまで勝手に上がるような人物ではないらしい。そういうことなら仕方ない、と起きあがり、座椅子に座り直す。少し浴衣の裾を直してみたりする。いったいどんな人物がくるのか、考えかけてやめた。先入観を持つのはよくない。それに、やはりめんどうだ。

 きしり、と軽い音を立てて縁側が来訪者を告げた。

 稲穂のような色の長い髪、土色の瞳、白いワンピースに、白い鍔広の帽子を胸に抱えて、彼女は私をまっすぐに見据えていた。

「はじめまして、でいいのかしら?」
「そうね」
 不思議と、初対面の気がしない。それは彼女も同じらしい。意志の強そうな瞳が柔らかく笑む。

「水?ジュース?コーヒー?」
「水をお願いします」
 彼女は名前を、アルトと名乗った。名前の割に声音は柔らかな高音で、耳に心地よい。

 いつものように居間に移動する。アルトは、彼女に手を引かれながらやってきて座る。見えてないようには見えなかったけれど、実際の所どうなのだろう。

 客を座らせてから、彼女が台所に消える。すぐに水を持って戻ってくる。彼女にしては珍しく、客の手にしっかりとコップを握らせてから、また姿を消した。

「目、悪いの?」
「一時的なものだと思うんだけど」
 アルトがこれまでの経緯を話す。とりわけ、彼女の執事をしていた男の事を嬉しそうに。

 長い長いのろけ話には終わりが無いように思った。しかし、私も今日は別に止めようとは思わなかった。何故だろう。彼女がそうしているのがひどく嬉しい。

「貴方は、なんだか他人のような気がしないわね」
「そうね」
 彼女の用意したショートケーキを食べながら、ふたりで笑う。とても穏やかな時間。

「もしかして、どこかで会ってるかもしれないわね」
「むかしむかしは一緒に遊んでいたとか?」
 ありえなさそうなことを二人で話して笑う。こんな普通の会話なんて、彼女としかしていなかったから新鮮なはずなのに、やはり何処か懐かしい気分にさせる。

 いつまでも懐かしんではいられないと、わかってはいる。だけど。

「お酒、飲みたいわねぇ」
「あら、私たちは未成年…」
「堅いこと言わない、言わない」
 戸棚を開けて、日本酒を取り出す。銘柄は鈴音。ほんのり甘くて美味しいのだ。チーズがとてもよく合う。

「チーズケーキもあったかしら~?」
 台所には彼女が居なかったので、勝手に冷蔵庫からケーキの箱を取り出す。ベークドチーズケーキがあった。おあつらえ向きだ。

 戻ってくると、アルトがはっと顔を上げる。一瞬の不安と迷いがみてとれるが、すぐにもとの柔らかな笑みに変わる。

「あ、あの」
「はいはい。話の続きは飲みながらにしましょう」
 あまり悠長にもしていられないようだ。

 改めて、アルトの様子を見てみる。目はまだ見えていないようだ。一時的と言うからには、ここに来るまでは見えていた、ということだろう。こういう場合の見えないというのは、つまり。

「彼と、何があったの?」
 ほんの少し、彼女の笑顔がこわばる。でも、彼女にはきちんと見て欲しい。それができる人だからだ。

「何も」
 平静に答えようとするが、コップを持つ手が震えている。

「うそ。聞いてあげるから、全部言っちゃいなさい。ここには、私しかいないから」
 長い長い沈黙の後、それまでとは違って沈んだ声で、アルトはぽつりぽつりと語り始める。

 彼女の執事の正体と、優しい拘束、残酷な約束、そして、結末。

 一気に話ながら、彼女は涙ひとつこぼさなかった。拳が白くなるほど握りしめて、耐えていた。

「私は、レイリに生きて欲しかった。一緒に生きたかった。だから、最後の賭けをしたの」
 自らの父親を呼び出し、レイリと直接に対決させる舞台を整えた。だが、どちらもがたったひとりという約束を違えていた。

「お父様よりレイリの方が大切だった。でも、やっぱりお父様も大切だった。だから、仲直りしてほしかった」
 しかし、二人の溝はあまりに深すぎた。どちらかが死ななければ終わらないのだと言った。

「私、賭をしたの」
 人質の自分がいたから、二人には争うしか道がなかった。だったら、自分がいなくなったら、別の道が開けるかもしれない。

「まさか」
 あったのは拳銃だけだった。

「馬鹿ねぇ」
「ええ、本当に。どうせなら逃げてもよかったんだけど、それじゃレイリがどこにもいなくなってしまうかもしれない。それだけは絶対に厭だった」
 実行したはいいが、結果が怖いだけなのか。やはりずいぶんと強い人だ。ここに来る必要なんてあったのだろうか。

「つまり、アルトは目が覚めたときに彼がいないのが怖いのね」
「レイリの「おかえりなさい」を聞かないと、帰ってきた気がしないだけなんだけど」
「なんだー。結局のろけじゃない」
「え、そう?」
「大丈夫よ、きっと」
「きっと?」
「信じれば、叶うから」
「?」
「ここはそう言う場所よ。信じなさい、アルト。信じれば、夏にだって雪は降るのよ。見て」
 ざざざぁっと風が吹く。夏の庭に白い欠片が降り始め、静かに静かに溶かされながらも積もってゆく。

「わ…ぁ」
「ね?」
 目が見えるようになったら、彼女にここは用はなくなる。もうすぐ、別れがくる。わかっていたけれど、少し名残惜しい。

「アルト、今度遊びに行ってもいい?」
 行けるかどうかは、わからないけれど。という言葉は飲み込む。

「え、ええ。もちろんよっ。なに、これ。どうやって降らせているの?」
「原理なんて知らないわよ。ただ、雪が降ると思えば降るだけなんだから」
「すごいわ。これ、遊園地でやれば大当たり確実よ!」
 根っからの商売人ですか、アルトは。

「その調子なら、もう大丈夫ね」
「ええ、ありがとう。葉桜さん。ところで…」
 彼女がそれ以上続ける前に、姿が消えた。代わりに、彼女が戻ってくる。

「どうしたの?」
 彼女がとても不安そうな顔をしていたから、手招きする。彼女は、珍しいことにぴたりと私にしがみついた。

 どうしたの?という言葉がかすれて、自分の耳にも届かない。不安が、伝染してくる。

 アルトは、彼に会えただろうか?

 私も「おかえり」を言ってくれる誰かに、いつか会うのだろうか。

 でも、今は。

「ただいま」
 少しの間を置いて、彼女が「おかえり」と囁いた。しばらく、離れてはくれなかった。

あとがき

書き直し。イコールにしない場合。どうしても、ここで話をまとめてしまう…。
…でないと、捨ててしまいそうだ。このお題。
(2005/10/05)