給料前の非番はいつも時間がありすぎてしかたがねェ。かといって、今日は平隊士に稽古をつけてやる気分でもねェ。
こういう時は大抵桜庭でもからかって遊ぶんだが、同じ非番のあいつは朝から台所に籠もって何か作ってやがるらしい。らしいというのは、誰一人中に入れてもらえないせいで何を作っているのか誰も知らねぇせいだ。俺の居る場所は少し離れているが、旨そうな匂いが屯所中に溢れかえってて、誰も彼も気になって出掛けられないというのに、当の本人は上司であっても副長であって入るなとの一点張り。しかも、「入ったら泣きます」とか変な脅しかけるもんだから、誰も手が出せねェ。
まあ、近藤さんが一言言えば開けるだろうけど、その近藤さんは昨夜から島原だ。帰ってくる気配もねェ。
「あー…腹減った…」
朝から屯所中がそんな具合なもんだから、諦めて外に食いに出るヤツらも多く、正午まで後一刻ほどの現在屯所内は桜庭の作ってる何かを食べたいと諦めない者ばかりが残っている。
手料理なら桜庭の当番の時に食ってるが今日のは明らかにそういうんじゃねェ。
「桜庭さんー!」
「まだ駄目ですよ」
勇気ある平隊士が台所越しに声をかけるが、中からは笑いを含んだ声しか聞こえない。そういえば、こういう時怒りそうな土方さんまでいねぇんだな。珍しいこった。
俺は別に桜庭が気になるからここにいるとかじゃなくて、単に金がねぇからいるだけだ。しかし、金のないときは屯所の飯ってやつらが多いのに、迷惑なことしやがるぜ。ちったぁ考えるように上司として一言ぐらい言ってやるか。
そう思ってのそのそと寝転がっていた台所角の廊下から起き上がる。ゆっくりと台所まで歩いていく道のりが、ずっと見えていた道のりがやけに長い気がした。
「……」
あれ、俺ァ何言おうとしたんだっけ。
扉の前にしばし佇む。が、すぐに考えても仕方ねぇと切り替えた。
「おい、桜庭…」
扉の目で声を張り上げようとしたとたん、扉が開いて、口に何かが放り込まれた。そのまま直ぐさま閉じられる。
「もう少しですから、永倉さんも大人しく待っててください」
扉の向こうからは甘い匂いと優しい香りと、楽しそうな桜庭の声。そして、口の中には甘い甘い卵焼き。
なるほど。ハジメの姿も見えねェと思ったが、これでやられたな。
甘い甘いそれを飲み込んで、ぺろりと口を舐める。ようやく、意識がはっきりしてきたぜ。
「開けるぞ」
「いやぁー! 待って、こっちから開けるので待ってください!!」
知ったことか、と扉を開けると、机一杯に何かが広げられている。その何か、とは。
「なぁに、正月でもねぇのに豪勢なおせち料理なんか作ってんでェ」
「あーもうー早くそこを閉めてください!」
ぱたぱたと俺を通り抜け、扉から入りたそうな者たちを締め出し、桜庭は深いため息を吐き出す。
一方で俺は、こいつ、こんなに料理なんか出来やがったのかと感心していた。普段の料理が如何に大雑把に作られているのかがわかるほど、目の前の料理は丁寧でしかも美味そうだ。島原で出る料理の華やかさはないけれど、素朴で家庭的な感じがどうにも郷愁を誘う。
「つまみ食いは駄目ですよ」
思わず伸びた手をぴしゃりと叩かれる。極近くでさらに美味そうな香りが匂い立つ。そう思った時には動いていた。
桜庭の両肩を抑える。
「な、永倉さん!?」
「はら…へった…」
「は? いやだからこれからお花見をですね」
なんでこいつはこんなにうまそうな香りしてやがんだ。
「そうだ。手伝ってくれたら、永倉さんにも食べさせてあげますよ」
落ち着け、落ち着け俺。こいつは新選組隊士で、俺の部下で、島原の女達とは違うんだ。遊びで手ぇ出していい相手じゃねぇ。
「ちょっと、永倉さーん? …どうしたんだろ」
俺の目の前でひらひらと小せぇ手が振られる。普通の女なら無い稽古で傷だらけの手の平なのに、捕らえると普通の女よりも折れそうに細い。
「腕、痛いんですけど」
よく見れば、普通の女よりも腕も首も細いし、相変わらず胸も小せぇ。でも剣も扱えて、根性なんかその辺の男よりもあって、これまで必死に俺たちに着いてきた。反面で、しっかりと女らしいこんな部分を捨てずにいる。
ああそうか、忘れてたぜ。こいつ、女なんだよなぁ。
「オメー、やっぱ女なんだなァ」
「なんですか、その「忘れてた」的発言は!」
「ははは、悪ぃ」
腕を放して、手を桜庭の頭にのせて撫でる。
「もーどうして、いつもそんなこと言うんですか…」
仕方がない人ですね、と寂しそうに笑う。そういう顔されると、弱ぇんだよ、俺は。計算してる訳じゃねェだろうけどな。
「入ってきたからには手伝ってくださいよ。これからこれを運ばなきゃいけないんですから」
「どこにだ?」
桜庭の指定したのは川沿いの桜が咲いている場所で、すでに近藤さんや土方さんも平助、左之、ハジメもいるとのこと。てか、なんで俺だけ知らされてねェんだよ。
「だって永倉さん」
重箱を包んだ風呂敷を渡しながら、桜庭が華のように微笑んだ。
「聞きに来なかったじゃないですか」
くすくすと俺の膝の上で、鈴花が肩を震わせて笑う。
「あの時の新八さんってば、本当に変でしたよ」
場所はあの時とは別の桜の木の下で、あの時とは違って、俺と鈴花の二人しかいねェ。あの時より随分と少ない重の数。
「だってよォ、オメー、聞きに来なかったからってなんだよ」
「てっきり最初に聞きに来ると思っていたんです。お給金前だし、外に食べに行かれなかったでしょう?」
だから、だと。まったく、人のことを何だと思ってんだ。
「最後まで聞きに来ないから、あんなに変になるんですよ。あの時の永倉さんになら、私だって勝てましたね」
「言ってくれるじゃねェか。あんとき俺の手を振りほどけなかったくせによ」
朱に染まる鈴花の上に、ひらりひらりと桜の薄紅の花弁が落ちて、その色をいっそう引き立たせる。あの時よりも更に艶が出て、随分と女らしくなった鈴花は、恥ずかしそうに、顔を覆った。
「あれは、その…」
始めは単なるお荷物だった。猛者ばかりの壬生浪士組に女なんて、誰もが信じられなかった。が、松平容保様の義姉君の紹介じゃぁ仕方ねェってんで、面倒みてたんだ。当然ながら鈴花ごときの腕じゃ俺たちに敵うはずもねぇ。まして、女だ。どれだけのことがあったかしれねェ。
だけど、こいつは弱音一つ吐かなかった。いつでも俺たちに見せるのは元気な姿ばかりだった。おかげで、あの頃を思い出すと必ず鈴花の笑顔が浮かんでくる。それは、ここにいない仲間たちも同様だろう。死んでいったあいつらだって、思い出すのは鈴花の元気で一生懸命な姿ばかりで。単純だけれど、そんなことにどれだけ救われてきただろう。
あの時と同様に頭を撫でると、気持ちよさそうに目を閉じる。
「鈴花」
「なんですか、新八さん」
「これからも宜しくな」
見上げてくる華はその肌にわずかに朱を残したまま、眩しい笑顔を向けて、応えた。
うーん…なかなか上手くいかない。甘くない、よね?
誕生日らしいかと言われると困るし…。
八兄難しいね!←逃
(2006/03/22 12:00)
一条様への約一ヶ月遅れの誕生日プレゼントです。
(2006/03/29 09:14)