幕末恋風記>> 本編>> (元治元年水無月四日-五日) 3章#臥竜鳴動

書名:幕末恋風記
章名:本編

話名:(元治元年水無月四日-五日) 3章#臥竜鳴動


作:ひまうさ
公開日(更新日):2006.4.26 (2010.1.25)
状態:公開
ページ数:5 頁
文字数:13168 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 9 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
32#臥竜鳴動
1#山南と熱
2#臥竜鳴動
3#池田屋後
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p.1

1#山南と熱







 元治元年水無月四日の夕刻頃、それは私が沖田と稽古をしている最中のことだった。大きな足音が道場に近付いてきたと私が気がつき、視線を向けると、入り口に入るやいなや、鈴花が大きな声でそれを叫んだ。

「葉桜さん、大変です。山南さんが、山南さんが倒れてっ」
 鈴花の報せを聞いて直ぐに私が山南の部屋へ行くと、本人は布団に横にならずに青白い顔で起き上がっている。

「なんで眠ってないんですか……っ」
 がっくりと項垂れる私を静かに笑う山南の様子は普段と変わらないが、倒れたということはそれだけ無理をしていたということだろう。屯所内で私が山南といる時間も多かったというのに、どうして自分は気づけなかったのか。考えれば考えるだけ、私は自分が情けなくなってくる。

「葉桜君の来るのがわかったから、」
「私のために起きてないで良いですから。ちゃんと休んでいてください」
 傍らにいる山崎に山南が倒れた原因を尋ねると、過労だと言う。また根を詰めて教材作りでもしていたのか、それとも木細工でも弄っていたのか。

「なにやってんですか、もう。心配させないでください」
「本当よ、敬ちゃん。こんな時に余計な心配を増やさないで頂戴」
 山崎と私が二人で言うと、山南は分かっているのかいないのか、ただ微笑んで返してくる。それを見て、二人顔で山南の顔を見合わせ、大きくため息をつく。

「すまない、三人とも」
「そう思うなら、今日はちゃんと休んでいてくださいねっ」
 私が有無を言わせず言い切ると、山南はかすかに頷いた。この人、絶対わかってない気がする。ぐいっと山南の襟を掴んで引き寄せ、私が自分の額を合わせてみると、少しだけ熱い。

「な、葉桜、君」
「もー少し熱も出てるしー……今日はちゃんと眠っててください」
 私は山南の肩を押して、布団に無理やり寝かしつける。うわ、顔赤いし、山南は絶対熱上がってるに違いない。

「あれだけ気を付けてくださいって言ったじゃないですか。今は一番大切な時でしょう!?」
 昨日、山崎の情報で武田観柳斎が枡屋主人の喜右衛門を新選組に捕らえてきた。桝屋は本名を古高俊太郎と名乗ったが、それ以降だんまりを通しているらしい。今は土方が尋問している所で、結果がそろそろ出る頃合だと私は見ている。結果が出たら、あとは動くだけで、そうなればこれからの場に山南が一緒にいてくれたらどんなに心強いかと思ったのに、どうしてこうなるのか。

 紙に書いていないことはどうすることも出来ない自分が歯がゆくて仕方がない。

「……あのさ、葉桜ちゃん」
「それは、熱も上がりますって」
 怒っている私の側で、冷静に山崎と鈴花が突っ込むけど、私はそれどころじゃない。

「倒れないでくださいって言ったじゃないですかっ」
 私の膝の上に大きな染みが落ちて広がってゆく。

「山南さんがいなくなったら、私は、私は……っ」
 いつのまにか起き上がっていた山南の腕に私は包まれていた。広くて、大きくて、暖かくて、優しい人の体に私は無心でしがみつく。部屋の中に既に山崎と鈴花の気配はないことに、気がついていたから。

「心配させて、すまない」
「本当ですよっ」
 私は顔を上げて気がつく。

「なんで笑ってるんですか。私は本当に心配したんですよ!?」
「すまない。葉桜君が心配してくれたというのが、思ったよりも嬉しいみたいで」
「笑い事じゃないんですっ」
「ああ、わかっているよ」
「もう本当に、心配、させないでくださいっ」
「悪かった。今度からちゃんと気を付けるから、ね?」
 抱きしめて、耳元で優しく囁いてなんて、そんな風に病人に慰めさせて、私は一体何をしているんだ。ぼろぼろとみっともなく涙を溢してまで、私は慰められたいわけじゃないのに。

 山南を無理やり押し返そうとするも、しっかりと抱かれていて容易に振りほどけない。

「山南さん、大人しく眠ってください」
「眠るまでいてくれるかい?」
 山南はいきなり何を言い出すんだ。

「それは出来ません」
 私ははっきりと告げる。

「今夜、私にはやらなければならないことがあるんです」
 おそらくもう結果は出ているはず。私の真剣なのを見て、山南の手が離れる。

「約束ーー?」
 私が大きく頷くと、山南は大きく息を吐いた。

「山崎君によると、葉桜君が新選組にいる一番の理由だっけ」
 私はもう一度頷く。私がここに居る理由は既に近藤が一部のーー試衛館の仲間には話していたのだろう。山南はあっさりと、それじゃ仕方がないなと諦めてくれた。

 大人しく布団に横になった山南に上掛けを引き上げながら、私は続ける。

「その代わり、明日からはちゃんと看病してあげますから」
「期待しないでおくよ」
「本当ですって」
 じゃあちゃんと眠っていてくださいね、と念を押して私は部屋を後にした。

 直ぐ後に山崎がその枕元に現れたらしいことを私は知っていたが気がつかない振りをした。

「押しが足りないんじゃない、敬ちゃん」
 山崎の不満そうな声音に、山南は乾いた笑いを返して、直ぐさま寝息に変わったという。

「……それに無理しすぎ。こんな敬ちゃんを放っておくなんて、葉桜ちゃん何を考えてんのかしら」



p.2

 私は山南の部屋を出て夕陽で朱色に染まった庭へ降りた。歩きながら、懐からあの紙を出す。夕日に染まる赤い紙は、不吉を呼ぶようで、私は少し怖い。そろそろ古高は吐いたのだろうか。いつ、あの場所へ行くのだろうか。そんなことばかりが私の中を支配していて、落ち着かない。

 私の隣に降りてきた影がその紙を取り上げる。

「またこれぇ?」
 山崎は前もこれを見ているから、私の事情も知ってる。

「んー本当に何か書いてあるの?」
「うん」
 山崎には眼を細めても陽にかざしても、見えないのだろう。一番近しい弟も母も見えなかったのだから、山崎に見えるべくもない。一通り裏返したりしてから不満そうに山崎は私へ突っ返した。

「それで、また今回のことについて何か書いてあるワケね」
「うん」
「それって、弱ってる敬ちゃんよりも大切なの?」
 私は一瞬だけ逡巡し、迷ったけれど頷く。

「たしかに今回の任務はすっごく大変だし危険よ。でも、だからって」
「わかってるんならさ、私の言いたいこともわかるよね、烝」
 強く言い返すと、山崎からは嘆息が帰ってきた。

「わかってるけどぉ~っ」
「私に構ってるより、仕事あるでしょっ」
 いってらっしゃいと送ろうとしたら、私はいきなり山崎から襟首を掴まれた。急に近づいた距離に、私はらしくもなく動揺する。山崎は男とか女とか関係なく綺麗だから、目の前に急に近づかれると動揺しないではいられない。当たった額の温もりを眼を閉じていても感じるけれど、目を逸らすわけにはいかないから、私はまっすぐに山崎を見た。

「せめて始まるまではそばにいてあげなさいよ。敬ちゃんの気持ち、わかっているんでしょ?」
 それだけ言うと、返答も聞かずに消えた影に私は小さくゴメン、と呟く。

 山南が眠っている姿を見てしまったら、私はきっと山南が心配になって、これからの戦いに赴けなくなってしまうだろう。守るべきものがある今はまだ、山南のそばには行けない。

 本当は、「芹沢の代わりになりたい」と言ってくれた時にはとうに気がついていた。山南が私を好いてくれているということも、私が惹かれていると言うことも。分かっているからこそ、動けない。あの手を掴んでしまうことは、再び哀しみが襲うことを意味するからだ。

 もう一枚の紙を取り出す。

 最後に書かれた、山南の名前は震える文字で。

「……っ」
 頭痛と共に、青い空と鮮血が脳裏に浮かび上がる。時が進む度にそれは鮮明になり、私を苛む影を見せる。白い着物を着た人が、赤い花を散らして死んでゆくのだ。

 誰の記憶なのか、現実なのかどうかも私にはわからない。でも、あれはきっと過去じゃない。これから起こる厭な未来だと妙な確信が私にはあるから、私は前を向いて進む。

 山南は確かに大切な人だ。だけど、山南を守るのは約束だからであって、大切な人だからということに置き換わってはいけない。そんなことになったら、きっと私はどう行動したらいいのか分からなくなってしまうだろうから。



p.3

2#臥竜鳴動







 山南の部屋を出て、数刻後。日のすっかり落ちた暗い通りを歩く自分の足が、やけに重い気がする。原因はたぶん、これから起こることを知っているからこその不安だ。避けられない戦闘の中で自分がどれだけのことをできるのか、私には見当も付かないけど、私はやらなきゃいけないんだ。

 大きく息を吸い、吐き出す。それでも落ち着かない心臓の辺りを私は自分で強く掴む。

「よぉ、葉桜君。なんか様子がおかしいねぇ」
 隣からかけられる声に私は一瞬、動揺する。見上げる近藤はこれからおそらく激しい戦闘が起こるとも思えないような柔らかな目をしている。

「緊張してるのかい?」
 誰かに背中を軽く叩かれ、私の胸の中の何かが零れた気がした。

 これから起きる「池田屋事件」は室内戦だが、私は別にこういう戦闘が初めてなわけもない。道場をやっているころから、父と連れだってよく繰り広げてきたから、慣れているといえば、確かに慣れている。

「ホント、らしくないですよねぇ」
 私は努めて平静な声を出したつもりだが、震えていることに後から気づいた。本当に、私らしくもない。今更血を見るのが怖いわけでもないのに、今夜の私はどうしてこんなに震えが止まらないんだろう。

「屯所に残っていても良かったんだよ?」
「イヤです!」
 近藤から言われた言葉に私は即座に返す。残っていたらーー沖田、を守れないじゃないか。藤堂だって大怪我をするし、人手はいくらでも必要なんだから。

 近藤は大きくため息をついて、がしがしと頭をかいた。

「迷いで剣が鈍らなきゃいいけど」
 急に何を言うのだろう。迷っているようなら、そもそも私は新選組にいない。それに私は他の者とは違うが、信念も目的も明確なのだ。揺らぐコトなんて、ない。

 強く近藤を睨みつけたとたん、私は背中に大きな重力がかかり、一瞬体勢が崩れそうになる。

「ねえ、葉桜さん。今回はきっと盛大な斬り合いになるでしょう。楽しみですね!」
「お、沖田っ」
 背後から近付いた沖田が飛びついてきたのだ。沖田の場合は私よりも単純で、強い相手と戦えれば何でも良いのだろう。それは羨ましいようでもあるし、憐れでもある。

「今日こそは本気の葉桜さんを見せてくださいね」
 まだ言ってるのか、と私は嘆息する。

「何その、本気の葉桜君、ってのは?」
 くいついてきた近藤に、沖田が人の背中で目を輝かせながら答える様子が目に浮かぶ。

「葉桜さん、すっごく強いのにいくら稽古しても見せてくれないんですよ。いつも僕に勝たせて終わらせるんです」
「へぇ~」
 近藤が意味ありげな、イヤな視線を送ってくる。だって、沖田を勝たせないと稽古が終わらないし、私は仕事の後はさっさと休みたいんだから、当然じゃないか。

「僕の打ち込みに合わせて木刀を放り投げて、はい、お終い、って言われても納得いきませんよ」
 その後沖田は必ず打ちかかってくるクセに、よく言う。

「そのあとはいくら打ち込んでも全部避けて、結局逃げられてしまうんです」
 道場を出たら私闘になるから、私闘禁止の規則に私は随分助けられてる。引いては土方に助けられているとも言うかもしれない。後で思い出したら礼でも言っておこうとひそかに思う。

「いいかげん退けなさい、沖田」
 言ってみると珍しく素直に、沖田は私の背中から降りてくれる。かと思えば、隣に並んで、しっかりと私な手を掴む。

「……近藤さん、これどうにかしてよー」
 縋るように私が近藤を見ると、彼は至極楽しそうにくつくつと笑っている。

「総司、今日は存分に本気の葉桜君を見せてもらいな」
「煽らないでくださいっ」
 嬉しそうに満面の笑顔で頷いている沖田を横目に、私は苦笑いしかできない。たしかに今夜の戦闘は普段の半端な気持ちでやれば、命に関わるだろう。だから、今同じ班にいる沖田には必然的に見せることにはなるけど、それは沖田を守るための剣であって、彼自身は決してみることのできない剣なんだ。

 恨めしく見上げた天才剣士は、鼻歌でも歌いそうにぶんぶんと私と繋いだ手を振り回す。

 同じように睨みつけた近藤は、トントンっと自分の肩を叩いた。口の動きで近藤が言っていることはわかる。

(緊張はとれたようだね)
 確かに緊張はとれたけど、始まる前から変な疲れが出たんですけど、どうしてくれるんですか。私の無言の訴えは、近藤にも沖田にも届かないようだった。

 こうして私たちがじゃれあっている間も、徒に時間が過ぎてゆく。私たちが探しているのは禁裏に火を放ち、混乱に乗じて会津公を討って公武合体派の中川宮様を幽閉し、天子様を長州に動座奉らんと企てる不届きな攘夷志士の潜伏場所だ。本来なら古高が吐くのを待ちたいところだが、計画は既に大詰めらしく、急を要する。だから、今近藤が率いる班と土方が率いる班、それから監察方の三手に別れて捜索しているわけだ。

(烝、遅いなあ)
 こんな虱潰しに探しても見つからないのは目に見えている。だから、私は山崎が見つけるのを待っているのだ。おそらく近藤も、他に山崎を知る者たちはきっと同じく空を見上げるだろう。

 真っ暗な夜空には星明かりばかりで、細い月ではあまり人の姿も見えない。そんな空だから、よほど目をこらさなければ、飛翔する黒い影も見つけられない。

「おっとぉ……? こいつは、烝の烏か」
「ええ、近藤さん」
「みんな、あの烏のあとを追いかけるぜ!」
 闇夜を舞う非常識な烏は山崎の子飼いだ。足を早める近藤に続き、沖田、永倉、藤堂も続く。私も遅れずに近藤に続く。

 池田屋の店先上空をぐるり旋回する烏の下を行くと、闇の中から忍装束姿の女性が現れる。もちろん、山崎その人だ。

「勇ちゃん、遅かったじゃない」
「ああ、遅れてすまねぇな。で、やつらがここにいるってのは間違いないのかい?」
「ええ、間違いないわ。宮部鼎蔵、吉田稔麿、他にもそうそうたる勤皇家が雁首並べてお話中よ」
「そうかい。分かった」
 近藤に報告を済ませた山崎は、少しだけ何か言いたげな視線を私に向けてきたが、すぐに反らした。

「じゃ、報告はすんだコトだし。アタシはそろそろ帰るわ」
 言うやいなや姿を眩ませた山崎には悪いが、今は山南を気にかけている状況じゃない。

「ははは、まったく勝手なヤツだぜ」
 緊張を隠す軽い笑いを零した近藤は、次にはきりりと気合いを入れ直す。

「さてと、本腰入れていこうか!」
「局長どの! 念のため軒下の武器を取り上げておきましたぞ! 誰あろう、このわたくしが!」
「あはは! お手柄ですねぇ、武田さん。それじゃ武田さんには他の武器が隠されていないかの確認と出入り口の封鎖をお願いしましょうか」
「はっ、この一命を賭して!」
 武田に出鼻をくじかれた気もするが、私たちはそれからすぐに池田屋へと足を踏み入れた。一見、他とは何等変わらない店だ。

「主人はおるか! 御用改めである!」
 だが、近藤の言葉に対して、明らかな動揺が伺える。

「しっ、新選組……! 皆様方、御用改めでございます!」
 流石は山崎だ、とひそかに私は口端をあげた。

「我々は新選組である! 刃向かう者はみな敵とみなす! ……ま、やつらが大人しく応じるなんざありえねぇけどな」
 近藤の声が池田屋全体に響き、すぐに戦闘は始まった。

 近藤、沖田と共に二階へ行った私の前へ、直ぐに志士が躍り出る。だが、すでに抜刀していた私が腕を振るう前に、その姿が揺らいだ。倒れた彼の向こうで沖田が赤く濡れた刀を下げて、笑っているのが見える。

「私の剣が見たかったんじゃないの?」
「こんな雑魚相手に貴方は本気を振るわないでしょう?」
 屁理屈を言う沖田に私が呆れた息を吐き出すと、そのやりとりを見ていた近藤が微笑む。

「ここは総司と葉桜君に任せて大丈夫そうだね」
「ええ」
「もちろん」
 笑って答えている私に斬りかかってくる長州藩士を軽くいなし、剣柄を首の付け根に叩きこんで昏倒させる。甘いと言われようがなんだろうが、これが私のやりかただ。

「俺は一階の連中を追うから」
 近藤の背中を見届けた後、私は沖田と二人で背中合わせにやる気満々な攘夷志士たちと対峙する。

「それにしても、もう少しぐらい葉桜さんが隙を見せてくれてもいいのに」
「なにバカいってんだ」
 沖田はこの状況でそんな隙のある馬鹿が生き残れるはずがないと分かっているだろうに、無茶を言う。

「死ねええええぇっ!」
「遅ぇ」
 私は自分に向かって打ち下ろされる剣を払い、相手の急所に蹴りを叩きこむ。続けて、蹲る男の鳩尾を蹴り付けると相手は動かなくなった。

「葉桜さんは守ってほしいとは言いませんよね」
 そんな殺さずの剣を奮う私とは対照的に、背後では肉を断つ音、血の噴き出る音、絶命の叫びが聞こえてくる。

「そんな殊勝な女が新選組にいられると思ってんの?」
 もっとも私のような甘い方法はそう長くはもたないし、戦闘中に昏倒させた相手がいつ起きて、剣を向けるかしれない。それでも、私はできるだけ殺したくはないんだ。



 一瞬体勢を崩した私に斬りかかってくる相手に懐剣を投げつけると、相手は剣を取り落とした。私は落ちた剣から間一髪体を避け、足を蹴り上げて、相手の顎に命中させる。

「はは、これは楽しくなりそうですね」
 戦闘の最中、急に沖田の空気が歓喜の興奮を含み出した。振り返った私は嘆息する。沖田が今対峙している相手は吉田稔麿といって、長州藩士だ。

「新選組ですか」
 吉田はあきらかに他の志士とは違うピリピリとした隙のない空気をまとい、私たちを、沖田を見据えている。

「はい。沖田総司といいます」
 沖田の名乗りに、吉田が頷く。

「ああ、聞いたことがありますよ。新選組に笑顔で人を切り捨てる男がいるらしいですが、確かその男がそんな名前でしたね」
 芹沢が派手に動いていたから、あまり知られていなかったが、沖田も負けず劣らず、評判が悪い。

「我々は日本を正しく導くために日々精進しています。あなた方のような、ならず者とは違うのです」
 黙って眺めていようかと思っていたのだが、ならず者、という言葉に私は思わず反論してしまった。

「京に火をつけるような計画を立てるのはならず者じゃないのかよ」
 私を見た吉田が一瞬意外そうな顔をする。

「おやおや、こんな可愛いお嬢さんまでたぶらかしているのですか」
「たぶらかされてなんていません!」
「葉桜さん、いいんですよ」
「私は私の意思でここにいるんです。たぶらかされたなんて、誤解も甚だしいっ」
 私を宥め、沖田が吉田に完全に向き直る。

「確かに、僕に限って言えば思想などないと言われても間違いではありませんね」
 私は私に向かっている相手を再び昏倒させつつ、沖田の言葉を聞く。沖田に自覚があったこと自体には少し驚いた。

「僕はただ、無心に剣を振るいたい。強い人と戦いたい。それだけのために生きてるんです」
 沖田の願いは、憐れと思うなというほうが無理という話だ。剣に通じなければ興味を持てないというその生が私には憐れでならない。

「そして僕が今興味あることは、あなたがどの程度強いかということだけですよ」
 不敵な沖田の言葉に、吉田は口角を上げる。それは軽蔑の印だろう。

「ふっ、なるほど。ただ剣のみに殉ずる、ですか」
 剣を構える吉田に、寸分の隙などない。彼だって信念をもった憂いの志士だ。吉田は剣にしか興味を持たない、思想のない沖田に負ける気などないだろう。

「言葉での語らいは意味がないようだ。なら、剣で語らいましょうか」
 吉田の剣が風を切る。

「ハッ!」
 それぐらい受けられないような沖田じゃない。私には澄んだ音で沖田が剣戟を弾く姿が浮かぶ。

「ふふっ」
 相手が気の毒に思える嬉しそうな沖田の微笑が室内とは言え離れている私にも聞こえてくる。こういう時の沖田と殺り合いたくはないと私はつくづく思う。

「そのような笑顔で殺気も込めず致命の剣を振るうとは、まさしく魔性の剣」
「ふふふ、楽しいですねぇ」
「あなたとは、相容れません。ハァァッ!!」
 吉田には最高の一撃だったに違いない。それほどの鮮やかな一撃だったのだが、相手は本物の天才剣士。沖田が一重で吉田の剣を交わし、吉田の体に吸いこまれるように沖田の剣が薙ぐ軌跡が私には見えてしまった。

「本当に、恐ろしい男だ」
 倒れた吉田の言葉に、私は同意する。沖田は、恐ろしい。人を斬るということのなんたるかを真にはわかっていないのでは、獣と大差ない。

 ただ無邪気で純粋な心根のまま、天才の名を欲しいままにしてきた沖田。それが終わる時が来ると私は知っている。いや、終わりがあるからこそ、もしかすると沖田は天才たりえるのかもしれない。

 勝ったはずの沖田が口許を抑え、両目を見開いている様子を私は冷静に眺め、逆刃にしていた刀を返す。こんな状況で至極冷静が自分が滑稽だが、幸か不幸かこの場に私を見る仲間は沖田の他にいない。さぞ私は冷めた目をしているのだろう。

「……かはぁっ!」
 私は沖田を背に庇い、剣気にこれまでにない殺気を籠もらせ、取り囲む攘夷志士らを牽制する。

「休んでなさい、沖田」
「なっ、葉桜さん!? 僕はまだ……!!」
 言葉を繋げることもなく、ドサリと沖田が意識を失い倒れた音を聞く。

「……本気の剣、見せてあげる。ーーもう聞こえていないだろうけど」
 向かってくる志士に、私は迷いなく心臓を狙って剣を突く。沖田を庇いながら、峰打ちなんて芸当はできない。でも少なくとも仲間が来るまでは、沖田に傷一つ付けさせやしない。こいつは、私が守ると決めているんだ。

 もう一本腰に差した刀を手にし、私たちを囲む敵に私は構える。

「死にたいヤツからかかってきなさい! 今度は、手加減できないよ」
 斬りかかってきた相手の剣先を払い、勢いづいた相手の心臓に迷わず突きを放つ。私の前にどぅっと倒れる志士の姿に、他の志士らが怯む様子がわかる。

「女一人だからって、この私を抜けるなんて思わないコトね」
 強気に発言したものの、情けないことに私は土方が来てくれたと同時に倒れてしまった。攘夷志士らは決して弱くはなかった。ただ、その数に私の体力がもたなかっただけのことだ。

「遅ぇーよ、土方」
「葉桜!!」
 頼もしい仲間の姿を目にした一瞬の後、私の世界が暗転した。

p.4

3#池田屋後







 瞼越しに温かな光りを感じ、私は自然に目を覚ました。室内は暗いけれど、障子から入る光はすでに昼間の明るさだ。真っ先に目に入った天井が見慣れたものだったから、私は自分の部屋の布団に寝ているのだとすぐにわかる。

 起き上がると体中が悲鳴を上げるが、これぐらい昔の稽古に比べたらなんてことはない。隣室の鈴花の布団が畳まれている様子を見て、私は自分がかなり遅くまで寝ていたのだと思った。

 寝間着用の白の着流しに着替えさせたのは誰かわからないが、流石に身体を拭いてくれることはなかったらしく、まだ自分の身体に血の臭いが強く纏われている気がする。井戸か湯浴みに行くのも考えたが、私は近くにある濃い藍染めの羽織を引っかけ、とりあえず部屋の外へ出ることにした。

「……で、どうなんだ?」
「ああ、先生によると」
 屯所内が静まり返っているので、こそこそと話している近藤の部屋の声も聞き取れる。私は縁側から出ようとした足を止め、自然に気配を消す。

 でも、その先は二人とも押し黙ってしまって、何を話しているのかわからない。話すなら早くして欲しいのに、と私がいらついていると、苦笑と共に局長室の障子が開かれた。

「いくらなんでも、そこで気配を消したら不自然だって」
「あ、やっぱり?」
 私がにかりと笑って返すと、近藤には大きく息をつかれた。差し出された手に手を乗せて、私は近藤の部屋の中へ招き入れられる。

「おまえ、もう起きて大丈夫なのか?」
 室内で驚いている土方に笑って返し、手を引かれるままに近藤の隣に座す。自然な流れで座ってから、私は首を傾げる。常ならば、私は近藤とも土方とも離れて座るのに。

「で、俺に何か用事?」
「まだ休んでいていいんだぜ?」
 気遣う様子の二人に、私は大丈夫と返す。

「昨夜の守備はどうでした? それから、沖田とと……けほっ」
 咳込む私の背中を軽く叩いてくれる近藤に、軽く頭を下げて礼をする。既に起きたことなのに、言えないのかと私はまた心中で首を傾げた。

「沖田と他の隊士の怪我の具合は? 鈴花は?」
 矢継ぎ早に質問した私に、近藤は一つずつ丁寧に答えてくれた。

 昨日の作戦は大成功で、勤皇家の宮部鼎蔵、吉田稔麿らを打ち倒し、多数の長州藩士を召し捕ったということだ。沖田はまだ眠っているそうで、大半の隊士がかなりの重軽傷を負っている。特に藤堂は額に深い傷を受けたという。

 沖田と藤堂のことは知っていたし、あの状況から重軽傷者が出ること自体は納得できる。

「それで、さっきの話は沖田の話? それとも藤堂?」
 全て聞いた後に私が問いかけると、二人共が苦い顔で私を見た。

「お前、どこまで知ってやがる」
 唸るような土方の声に、私は乾いた笑いを返す。

「烝ちゃんに聞いてるでしょ? 概要ならまかせて」
 親指をたてた私の頭をうしろから小突かれる。怪我人になにするのさ、と小突いた相手を恨めしげに見やると、丁度近藤は立ち上がるところだった。

「さて、じゃあそろそろ俺は容保様のところへ御報告に行ってくるよ」
「ちょっと、沖田の容態は? 藤堂の具合はっ?」
 近藤を引き止めようとする私の肩を土方が押さえた一瞬、目の前が白くなり、私は身体を強張らせた。

「俺が説明しとく。近藤さんは行ってくれ」
「悪いな、トシ。頼むわ」
 すぐ近くにいるのに遠くの方で二人の会話が聞こえ、次いで襖の閉まる音が響く。耳鳴りがするわけでもないのに、水中で会話を聞いてるみたいだと思った。

「葉桜も痩せ我慢してねぇで、部屋に戻れ」
「説明するって」
「傷が治ったら教えてやる」
「ず、ずるい。土方、さん」
 私を引き寄せる力に逆らわず、私は近くにある気配に寄りかかる。漂ってくるこの香りは、土方の香だろうか。土方は見た目通り格好をよく気にする人だから。自分の足が地を離れる感触に、私は土方の着物の衿を強く握る。

「次に起きたら、ぜっっったいに、教えてください、ねっ」
「次に葉桜が起きて、普段通り動けていたらな」
「やっぱりずるい~っ」
 近藤の部屋から移動した距離はそう遠くない。何しろ、私の部屋は局長室隣だ。当然鈴花はその隣。

 布団に降ろされた感触で、やっと私の痛みも和らぐ。

「無理するから、傷口が開いてるじゃねぇか」
 医師を呼んでくるという土方の袖を、私は掴む。

「それより、沖田と藤堂は? 沖田、まさか労咳とか言わないよね?」
 私の言葉に土方の気配が鋭くなり、だが、すぐに誤魔化すように、彼は笑顔を取り繕う。普段から笑わないからそれがどれだけ不自然なのか、この人は気がついていないのだろうか。芹沢の時だって、それで気がつかれたっていうのに。

「そんなわけねぇだろ。総司はちっと風邪引いてるだけだ。平助も命に別状はない」
 風邪で血を吐いて倒れたりしないことも、労咳の症状も私は知っている。そんなことで騙されるわけ無いのに、その取り繕われた嘘が哀しくて、私は土方から手を離した。

「葉桜?」
「沖田、怪我はしてないよね?」
「ああ、おまえのおかげでな。俺から礼を言わせて貰う」
 優しく頭を撫でる手を避けて、布団を被る。

「いいよ、そんなの」
 今回に限って、私は沖田のために行ったんだから。沖田が自分を過信しているとは言わないが、一人で突っ走った上であんな風に倒れたりしたら、殺されてもおかしくない。

 部屋を出ようとする影に対し、私は目だけを上掛けから出して、言葉を紡ぐ。

「あのさ、もう聞かないから、だから」
 沖田の病を止める方法なんて、私は知らない。医術は多少かじってるけど、労咳を治す方法はまだ見つかっていなかったはずだ。

 このまま私は何もできないのだろうか。考えたところで何にもならないことはわかっている。私にできることはそばにいることだけだ。

「少しの間、そばにいてくれない?」
 ただこの不安が消えるまで、誰かにいて欲しかった。温もりが、ほしかった。



p.5

(土方視点)



 近藤さんの部屋から葉桜を隣の彼女の部屋に送るまでの間、抱いた柔らかな体からはまだ血の匂いが消えていなかった。満身創痍の上、気を失っている状態で葉桜を風呂に入れるわけにはいかなかった故、桜庭に濡れた手ぬぐいで拭かせただけだからだろう。

 葉桜は総司を一人で守り続けていたのだ。深傷がないのだけが幸いだったといえる。元々、並の剣士以上の腕を持っていることは知っていたが、守りながら、しかも室内で戦うなんてのは簡単にできる芸当じゃない。

 意外だったのはそれだけの強さをもっているのに、それ以上に脆い精神を抱えていることだ。葉桜は直ぐに立ち直るが、それでも崩れやすい心は変わらない。芹沢さんを斬った後も随分と立ち直るまで時間がかかっている。

 震える手でしっかりと俺の着物を掴む葉桜の細い腕には、今は見えない大きな傷がある。それが何か関係でもしているのだろうか。

 俺が葉桜を布団に降ろすと彼女は呼吸を止め、完全に体を寝かせると安堵の息を漏らした。よく見ると体中に撒かれた包帯の数カ所からもう血が滲んでいる。

「無理するから、傷口が開いているじゃねぇか。先生を」
 まだ新選組内に留まっている医者を呼び行こうと立ち上がりかけたが、俺は袖を引かれ、振り返った。

「沖田と、藤堂は?」
 こいつは自分が致命傷となるほどの重症ではないとはいえ、どれだけの怪我をしているかわかってねぇのか。人の心配をしていられるほどの余裕はないはずなのに。

「沖田、まさか労咳とか言わないよね?」
 先に言われた言葉に、俺は一瞬怯む。まだそうと決まったわけではないというのに、葉桜は病名まで言い当てるか。例の「約束」が関係しているのかもしれないが、話そうとすると何かが葉桜の口を閉ざさせるらしい。

「そんなわけねぇだろ」
 だが、今は総司のことを葉桜に悟られちゃいけねぇ。こいつが自分の怪我を治すことを先に考えてくれなきゃ、俺もーーおそらく総司もーー安心できねぇんだ。そうでなくとも今はまだ「かもしれない」状況で、確定じゃねぇ。近藤さんも俺も信じたくない気持ちが強いから、総司にも報せてねぇってのに。

 俺の言葉に葉桜は顔を曇らせて、仕方なくといった様子で袖を離した。それから、普段の葉桜からは想像も付かないぐらい、哀しそうに女の顔で微笑む。

「沖田、怪我はしてないよね?」
 寂しそうな声と姿に、抱きしめてしまいそうな自分を抑えて、俺は葉桜の頭を撫でる。

「おまえのおかげだ」
 すると、葉桜は上掛けを引き上げて、姿を隠してしまった。柄にもなく恥ずかしがっているのだろうか。

 今度こそ医者を呼びに行こうと俺が立ち上がると、小さな小さな声が届いてくる。

「もう聞かないから、少しの間、そばにいてくれないか?」
 らしくなく弱気な葉桜の呟きに、俺は動けなくなる。本当なら俺は叱咤してやらなければいけないところだろう。剣で戦う新選組では弱い心を持っていること自体が、危険を呼び込む要因ともなりうる。

「ああ」
 だが、新選組にとっても俺にとっても、もう葉桜はなくてはならないほど深く根付いていた。

 心密かにこの女隊士に惚れているものは多いが、葉桜は告白されても気がつけねぇほどの鈍感ときてる。だからといって、力に任せればすべて返り討ちしてしまうし、弱みにつけ込もうものなら男としての自尊心も剣士としての自信も徹底的に叩き潰される。

 それでも尚、好かれるのは葉桜の人間性なのだろう。近藤さんとは別の力で周りを惹きつけてやまない。ましてや、葉桜は女であるだけに隊士たちは恋という錯覚に陥り、道を踏み間違える。

 そこで終わるだけなら、葉桜はただの毒にしかならねぇ。だが、しっかりとその後立ち直らせ、さらには全うな人間に育てる術ってヤツを知ってやがるから、葉桜はタチが悪い。

 ただの毒なら放り出せたものを、と考える俺の目の前では、静かな寝息をたてる女が一人。俺という男と二人でいても警戒ひとつしない葉桜は、安心しきっているのだろうか。

 それは正しくもあるが、一抹の虚しさを感じずにはいられない。

「ふっ、俺まで染まっちまってりゃ世話ねぇな」
 俺は寝息を立てる葉桜の髪を避け、その額を軽く叩いた。葉桜はかすかに呻き、だがすぐにまた深く眠ったように見えた。

あとがき

1#山南と熱


別に山南さんを贔屓しているワケじゃなく。
やっぱりこの山南さんが倒れたことが外せないと思うんです。
なにより、この人を助けるにはどうしても。
(2006/04/26)


リンク変更
(2007/06/20)


改訂
(2010/01/20)


2#臥竜鳴動


池田屋事件でのヒロインの役割は、沖田の盾。
沖田VS吉田稔麿戦はネタバレというか、ヒロイン部分以外はゲームそのまま。
この吉田さん、ちょっと好きです。
よっぽどヒロインと一度接触があったとかいう設定を入れようか悩みました。
後で面倒になるので止めましたけどね。
(06/04/24 15:11)


しかし、殺陣って難しい。書き加えました。
(06/04/26 10:48)


改訂
(2010/01/21)


3#池田屋後


本隊、土方側からの池田屋事件。
土方が来てからヒロインは倒れてしまったので、そのまま掃討戦終了。
起きてから沖田の所へ行くか、平助の所へ行くか、永倉の所へ行くか、山南の所へ行くか悩みましたが、
一番状況がわかる近藤のところへ行ってみました。
三章まで終わったのに、よく見ると原田がいない!
気が向いたら出します<ぇ。
てか、章ごとに更新って、けっこう凄い量ですね。
ほぼ一日一話のペース。ありえない!
(たぶんここが長すぎるだけ、と信じたい)


リクエストがなければイベントはほとんどすっとばしです。
起こして欲しいイベントはお早めにメールや拍手等でリクエストしてください。
(06/04/26 15:22) 新規


視点での文体による呼び名変更です。
ご指摘があったので…。
(06/06/14 16:31)


土方のモノローグの人称を修正。
(06/07/06 09:15)


リンク変更
(2007/06/20)


改訂
(2010/01/25)


~次回までの経過コメント
原田
「はぁ~あ…池田屋で討ち漏らした残党狩りがなかなかはかどらねー」
「そりゃそうと、あのだんだら染めの隊服、着用禁止になったんだって?」
「あんなモン着て歩いたら目立って仕方ねぇからなぁ…。まぁ、しょうがねーよな」