光煌く絢爛豪華な豪邸で、あたしはひとつの重大な選択を迫られていた。
――2004年10月31日日曜日。
あたしは天之橋邸で催されている仮装パーティーに来た。と思っていた。普段着で、という案内のままに来てみれば、受付で手渡された赤・青・黄の色紙。そして受付の向こうには、3つのテーブルに三人三様で座っている男達。
「あ、春霞も来たんだ~いいなぁ~あたしももっと後でくればよかったぁ~っっっ」
横から覗きこんだ奈津実は水色の可愛いチャイナドレス。…普段着じゃないじゃない。
「せつめー聞いた?」
ふるふると首を振ると、彼女はにんまりとしたあの何かを企んでいるときの笑顔になった。
三枚の色紙がそれぞれ、今日のパーティーのお相手。
どんな相手でも今日はその人を一番好きな相手と思って過ごしてください、と。
「ちょ、ちょっと待って!? これ、仮装パーティーでしょ???」
「うん、書いてあるでしょう。ちゃんと、かそうパーティって」
案内状をよくよく見なおしてみると、仮想パーティとある。
つまり、「仮として、誰かを想う(=好きになる)パーティー」ってこと。
冗談きついわよ、理事長~っ
「残ってるのは、葉月と姫条とヒムロッチ! まぁどれが当っても、顔はイイから。あたしなんて、こんなんだよ?」
「あ、あの僕は別に…」
「あーあーいいの別に。テキトーに楽しみましょ?」
後ろに控えた、日比谷少年を黙らせて、奈津実はまた向き直った。
「しかし、あんた驚くほど普段着できたわね~っ」
「だって案内に…っ」
「こっちで衣装も貸してもらえるから心配ないけどね」
どれを選ぶのかと目が興味深々で、あたしの手元を覗きこんでいた。
「この紙の基準って何?」
「なんだろ。髪とか、目とか…かな? そんなの、わかんないわよっ」
さて、どれにしよう。
青はたぶん先生。…や、絶対に先生。黄色は珪くん、かな。とすると、赤は――。
*
好きな色を選んでください。
▽2002/10/30 黄のカード■■■ gs120021101
▽2002/10/30 赤のカード■■■ gs120021102
▽2002/10/30 青のカード■■■ gs120021031
(葉月の場合)
一歩一歩近づいてくる足音は、洗練された独特のネコのしなやかさで迫ってくる。
「おまえも来てたのか」
遠くからでも一目でわかった。今日は黒のタキシード姿だ。なんで、葉月まで普段着じゃないの。あたしだけ、馬鹿みたい。
「その服…」
何か言おうとしているのはわかったけど、あたしは踵を返して逃げ出した。だって、ただでさえオーラ放ってるのに、そのひとの隣りにあたしみたいなのが立っていいの?
「待てって!!」
腕を掴まれて、二人して生垣に突っ込んだ。転ぶ寸前、頭から包まれたような気もする。衝撃はあまりなくて、でも世界は真っ暗で。
「怪我、ないか?」
身体中に響いてくる低音に、ハッと気がついた。
「珪、怪我は!?」
急いで置きあがろうとすると、またしっかりと抱え込まれて、静かに声が降ってくる。
「おまえは?」
ない。葉月が守ってくれたから、ない。そういうと、安心が伝染してきた。ここは安全。でも、守られているだけでいいのか、あたし。
「だったら、いい」
いとおしむ声は光の湖畔のように、穏やかで静かだ。
「おまえが無事なら、それでいい」
顔をあげると、優しい新緑の緑色があたしを見つめていた。その向こうに広がるのは、星の瞬く静かな闇空。夜闇のカーテンがふわりとあたしたちを包み込んでいる。まるで、それはロマンチックすぎて、あたしには合わない気がした。
「行こっか!」
勢いよく立ちあがって、あたしは葉月の手を引いた。顔をそむけて、でも手は握ったままでふたり会場へと歩き出す。
「はっぱ、ついてる」
髪に触れている手に気づいて足を止める。
「とれた?」
「とれた」
肩が温かくなり、あたしは後ろから抱きしめられているのだと気づいた。
「今日の、パートナー、だろ?」
「うん」
「俺、おまえのこと、好きだよ」
耳元で囁く言葉は、軽くもなく、重くもなく。ただ自然で、ただ温かさに包まれていく。
「うん」
包み込む腕をただ、あたしも抱きしめた。
「世界中の誰よりも…」
流れ星よりも急ぎ足で、星の瞬きよりも密やかに紡がれる言葉は、極彩色のコンペイトウより甘い夢。パーティはまだ始まってもいないのに、あたしたちは一夜の夢に酔いしれるーー。
(葉月の場合end)
(姫条の場合)
変な模様の大仰な扉が邸の使用人の手で開かれると、姫条は臆することなく大股で部屋に乗りこんだ。慣れた仕草が少しカッコイイかなと思った所で、彼は振り返った。
手招きされて、あたしもその部屋に足を踏み入れる。といっても、部屋の壁沿いはぐるりと衣装に囲まれていて、色鮮やかな洪水に飲まれそうだ。
「これ、全部おっさんが買うてきたんやないやろな。だったら、ちょっと引くで?」
理事長がドレスとかを買っていても別に様になると思うけど、姫条が手に取ったのはよりによってクマの着グルミ。
「あはははははっ」
「なあなあ。これなんか、自分にピッタリや思うで?」
姫条が引っ張り出したのは青いドレスに白いエプロンがついた衣装。
「じゃぁまどかはこの耳つけなきゃ」
先ほど引っ張り出した耳をちょこんと頭に乗せると、ええ返しやと笑われた。色がいっぱいでクラクラするけど、楽しいし面白いし、すごく幸せだ。たまたま引いたのが、姫条で良かった。なんだか、普段着な自分がひどく場違いで惨めに思えていたから、ここのすぐに連れてきてもらったおかげで、そんなこと考えないですんだ。姫条はなんでもわかってるみたいだ。
「なあなあ。これなんか、自分にピッタリや思わ…」
奥の衣装を引っ張り出そうとしていた私は、ふかふかの絨毯に足を滑らせた。
「わわっ!」
衝撃が来るかと目を閉じたけど、何もなく。代わりに深いため息が聞こえた。
「自分、心臓に悪いから」
姫条が後ろから抱き止めてくれていた。少し怒った顔が瞳が逸らされて、なんだか哀しくなってしまって。腕を伸ばした。
「え…」
伸ばした腕で、首に抱きついて一言。謝った。心配してくれたんだ。こんなあたしでも、心配してくれるんだ。
――ありがと。
姫条はただ優しく私を抱きしめて、背中を叩いてくれた。
「礼はまだ早いで。今日は俺のコト、好きでいてるんやろ? こんぐらいで言われてもな」
身体を引かれて、正面に向かい合う。近づいてきた顔に目を閉じると、額に鈍い感触。
「いった~っ」
「俺は自分のこと、ホンマに…」
何か言おうとしているのを見上げると、あまりに距離が近くて息が止まった。
――1秒、2秒、3秒、4秒、5秒…、。
「お、おい!?」
息止めすぎて、酸欠になってどうする。あたし。
「ホンマは調子悪いんとちゃうか?」
「あはは。大丈夫大丈夫」
心配そうな額を軽く叩いた。そんな顔しないで。たいして強くもないけど、あたしはそんなに弱くないから。
「今日はよろしくね。ダーリン♪」
ニセモノだけど、気持ちだけは本当の恋人同士でいさせてね。
(姫条の場合end)
(氷室の場合)
月を眺めていた。白く細い弓の月。
夜の風がふわりと囁く。闇の使者の訪れを。
「夜風は身体に良くない」
背後からかけられる声は妙に優しくて、あたしは微笑んだ。
「吸血鬼がエサの心配してどうするんですか!」
中世ヨーロッパ風の深紅のドレスに身を包んだあたしに、氷室は近づいてこない。その姿はいつものスーツ姿でなく、盛装の上にマントを羽織っている。
「これは、単なる仮装だ。第一、どうしてこれが吸血鬼だと…」
そんなの言われなくてもわかる。ふたり別々に部屋へ入る前から気がついてたから、あたしはこのドレスを選んだんだから。
「君のは何の仮装だ?」
不思議そうに見つめてくる瞳を、まっすぐ見返してあたしは微笑んだ。
「吸血鬼に狙われる貴婦人です」
絶句していたのだと、思う。その反応が見たかった。一度くらい勝ちたいと思った。私ばっかり、氷室を好きだなんてずるいと思ったから。
「君は…」
会場の喧騒も楽隊の音楽も風の音も木葉のささやきも何もかもが聞こえなくなって、氷室の足音だけが静かに響いた。ここの時間だけが、今のすべてで。あたしは確かめるために挑発をした。
「それとも、美女の血以外はお嫌いですか? 吸血鬼さん」
わざと音を立てて、黒のマントがあたしの視界を遮った。冷たさよりも、ただ暖かさだけが伝わってくる。
「貴女以上の美姫などどこにおりましょう?」
唇が触れ合うぐらい近くで囁かれ、あたしは息を飲んだ。
「先生、棒読み…」
がくりと目の前で肩を落とす姿はとても年上とは思えない。
「そんなんで、今年の学園演劇大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
すこし怒った口調で、いつものように背筋を伸ばす氷室に、一抹の不安を感じた。
「怒ったの?」
「怒ってなどいない」
「怒ってるでしょ」
力無い笑いだけが、乾いて響いてきた。
「何がおかしいんですか?」
「いや、今日の趣向を知っているか?」
突然、何を。
「もちろん。仮想パーティー…」
ふっと影が落ちて、体が浮き上がる。視界はいつもより高く、広く見渡せる。
「それでは、姫君を攫うとするか」
「へ?」
「今宵一時の甘い夢を」
どこかで聞いたような台詞だ。もともと、こういうことを口にする人ではないし。
「もしかして、酔ってます?」
「何故そうなる…」
ーー夢の終わりはいつものバーで。
そう。言えたらいいのに。
(氷室の場合end)