太陽が中天をわずかに過ぎたばかりの穏やかな光が薄暗い店内に入り込み、私の手元の鞘から僅かに覗かせた刀芯に当たる。私はその輝きを確認して、すぐに口端をあげた。
「お代はこれでいいかな?」
ここは京でもあまり知られていない刀工が営む店で、人に紹介されて私は大刀をひとつを預けたのだが、予想以上の良い出来映えだ。鍛え直された見事なまでの仕上がりに、私も素直に感嘆する。
「またよろしうお願いします」
「ありがとう、また来るよ」
店を出た私は機嫌よく、ふらりと人波に乗る。向かう先は決めていないけれど、私の小腹もそろそろ騒ぎ立てる頃合いだ。今日はどこでメシにしようかと、私は店を覗きながら歩く。かけられる声はどれも陽気で、私も自然と笑顔で応えてしまう。そうして店を決めないまま、ふらふらと歩いていくうちに、私は珍しい人物に会った。格好からして、彼も今日は非番なようだ。
「よ、斎藤。今からメシか?」
「ああ」
斎藤は普段から無表情だが、表情の変わらないままのこの返事で私の少し遅めの昼飯は決定した。面白い反応が見られるのはどこか考えた私は、すぐにある店を思い浮かべる。
「そりゃ丁度いいや。私に付き合え」
斎藤が逃げないように、私はがっしと肩を組んで捕まえ、半ば引きずる形で歩きだす。前々から一度斎藤の驚く顔が見たいと私は思っていた。それに、斎藤はなかなか表情は変わらないが、からかい甲斐はないこともないと知っているだけに、私の足取りも軽くなる。
私に引き摺られるままに歩いていた斎藤は、道の途中のある提灯に目を留める。
「おい」
「いいからいいから」
提灯はその道の先が島原であるという印だ。だが、男姿の私がその先を歩くのに咎め立てられたことはない。私はまっすぐにある店へと、足を向ける。店の前の客引きをしていた女が私に気付き、ぱぁぁと華やかな笑顔を向けてくるのに、私は手をあげて返す。
「まあ、葉桜はん。よろしゅうおこしやす」
「いつもの部屋空いてる? あ、それと昼餉もお願いして良い?」
女の了承を得た私は斎藤を連れたまま、女に案内される店へと足を踏み入れた。薄暗い玄関口に座る男が一度顔を上げて私を確認すると、立ち上がる。
「これはこれは、葉桜様」
「部屋開いてる?」
男は私の後ろを見てから、一瞬意外そうな目をしたが、それを表にせずに営業用の笑顔を向けてくる。
「お連れ様がいらっしゃるとは珍しい。うちの娘らもつけて良いでしょうな?」
「もちろんだよ」
奥から歩いてきた青い着物に身を包んだ愛らしい禿が、私を見た途端に足を早め、目の前に来ても止まらずにぶつかる。
「葉桜様、お待ちしてましたっ!!」
「これっ」
注意された禿はかすかに体を震わせてから、ゆっくり私から離れて、私を見上げる。潤んだ瞳と紅潮した頬で丁寧に頭を下げる。
「ご案内いたします」
静かに踵を返し、ゆっくりと歩き出す禿の後に続き、私も歩き出す。斎藤がついてくる気配と彼の不思議そうな視線を感じながら、私はこみ上げてくる笑いをこらえていた。こういう場に人を連れてくるのは珍しいので、見知った芸姑、太夫たちがもの珍しげな視線を斎藤にぶつけている。慌てて引っ込んだりしているのは、たぶん斎藤がそちらを見たからだろう。斎藤は目つきが悪いので、ちょっと見られただけで睨まれたように感じる人もいるようだ。
そう、本日の昼餉の場所は角屋である。普通の隊士ならともかく、隊士とはいえ女性が好きこのんで出入りする場所ではない。現に鈴花は誘われたり、宴会だったりしない限りは足を運ばないという。だが、私は綺麗な女性を見ているだけで気分も明るくなるので、よく出入りしているのだ。
案内された部屋に入り、私が上座横の定位置に座ると斎藤も隣に座る。私たちの前にお膳が並べられ、頼む間もなくわらわらと太夫や舞妓たちが入ってくる。最初は呆然としていた斎藤だったが、何かを納得したのか、膳に箸をつけた。
かすかに斎藤の口許が緩むのを見届け、私も歯を見せて、にやりと笑う。
「ここのメシ旨いしさ、綺麗なオンナノコ見て食べると余計に美味しいっしょっ」
綺麗なモノはそれだけで価値があるというのが私の言い分だが、普通は納得しないと思う。だけど、斎藤はそんなことを気にしないと思うから連れてきたのだ。
私たちが一通り食べ終わって膳が下げられてから、ある太夫が言った。
「つい先程、美味しい菓子をいただんたんどす。葉桜はんも一緒にいかがどすか」
「わ、いいの?」
「はい。是非お口に入れとっただきたいと思って、とっておいたんどす」
彼女の合図で出てきた美味しそうなぜんざいに、一瞬私の顔が引きつる。私は甘いものは嫌いじゃないけれど、ぜんざいは一口が限度って、彼女らは知っているはずなのだ。
「……嫌がらせ?」
「まあ。そないなことするわけおまへん。これなら葉桜はんでもいけますって」
悠然と太夫のなめらかな手がぜんざいの器を持ち、私に箸でつまんだひとつを差し出す。一口ならいけるんだよなぁ、と私はそれを口に入れる。ふわりと甘い雲でも食べたような感覚が広がるのは、嬉しい。
「美味しい……っ」
「そうでしょう。さあ、もうひとつ」
常なら続けて不快感が襲ってくるんだけど、今日のは平気そうだと、私は差し出されるままにもう一つを口に入れた。
「お、美味しいーっ」
両手を握り締め、くぅーっと幸せを噛みしめる私の様子を彼女らは実に楽しそうに笑っている。ふと、隣を見ると斎藤が唖然と私を見ている。
「どうした?」
「…いや、何でも」
見れば、斎藤の器はそのままだ。周りの女たちが斎藤の代わりのように答えてくれる。
「ふふふ、ウチの方は葉桜はんに見とれとったんどす」
「葉桜はんはかわええどすから」
「もー褒めてもなんにもでないよー?」
もう一度斎藤を見れば、今度は彼はぜんざいを手にとってじっと見つめている。
「甘いのダメだった?」
「あ、ああ」
「私もそうだけど、これはいけるよ。騙されたと思って」
さあ、と私がいうと、斎藤は恐る恐る口をつける。まるで、初めて食べる子供みたいで、なんだか微笑ましい。一つが斎藤の口に入り、次には意外そうに彼の眼が見開かれる。
「美味い」
「だろー?」
私が嬉しい気持ちそのままの顔でにこにこと見ていたら、斎藤は無造作に私に向かって、ひとつを差し出してきた。それはつまり、先程の太夫のように食べろということで、斎藤は私がそれをしないとわかっているはずだが。
と、私は後ろから二人の女性に両腕を抑えられる。
「な、何!?」
「ほら、斎藤はん、今しかないどす」
「は!? 皆、何言って」
「そないなに恥ずかしがらいでええんどす。あたしたち、よくわかってますから」
「え、何それ?」
「初めてここに連れてきた人なんそやし、そういうことでしょう?」
彼女らの言うそういうことというのがすぐに「恋人」と結びついたのは、ここがそういう場所だからだ。
「ええっ、何その誤解っ。つか、斎藤もやるなってば」
私の前に近づいてきた斎藤が、ずいと箸でつまんだぜんざいの餅のひとつを差し出す。さあと無言で促す斎藤は、見た目の表情こそ変わっていないが、実に楽しそうな目をしている。
「葉桜」
名前を呼ばれ、どきりと胸が高鳴る。目の前のこんな距離は稽古の時に見慣れているのに、私はとてつもなく恥ずかしい。口元に押し付けられるそれが美味しいこともわかっているし、これを私が食べない限り斎藤は引かないだろう。
しかたなく私は口を開いて、ぜんざいを受け入れた。両腕を開放された私は、味もわからないまま飲み下し、斎藤から顔を背けてお茶を飲み干す。女性とこういうことをして遊ぶのは慣れているが、男にやられたのは初めてだ。私は恥ずかしすぎて、斎藤を直視できない。
「美味いか」
「…美味いよ」
わかりきったことを聞くな、とふて腐れる私の頭に斎藤の手がかかり、ぽんぽんと軽く撫でられる。そうか、と実に楽しそうに斎藤は繰り返している様子を横目にしながら、私は羞恥と後悔に苛まれていた。
それからしばらく遊んでから、私たちは屯所への帰路につく。夕闇に私と斎藤の二つの影が並び、人通りも疎らな道に細く長い影が伸びている。
「斎藤」
前を歩く斎藤に、私は控えめに声をかける。あれから、それだけ太夫らと遊んでも恥ずかしさは消えなくて、私は何度も斎藤と目をあわせる度に顔をそむけるぐらい恥ずかしくて。
「手を離せ」
私たちはあれから特別な何かをしたわけでもないのに、帰り道で斎藤に右手を掴まれているのは余計に恥ずかしい。私の抗議に対して、逆に斎藤は強く握ってくる。手をひかれて歩くなんて、子供みたいで更に私は恥ずかしいのに、何故こんなにも斎藤は楽しそうなんだ。
悔しいので私は無理やり斎藤の手を振り回そうとするも簡単に力で抑えられ、同じ目線で笑いかけられてしまって、私には顔を逸らすぐらいしか手がない。
「別に、一緒に帰る必要もないし」
「ダメだ」
「なんでよ」
斎藤の足が止まり、手を繋がれている私も自然と止まる。真っ直ぐ見つめてくる斎藤の視線が、どうしたって私の恥ずかしさを倍増させる。
「斎藤ーっ」
「ははっ」
声をあげて笑う斎藤なんて初めて見たから、私は少し呆気にとられた。斎藤はもともと表情の変化に乏しいが、声をあげて笑える男だったとは私も知らなかった。だが、何もそこまで笑わなくてもいいだろうと、私の胸にも怒りがこみ上げてくる。
察知したように斎藤が私の手を引き、再び歩きだす。まだ肩を震わせて笑っているが。
「すまん」
「謝るぐらいなら、笑うなっ。それと、手を離せ。さもないと、」
「ふっ、イヤだと言ったらどうする」
「眠っているお前の部屋に鈴花ちゃんお薦めの甘い菓子をたっぷり届けてやる」
私が言った途端に、斎藤は即座に手を離した。鈴花のおすすめは特別甘いから私だってやりたくはない。だが、斎藤がそれほど甘味が嫌いだったとは、私も意外な一面を見せてもらった。
先を歩く斎藤を追いかけ、私は彼の肩に手をかける。煩そうにすると思ったら、斎藤は意外にもまだ笑っていた。
「笑いすぎだ、斎藤」
斎藤の後頭部を軽く叩いて、私は彼の少し先を歩く。空を仰げば、あの時よりも幾分下方にうっすらと月が見える。これからゆっくりと夕闇に映えてゆくそれは弱々しく真白い光を放っている。
今日は斎藤を誘ったのは失敗だったかな、と一瞬だけ私の脳裏を過ぎったが、それでも楽しかったし美味しかった。打ち直した刀も良い出来だし、そう考えれば気分もよくなる。恥ずかしさは消えないけれど。
「斎藤、次は普通の店に行こう」
私がそういって、首だけ少し振り返ると、斎藤は意外そうな顔をした後で頷き、目を細めて笑った。
おいしいものを食べている時って、幸せですよね。
甘過ぎなくて美味しいぜんざい、食べたいです。
市内に美味しい甘味処があるんです。
そこに高校生の頃友人と行ったんですが、
美味しいけど甘味苦手な私は一口が限界。
でも、一口でも食べれて幸せでしたーvV
美味しい甘味は甘いものが得意な友達と行くのが一番です。
ちなみにその友人はアイスティーにシロップを5、6個入れるのが普通な強者でした。
(2006/05/17)
リンク変更
(2007/07/25)
改訂
(2010/04/02)