上を見上げたら、青空が、入道雲がぐらぐら揺れていた。近くからは川の水音が聞こえていて、それで、やばいなって思ってはいたんだけど、もう動けなくて。
「新選組の葉桜だな?」
「こんな時に来るなよ…」
背後の手すりに体を預けたまま剣を抜こうとして、そのまま体勢を崩すなんて、私らしくもない。もうちょっと何かあるだろうなんて悠長に考えている間に、肩に陽光よりも暑い熱を受けて、その先はよく覚えていない。
気が付けば目の前には見慣れない天井があって、私は白装束で寝かせられていた。
「…気が付いたか」
声を頼りにそちらへ視線をやると、憮然とした面持ちの斎藤が座っている。
「ここ、どこだ?」
「角屋だ」
それ以上何も言わない辺り、やはりこいつは変わっていないんだろうな、と安堵する。思い返して、そう言えばと斬られた肩に手を触れる。そこにはもう幾度目かも分からない傷ばかりがある。今日のもきっと残るのだろう。
「…何故」
それ以上続けられないのは必要ないと思っているからだろう。もちろん、彼がそういうのもわかっている。
「朝はなんともなかったんだよ、本当に」
溜息と共に吐き出すが、信じてはくれていないよう。それは当然前科があるからなのだが、それにしたってもう随分な付き合いなのだからわかってくれてもいいと思う。
「ただ、さ。ちょっと思い出してた」
相変わらずな目線は先を促しているので、私は天井を見上げ、それから両目を閉じて続ける。そうすると、あの時のことが鮮やかによみがえる。
あれはまだ新選組が新選組でなかった頃、壬生浪士組に入隊してまもなくのことだった。大阪へ不逞浪士を取り締まりに行ったものの、葉桜自身はまだあまり仲間への執着はあまりなくて、誰かがいなくなる心配もないし、天気は良いし、ただただ平和な世界が嬉しくて。あの倒れた日の夜、襖越しに感じた温かな気配は昔通りで。だから、私も襖越しによりそって語りかけた。答えはひとつもなかったけど、大きくて温かくて優しく突き放つ独特の空気で、何が言いたいのかもわかった。
「まともに話したのはアレが最初で最後だった。だけど、無理矢理にでも聞き出しておけば良かったって後悔してる」
自分が手にかけた男が何を考え、どう生きて、あんな風になったのか。堕ちたのか、それとも、救うために悪となったのか。
目元に厚いものが集まり、滴となってこぼれ落ちるのを感じる。それを隠すように上げた腕を止められ、目を開く。薄ぼんやりと見える影は斎藤に違いない。他にここには誰もいないのだから。
「ごめん、今の忘れて。…空言よ」
影は何も言わない。ただ想いの涙が溢れて止まらない。
「少し疲れてたかな。迷惑かけて、ごめん」
自分では笑ったつもりだけれど、いつものように誤魔化せた自信はない。
「…ごめんなさい…っ」
精神の揺らぎは幕府の揺らぎが関係しているのだろうとわかっている。だけど、もう止めようがない。今更新選組を置いて、自分だけが逃げ出せるワケもない。居続けることに対する罪悪感と不安が余計に、揺らぎを大きくしている。
柔らかく頭を撫でる大きな掌は、小さい頃のしてもらったそれにとても似ていて、いつしかそのまま眠りに落ちていた。
深く深く夢を見ないことを願って、自ら葉桜は堕ちていった。
(斎藤視点)
山崎さんから聞いていたのは、待ち合わせ場所だけだった。が、その相手が葉桜だとは思いも寄らなかった。
人気も多い五条大橋近くから少し離れたその柳の下に空気のように彼女は立っていた。今日のように照りつける日差しでは柳のわずかな葉に遮られることもない。待ち合わせ場所で屯所を出た日と全く変わらぬ姿で空気のように立っていて、誰一人として立ち止まることはなかった。
ひとときその風景に見とれていたのは、近づいてソレを壊してしまうことが忍びなかったからだ。そして、本当にそれを壊したのは俺ではなかった。川から吹いてくる風にほんの少し目を凝らした隙に、葉桜が数人に囲まれている様子が見える。遠目に見て、それなりに苦戦しそうな相手に見えたが、葉桜の腕は知っていたので問題はないと思っていた。そして、集団が瞬きの間に倒れ伏すのに納得と安堵をする。が、次の瞬間彼女の姿が揺らいだ。急いで駆けつけてみれば肩口からは血が溢れ、本人は蒼白な顔で気を失っている。
慌てて一番近い店に運び込めば、そこは以前に葉桜に連れてこられた店で、店主をはじめ、太夫や芸子らで誠意を尽くして対応してくれ、快く部屋と布団まで提供してくれた。
傷口から熱が出たのだろう。目を覚ました葉桜は静かに静かにその胸の内を語った。そして、最後に謝罪の言葉で結んで、そのまますーっと深い眠りに落ちていった。
普段の自信に満ちた態度からは想像もできない、脆い一面を初めて間のあたりにしたのはこれが初めてだ。山崎さんから話に聞くことはあっても、葉桜自身が滅多に人前でその涙や弱み、女らしさといったものをさらすことはないから。
眠りながら泣くという器用なことを続ける葉桜の一時の眠りが穏やかであるようにと、その頭を、髪を撫でてやる。と、ふっとその表情が安心したように柔らかくなった。まるで普通の少女のようなあどけない、その表情に吸い込まれる。
「…父、様…」
嬉しそうに言われた言葉に、動きが止まる。しかし、やはり寝言なのだろう。そのまま今度こそ静かに深く寝入ってしまう。たったそれだけのことなのに、何故か起きないことに俺は安堵している。理由は、葉桜が決して問いに答えることがないとわかっているからだろう。すべてを一人で抱え込まなければと勢い込んでいるこの少女を止めることなど、誰にも出来はしない。
ならばせめて、おまえが人に寄り添いたい時、側に在れるように。
願いを込めて掬いあげた一房に口づけた。
なんで斎藤さん? はおいといて。
「この斎藤ニセモノですね!? 本物が襲わないわけが…!」
とか思いましたけど、いくらなんでも弱っている寝込みを襲わないと考え直しました。
いくらなんでも。ねぇ?
(2006/7/31 15:55:43)