幕末恋風記>> 日常>> (慶応元年卯月) 07章 - 07.4.1#桜の湯

書名:幕末恋風記
章名:日常

話名:(慶応元年卯月) 07章 - 07.4.1#桜の湯


作:ひまうさ
公開日(更新日):2006.5.24 (2012.7.4)
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:4336 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 3 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
7.4.1#桜の湯

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p.1

 散り始めの桜を眺め、空を見上げる。花見日和ともいうべき快晴の下、薄紅色の雪が降る。素肌を包む暖かな白湯に身を沈め、私は目を閉じた。

 近日中には江戸へ出掛けていた土方たちが新入隊士を連れて帰ってくるとかで、屯所内は慌ただしくなっている。帰ってきたらゆっくりと湯を堪能することも出来ないので、私は少し早めのお湯をもらっていたのだ。

 西本願寺の風呂場には突き出すように桜が窓から入ろうとしており、お湯の中に時折その僅かな手を伸ばしている。そしてまた、ひらり、と一花が落ちてくる。

「葉桜さんー、どこですかー?」
 隊士たちの探す声を聞いて、私はさらに深く浸かる。もう少しだけ、湯を堪能していたいというのもあるし、戻れば面倒な書類整理が待っているというのも理由にあげられる。

 土方が帰ってくる前にほとんどの決済を終わらせることはできたものの、こうしている間にきっとまた増えているに違いない。だが、久しぶりに戻ってきた土方が書類整理というのも哀れだし、風呂からあがったらやってやろうと私だって考えている。でも、私だってそれなりに頑張ったのだから、もう少しだけでもゆっくりと風呂を堪能させて欲しい。

 そんなことを考えていると、がらら、と風呂場の戸が開き、私は鈴花と目が合った。

「きゃっ! え、葉桜さん!?」
 驚いた鈴花の手によって、急いで閉められる戸に私は軽く笑いかける。

「あらー、鈴花ちゃんも入る?」
「違いますっ! 私は土方さんたちが戻られたので、それで、お風呂の準備を……っ」
 しどろもどろな鈴花の声を聞きながら、私は湯船から上がり、冷たい水を体にかける。手拭いで体を拭いて、そのまま戸を開くと、何故か脱衣所で背を向けている鈴花を見つけた。山崎じゃあるまいし、女同士なんだから、別に見ても構わないというのに。

「土方たち、もう戻ったんだ。早いねー」
「へ? あ、葉桜さん、も、もうあがられたんですか。て、いつから入って……っ」
 私を振り返った鈴花が口籠もる様子に苦笑しつつ、手早く自分で着つけてゆく。言葉を無くしている鈴花の前で普段の平服に着替えた後で、その隣を笑いながら、私は通り過ぎた。

「鈴花ちゃんには、嫌なものを見せて悪いね」
 自分の肌に無数にある傷跡が、他人からすれば醜い自覚ぐらい、私にもある。だから、そう言ったのだけど。

「そ、そんなことっ」
「ははは、無理しなくていーって」
 しどろもどろにでも否定しようとしてくれる鈴花は優しい女の子だ。だから、すっかり私は流してしまう気で脱衣所の戸に手をかけた。

「そんなことありませんっ。ーー私も、同じ、ですから」
 同じと口にした鈴花は、きっと泣きそうな顔をしている。分かっているから、私は鈴花を振り返らずに手だけを上げて返した。剣に生きると決めているからこそ、鈴花にも私にも同情の言葉はいらない。

 私が脱衣所を出て、足を進める廊下を穏やかな春の風が通り抜ける。その風に混じってくる香の匂いを感じて、私はただそっと廊下を外れて、庭に降り立った。何故と問われると少しだけ困る。別に、土方の代理としての仕事が終わっていないのは、問題だと思わない。アレらは私の了承も得ずに押しつけられたモノだし、帰ってきたなら土方がやるのが筋だろう。

「流石に毎日毎日寝ながら仕事してたなんて知られたら、絶対減給されるし」
 私は廊下から見えない位置で、庭木に背を預けるながら、一人言を口にする。

 落ち着くために触れた幹は冷たく、私は息を吸うだけでその場の空気にとけ込める気がする。でもその中に混じる香が、私を落ち着かなくさせるから。

「いや、それはともかくなんで寝てたかなんてつっこまれた方が困るなぁ」
 実家を出てからずっと気を張り詰めていて、私が本当に深く眠れる場所なんてなかった。唯一があの土方の部屋だったのだ。

「ていうか、なんであの部屋はあんなによく眠れるんだろう」
 本物はこんなにも落ち着かないのに。

 近づいてくる人から逃げる理由はないので、私はそのまま動かずに待った。

「お帰りなさい、土方さん」
 こちらを覗かれる前にかけた声に、木の向こう側で足が止まる気配がして、私は自然と顔が綻ぶ。土方は怒っている気配ではない、けれど。

「葉桜、一体どこで仕事していたんだ」
「そりゃもちろん土方さんの部屋ですよ。あんな量の書類を移動するワケないでしょう」
 土方が出かけた当初、私は近藤の部屋か自分の部屋で仕事しようかと思ったけれど、量の凄さを見て、移動することはさっさと諦めた。それに実際に長時間あの部屋にいることは思った以上に居心地が良くて、部屋の主がいなくとも案外と心が安らいだのだ。息を飲む土方の気配に、私はまた笑いを零した。

「ふふふ、部屋で残りの書類を整理してますから、お風呂へ行ってください。鈴花ちゃんに頼んだでしょう?」
 樹の幹の影から抜け出してみると、土方はいつものように眉間に皺を寄せて私を見ていて。それでも、笑いながら通り過ぎる私を引き止めることなく行かせてくれた。

 私が今、土方から声をかけられないことにほっとしていると、土方に気が付かれないといい。私が今、土方に引き止められないことにほっとしていると、土方に気が付かれないといい。

 だって、今私はどういう顔で土方におかえりをいったらいいのか、さっぱりわからないから。

(湯あたり、したかなぁ)
 パタパタと手団扇で顔を仰ぎながら、私は無人の廊下を歩いて、土方の部屋へと向かったのだった。



p.2

(土方視点)



 部屋で机に突っ伏して眠る葉桜の姿を前に、俺は小さく息をつく。風呂上がりというのはわかっていたが、まさかその姿のまま書類を枕にして眠っているとは思わなかった。

 俺がそのまま見ていると、目の前でゆっくりと葉桜の眼が開き、下にしているモノがなんなのかに気が付いて、慌ててそれを掲げている。すっかり墨が乾いているそれは、多少皺が寄っているが無事のようだ。

「土方さん、やっぱり私にこういう作業は向いてないんですよ。もうこの報告書を見るだけで眠くなっちゃう」
 俺がいることに気がついていただろう葉桜は、普段のへらりとした笑いではなく、もう少し柔らかなふにゃりとした笑顔で俺を見た。その言葉の割に、書類はほとんど整理されているようで、部屋を見回しても残っている様子はない。それから葉桜をみると、もういつものにやにやとした作り笑いを浮かべている。俺が留守の間に、葉桜は作り笑顔に更に磨きをかけたようだ。

「寝るのはかまわねぇが、報告書を枕にするな」
「あはは、じゃあこんなことやらせないでください。剣を振っている方が私の性に合ってる」
 葉桜はまるで男のようなことを言う。相変わらずといった風ではあるが、どこか少し変わった気がするのは何故だろうか。

「そういえば、葉桜とは剣を交えたことはなかったな」
「土方さんは忙しいですからねー」
 総司に聞いたところでは葉桜はかなりの腕前で、もう屯所内で葉桜が勝っていないのは近藤さんと俺だけだと聞いている。総司や永倉、原田、斎藤とは同じぐらいだとか。

 山南さんとの戦いも見事なモノだった。系統的には俺と同じに見えるほどに乱雑で、それにしては型が綺麗すぎる節がある。葉桜のはどんな流派の技も使いこなしてしまっているのではないかと思うほどの多彩さもある上、決して形式に捕らわれた動きはしない。力はないが俊敏さや受け流す様は見事なほどで、二人の決闘は一種の舞をみるように、とても綺麗だった。

 それを見ていて感じたのは、葉桜が風に揺らぐ葉のようだということだ。剣の型も、その内面も。

 おもむろに葉桜が立ち上がり、部屋を出ようとする。咄嗟に葉桜の肩に俺が手をかけると、一瞬葉桜が脅えたように振り返った。ほんの一瞬だけれど、俺には見逃せるわけがない。

「おい、何があった」
「ふふっ、何がですか?」
 再び俺に背を向け、去ろうとする葉桜だったが、俺はその声が震えている様を見て、葉桜の細い腕を掴んで部屋へ引きづり込み、障子を閉めた。

 薄暗い部屋の中、体勢を崩して座り込む葉桜が俯いているのが見える。俺が近寄ると、わずかに後退りしようとする。この反応に、俺は覚えがある。

「誰だ」
 俺は膝を付き、できるだけ見下ろさないように葉桜を見つめた。

「何もありませんってば」
「嘘をつくんじゃねぇ」
 軽い口調だが、葉桜は俺を見ようとしない。普段は嫌になるほど人の目を見つめてくる奴が、こんな時ばかりは視線を合わせることを避けている。

「本当に何もないんです」
「隊士の誰かに襲われたワケじゃねぇのか」
「っ、そんなことあるわけないでしょ」
 顔を背けようとする葉桜の顎を掴んで、俺は自分の方へ向けてみた。そんなに脅えた目をして、俺に嘘が通用すると思っているのか、葉桜。

「本当だな」
「ずいぶん信用ないですね、私」
 また作り笑い葉桜に、俺は強く歯噛みした。何故、俺の前でまでそうやって虚勢を張るのかと、詰ってしまいそうだ。肩を引き寄せ、抱き寄せた葉桜の体からは、俺と同じ香がかすかに薫っていた。

「それは俺の台詞だ」
 俺が震える肩を強く抱くと、葉桜は腕を突っ張って離れようとする。それを抑えこんで、俺は葉桜の耳に囁いた。

「俺が前に言ったことを覚えているな?」
「私は嫌だと言った」
「これ以上は聞かねえ。だが、無理をして笑うんじゃねえよ」
 言わないというなら、決して葉桜は語らないだろう。俺にしてやれるのは、ただ泣かせてやることぐらいだ。しかし、葉桜は震える肩を止めて、強い視線でしっかりと俺を見据える。もうさっきまでの震えは収まったようだ。

「意外と我が侭ですね」
 葉桜は決して笑っていない目で、まっすぐに俺を見つめ返してくる。出かける前と同じ、意思の強さを感じさせる強い目だ。

「たしかに土方さんがいない間にちょっといろいろありました。でも、貴方が関与するコトじゃない」
「心配してくださるのはとても有難いですが、どうか好きにさせてください。新選組に悪いようにはしませんから」
 一息に言い切ってから、葉桜はまた以前と同じようにふわりと微笑んだ。だが、やはり目だけは笑っていない様子から真剣さが伺える。いつもいつもこいつはこうやって、肝心なことを誤魔化すのだ。

 人の眉間を突いて、何が楽しいワケでもないのに作り笑いをして。どうしてそこまでできるのか、俺にはさっぱりわからねぇ。

「どっちが我が侭だ」
「ふふ、もちろん私です」
 するりと俺の腕を抜け出し、障子を開けて出て行く葉桜の姿を黙って見送る。風を切って歩く姿は、以前の通りの力強さを持っているが、声をかけることは躊躇われた。

 追求するなと背中で語る葉桜を、俺にはもう引き止めることは出来なかった。



あとがき

後で書き直すかもしれません。
今回は流石に仕事が超多忙!なので、会話編まで。
てか、多忙ならこんなに書いている時間はどこにあったんだって感じですよね。
次はリクがあったので、メイン前に沖田ルートのイベントいれます。
内容的にはヒロインに無茶な設定が多いおかげで大変です。
このイベントは1話じゃ収まらないだろうし…この章の本編も絶対1話じゃ収まらないし。
あー無茶だなぁ…。計画性のなさが目に見えますね。
(2006/05/24 12:07)


微細修正
(2006/07/06 14:18)


前半を修正。
(2012/07/02)


後半を修正
(2012/07/04)