GS>> 氷室零一>> 境界線

書名:GS
章名:氷室零一

話名:境界線


作:ひまうさ
公開日(更新日):2002.11.11 (2002.11.19)
状態:公開
ページ数:7 頁
文字数:16172 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 11 枚
デフォルト名:東雲/春霞/ハルカ
1)
(morning)コイビトの境界線
(noon)ココロの境界線
(night)恋と愛の境界線

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p.1

<コイビトの境界線>







 背の高いすらっとした背中はいつもピンと張っていて、曲がっている姿をみたことがない。

 微かに混じる優しい空気に目を上げると、いつもそこにあたたかい眼差しはあって。手が髪を撫でる。

 いつも真っ白でノリの利いたシャツに手をかける細い指は、滑らかにボタンを外していく。



 て、え? ええ!?

 これは何?なんなの!?



『時間だ。起きなさい』

 静かで空気みたいに透き通った声が囁く。しっかりと紡がれる言葉に、私は頷いて目を閉じた。

 次に目を開けると、そこは見慣れた白い天井があって、起きあがって辺りを確認してもどこにも零一さんはいない。

 すべては夢の出来事なのに、身体が熱く火照っている。

「…やだなーもう」
 サイドボードのデジタル時計を見やると、只今午前5時半。外はほのかに白くなり始めたくらいで、世界はまだ眠りに落ちている。

 日付は11月6日。今日は何があった?

「あ!!」
 慌ててカレンダーを見ると、自分でつけた笑っちゃうくらい大きなハートマーク。今日は大切な一日だ。

 まず昨日用意して置いた服を着る。先生好みの氷室学級らしい服装で。

 次に、用意しておいたショルダーバッグを手に中身を確認。…よし、準備は完璧。

 台所の母親に挨拶して、家を出る。向かうは当然、学校ではない。

 清涼というよりも凍えそうに寒い早朝の道には、人通りも車通りもない。吐く息は真白く空気を染め上げ、私の起こす風で霧散していく。できるだけ温かくと、着てきたコートで辛うじて寒さは和らげられているが、流石に今朝は寒い。いつもなら布団の中でぬくぬくしている身には堪える。

 目的地のドアの前で深呼吸すると、ふっとヒトの気配がする。これから侵入しようとするドアの向こうで。

 時計はまだ6時過ぎたばかり。まさか、もう起きてるのかな。

 鞄を探って、青いリボンをつけた鍵を取り出す。鍵穴にさしこむと、小さな音と共に私を招き入れる。できるだけ、音をたてないようにそっとそっとドアを開けて、またそっとドアを閉めて。まずは侵入成功。

 電気のついたリビングに拍子抜けしたものの、私はこっそり忍び足で向かう。予想に反して、そこには誰もいない。覗きこんでも、零一さんの姿は見えない。電気がついているから、起きているのは確かなんだけど。

「…何故、いる」
 ため息とともに呆然とした声が背後から私の頭上を通り抜ける。急いで振りかえろうとしたところ、がっしりと抱え込まれ、空中を運ばれて、いつのまにかソファーに座らされていた。

 出勤の準備中だったのか、すでにいつもどおりの白いワイシャツ姿で、下はスーツだ。折り目正しく、真っ直ぐな立ち姿に、また今日も見惚れる。多少は慣れたが多少しか慣れていないともいう。

「なんで、もう起きているんですか?」
 着ていたコートを脱ぎながら責める私の隣りに、零一さんも身を沈めて。見られているのに気がつきながら、動悸を堪えて、私はソファーにコートをかけた。

「先に俺の質問に答えなさい。どうして、こんな朝早くにいるんだ」
 厳しい声色におそるおそる振りかえると、咎めるような目に反感が沸き起こる。今の私に咎め立てられるいわれはない。

「いちゃいけませんか?」
 だって、鍵を私に渡して、いつでも来ていいと言ったのは零一さん本人だ。その意味が放課後とか休日とかだというのはわかっている。もちろん、平日の朝から来ていいとは一言も言っていない。でも、来てはいけないともいっていない。

「別にそういうことをいっているわけではない」
「私が朝早くにくると困る事でもあるんですか?――まさか、浮気!?」
「するワケがないだろう」
 冗談で言ったのに、即座に返ってきた返答に私は思わず頬が緩む。この答えは予想出来ていてもやっぱり嬉しいものだ。第一、零一さんはそれほど器用な人間でもないコトを私は知っている。

「いっておくが、俺の気持ちはまだ少しも変わっていない」
 小さく咳払いして、その腕が私の肩を引き寄せる。照れてはいるがもう、目を逸らされることはない。

「少しも?」
「…何度も、いわせるな」
 逸らさない代わりに、頭を引き寄せ、額にキスするようになった。なんだかくすぐったくて、いつも私は笑ってしまう。零一さんの優しさはわたあめみたいにふわふわと私を包み込む。それは、コイビトというよりもお兄ちゃんみたいだと、以前いったら変な顔してたっけ。

「零一さんはどうして私がここに来たと思ってます?」
 クスクスと笑いながら聞くと、「君の行動は、予測不可能だ」とそっけなく返ってきた。

「あーっ、ちょっとぐらい考えてくれてもいいじゃないですか!」
「コドモの行動は突拍子もないことばかりだからな」
 しれっとして返ってくる言葉は、やっぱりいじわるなお兄ちゃんで。照れた時の零一さんを知っている身としては、どっちがと言いたくなる。

「それって、私がコドモって事ですか?」
「そうともとれるな」
「ひっどーい!」
 笑いながら、その眼鏡に手をかける。外したときの零一さんの瞳はいつも以上に鋭くなって、瞬間どきりとする。でも、いつも眼差しの温かさに私は安堵する。

「こら、返しなさい」
「やですーっ」
 取られないように首に抱きつくと、さっぱりとしたミント系の香りがした。シャツ越しに伝わってくる温かい気配はどんな場所よりも安心できて、私はそのまま目を閉じて、温かさを黙って感じる。

「東雲?」
 珍しく、黙っている私を不思議に思ったのか、背中に手を回し、もう片方の手でそっと髪を梳く指を感じる。

 ふと不思議な気がした。だって、ここにいるのは元とはいえ、3年間も受け持ってもらった担任教師で。最初に見た時はとても怖くて、怖くて、怖いけど時々優しくて。生徒のことをとても大事に思ってくれているのだと、最初の補習の時に感じた。零一さんはレポートを出したりするのが趣味なのかと思ったけど、(半分は趣味だろうけど、)とても生徒のことを考えてくれる素敵な先生だと思う。

 敬愛が恋愛に変わるのはそれほど遅くはなかった。たぶん、きっとそれは奇跡みたいなことだという人もいる。

 奇跡でも運命でも零一さんを愛せるなら、私はなんでもいい。

 今こうして一緒にいられる時間を大切にしたい。感謝したい。だから、私はここにいる。



「Happy Birthday 零一さん」



――零一さんと出会えた奇跡に、お礼を言いたいから。



 小さく耳元に囁くと、その指の動きが止まった。頭をおさえているでなく、ただ止まったのだとわかる。

 そろそろと離れて顔を覗きこむ。呆けた顔が見る間に赤く染まる。

「まさか、それを言いに来たのか?」
「はい。だって、最初に言いたかったから」
 誰よりも近い場所で誰よりも早く、零一さんに感謝したかったから。

「零一さんというひとりの人間がこの世に生を受け…て!まだ、途中です!」
 待ちきれないように抱きしめられ、口付けられる。

「ありがとう」
「れ、零一さんってば!」
 実は言ってからこういう台詞は恥かしくなる。言葉を遮るように重ねられ、意識を吸いこまれる。深く浅く、長いような短いような時間のあとで、温かく零一さんは私を抱きしめた。

「愛している。東雲」
 コドモよりコドモのような言動なのに、行動はオトナで。

 私たちの間の境界線はいまだ曖昧模糊としている。スタートラインが違うから私はいつも焦るけど、それでもこういう時は追いついている気がする。オトナなのにコドモみたいな零一さんに、生徒でも妹でも友達でもない、当然母親でも姉でもない感情に支配される。

 愛し愛されるという輝ける石を私は手に入れています。

 いつかこの時間が永遠と呼べるように、私は願いつづけます。



 私は氷室零一という男を、ずっと愛しています。







<コイビトの境界線END>

p.2

<ココロの境界線>







 風と梢と緑の奏でる自然の合唱に、私は耳を澄ませる。決して一定でなく、決して同じリズムさえ刻まぬその曲は不快などでなく、誰の耳にも心地よいシンフォニーを届ける。まさに、今日という日にふさわしい完璧な演奏だ。

 晴れて、澄みきった透き通る大空と深緑の唄、そして小さな白い教会。

 目が眩むほどまぶしく輝ける光に立つ君は真白いウェディング姿で、まるで一枚絵のようで。すべてが遠く、すべてが不確かで、遠い昔に掴み損ねた何かのようで、細波のごとく不安を寄せてくる。

 うっすらと紅に彩られた口唇が何か言って、満面の笑顔で身を鮮やかに翻して走り去る。



「待て! 待ちなさい!!」



 やけにはっきりとした自分の声の後、目の前にはただ見慣れた天井といっぱいに伸ばされた私の片腕だけがあった。

 夢を見ていたらしい。悪夢、なのだろうか。彼女がこの手から飛んでいってしまうような気がしている。不安がまだ、この胸にある。

 どれだけ君を愛せば、私は安心出来るのだろう。この手に掴んでいるハズでも、不安はまだ寄せては返す。夕闇の暗い浜辺のような心持ちに、いまだ少年のように躊躇している。

「どうか、している」
 自分で思うより、私は春霞に溺れているらしい。自分がこれほどヒトに執着するとは思わなかった。しかも自分の教え子になんて――。

 窓から冷たい風が吹き込んで、カーテンを揺らしていた。この時期に私が窓を開けて寝るハズがない。風邪を引く事などわかりきっているというのに。窓を閉めようとして立つと、視界が大きく揺れる。そして、ドアを開けて駆けてくる足音と、声。

「寝てなきゃだめですよ、零一さん!」
 柔らかいのに鋭い叱咤は誰に似たのか。出会った頃はまだ私に怯えていたというのに、いつのまにこれほどに成長したのだろう。

「まだ全然熱下がってないじゃないですか!」
 春霞の細腕であっさりとベッドに引き倒され、小さなひんやりとした手が額に当る。冷たさが気持ちよくて、その身体を引き寄せるとあっさり隣りに転がり込んでくる。

「ちょ、ちょっと! 熱あるって言ってるでしょーっ」
 掛け物越しに両腕で抱きこむと、ひんやりと冷たさが伝染してくる。なのに抱きこんでいるだけで、心の中に温かいものが広がる。その名前はたぶん「安心」だ。

「少しだけ。もう少しだけこのままで…」
 耳に囁きかけると、春霞は動かなくなって。しばらくすると、布団に入りこんできた。

「ま、待ちなさい。そういう意味ではっ」
 細い腕は背中に回され、ポンポンとリズムをとって叩く。細いのに柔らかな身体に触れて、私の中は熱を帯びる。心地よい睡魔が寄せてくる。これは、熱のせいだろうか。

「零一さんが眠るまで、こうしてます」
 温かい音とリズムが不安を溶かしてゆく。それは雪解けの春の陽射しに似て、まどろみを連れてくるようだ。

 春霞はここにいる。ただ一人、私の心を甘く溶かす存在として。

 君がいなければ、私は春の暖かさを知らなかった。

 君がいなければ、私は孤独の怖さを知らなかった。

 それでも、春霞と出会えて良かった。

 甘い痛みも甘い楽しみもすべて、君と共に分かち合おう。



p.3

 動こうとすると、抱きしめる手に力がこもる。引き剥がそうとすると、聞いた事もないくらい甘い声が、吐息がかかる。

(ど、どうしよう…)
 あたしは零一さんの腕の中で、もうすでに混乱している。熱に浮かされて、もうらしくない予測不可能な事態ばかり起きてしまって。最終手段で昔、弟にしてやったように背中を叩いてあげたんだけど。まぁそれも成功で、零一さんからやすらかな寝息が聞こえて、子供みたいなあどけない笑顔に見惚れちゃったんだけど。

 抱き枕よろしく眠られていることに気がついた時には、すでに手遅れで。どう動いても、離してくれない。

「零一さん」
 小さく声をかけても目を覚まさない。ただ愛しそうに、守るように抱きしめられて。

 至近距離の零一さんの顔は、幸せそうで楽しそうでいつもと全然違って面白いけど、あたしのときめきがジェットコースターより早くなってく。

「零一さん、離してください」
 小さく囁くと、うわごとのままに拒否される。うっすらと開いた瞳は飴玉よりもとろけて、眼差しであたしは止めをさされる。

「もぅ、どっちが子供なの」
 重ねた唇から伝わってくるのは、以外に熱でなく冷たい感触。

 無意識に抱き寄せられ、あたしたちは熱に浮かされキスをする。

 正気だったら、きっと怒るね。

 でもあたし、目の前で倒れられるのはこれっきりがいい。

 目を覚ましたら、いつものアナタに戻って。

「…春霞」
 その瞳で、その声で、その腕で、これ以上あたしを狂わせないで。



p.4

 ―――ため息。

 たどたどしい、優しい調べが聞こえる。

 躓きながらも、不思議と耳障りでなく安らぎを運んでくる。遠くて近い場所から、届けてくる。

 子守唄というにはあまりに不器用で、だが心だけが伝わってくる。たぶん、あの時の私と同じ気持ち。

 防音室のドアをそっと開けても、彼女は気づかない。ただ真剣に弾きつづけている。止まない音に感情も引きずられ、光が降り注ぐ。

 いつまでも、この風景がここにあるといい。そうすれば、私はきっと不安から開放される。

「あー!! なんで、また起きてるんですか!? ちゃんと寝ててくださいよっ」
「大丈夫だ」
 パタタと春霞は飛んできて、背伸びで私の額に触れようとする。それを膝から抱えあげるのは容易く、たいした苦もなく同じ位置に顔が来る。驚く彼女の額と自分のそれを合わせる。

「!」
「どうだ? まだ、熱はあるか?」
 彼女の方がよっぽど赤くなって、見る間に泣きそうになって、首にしがみついて来た。

「もう、大丈夫なんですね? いつもの零一さんなんですね?」
 どういう意味かと問う前に、震えが伝わってくる。泣いて、いるのだろうか。心配、させたのか。心配してくれたんだな。

「あぁ心配させて悪かった」
 柔らかな身体で強くしがみついてくるままにしておいて、私はピアノの前に立つ。

「もう、看病なんてしてやんないんだから」
 恨めしそうに言って、春霞はようやく顔をあげた。同じ高さの目線は何かを責めている。

「俺はなにかしたのか?」
「なんにもないもん」
「本当か?」
 ふいっと視線を逸らされてしまった。

「春霞?」
 困惑気味に睨まれ、ふっと影が寄る。額に掠るように温かさが残る。驚いて緩んだ腕から、春霞は滑り降りて、ピアノの隣りに立つ。ピアノを弾いてほしいと、笑顔だけで要求する。

「病み上がりの人間にさせることか?」
「大丈夫です! 零一さん、さっきそう言ったじゃないですか」
 確かにそう言ったがしかしと考えながらも、素直にピアノに向かう自分がいる。いわれなくとも、弾いていたかもしれない。

「リクエスト良いですか?」
「ダメだ」
 苦笑しながらいう私の隣りに、春霞がちょこんと座る。

「何か弾きたい曲でもあるんですか?」
「あぁ。ある」



――今は春霞一人の為に弾こう。春霞に捧げる恋の調べを。







<ココロの境界線END>

p.5

<恋と愛の境界線>







 薄暗い店内は、密やかに客たちがさざめき合う。それを一瞥して、俺はカウンター席に着いた。座るとすでに目の前に店主をしている悪友がスタンバイしている。陽気な笑顔は崩れることなく、店内奥へと走らせている。

 そこにあるのは一台の黒光りするグランドピアノだ。狭い店内の三分の一を占領させながらでも置きたかった理由は、俺に弾かせるためだと言っていた。

「なぁ、零一」
「弾かないぞ」
 言葉を先取りして言ったつもりだが、店主は声をひそめて笑う。そして、俺の前にレモン色のグラスを置く。

「おい」
「いつものは、却下だ」
 言いながら、店主の声は笑いを必死に堪えている。押し殺した笑いは、策略の影を持つ。

「何故だ?」
「今にわかるって」
 ドアが開いて、また一人カウンターに向かってくる客の為に、店主は俺の前から離れていった。

 しかたなく、出されたレモネードに口をつける。一人でこれを飲むのは久方ぶりだ。しかも、車で来ているわけでないというのに。

 レモネードのほろ苦さのある甘みに見出すのは、東雲春霞のことだ。

 何気なく振りかえる先にある彼女の視線は、いつも私と合うとまっすぐに見つめ返してきた。怖気づくことなく、ただまっすぐに。

 解答はいつも完璧に理想一歩手前。あと一歩を自分で突き崩し、俺を感じた事のない戸惑いに突き落とす。

 虫が知らせるように、俺はカウンター奥のドアに視線を移した。動く事のないドアはただ静かになにかを待っている。動かすのはいつも店主と俺だけで、二人ともが離れているのだから動くわけがない。 その動くハズのないドアが揺れた。

 ノブをまわす微細な音がどうしてか届いてきて、グラスを持つ手を止めていた。俺だけじゃない。店内の誰もが話すのをやめて、そこに注目した。

 木製のドアから光が降り立つ。錯覚だとわかっていても、俺には他にどう表現すればいいのかわからない。

 深紅の薔薇色のカクテルドレスを来た、スラリと白い肢体の朗らかな少女が、店内を見まわして俺を見つけて微笑む。まさに花が開くというのは春霞の笑顔の事を云うのだろう。

「にやけてるぞ」
 店主の声に慌てて顔の筋肉を強張らせる。そうだ、こいつがいた。

「無理もない。春霞ちゃん、可愛いもんな」
 確かに彼女は可愛い。が、こいつに言われる筋合いはない。

 俺たちが会話している間に人波をすり抜けて、春霞はピアノの前に座った。ドレスアップして座る姿は、とても1年前の面影を残さない。あの頃より強い色香を放ち、俺だけでなく、店内の人々を魅了する。

 反論する気も起きない。ただ、彼女の仕草ひとつひとつの奏でる音楽をこの目に焼き付けるようにみていた。

 店中が静まり返っている中、春霞は鍵盤に指を置き。



 一気に滑らせた。



p.6

 隣りで店主がほっと息をついている。それについては、後で追求するとして。

 はっきり云って、驚いた。いくら彼女がもと吹奏楽部員だったとしても、パートはフルート。ピアノを触った姿は見たこともない。以前聞いた時は、習ったこともないから無理だといわれたのを記憶している。

 しかし今はどうだろう。滑らかに指は滑り、心地好い音を奏でる。俺の中の音と噛み合うように、全部で歌っている。

 ロウソクに火を灯すように光放つ。薄暗い店内が、彼女の放つ目映い輝きに包まれる。

「零一、顔が赤いぞ?」
 ピアノの音階の奥底に、俺は答えを見つける。言葉以上に強く温かい春霞の言葉を受け取る。

 一心にピアノに向かっているのに、俺にはその声だけが聞こえる。



――好きです、零一さん。



 強く囁き、包み込む。この手に包むより、春霞の腕に包まれるより、もっと強くもっと深く。



――私は零一さんを愛しています。



 俺のすべてを包み込む、その包容力。

 きっと俺は一生、君に敵わない。



p.7

 カウンターの上で顔を隠すようにしている零一さんの隣りに、私は駆けてきて座った。店主がなにも言わずに、レモネードを前に置いて微笑んでくれる。まかせろって、ことみたいだ。

「おい、零一。春霞ちゃんが戻ってきたぞ。何かいうことないのかよ」
 にやけた顔を必死に堪える店主を情けなさそうに見上げ、先生が私に向き直った。けれど、視線を逸らして、頬を染め、まっすぐに私を見ようとしない。

「…どういうつもりだ?」
「なにがですか?」
 何食わぬ顔で私も答える。零一さんのピアノには敵わないけれど、伝えたい気持ちは伝わったらそれでいい。

「………」
 そっと私たちから店主が離れる。たぶん、不器用な零一さんの為に。

「君はピアノが弾けないんじゃなかったか?」
「弾けませんよ」
「あれで?」
 怪訝そうな瞳がようやく私に向けられる。ただ、ね。照れが伝わってきて、私は隠すように笑んだ。

「今日の為に練習したんですっ。どうでした? 何箇所かは間違えちゃったんで完璧とまではいきませんでしたが、今日の演奏を受け取ってくれますか? 誕生日プレゼントとして」
 最後まで言い終らないうちに腕を引かれ、その腕の中に収まる。そして、耳元に囁く声。



「俺も、愛している、春霞」



 好きだけじゃ足りないくらい溢れてしまう、この気持ちを現わす術をずっと探していた。言葉だけじゃもどかしくて、空気に逃げてしまう気がした。

 この気持ちが恋だけじゃないと、気がついてもらえるように。音に託した気持ちは、まっすぐに届く。そう教えてくれたのは零一さん。

 放課後の音楽室から聞こえた不器用な優しさで私は捕われたから、今度は私が言葉以上の言葉を返すわ。

「もう帰るのか、お二人さん?」
 互いに寄り添って店の入口に向かう私たちに、店主は柔らかい声をかけてきた。

「ハッピーバースディ、零一。良い1年を」
 礼を言って、私たちは店を後にする。

「時間はあるか?」
「はい、いっぱいあります」
 今度は二人で、私たちだけの音楽を奏でよう。







<恋と愛の境界線END>

あとがき

えーい、なんだこれは!
どうやら、後輩の先日書いた話に影響されたようです。後遺症がそこかしこにちらちらしてます。
それに、これ、基本が間違えちゃってます。
卒業後の最初の先生の誕生日って実は日曜日なのに、スーツ着てるし。
でも、社会見学でもスーツだし!! 全然OK問題なし♪<?
2002年11月のみ限定配布でした。ありがとうございました。
完成:2002/11/11


あぁぁぁスランプです、ダメです。書けません、隊長(誰だ)。ニセモノ一丁出来あがりです。
甘えッ子な先生を書きたかった。でも、主人公が動いてくれない。
最初の目的の先生に苦しんでもらうというのはクリアだけど、私は決して先生がキライなわけでないです。
てゆーか、なんで勝手にキスしちゃうの!!
ふぇ~ここの主人公が作者の云う事を聞いてくれませんっっっしくしくしく。
しかも、病み上がりの人間にピアノを弾かせるなんて、この主人公は鬼畜ですか。(ですね)。
11月のみ限定配布でした。ありがとうございました。
完成:2002/11/12


先生生誕創作第3弾~♪と言いたいところですが、独立した話になってしまいました。
でも、書いた私は満足度高いです。これが、書きたかったんです!
先生にピアノを贈りたかったんです。なんでも持っている先生に、カタチ以上の愛をあげてみたかった。
ところで、関係ないですがこれを書いている最中のBGMは『ピアノよ歌え 第3集』(小原孝)です。
どうやら、先生創作はピアノBGMのほうが甘くなる傾向。
ジャンル不問でピアノソロ。なにかお勧めCDありますか?
11月のみ限定配布でした。ありがとうございました。
完成:2002/11/19