軽やかな音と共に踏み入れた店内は、ほどよいあたたかさに包まれていた。いつも通りの温かさにどこか安心する。
「いらっしゃい、春霞ちゃん」
「こんばんわ、マスターさん」
入口でコートの雪を払っていると、店主の方から寄ってくる。
「やっぱり、雪降ってきたんだ?」
「ええ。積もりそうですよ」
コートを脱ぐのを手伝ってくれたあと、いつもの席を案内してくれる。店内はクリスマス色に装飾され、いつもよりも華やかだ。壁に柊の碧と色々の電飾、ピアノの上とカウンターのポインセチアの赤。
今日はバー「Cantaloupe」でのささやかなクリスマスパーティーなのである。
「お客さん、来るでしょうか?」
「零一目当てで来ると思うよ」
「そうですねー」
目の前に静かにカクテルが置かれる。
暖かな湯気の上る黄色の…カクテル?
「これ、ホットオレンジとかって落ちはないですよね?」
「飲んでみたら?」
促されるままに口をつける。雪で冷えた身体中にほどよい温かさが広がる。この味は、知ってる。
「ホット・エッグ・ノッグ。けっこう有名なクリスマスカクテルだよ。春霞ちゃん用でちょっとお酒は少なめだけど」
「え、ミルキーじゃないんですか?」
一瞬カウンターの中で固まって、次に店主は吹き出した。理由がわからない私はもうどうしていいやら。
とりあえず、もう一口飲んでカクテルを味わう。お酒が少し入ってるせいなのだろう。指先まで温かくなってくる。
カラン、とまた店のドアが開いて来店。
「いらっしゃ…くっくっくっ…」
「早いな、春霞」
笑い通しの店主を一瞥して、零一さんは私の隣に座る。
「何飲んでるんだ?」
「ミルキー」
こっちも吹き出した…。
でも、恋人になってからも先生もとい零一さんがここまで顔を崩すのは見たことがない。これもクリスマスの魔法だろうか。
「し、失礼」
「別にいいですよー、零一さん」
私がそっぽを向いている間に、零一さんは店主に正しい解答を聞いて、眉を顰めた。またか、といった感じだ。
「普通の半分しか酒は入ってないし、大丈夫だろ」
「お前、こいつの酒の弱さを知っててやってるのか?」
「要は慣れよ、慣れ」
ここに来る度に少量ずつお酒に慣らされているのは、実は知っている。
「お前はこっち、だろ?」
零一さんの前にもまたオレンジ色のカクテルが置かれる。私のと違い、湯気は出ていないが。
それを零一さんは一口飲んで、イヤイヤながら頷く。
「美味いな」
とてもイヤそうに。
「じゃ、今年も頼むぞ」
零一さんの飲んだのはなんのカクテルだろう?
興味深々な私に店主がウインクする。
「ブロンクスっていってね。ちょっと零一みたいに難しいカクテルなんだ」
昔からの約束で、クリスマスにこれが成功するとピアノを弾く約束になっているのだという。
「向こうでもこの時期はいやというほど作らされたよ。すっごい人気の高いカクテルでさ。しかも…」
「少しピアノ借りるぞ」
調律しにいっただろう零一さんに聞こえないように、店主は耳打ちした。
「俺のいた店のオーナーが作るよりもうまいって評判たっちゃってさ!」
つまり、賭けはもともと店主が勝つようにできている、と。さすがというかなんというか。
緩やかに流れ出す柔らかな零一さんの「O Come, All Ye Faithful」に誘われて、客が入り始める。
忙しくなっていく店内に落ちついた店主の声が来店を歓迎する。
私はピアノを弾く零一さんに見惚れる。いつか見たようなイイ顔をしている。ピアノの前でだけ見せる、零一さんのもう一つの笑顔が私は好きだ。
小休止で戻ってきた零一さんを見て、いつまでもニコニコとしていたら、何か変なものでも食べたのかと問われた。失礼極まりない。
「どうして普段からそういう顔をしていないんですか?そしたらもっと人気あがるのに」
「人気など上がらずとも結構」
「まぁ私はその方が楽ですけど。余計な心配しなくてもいいですし」
甘いミルクセーキみたいなカクテルを飲み干すと、完全に身体も温まる。少し、暑いかもしれない。
「大丈夫か?」
「理事長のパーティー、楽しかったですか?」
突然の問いに、あぁと短く応えが返る。自分で聞いておいてなんだけど、面白くない。私がいなくても、平気なんだ。
「酔ったか?」
「NO。全然酔えません」
私がいてもいなくても、大人な零一さんが恨めしい。私ばっかり、零一さんが好きで悔しい。
でも、愛してる。
「おい!」
零一さんの声が遠くに聞こえる。ねぇ、私はすこしは大人になれたかな。零一さんと釣り合うように変われたかな。
あと一曲でいいからという頼みを断りきれず、俺はイライラしながらピアノに向かった。こういう時に弾いてもいい曲なんぞ弾けないとわかっている。最後に春霞は呟いていたから。
『私ばっかり…』
誤解も甚だしい。想いを計れるというなら、絶対に俺の方が比重が大きいに決まっている。
逢う度に、みちがえるなんて思いもしないのだろう。
逢う度に、俺がどんなに焦っているのかなんて考えもしないのだろう。
色鮮やかな羽根を広げて今にも飛び立とうとしているのを捕まえておきたいと思っているなど、知りはしない。
言っていないのだから。
言わなければ伝わらない。俺たちの間の時間は長く開きすぎて、春霞の飛び立つ道を邪魔している。だが、道は違っても同じ場所にいたいと想っているなら、夢は叶う。共にいたいなら、すぐにでも叶えてやれる。
しかし、俺は春霞の恋人で、教師で、保護者で。すぐにはそれを与えてやれない。せめて、卒業するまでは。
今はそれがもどかしい。
「おつかれさん、零一。春霞ちゃんは奥でぐっすり…」
友人の声など耳に入るハズもなく、俺は部屋に飛び込んで。ハッと気がついて、静かにドアを閉めた。
部屋の中で、静かな寝息を立てて春霞は眠っていた。――天使の無防備な寝顔で。
起こさないように近づいて、隣に腰をおろす。かすかに身動ぎした体から、掛けていた毛布が少し外れているのを直す。
「…っ」
苦しそうな顔にこちらまで苦しくなってくる。こうなるとわかっていて、どうして春霞はいつも店主の口車に乗るのだろう。
「春霞」
「…一さん…」
潤んだ目が開いてなにかを訴えてくる。自分でかけた箍が、外れそうで目を逸らす。
「…なんだ」
頬に触れてくる小さな手を掴んで、引き寄せる。冷たくて、少し冷静さを取り戻せそうな気がしたのかもしれない。
「…機械じゃ、ないですよね?」
「またその話か」
これは果たして寝言だろうか?
「そのままで、いてくださいね。待っててください。…すぐに大人になりますから…」
目が閉じて、また静かな寝息が聞こえてくる。
寝言か。
安心というよりも、心配、だな。
なるべく動かさないように抱き上げて、腕の中に重みを実感する。
春霞はここにいる。飛び立ってなお、ここに。
「急がなくていい。大人にならなくとも、春霞は十分だ」
大人であるかとか、子供だとかそういうことでなく。ただ隣にいる温かい存在でいて欲しい。
俺はありのままに君に惹かれたのだから。
寝息の漏れる小さな口を塞いで、また静かに離した。
ゆっくりでいい。俺はここにいるから。
いつか二人で紡ぐ未来を、準備して待っている。
同じテーマで書き続けて、どうしてもこうも違うのか。長さがっ。
ところで、文中で出てくるカクテルは私、飲んだこたぁありません。
決して未成年というワケでないのですが。苦手。
ついでにゆうと、酔ったこともありません。
主人公を酔い乱れさせて、零一さんを困らせたかっただけです。
て、ホント関係ないし(笑)
『www3.famille.ne.jp/~katamari/liquor/cocktail/recipe/EggNog.jpgl\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\" target=_blank>エッグ・ノッグ』も『www3.famille.ne.jp/~katamari/liquor/cocktail/recipe/Bronx.jpgl\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\" target=_blank>ブロンクス』もクリスマス用の特別なカクテルですv
完成:2002/12/24