幕末恋風記>> ルート改変:土方歳三>> 慶応三年霜月 12章 - 12.4.1-土方の稽古

書名:幕末恋風記
章名:ルート改変:土方歳三

話名:慶応三年霜月 12章 - 12.4.1-土方の稽古


作:ひまうさ
公開日(更新日):2006.8.23 (2007.1.7)
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:3127 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 2 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
揺らぎの葉(88)

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p.1

 布団の上で、天井を見つめ、まず動かなくなるのはどこなのだろうと考えることがある。それはもうこのお役目を背負った時からずっとだ。何かが始まる前、いつも私はぼんやりとそれを考える。幕府が倒れたら、自分の身体は一体どこから自分の意思を持たなくなるのだろう、と。

 まだ仄暗い部屋の中ゆっくりと身体を起こし、部屋を出て、縁側に座って外を眺めた。空は血のように赤い色をしていた。

 大政奉還の報せを聞いたのはいつだっただろうか。頭の中がふわふわとさまよっていて、その記憶を掴めない。これからやることがあるから、もうしばらくすれば視界は開ける。そうしたら、私のやるべきコトは決まっている。

 白装束を男姿に着替え、髪を結い上げ、腰に大小を下げる。

「よし」
「良くないだろ」
 あとは出るばかりとなったところでようやく声がかけられたことに笑いが零れる。もちろん気が付いていないハズがない。相手は気配を隠そうともしていないのだから。

「てっきり見逃してくれるのかと思いましたよ、土方さん」
「これから暗くなるってのに、どこへ行くつもりだ」
 咎める声の奥底には心配の色が見え隠れしている。最近はずいぶんとわかるようになったものだ。それだけ、長く付き合ってきたということでもある。

「暗くって? え、朝じゃないんですか?」
 うわ、そんなに深いため息をつかないでください。

「調子悪いんだから、大人しくしててくれ」
「土方さん、調子が悪いなら無理は」
「馬鹿、俺じゃねぇ。おまえだ、葉桜」
「へ?」
「ったく…」
 肩を強く押され、よろけて座り込む。あれ、なんでこんなに力が入らないんだろう。まるで、あの時みたいに。新選組が新選組となる直前の、あの八月の政変のときみたいに。

「まさか、私…倒れたのか?」
「らしいな。昨日、丁度戻ってきた斎藤の目の前で」
 どうやら丸一日以上も眠っていたらしい。これはやはり、あれの影響、なんだろうなぁ。

「目が覚める気配はなかったが、松本先生が大丈夫だと言うんでな。ーー待っていた」
 良順は先代の巫女の医師の助手を務めている。だから、きっと気が付かれてしまっただろう。終わりは、近い。代替わりが必要だ。代が替わらなければ、私は徳川の業を昇華することもできず、倒れてゆく幕府をみることになる。

 この状態になってからの幕府をどの巫女も知らない。文献にも口伝にも残らない。だったら、出来るところまでやってやる。今の状態での代替わりなんて最悪だ。平和にさえなれば、幕府が立て直せば、影巫女でなくとも業を昇華する方法が見つけられるはずだ。

「力は多少抜けているが、葉桜ならば大丈夫だろう」
 何を言っているのだろう、土方は。

「相手をしてくれ」
 目が覚めて初めて、葉桜は自分の耳がいかれたのかと疑った。

 その数分後、葉桜と土方は無人の道場で剣を交わしている。受けてみて思う。たしかにこれの練習相手は並では務まらないだろう。幹部連中でも練習という風にするには難しい。山南さんとの仕合を鈴花が見たと言っていたが、彼とほぼ互角。しかし、教本には収まらない。どちらかというと変則的で、宮本武蔵を相手にするようなものかもしれない。

 鍔迫り合いは負ける。だが、小細工で倒せる相手でもない。間違いなく、強い。ただそのことだけに心躍る自分がいる。

「ねぇ、土方」
 間合いを取って、話しかける。彼も彼なりに悩んでいるからこそ、私を誘ったのだろう。

「なんだ? 葉桜は明日、非番だろう」
 さすが、わかってらっしゃる。肯定の意味としてにやりと笑う。

「賭けをしませんか」
「なに?」
「私が勝ったら、向こう一週間の休暇をいただきたいんです」
 怒るだろうと思ったが、意外と相手は静かな問いをぶつけてくる。

「どこかへ行くのか」
「そうなるかもしれないし、ならないかもしれない」
 あくまで軽く。ただちょっと出掛けたいだけだと思わせる。それだけで良い。

「今のままでは皆に迷惑をかける気がするんです。一瞬の迷いは多くの仲間を殺すということぐらい、土方さんはわかってるでしょ?」
 詭弁だ。迷惑をかけるからではない。今のままの私は己の身体を意思で従わせる自信もない。だけど、ここにいては出来ないことがある。自分のやることが正しいかどうかじゃない。私にはやらなければならないことなのだ。自分が自分であるために。大切な人を守るためなら、いくらでも悪になる覚悟なんて、もうずっと前からしてる。誰に嫌われても生きてくれるなら、それだけで十分。それに私が何をしても、父様だけは味方だから、それでいい。結果を父様が笑ってくれるなら、それで。

「いいだろう」
 真っ直ぐに見つめてくる瞳は静かだ。だから、私はそれに賭けた。流れを変える道を見つけられると、信じた。



p.2

(土方視点)



 葉桜は勝負を持ちかけたときから決めていたのだろう。ただそれを伝えただけの賭けで、勝っても負けても、彼女は一週間姿をくらますつもりだったのだと、今考えるとわかる。

 あの時の彼女の一太刀は見事だった。迷い無くまっすぐに小手を狙ってきた。木刀を叩き落として終わるつもりだったのか。だが、俺はそれを返し、彼女に一打を浴びせた。ためらいはわずかにあった。だが、手加減はしなかった。

 一撃で彼女の身体は沈んだ。普通なら気絶しているだろうが、彼女はそうならなかった。怠けているようで、日頃の鍛錬はしっかりとやっている証拠だ。おそらく屯所の外でのことだということぐらいしか推察は出来ないが。

「本気、でしたね」
「ああ」
 腕の中でとぎれとぎれに話す葉桜に頷く。大丈夫。死ぬほどのけがでもない。多少のアザを気にするようではこれほどの腕は身につかない。それでもほんの少しの罪悪感が残る。

 だが、俺に謝罪を口にさせることなく、葉桜は微笑んだ。実に、満足そうに、幸福に。

「ありがとうございます、土方さん」
 かすれ声で囁き、すぐに意識を失った。あの時の表情を俺は一生忘れない。葉桜の何があっても貫こうとする頑固なまでの決意を、誰にも歪めることなどできないのだとはっきりと確信したあの顔を。

 こんな女には今まで会ったことがなかった。もしかすると、俺がどの女にも落ち着くことが出来なかったのは、葉桜と出会うためだったのだろうか。そんな馬鹿げた考えが脳裏を過ぎった。

 部屋に運び、着替えさせて、布団に寝かせる。それでも葉桜は目覚めない。深い深い眠りに落ちている。表情無く、ただ穏やかなその寝顔は今までと変わらないようで、どこか違う気がした。

「信じてねぇワケじゃねぇさ」
 眠っているから聞いていないかもしれない。だが、どこかで聞いているような確信があった。

「これ以上ないほど、おまえに頼ってる」
 刃に向かう怖さを持つと同時に、葉桜は立ち向かう強さを持っている。逃げたら終わりだと本能で知っているのか、こいつは目の前の敵から逃げることをしない。立ち向かうことしかしない。

「だからこそ俺は怖い。おまえがいなくなったとき、この新選組がどこへ向かってゆくのか」
 近藤さんと俺で取る舵の方向を懸命に進ませてくれていたから、葉桜の手が無くなったときどうなるのか予測しがたい。

「…いかんな。こんな弱気じゃ」
 頭を振って、予感を振り払う。こんなものを抱えてちゃ、進むことさえ儘ならなくなる。頼りすぎていたとは思わない。だが、これ以上は葉桜の身が持たなくなるだろう。

「きっかり一週間だ。それ以上は許さねぇからな」
 葉桜に言い置いて、部屋を後にした。次の日の朝、彼女の姿は消えた。身の回りをきちっと整理して、きっかり一週間分の総司の薬と、俺と近藤さん宛の手紙を残して。

 俺が願うのはひとつだけだ。無事に帰ってきてくれよ、葉桜。

あとがき

本編前置き。
これでヒロインが動きやすくなった。
梅さんを助けるにはやっぱり新選組にいちゃ動きにくいので、直接土方さんに許可をもらいました。
次はあの人は助かっても、あの人は…いや、ともかく進めよう。
(2006/8/22 15:08:33)


「裏巫女」→「影巫女」に変更。
(2007/1/7 16:06:31)