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書名:GS
章名:姫条まどか

話名:ゼロ・カウント


作:ひまうさ
公開日(更新日):2002.11.25 (2002.11.30)
状態:公開
ページ数:7 頁
文字数:23753 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 15 枚
デフォルト名:東雲/春霞/ハルカ
1)
姫条誕生日キリ番代理リクエスト
J様、Eco様、ちゃんやす様へ

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p.1

<1>







 私には少し気になる人がいる。親友にも相談できないそいつと、今少し距離を置いている。正確には、私が一方的に避けている。理由は誰にも話せない。

「葉月クン、昼だよ?」
 後ろの席のやたら目立つ頭をコツンと叩くと、彼はかなりの時間を要して状況を把握しようとしていた。

「…東雲、か」
 学校じゃ1位常連組の葉月珪は、成績なんかとは関係なく鈍い方だろう。ほうっておくとずっと寝てるんじゃないだろうか。

「…昼?」
「そうだって言ってるでしょ」
 眠そうな目が少し大きく開かれて、エメラルドが光を吸い込み、キラキラを輝く。水に沈めたビー玉みたいに揺らめいている。

「はい、さっさと行こう。おなか空いてるんだから!」
 すでに用意してあったお弁当その他の包みを持って、私は先に教室のドアから廊下をうかがった。右を見ても左を見ても、昼時ともあって人通りは多いが、あいつは来ていない。

「よし!」
 歩き出そうとした私の肩を大きな手が掴んだ。

「今のうちよ!」
 その手を引っ張って、出て来たのは別な人で。

「何が今のうちやて?」
 聞きなれた関西弁に振りかえることもできずに、石みたいに体が動かなくて、冷たい物が背中を滑り落ちる。よく考えると、葉月の手はもっと柔らかくてこんなにごつごつしてないとか、起きてすぐにシャキシャキ動ける人じゃないとは知っていたはずだけど、私はたった今までそれをすっかり忘れていた。

「ちょぉ、話あるんやけど。春霞?」
 声はいつものやさしさの欠片もなくて、こちらから外しかけた手は反対にしっかりと掴まれて、踊るように方向転換。目の前に見なれているはずの浅黒い顔が迫って、息もできない。ドアは開いていてすぐそこなのに、私は壁と彼に挟まれて身動きが取れない。久しぶりに見る顔はものすごく怒っていて、視線だけで追い詰められる。

「私は、ない」
 やっと紡いだ言葉に、その目尻が釣り上がる。顔が整っている分、なお恐い。でも、引けない。私も姫条も。

 息が、できない。私たちの回りだけ、音が全部取り去られたみたいに時間が止められたようになっていて苦しい。掴まれた手が、痛い。いつも以上に細められた視線が痛い。

「悪いが、こういうんはよう好かん。つきおうてもらうで」
 一瞬柔らかくなった顔が真面目になって、さらに距離を縮めてくる。何をする気かわからないのが余計に恐くて、瞑っちゃダメだと思っても目は完全に世界を拒絶する。

 わからないよ。わからないの。私はこいつの親友だ。でも、この気持ちは本当に友情なのか。他のなんて感情なのか知らない。

 ただ一緒にいて楽しいし面白いし笑っていられるし、なによりココロが安らぐ。なのに、この間こいつが他の女の子と笑ってるのみたら、なんかイヤな気分だった。そこは私の場所だって、叫びたくなった。実際は、走り去るコトしかできなかったけど。

 身体が締め付けられる苦しさと浮遊感で、私は目を開けようとした。

「や―――ッ」
「姫条くんが女の子抱いてる―ッ」
 黄色い奇声とも悲鳴ともつかない声で開いた目には、制服の濃紺しか映らない。しっかりと抱きかかえられて、私は姫条の腕の中で彼の淡いムスクの香りに包まれていた。

「ま、まどか!?」
「黙っとき」
 女の子たちの視線が、声が痛いんですけど。身体全体が揺れ、空気が変わる。小さな箱みたいな空間から抜けると、また違うざわめきに包まれる。

「な、何してんだ。姫条?」
 この声は鈴鹿かな。動揺した声を隠しもしないところが彼らしい。

「こいつ、貧血で倒れてん。今から屋上に連れてくところや」
「は? 屋上?」
 聞き返したいのは私も同じだ。誰が何時、貧血になるっての。健康には人一倍気を使ってるんだから。

「なんで保健室じゃねぇの?」
「知らんのか? こいつ、薬嫌いなんや」
 それは素直に認めよう。薬飲みたくないから、病気にならないようにしているんだし。

「でも一応、保健の先生に…」
 そのあとに聞こえた声は、聞いたコトもない強い意思を秘めていた。反論は許さないという無言の威圧が私にもわかる。直接それを向けられた鈴鹿は黙って道を譲ったに違いない。



p.2

 程なくして、風が身体全体に吹きつけた。

「降ろすで」
 耳元で囁く声はいつも以上に優しい。言葉通りにされて腕から抜け出した私は、逃げずに彼の胸倉を掴んだ。私の身長じゃ背伸びしなきゃならなくて迫力もまったくないけど、どうしても何か言ってやりたかった。

「………」
 でも、顔を見たら何も言えなくなってしまった。怒っているように見えた顔が、どうしてか泣いているように見えてしまったから。不覚にも姫条に見惚れてしまったから。長い睫毛、切れ長の瞳、日に焼けた健康的な肌。どれをとっても誰かが造ったものみたいにキレイで、なんと言っていいかわからないあの感情が首をもたげてくる。

「なんや」
 先に口を開いたのは姫条の方で、私は慌てて手を離して視線も外して離れた。

「こないだから、自分、俺んこと避けとってんな。なんでや?」
 見上げる空はどんよりと曇っている。雨はまだ降らないだろうけど、私の中はこの間から台風でも吹き荒れているようだ。

「俺はなんかしたか?」
 なんの返答もしない私に近づいてくる足音。ゆっくりと一歩一歩近づく距離。

「言ってくれな、わからんわ」
 あと一歩の所で、自然カラダが逃げ出していた。違う。逃げたいんじゃない。一緒にいたいだけなのに、どうして私ドアに向かってるんだ。どうして姫条は、追いかけて来てくれるんだろう。

「待ちや!!」
 目の前に現れた壁に激突した私を、広い腕が抱き止める。壁かと思ったのは案の定、姫条本人で。力強く抱きしめられて、胸が苦しい。

「俺、自分とだけはこんなん、わけわからんまんまで終わりになるんはいやや!」
 ずっと私は私に言い聞かせてきた。姫条は親友で、気のイイ仲間だと。ただそれだけのはずなのに、どうしてこんなにココロが痛い。その理由はまだわかりたく、ない。

「終わるって何が?」
 押し返そうとする手に力を込めても、さらに強く抱きしめられるだけでなんの効果もない。

「頼むから、教えてくれ。なんで俺んコト避けとんのや?」
 泣いているような声が背中から響いてくる。聞いたことがないひどく辛そうで、こっちまで目が潤んでくる。

 避けたいワケじゃない。ただ、一緒にいて楽しいだけじゃなくて、息が詰まりそうなくらいな何かに私が支配されるのが怖い。その何かがなんなのかわからないのが怖い。

「…ごめん」
 だから、一言だけ謝った。どの言葉をとっても空滑りしてしまいそうで、他になんて言っていいのかわからなかったから。

「それは理由とちゃうやろ」
 すぐさま返ってくる返答に、心の中でそうだねと頷いた。でも、他になんて言えばいいのかわからない。

 押さえこむ力が緩くなり、ほんの少し差す光の予感に顔をあげる。離れていってしまう気がして、それを引きとめたかったから。引きとめてどうするとか考えてなかった。

 でも上げた顔のすぐ目の前に姫条の真剣な顔があって、思わず息を止める。目をそらせないで、触れる前髪がさわさわとたてる音にさえも反応できずにいた。

「ホンマの事、話し」
 動かない雲みたいな静かな声。後、数センチの距離に、自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえる。意思とは無関係に、口が話し始めようとする。

「あ…私、は…」
 突然の横からの突風が髪を巻き上げ、視界も言葉も遮った。堪えるために少し下がって、体を屈める。

 姫条はどうなのかと目を凝らして、心臓が跳ねあがる。

――奈津実の言葉を思い出した。



 今ならはっきりわかる。理由のつけられなかったこの気持ちの名前が。



「『私は…』の続きは、なんや?」



――私は、姫条まどかが好きなんだ。



 気がつくと、すべてに納得がいく。あの時のわからなかった感情は、きっとコレが原因。すべての元凶。

 好きだから、私だけを見て欲しかった。他の女の子と笑っているのが許せなかった。ただの独占欲。

 わかってしまうと、とたんに笑いがこみ上げてきた。

「…はっ…ははは…っ」
「なに笑っとんの?」
 怪訝そうな姫条を見ても、悪いと思いつつ笑いが止まらない。笑いすぎて、涙まで溢れてくる。こんな簡単なことに気がつかなかったなんて。

「大丈夫か、春霞?」
 一歩近づいてきて差し出された手を、パンと打ちつけて握る。

「うん。もう大丈夫っ」
 泣き笑いみたいな笑顔になった顔で見上げると、一瞬驚いて見開かれた瞳が安堵の色を宿す。いつもの優しさを取り戻している。

「もうホント、くっだらないコトで悩んで損した」
 避ける必要なんてなかった。だって好きだから苦しくて、好きだから楽しかったんだから。

「くだらないコトて…俺のコト?」
 シェパード犬が小首を傾げてる仕草の頭を、思いっきり撫でてやりたくなった。でも、今その言葉に頷いてもいいのかな。私が好きだからって、姫条も同じ好きとは限らない。

「せやないと、今まで避けられてた理由つかんで」
 好きだって言いたいけど、今、気持ちに気づいたばかりで振られたら、きっと立ち直れない。わからないから、まだコレは封印して置く。いつか私が姫条の隣に立てるようになったら、伝える。

「それは、ごめん。今は言えない」
「なんやソレ。今までの、全部それで済ませるゆうんか」
 ちょっと喧嘩ごしだけど、この顔は絶対怒ってない。もう、怒ってない。まだ、大丈夫。

「今度、ゴハン奢ってあげるし。それで許して」
 それで許されるとは思わないけど、今は黙ってだまされて。いつかきっと私から言うから。

「しゃーないな。次のデートで絶対やで」
「ありがとう、まどかっ」
 照れ隠しに飛びついた腕は一度躊躇したものの、しっかりと私を抱き止めた。

「次って言うと…文化祭あるし、その後?」
「せやな。文化祭明けの最初の日曜で、どや?」
「そうだね。打ち上げってコトで、カラオケいかない?」
 そして、次からが本当の私たちの初デート記念日。







<1 END>

p.3

<2>







 文化祭の準備はいつもながら大変だ。でも、これで最後かと思うと感慨深いものがあるようなないような。

 今年の文化祭も3年生有志による学園演劇があるようだ。でも、私は手芸部の発表に専念する事にした。

 1年目はカジュアル系の服をデザインして、2年目はパーティドレス。そして、3年目である今年は白無垢…ではなくて、ウェディングドレスだ。デザインに悩んだけど、かなり良い出来だと自信を持っていえる。

 氷室先生的に言えば「エクセレント」かな?――いわないか。

「春霞ちゃん、キレ~っ」
 舞台裏まで手伝いに来てくれた珠美が、感歎の声を上げる。

 動くたびにサヤサヤと音をたてる白のシルク地の衣装は、自分で作っただけにジャストサイズで肌に合う。鏡の前に立ってくるりと回転すると、ふわりと微かに広がって軽やかに落ちる。我ながら、見事な出来。

「ありがとうっ」
 手渡されたベールを丁寧に付けてもらって、鏡を覗きこむ。薄く施した化粧で少しはみれるようになってるといいのだけれど。

「……?」
 もう一度、鏡を覗きこむ。

「どうしたの?」
 何度も鏡の前をチェックしている私を、横から珠美が覗きこむ。

「うん。や。なにか足りない気がしない?」
「別に足りなくないよ。糸もほつれてないし」
 ちょこちょこと私を周ってみて、また珠美は首を傾げた。どうみても大丈夫だという言葉が何度返ってきても、私はなにか欠けているような気がしてしっくりと来ない。

「たぶん緊張してるんだと思うよ」
 お茶持ってくるからと、彼女が離れてから私はまたため息をはいた。実は違和感の原因に、少しだけ見当はついている。

 屋上の一見以来、つまり姫条への気持ちを自覚して以来、私はまともに彼と話をしていない。大半はこのドレスを作るために居残ったり、実行委員でもないのに手伝ったりしていたせいだけど。

 なにより照れくさかった。今更、今まで通りの対応をできるかという問題にぶち当たった時、出てきた結論は『無理』。

 なのに、文化祭は土曜日で、次の日曜日はカラオケデートときてる。

(どんな顔して逢えばいいのよ~)
 あいつはたぶんいつも通りだろう。いつも通り優しくて、いつも通り軟派で。でも、私は――。

 自覚してしまった以上、いつまでも隠していられるほど器用な自分じゃないと知っている。

「なんだか緊張してきちゃた…」
 考えれば考えるほど、緊張して顔も心なしか強張ってきているようだ。鏡に映っているのは、何かに怯えて不安そうな女の子がひとり。

 このときの私の中には、今文化祭中であるとか手芸部のデザイン発表中だとかそんなことは全くなくて、ただこれが終わった後のデートで姫条相手に冷静でいられるのかいつも通りってどんなだっけというようなことしか考えていない。

 背後に浮かんだ気配に、珠美が来たんだと思って、相談に乗ってもらおうと振り向いた。

「準備のほうはどうや? 春霞」
 お約束のように、姫条がいつもの様子で立っていて、私はただただ固まった。何から話せばいいのか、何をいえばいいのか、頭が真っ白になって何も思いつかない。

「まどか」
 手を伸ばして、袖を引っ張る。少し疲れた制服の生地からは、排ガスの匂いがする。それは彼がガソリンスタンドでバイトしているからということもあるけど。ムスクで消しているハズの香りがするという事は、つまりバイクできたという証拠になる。

「なんやなんや、そのカオは。花嫁さんは、笑顔やろ?」
 笑顔がなんでか淋しげに見える。嬉しいような困ったような顔してる。まるでそのまま踵を返してどこかに行ってしまいそうで、私は掴んだ袖を強く握っていた。

 困るから。いなくなったら、困る。

 姫条がいなきゃ、このウェディングドレスになんの意味もない。

「そんな調子やったら、どこぞの映画みたいに、オレがさらって逃げてまうで?」
 いつもより、いくぶん似合わない軟派な言葉達。シャボン玉みたいに飛んで消えてってしまいそうで、ごく軽い。突き放すでなく、捕えるでなく、宙ぶらりんに置きぜられているようで落ちつかない。

「何がしたいんや?」
「えっ!?」
 ぐいぐいと袖を引っ張りつづける自分の手を見る。いつも通りの呆れ声でどこか安心してしまって、ぱっと、手を離した。これじゃ小さい子と変わらない。

「こないだから、おかしないか?」
 離した手は今度は姫条に掴まれて、何を思ったか引き寄せられた。いつもより軽くいつもより優しく抱きしめられて、ポンポンと背中を叩かれる。恥かしくて情けなくて、でも嬉しくて涙が溢れてくる。

「こらこら。だから、アカンて。泣くなや。せっかくの化粧崩れてまうぞ」
「だって、まどかが~っ」
 困ってるだろうとわかっていても、どうにもならないことってあると思う。あるでしょ。

「なぁて」
 急に引き剥がされて、姫条の顔が目の前に迫る。

「緊張、しとるん?」
「してないわよ!」
 これは舞台にではなく、姫条に緊張してるんだ。どうして、今、そんな至近距離で話すかな。

 私のその様子を笑って、軽く頭を叩いた。

「…ま、落ち着いて、やっといで」
「う、うん。がんばる」
 自分でもわかるぎこちない笑顔で、無理やり笑顔を作って。そんな私を姫条は優しく笑った。

「成功したら、ご褒美やるし」
「え!?」
「ほら、出番や。みんな待ってんで。せいいっぱい、がんばっといで」
「ご褒美ってなに!?」
 笑って、誤魔化された。



p.4

 簡略するけど、舞台はすっごい大成功だった。拍手が気持ち良くて、笑顔なんていくつも自然に出てくる。そんなこんなで、無事に袖まで戻ってくると当然姫条がいる。それが一番嬉くて、走って飛びついた。

「春霞!」
「まどか!」
 姫条は私の行動がわかってたのか、勢いよく抱き上げてから、地に降ろした。

「いやー、ホンマ…キレイやったで、春霞。なんか、結婚も悪くないかなーとか思ってもうたわ」
「…ハハハ!!」
「さあ、カーテン・コールや。お客さんに応えてやらんとな。舞台の上まで、オレが送ったるわ、花嫁さん」
 誉められたのがうれしくて、出された手に素直に自分の手を重ねた。二人で袖まで歩くなんて、結婚式みたいじゃない?

「…なぁ」
「ん?」
「…渡さへんからな」
「誰に?」
 答えは返ってこなくて、腕を引っ張られ、私は姫条の広い腕に抱えこまれた。なんだと聞く前に視界が回転して、完全にお姫様抱っこ状態で。

「ま、まどか!?」
 舞台のライトが眩しい。観客の声がうるさい。でもそれ以上に、私の心臓がうるさいっ

「しっかり掴ってへんと落ちるで、春霞」
 言われるままに首に腕を回すと、また叫び声が聞こえて会場中からいろんな声が飛びかう。

 それを尻目に、舞台から軽々と飛び降りて、私を抱えたまま体育館を走り出る。

「ど、どこに、行く気よ~っっっ」
 風がぶつかってくる音よりも、姫条の走る息遣いの方が近くて、気が狂いそう。振動も心地好くて、身体も熱くなってくる。何を考えているのかわからない。

 でも、ねぇ、これってさ、どういうコト? 誤解、しちゃうよ? 姫条も同じ気持ちなの?

 やがて振動が緩やかになり、騒がしかった嬌声も奇声も怒声も聞こえなくなった。

「教会…?」
「花嫁さん連れてくる場所ゆうたら、ひとつしかないやろ?」
 扉の前で片手で開けようとしたが、次の瞬間、姫条はドアを蹴りつけた。長めの髪がその表情を隠す。

「…くそっ、やっぱ、かかってるか」
 鍵が開いていなかったらしい。そのまま、教会の扉を背に座りこむ。髪で、顔が見えない。今、顔が見たい。どんな顔で、どんな気持ちで私を攫ったのか聞きたい。

 伸ばして、髪に手を触れると、ビクリと振動が伝わってくる。そのままかきあげると、困ったような笑顔がこちらに向けられている。

「まどか…どうして…?」
 予想はついても、姫条の口から聞きたい。どうして私を攫ってくれたのか。今、同じ気持ちでいるのか。

 困ったような笑顔が、視線がフッと上にあがる。

「なんでやろな。春霞を、これ以上見せとうなかった」
「誰に?」
「…誰やろ?」
 顔の正面に風が吹いてきて、私は目を閉じた。それから目を開けるまでの間、何かを聞いたような気がした。わずかな熱が、額に残る。

「すまんな。まだ、時期が来てへんみたいや」
 私の腕をとって、二人で立ち上がる。声がたくさん近づいてくる。奈津実や珠美、志穂の声。氷室先生の声、鈴鹿の声、葉月の声…。

「ま、今日のはリハーサルっちゅうコトで! ひとつ宜しゅうに」
 そして、軽く私の背を押し出した。

「みんな、待ってんで。春霞」
 リハーサルって、どういう意味?







<2 END>

p.5

<3>







 いつもと同じ駅前通り。なのにどこか浮れてみえるのは、たぶん私が浮れているから。見える景色の全部が輝いてみえるなんて、お話の中だけだと思っていたけど今ならわかる。だって、こんなに姫条が来るのが待ち遠しい。

 正面に設置された時計は、まだ待ち合わせした時間より少し早めを指している。

 駆けてくる足音に何度も顔をあげる。そんなことを何度も繰り返す。まだ、きっと家だよね。どうしよう電話してみようかなと思って、ケータイを取り出そうとするとお気に入りの着信が流れる。ディスプレイに表示されるのは。

「なに、尽?」
 うわ冷たいっと弟の非難が聞こえるのを少し、がっかりした気分で聞く。

「まだ姫条こねぇの?」
「あんたに関係ないでしょ」
 来ないのは当然だ。まだ時間には早過ぎる。

「…ドタキャン?」
「…切るよ?」
「わーごめんなさいっっ」
 電話の向こうで謝っている普段の尽を思い出して、ふと口元が緩んだ。ふつうにしていれば、良い弟だけど、いつも一言多い。

「あんたねー…」
「でもさー、11月とはいえ、その格好は薄着過ぎじゃねぇ?」
 云われて、ショーウィンドウに映る自分の姿を見直す。8分丈の黒いスパッツに、黒のチュニック。その上から薄手の赤いカーディガン。悩みに悩んで決めたのに、なんてことを云う弟だ。

「その格好って、あんた…近くにいるの?」
 そういえば、家を出る時にまだこいつは寝ていなかっただろうか。

「あたーり~ぃ」
 背後からの声と電話の向こうの声が同じに聞こえる。振りかえると、案の定、尽がニヤニヤと私を後ろから眺めていた。ナンパもたち悪いが、こいつはもっと良くない。

「何しに来たのよ」
「別に~? いつもどおりイイ男のリサーチしてたら、ねえちゃん見つけただけ」
 事も無げに気楽にいうが、どうしてわざわざ手の込んだ声のかけ方をするかな。というか、どうしてこれからデートなのに声をかけるかな。

「まだこねぇの?」
「私が早く来てるだけよ。まどかが遅れてるんじゃないの」
「えー、でも姫条って一人暮しだろ? このまま来ないなんてこともありうるんじゃ…」
「ぅるさいっ!」
 追い払っても追い払っても懲りない。たぶん、姉弟という無条件な気安さというのもあるのだろう。その無邪気な私たちのやり取りに影が差した。

「こないな道のど真ん中で漫才やってたら、目立つで」
 言葉と共に引き寄せられる肩を、待ち望んだ温かさが包み込む。バイトで慣れたガソリンの匂いが、その服からかすかに香る。

「遅れてきて、いきなり抱きつく方が目立つんじゃねー?」
「自分らがしゃべってる方が目立つわ」
 もう片方の手が私の両目を塞ぐ。

「これからデートやから、子供は邪魔せんと早よ行け」
「なんで?」
「デートやゆうとるやろ」
 舌打ちと共に軽い足音が遠ざかる。喧騒が消えて、私の世界が姫条だけになる。目隠しの暗闇なのに、楽しさと可笑しさがこみ上げて、私はノドの奥でひっそりと笑った。

「なんや?」
「別に。まどか、あったか~い」
 両目を塞ぐ腕をとって抱えようとすると、温かさがさっと逃げた。

「ところで、春霞。露出度高いんはうれしいけど、さすがに寒ないか?」
「え?…寒くないよっ」
「うそつけ。トリハダたっとるで」
 バサリと上から上着をかけられ、今度は隣に立って引き寄せられる。視線は周囲を見まわし、なにかを警戒している。

「いいよ、まどかが寒いでしょ」
「ええねん。男のが体温高いんやで」
 そうはいうけど、姫条は見るからに寒そうだ。私が着ていたら、姫条の方が風邪を引く。

「でも、どうせこれからそこのカラオケボックスに行くんだし」
 返そうとする手を押さえられ、姫条の手で両手を祈るように拘束され、包まれる。影が視界に覆い被さり、息遣いが近づく。

「こないな冷たい手ぇして、なにゆうとんの。大人しく、ゆうこと聞きや」
 温かい吐息が手にかけられ、何度も何度も耳元で声が囁く。その囁きだけでもう十分に身体が熱くなるのに、指先に直接かかる息に鼓動が早くなる。

 私の気も知らないで、どうしてそういうことするの?

 他のヒトにもこういうことするの?

 私は姫条の中で、何番目なの…?

「温まってきたか? ほなら、ちょっと頼みがあるんやけど」
 手を離さないまま続けられて、私は俯いたまま頷いた。

「実は…ゆうべチャーハン作りすぎてもうて」
「また!?」
「またゆうなや。それでな、今日の予定変更してうちに来ぃへんか?」
 つまり、作りすぎたチャーハンを食べに来いと。

「そうともゆうな。ダメか?」
 あげた顔の先に大好きな笑顔があって、それですまなそうな目で頼まれて断れる訳ない。

 小さく頷くと、振動が伝わってくる。

「よっしゃ! ありがとう。恩にきるわっ」
 秋の終りの真っ青な空が、夏色に輝いた。



p.6

…まあ、ゆっくりしてってぇや。

 そういわれてソファーに座ったものの、緊張をありありとしつつ部屋を見まわす。

 男の子の部屋というのを私は尽以外じゃココしか知らない。それに、まだ小学生の尽と比べるのも失礼だろうと思っていた。来たことがない訳じゃない。むしろ何度か誘われてコーヒーをごちそうになったりもしている。――友達として。

「…ホンマ、悪いなぁ」
「いいよ。いつものことだし」
 皿に盛り付けられたチャーハンからかすかに上がる湯気は、出来立てみたいに温かい。

「ナスのチャーハン?」
「せや。けっこう上手くいったんやで~」
 いただきま~すと、さっさとスプーンをつける姫条に続いて、私もドキドキしながら一口目を放りこむ。意外と美味しい。前に学校でもらったお弁当も美味しかったし、本当に姫条は料理上手なのかもしれない。

「どや?」
「ん。美味しいよ」
 ナスは取りたてて好きってほどでもないけど、これは豆板醤の辛さも加わって、身体がすごく温まってくる。

「ホンマか?」
「ホンマホンマ」
 ふと顔をあげると、いつのまにか隣りで嬉そうに私を見ている。なにかに似ている気がする。

 子犬、じゃなくて。あれだ。尽がもっと小さかった時の、おねだり。

 自分のおやつ食べたあと、私のも欲しくなって目だけで「ちょーだい!」って訴えかけてきて。…かわいかったなぁ~っ

 思い出しながら、スプーンで梳くって何気なく差し出す。まさか、食べる訳ないだろう。だってこんな、居そうでいないバカップルみたいなコト、姫条がするワケない。



 ぱくっ



「うまいっ。やっぱり俺って天才やな!!」
 手元の自分のスプーンをじっと見る。今、えっと…?

「どした?」
「まどか、今、あの…」
 この笑顔になんといえばいいんだろう。だって、そんなコト、すると思わなかったし。さっき考えてたコト話して…私、なに考えてたっけ!?

「なぁ」
 パニクッている私に追い討ちをかけるように、どこか夢心地な言葉が入りこんでくる。

「こうやっておると、なんや、新婚みたな気ぃがせえへんか…?」
 どうしよう、このスプーン。このまま食べたいけど、姫条の前じゃ…できない。

「聞いとるか、春霞?」
「うううん。聞いてるっ! せ、生活、大変そうだよねっ」
 そうだ、さりげなく普通に食べよう。意識してるなんて、思われて、こないだみたいに気まずくなりたくないし。

「うわ、キビシイな。こう見えてもオレ、炊事洗濯は一通りこなすんやで?」
 一人暮しだから、残して捨てるコトになったらもったいないし。こんなに美味しいチャーハンなんだから。

 一人でいるって、どんな感じなんだろう。家に帰ると誰の声も聞こえない。気配もない。「ただいま」の声がただ闇に吸い込まれていく。それは、想像するしか出来ないけど、私には耐えられそうにない。静寂に孤独が横たわる。

「立派だよねまどか」
 男の子だからってだけじゃないと思う。一人でいることに慣れる事なんてないと思うけど、それで姫条はいろんな友達を作るのかな。

「好きで始めた一人暮しやから、誉められたほどのもんでもないけどな」
 笑顔の中にかすかに影が落ちる。でもそれはすぐに消えて、また笑顔のヴェールに覆い隠される。

 私の前でまで無理しないで。無理に笑顔なんてしなくていいから。

 好きだから、姫条のすべてを受け入れたいから。

「なんのまねや」
 頬に両手を伸ばして、思いっきり両側に引っ張る。

「いで―――――っ、急になにを…」
 逃げる姫条の身体に両腕を回して、抱きついて。私、何しているんだろう。なんで、泣きたくなってるの。

「あー…春霞?」
「…から」
「なんやて?」
 独りにしないから。姫条の隣に釣り合う人が現われるまで、ずっと隣にいるから。

「春霞?」
 声はただ優しく、髪に触れる手は心地好い。落ちついて、穏やかで、それがおそらく本来の姫条のもつ空気なのだろう。

「どうした?」
 顔をあげて見上げると、姫条が一瞬驚いた表情を返す。

「なに、泣いてんの」
「泣いてないもん」
「泣いてるて」
 近づいてくる顔がぼやけて、私は目を閉じた。上を向いていれば、涙は零れないから。そのまま瞳に仕舞えるだろうから。今の気持ちの全部を涙で吸いこんでおく気だった。

「反則やで、そんなん」
 額に当たる温かさと身体に回される強い腕。驚いて目を開けそうになったけど、少しの涙がこっそりと抵抗する。躊躇している隙に温もりは少し降りて、瞳の涙を吸い上げて。止まった。

「なんで急に泣きだしよるん?」
 肩口に抱かれ、あやすように背中を叩かれる。安心、する。

 姫条、誰が誉めなくても私が誉める。ずっと味方でいるよ。

「へへ、わかんない」
「なんやそれ」
「でも、奥さんになる人はラッキーかもね? こうやって、泣いても慰めてくれるんでしょ?」
 隣に立ちたいけど、私じゃまだ力不足かな。まだ、姫条を支えてあげられるほどの力は無いから。

「…こんなん、誰にでもやらへんで」
「うん。今日は、特別?」
「…特別なヤツ以外は、正直どうでもええねん。でもな、今までもこれからもこうしてやるんはたったひとりや」
 意識が姫条の温かさにゆるりと染まっていく。夏の陽射しよりも暖かい優しさに包まれながら、私は意識を手放す。

「…最初は苦労かけるかもわからへんけど」
 でも、いつかは伝えられるとイイなぁ。この姫条を好きだって気持ちを。



p.7

 手の中の重みが増えて、そっと俺は春霞をソファーに横たえた。食器を片付けようとしたが、服をしっかりとつかまれて身動き取れなくて、隣に座る。

 涙の名残が一筋、その頬を伝う。

 あぶなかった。あやうくキスしてまうところやった。それもこれもこいつがあんな顔して、目を閉じるからや。

 そんな慰めるだけのキスなんてしたかない。

 ただ幸せで、楽しいと思ってくれるキスを教えてやりたいし。

 顔を隠すピンクブラウンの髪を手にとって避ける。濡れた睫毛も、泣いて紅潮した頬も、うっすらと赤い唇も俺を誘う。

 妹がいたら、こんな感じやと思とった。

 オフクロが生きとったら、こんな感じや思とった。

 でも、こいつはどれでもなくて。ただ唯一の俺の…。

「…まどか」
 今、のは空耳か? 俺の事、呼んだか?

 もう一度呼んでくれ。あんただけに許すその呼び名を。

 もう一度呼んでくれたら、俺は――。

「…まど…」
 あーっやっぱだめや!!

 春霞が悪いんやで。男の家で、気持ちよく寝て、しかも俺の名前を呼ぶから。

 呼ぶ、から。

「これはカウントしないでおいてな」
 静かに、小さな口唇に自分のを重ねた。

 一番緊張して、一番ドキドキして、一番後ろめたくて、一番欲しいモノ。

 ちゃんと、好きて伝えてからが俺たちの始まりになるんやから。

 だから、これは――ゼロ・カウントてことにしといてくれ。







<3 END>

あとがき

~Jさんリクで[主人公オール視点]でした。
次は、~Ecoさんのリクエストを含めて、文化祭当日!!
改訂:2002/11/25


~Ecoさんリクで[強引な姫条の甘々話]です。
次は~でちゃんやすさんのリクエストを含めて文化祭打ち上げ♪。
完成:2002/11/25


~でちゃんやすさんのリクエストで[料理編]です。
リクエスト内容は、CD[ファーストvラブ]の続編みたいな感じだったのですが、
聞いていない方に解説すると、一人暮しの姫条が自分で作った御飯を主人公に教えたいと悩む話(笑。
その延長線上で、+自宅デート会話を織り交ぜました。
リクエストだったというのに、長くなって申し訳ありませんっ
ミニスカじゃなくて、ゴメンっ、J。最初、バイクに乗せるつもりだったから、その名残です(((((^^;
ウェディングドレスでバサバサ海まで走るのもイイんだけどさ。
完成:2002/11/30