幕末恋風記>> 本編>> (慶応三年霜月) 13章 - 奸賊ばら

書名:幕末恋風記
章名:本編

話名:(慶応三年霜月) 13章 - 奸賊ばら


作:ひまうさ
公開日(更新日):2006.9.6 (2006.9.14)
状態:公開
ページ数:4 頁
文字数:12625 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 8 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
1-二人:揺らぎの葉(96)
2-会見:揺らぎの葉(97)
3-奸賊ばら:揺らぎの葉(98)(99)

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p.1

1-二人







 伊東との会見に備えて、討伐班を組織することになった。その指揮には原田が名乗り出たらしい。どうやら、まだ篠原のことを根に持っているらしい。本人は違うと否定しているが、その様子自体が嘘だと物語っているので可笑しく笑っていたら、怒られた。

 そして、当日の朝から葉桜は壬生寺まで足を運んでいた。本当は山南の顔を見たくてここまできたのだけど、どうしてもここから先に進む勇気が出てこない。たぶん、山南も噂を聞いていることだろう。どんな顔をするだろうか。信じていないだろうなとわかっていても、会うのは怖い。あの人に責められるのが一番堪える自分に今さらのように気が付いた。

「あー…どっすっかなー…」
 境内裏手で落ち着いてしまった身体を揺らして考え込む。会いたい。だけど、会うのは怖い。悪戯がバレて、母上に叱られに行くときと同じ気分だ。後に送ってもどうせ怒られるなら、とさっさと済ませていたけど、あれは戻ってくると父様がいるってわかっていたからであって、今はそんなひとはいない。

 第一、どこから話したらいいのだろう。いくら流れから外れたとはいえ、どこまで話せるのかもわからない。

「いつまで隠れているつもりだい、葉桜君」
 ずいぶんと近い距離から当人の声が聞こえて、慌てて気配を探れば。

「いつから居たんですか、山南さん。てか、どうしてここに?」
 近寄ると、簡単にその腕に収められてしまう。とても久しぶりで優しいその香をめいっぱいに吸い込んで感じる。たったそれだけで嬉しくなっている自分を現金だなーと葉桜は笑った。

「小六が知らせてくれたんだよ。葉桜君がここにいる、とね」
 どうやら自分は周囲に気を配れないほど、考え込んでいたらしい。よりによって小六に見られていたことに気が付いていないなんて、不覚もいいところだ。くすくすと笑っていると、顎を掴まれ、上向かされる。そこには私を心配している山南の深い瞳があって、驚いている私が映っている。ああもう、本当に嫌だな。見透かされそうだ。

「きちんと食事はとっているかい?」
「はい」
「睡眠は」
「最近は寝過ぎ!って皆に怒られるほどですよ」
 笑いながら答える葉桜を見つめる山南は少しも笑っていない。

「…つらくはないのかい?」
 やっぱり、聞いているんだろうなと感づいた。手を伸ばして、山南の頬に触れる。

「そりゃ、辛くないなんて嘘は言えませんよ。でも、」
「でも?」
「もう、大丈夫です。やるべきコトがあるって、わかってるから」
 最初から、葉桜は新選組を守るためにいるから。近藤と土方のいる新選組を守ると決めているから。

「だから、もう大丈夫です」
 本心から言えたと思う。本心から笑えたと思う。だけど、山南はどうしてこんなに苦しそうなんだろう。身体を反転させ、山南に正面から向き直って、その顔を覗きこむ。

「山南…」
 その声をかけようとしたときに気配が現れ、慌てて葉桜は山南を本殿の中に引っ張り込んだ。消してはいるけど、これはたしかに藤堂のものだ。あたりに気を配って、誰かを待っているみたいだ。

「藤堂君…?」
 何か言いかける山南の口を片手で塞いだところで、もうひとつの気配がぐんぐん近づいてくる。これは鈴花だ。こんなところで逢い引きしてたのか。

「はぁ、はぁ…平助君!」
 走ってきた鈴花が息を整えて叫ぶと、藤堂がほっとした声音を出す。

「鈴花さん、来てくれたんだ。…会いたかった」
 こんなところで人目を忍ばなければならない二人に、胸が痛い。そもそも対立させなければ、この二人にこんなに辛い逢瀬をさせることなんてなかったのだから。

 お互いの状況を報告している中で、藤堂が大石を怪しんでいることがわかる。あれほど、何もするなと言ったのに、大石は何をしたんだ。

「オレ、近江屋に行く途中で大石さんを見たんだよ。血痕のついた着物を着た大石さんをね」
「しかも、あの人はオレたちをからかうように、坂本さんの殺害をほのめかしたんだ!」
「そのあと坂本さんの所へ行ったら、鈴花さんたちがいて」
 初めて聞く話だ。誰も、そんなこと言ってなかった。いや、知らないのか。血痕のついた、着物。そんなことがあったから、篠原はすぐに新選組を疑ったのか。それにしても、短絡過ぎないだろうか。まだ、私の知らない事実がありそうな気がする。

 考え込んでいる葉桜を山南がふいに後ろから抱きしめる。それを咎める前に藤堂と鈴花の間に奇妙な間が訪れている。なんだろう。さっきまでと空気が違う。なんていうか、これは知らない鈴花だ。

「あ」
 目の前で起こっていることに、固まった。まさか、と。ええと、鈴花ってそういう子だったっけ。いや、私の知らない間に成長してたってこと、だよね。でも、なんか大切な妹をとられたような寂しさと、手を離れて女として巣立ちかけている嬉しさで、想いが複雑だ。もちろん葉桜だって、経験がないワケじゃない。極最近同じように自分からしたばかりだ。

 二人がいなくなってからも、私は山南の腕の中にいた。指で自分の唇に触れる。手入れなんてしていないから、冬の空気で乾燥している。鈴花みたいに可愛い唇じゃない。でも、約束をした唇だ。

「…山南さん、梅さんは生きてるよ」
「今は、どこに?」
「たぶん薩摩にいるハズ。だけど、きっと怪我が治っても出てこられない」
 今の才谷には敵が多いから、それでいいと思う。半次郎がいるなら、たぶん大丈夫だ。だけど、終わってからも解放してくれるかどうかはわからない。

「薩摩だって?」
「平和になったら、助けてやって欲しいんだ。たぶん、一人で出てくるのは大変だから」
「それはかまわないが…何故…」
 ぽつりと言葉を零す。一週間、新選組を離れ、才谷、石川と共に過ごしていたこと、そして、あの日のことを。

「新選組ではまた狙われる。だけど、半次郎なら上手く匿ってくれる。まさか、狙っている本人が薩摩にいるなんて、お…」
 久しく山南の前では起きなかった発作が出てくる。咳が止まらない。どうして、流れを離れているはずの人なのに、話せないの。

「ーーーー」
 もう一度試みようとすると、今度は声が出ない。話しているつもりなのに、声自体が自分の耳に届かない。山南も聞こえている様子はない。こんなことは初めてだ。いくら制約といったって、なんで声が出なくなるなんて。そういえば、他の言葉は話せるのだろうか。

「…さっきの藤堂と鈴花ちゃん…」
 出た。てことは、やっぱり制約、か。

「え、あ、ああ。あれは少し驚いたね」
「二人には、幸せに生きて欲しいな」
 鈴花から聞いたことがある。彼女の夢は本当に他愛もない普通の生活で、大好きな人と一緒に、平和に暮らすことだって。それが、叶うと良い。

「そうだね」
 こうして今普通に話せると言うことは、まさか、また山南は流れに戻りかけているのか。見上げると、くしゃりと葉桜の前髪を掻きあげて、柔らかく微笑んでくれる。

「いつかは、葉桜君も」
「え?」
「葉桜君もそうなってほしいよ」
 何を、言っているんだろう。私が、幸せに? 私の、幸せ。

「それは、なかなか大変」
「そうかい?」
「だって、私の幸せは皆が幸せになることだから」
 なんでそんなに驚いた顔をするのかわからない。前から言っていることなのに。

「あ、でも…」
「?」
「今はもうひとつ、あるかも」
「それは、どんな?」
 実現するかどうかはわからないけど、小さな願いが生まれてる。山南が新選組にいて、伊東さんたちが入ってきたあの日のように。皆で笑い合っていられたらいい。

 唇に触れる。約束の証はまだ感触を憶えている。大丈夫、梅さんは生きる。

「今はまだ叶わない夢だけど、一緒に叶えてくださいね。山南さん」
 笑いかけると、山南は同じように笑って返してくれた。



p.2

2-会見







 部屋の角に置かれた燭台がかすかに炎を揺らめかせる。だが、それは決して大きなものではなく、室内の人影をただ怪しく襖に映しているだけだ。ここにいるのは近藤、山崎と鈴花、そして私の四人。部屋を置いて、土方とそれから斎藤の気配もある。原田は油小路付近の指揮をとっているので、ここにはいない。永倉も同じくだ。

 これからここに伊東が会見に赴いてくる。

「何だかさぁ、滅入ってきちゃうわよねぇ。かつての仲間を裁判にかけるようなコトするってのはさ」
「まあ、確かに」
 山崎と鈴花のため息が聞こえてくる。私はまだ二人に何も話していないから、なんとなく会話に入ることも出来なくて、ただ二人の影だけを眺めていた。ゆらりと、それが揺れる。

「こらこら、二人とも。俺の目の前で堂々と文句言わないでくれる?」
 近藤がいつも通りの極軽いノリで言葉を発しようとして、失敗している。どことなく堅さの残るその声に心の中で、また謝った。才谷を守れていれば、私がしっかりしていれば、こんな事態を避けることだって出来たはずなのだ。

 ひとつの手練れの微少な気配が近づいてくるのを、目を閉じて感じる。彼にも説明する必要があるから、だから私はここにいる。伊東は信じてくれるだろうか。これからの話を。

 部屋に入ってきた伊東は以前にあったときとあまり変わりないように見える。ただ近藤と同じくどこか気構えた感じがあるのは当然だ。彼だって、当事者だ。

 今すぐ謝罪を述べてしまいたい自分を抑え、じっと近藤と伊東の会話を聞く。

「今日、お呼び立てしたのは他でもない、篠原さんの発言に関してです。あの人の発言で新選組は今てんてこまいなんですよ」
「ええ、そうでしょうね」
「ま、ぶっちゃけた話。御陵衛士が薩摩や長州と組んでウチをはめようとしてるつもりなのかってコトを聞きたいのさ」
 着飾らない近藤の言葉は軽いように見えて、酷く重い。その返答ひとつで命の灯火が消されることだって、伊東はわかっているだろう。だが、彼は笑う。

「ははは、率直な問いかけですね。いかにも近藤さんらしい」
「で、どうなんです? 俺は伊東先生が正直なところを話してくれると信じてますから」
「もちろん、そのつもりで来たんです。篠原さんの発言がどういった意図で出たものかもご説明しますよ」
 伊東の説明にはたしかにうなずけるところがあった。私もその立場に置かれれば、当然新選組がやったものと思い込んでしまいそうだ。

「今度はこちらから質問させてください。私たちが疑問に思っているのは、近江屋にいた原田くんたち三人と、葉桜さん、大石くん。この五名のあの日の動向です。そして、何よりはっきりさせたいのは、本当に新選組が坂本さんを襲ったか否かです」
 真摯な瞳は怯むことなく、私たちを見つめている。

「まさかこっちが逆に問い詰められるコトになるたぁ思わなかったぜ」
「潔白なら問題なくお答えできるはずですよね」
「じゃ、順番に答えていこうか。原田君ら三人については、山崎君の方から説明してもらおうか」
 山崎が答えるのを聞く。山崎はそのときの怒りでも思い出しているのか、膝の上で握った拳をかすかに振るわせていた。

「アタシたちが来た時はもう、梅ちゃんを襲った人間の姿はなかったわ。その代わり、とっても都合のいい、まるで頃合でも見計らってたみたいに登場した人がいたっけ」
「薩摩藩の中村半次郎ですね」
「そう、あの人斬り半次郎よ!」
 何故、と思った。だけど、彼には彼の事情があるのだろう。落ち着いた気持ちでそれを聞く。

「梅さんが襲撃された直後に、都合よく薩摩の人間が現れて。すべて新選組の仕業だと叫ぶ。ホント、都合よすぎますよね」
「しかも、甲子ちゃんトコには新選組が梅ちゃんを狙ってるって手紙が来たのよね?」
「それも薩摩の人間から」
 交互に山崎と鈴花が話しているのを聞く。

「ええ、お名前は明かせませんが」
「どう考えても薩摩が怪しいと思うのですが?」
「ええ、まったくその通りです。ですが、大石くんはどうなりますか? 私はわざわざ藤堂くんらを挑発した大石くんの真意がわからない」
「そこまでは、私には何とも。まったく別行動でしたし…」
 鈴花の戸惑いを近藤が接ぐ。

「その時分、大石君には見廻組を見張るようお願いしていた」
「ええ、確か見廻組の様子が怪しいということから坂本さんの暗殺を予想したんでしたよね」
「そん時にさ、坂本竜馬を守るためなら見廻組でも斬り捨てろって言っておいたんだ。もしかして大石君は坂本竜馬を助けるべく剣を振るったのかもしれねーぜ? 着物の血痕は見廻組の誰かのものってワケよ」
「でも、それなら何故大石くんは藤堂くんにあんなことを言ったのでしょうか?」
「少なくとも新選組は坂本竜馬襲撃指令など出しちゃいねぇよ。逆に守ってやろうとして人を送ったら、こんな結果よ」
 私は聞いていないけど、それでも近藤ならきっとそうすると思った。両目を閉じれば、その光景が目の前に浮かび上がってきそうだ。

「葉桜さんも、そうなのですか?」
 問いかけられ、びくつくことなく葉桜は目を開く。あの時のことを思い出す度に、自分に怒りが湧いて、どうしようもなく悲しくて、みっともなく泣きわめいて八つ当たりしたい自分も、もう今日は眠ってしまっているのだろうか。

「私は、梅さんが殺されたあの夜まで一週間の休暇をいただいていました。その間、ずっと梅さんたちと過ごしていました」
「…休暇?」
「私は、あの夜に梅さんが殺されることを知っていたんです」
 まっすぐに言い切ると、今夜初めて、伊東の強い意思の宿る瞳が揺らいだ。表面には決して出さないところは流石だ。

「知っていた? 葉桜さん、じゃあ、どうしてっ」
「しっ、黙ってお聞きなさい。鈴花ちゃん」
「だって、山崎さん! だったらどうして葉桜さんは、梅さんを見捨てたんですか!?」
 鈴花の責めにただ笑いかけると、彼女が静まった。小さくごめんなさいと謝る優しい子に、いいよ、と声をかける。

「あの一週間、私は体調を大きく崩し、二人には迷惑をかけっぱなしだった。だけど、二人は何も聞かずに私をそばにおいてくれた」
「見廻組の連中が来たとき、梅さんが短銃を撃った音で私は目を覚ました。即座に二人を斬り捨て、残りは逃がした」
「な、何故…!?」
「殺す必要はなかったし、それ以上剣を振るだけの体力も無かったから。そのまま、私はまた眠ってしまったんだ」
 後のことは思い出すだけで吐き気がこみ上げてくる。それを堪えて話す。

「次に血の匂いで目が覚めた。見廻組の連中を斬ったときの匂いだと最初は思ったんだ。だけど、それは石川と梅さんの血の匂いだった。起きたときには全部、終わってしまっていたんだ」
「まだ息のあった梅さんにすぐ応急処置をしたけど血は全然止まらなくて、私一人では本当にどうしようもなかった」
 思い出すだけで、石川の冷えてゆく身体が、梅さんの呻きが自分の目の前に蘇ってくるような気がして、葉桜は震えそうな自分の身体を拳を握って堪える。目はまっすぐに見据えたままだから、気が付かれはしないだろう。

「皆に言っておかなければならないことがある。ーー梅さんは、生きている」
 それぞれに驚いた顔をしている面々に強いまなざしを向ける。

「信頼できる人に私は梅さんを託した。だから、絶対に、梅さんは生きている」
 一言一言を噛みしめて、自分の中にも言葉を収める。そうすることで、自分も才谷が生きていることをはっきりと信じられる気がする。

「梅さんは、こんな風に誰かの駒にされて終わっていい人じゃない。そう思うだろう、近藤さん、伊東さん?」
 今の自分にできることは、半次郎を信じることしかできない。だからこそ、一人一人に強い笑顔をむけた。真実の笑顔には信じられる力があると思うから。



p.3

3-奸賊ばら







 薄い月明かりの下、伊東の隣をゆっくりと歩く。誤解は解け、もう土方が作戦中止の伝令を走らせたかもしれないが、私がもう少しだけ伊東と話をしたかった。これからこうする機会はどれだけあるかもわからないから。それから、彼には伝えておきたいことがあるから。

「まさか本当におひとりでいらっしゃるとは思いませんでしたよ~?」
「ははは、篠原さんなどは話し合いの必要など無いと言っていましたけど、私も思うところがありまして」
「思うところ?」
 触れた手が握られ、立ち止まる。伊東も立ち止まって、葉桜をまっすぐに見つめる。

「何故あのとき葉桜さんがいたのか、それが知りたかったんです」
「葉桜さんが、坂本竜馬としての彼と私たちを結びつけてくれたあなたが、彼を殺すとは到底信じられなかった」
「何よりも死を恐れる葉桜さんが才谷さんを殺すとは思えなかった」
 戸惑いなど欠片もない、まっすぐな信頼が照れくさい。

「もう一度聞いても良いですか?」
 何を言うかが分かって、最上級の笑顔で応えて返す。

「ダメです。私は新選組から離れる気はありませんから」
「ーーどうしても、ですか?」
「はい」
 葉桜がはっきりと言い切ると、伊東は一度深く息を吐いてから、ようやく笑顔を返し、手を離す。諦めた者のそれに安堵したその瞬間だった。強く引き寄せられ、その腕にしっかりと収められる。

「伊東さん!?」
「何か力になれることがあったら、遠慮なく言ってください。私たちはきっとあなたの願いを叶えますから」
 囁きの後でゆるめられた腕の中で彼を見上げ、その優しいまなざしに思わず涙が滲んだ。この人もとても優しくて、真っ直ぐで、強い人だ。自分の道を迷うことなく歩くことが出来る人。だからこそ、生きて欲しい。山南の、才谷の意思を継いで。

「…ありがとうございます、伊東さん」
 顔をその胸に埋め呟いた。そのわずかな隙だった。

「葉桜さん、私はあなたがーー」
 くぐもった音が続いた。聞き慣れたソレは、着物と肉の斬られる音で。ずるりと力抜けた身体が落ちるのを両腕で必死にどかす。

「伊東さん!?」
「おや、葉桜さん?」
 彼から抜け出して葉桜が見たのは、血の付いた刀を振る大石の姿で。彼はためらいなく、もう一度伊東に刃を向ける。情けないことに、私はその光景をただ目の前で見ているしかできなくて。光景が、あの時と重なる。梅さんたちが倒れていたときと、同じような斬り口、だ。

「危なかったねぇ、葉桜さん」
「何、が」
「伊東さんに襲われていたんでしょ?」
「ち、違う…違うよ…っ」
 まさか、と過ぎる。本当は才谷を斬ったのはーー。凍りそうになる心を必死に抑える。次に来る怒りも、無理矢理に抑え込む。

「大石、伝令から聞いていないのかっ?」
「なんのこと?」
 白々しい。

「作戦中止の、だ」
 膝をつき、伊東の傷の具合を確かめる。だけど、広がる赤い血がダメだと告げている。もう、助からない、と。わかっているのに、認めたくない。さっきまで、あんなに温かくて、優しかった人が自分を抱いたまま斬られてしまったなんて。

 懐から手ぬぐいを取り出し、必死に傷口を押さえる。

「嫌だ、止まってよ…! 死なないでよ、伊東さん!!」
「こんな、こんなはずじゃないんだ! 私は、ただ守りたくて、!」
「ダメだよ。伊東さんが死んだら、伊東さんが、いなくなってしまったら…!!」
 手ぬぐいはあっという間に血に染まってしまって、その役目を果たすことが出来ない。

「だめだ、伊東さんが死んでしまったら…!」
 無駄だとわかっていてもやめたくない。諦めたく、なかった。だって、さっきまで本当に温かくて、これでもう大丈夫だって確信してて、それなのに。なんで、伊東さんが死ななきゃならない。そんな未来、認めない。たとえ確定していた未来だって、そんなもの。

 この手に本物の巫女の力があれば、助けられるのにっ。

「い、伊東先生」
 藤堂の呆然とした声に振り返る。

「もういい、葉桜さん」
 服部の優しい腕を振り払う。

「嫌だ! まだ、助けられる!!」
「いいんだよ、もう」
「だって、さっきまで温かくて! これでもう大丈夫ってっ!!」
 無理矢理に服部に抱き上げられる。その大きな腕では足も地につかない。

「こんな無惨な姿になって。さあ、みんなで伊東くんを駕籠へ!」
 それでも抗えば、諦めなければなんとかなると思いたくて。暴れる葉桜を強く服部が抱きしめて、抑える。

「待って! だって、まだ死んでないものっ、この命と引き替えにしてでも助けてみせるっ」
 御陵衛士たちがそっと伊東の亡骸を抱え上げる様子を見ていられない。

「助けて、みせるから…っ」
「葉桜さんの命と引き替えにした生を、伊東さんは望まないよ」
 落ち着いた哀しい声音に、強く拳を握る。そんなことわかってる。わかっているけど、でもこんなのって、こんなのって、ない。

「会見はうまくいっていたんだ…。私たちは笑って、和解の杯を交わして、それでっ」
 背を叩く優しい音に、服部の首筋に顔を埋め、羽織を握る手に力が篭もる。

「なんで、なんで、どうして伊東さんが死ななきゃならないんだっ!?」
「どうして、殺されなくちゃならないんだ!!」
 一度強く抱きしめられ、息が止まりそうになる。おかげで、我に返った葉桜の耳に、服部の穏やかな声が届いた。

「葉桜さんは精一杯やってくれた。それだけで、きっと十分だ」
「…服部さん」
「伊東さんのために泣いてくれただけで、もうきっと十分だから」
 暴れなくなった葉桜を地面に立たせ、自分の羽織を羽織らせる。葉桜には大きすぎるそれには、温もりが残っている。

「だから、もう行った方がいい」
「え?」
「ここはすぐに戦場になる」
 言葉の意味を考えて、血の気が引いてゆく。それは、つまり。

「だ、だめだ! 逃げて!!」
「そうしたいのは山々だけど、新選組は逃がしてくれないよ。そうだろう?」
 つまり、新選組と御陵衛士が戦うということで、服部と藤堂も死んでしまうということだ。葉桜のもっとも恐れていた事態だ。藤堂が死んだら、鈴花はきっとその後を追ってしまう。あの子は強いようでいて弱いから、愛する人がいなくなることにきっと耐えられない。かつての葉桜がそうであるように。

「これ以上、人が死ぬのはもう嫌なんだっ」
「うん、俺もだよ」
「だったら…!」
「だから、ここで俺が食い止めるしかない」
 その決意の固い瞳に怯んでしまったから、もう勝てないと思った。諦めない心が、道が閉ざされてゆく。

「さあ、行きなさい。でなければ、俺は葉桜さんにまで剣を向けなければならなくなる」
 葉桜の剣は舞のように美しいけれど勝てる気がしない、と軽く笑われて。よろけたまま、葉桜は背後の塀に手をついた。服部の意味するところはわかっている。自分は新選組で、これから御陵衛士と戦わなければならないのだから。だけど、それを認めたくない。

 駕籠を運ぼうとした御陵衛士に、新選組側から「かかれ!」と声がかかる。そうして始まる斬り合いを目の前に、動けない。すぐ目の前に服部がいるから、自分に向かってくる者はいない。だけど。

 一度目を閉じて、落ち着きを取り戻す。起こってしまったコトはもう変えることができないなら、自分は自分にできることをするしかない。今は生かしておいても、すぐにとどめをさされてしまうというのなら、引導を渡してやるのも自分の役目だ。生かしておいては、後々近藤や沖田が狙われてしまうから。

 服部の背後から抜け出し、御陵衛士たちを斬り捨てたこの日を、私は絶対に忘れない。忘れられるはず、ない。それは多くの大切なものを自分の手で送った日だから。



p.4

 戦いの中で、服部は言葉通りに多くの仲間の盾となって死んでいった。討ち取ったのは原田だったが、嬉しそうではなかった。同じ頃、藤堂は大石に斬られ、葉桜は大石がとどめを刺そうとするのを留めたものの、鈴花が後を追ってしまった。すぐに近くの空き家で永倉と応急処置をし、町医者に任せておいたが、大丈夫だろうか。

 薄暗い部屋の中でぼんやりした炎を影を眺めながら、気の抜けた様子で葉桜は想いを飛ばしていた。

「あのね、さっき甲子ちゃんもほのめかしてたけどさァ」
 山崎が調べたことを報告している間も、なんだか何も心に入ってこない。ただ終わってしまったんだ、ということに捕らわれていた。何も成功しなかった。失敗ばかりで、唯一藤堂と鈴花だけを助けられたかもしれないけど、だけど、まだわからない。

「今回、薩摩藩はアタシたちのコト、思いっきりハメてくれたみたいね。見廻組に梅ちゃんーー坂本竜馬の居場所をたれ込んだのって、どうも薩摩くさいわ。でもって御陵衛士の方には同じ頃に、新選組が坂本暗殺を企ててるって偽情報を流したみたいなのよね。新選組に坂本暗殺の濡れ衣を着せた上で御陵衛士と新選組を対立させて、とも倒れさせるつもりだったみたい。ムカつく話よねぇ」
 知っていたのにまた私は何も出来なかった。目の前で消えてゆく命を見送ることしか、できなかった。

「伊東先生がもし、それを知っていたら」
「断言はできないけど、薄々は感づいてたみたいね」
「そうなのか!?」
「だからこそ新選組と対立してるってスゴイ状況なのに、たった一人でここまで出向いてきたんじゃない? どちらがクロか確かめるために」
 あの時、私が伊東さんに信じて欲しいなんて言わなければ、ここまで一人でこなかったかもしれない。もしも、あの時遭わなければ、話をしなければ。

「そう考えると、腹の据わった男だったな」
 隣にいる山崎が葉桜の肩を抱き寄せる。大丈夫、と肩を叩く力はとても柔らかい。

「それもあるだろうけど、信じるべき人はちゃんと信じたい人だったんじゃないかしら。それにしても、今回の件は薩摩、薩摩、薩摩よ。さっきの件といい人斬り半次郎といい」
「人斬り半次郎は、薩摩の指示で動いたのか?」
「あの状況じゃ何とも言えないわ。それに、薩摩って言ったって、別に一枚岩とは限らないし」
「ま、そうだな」
 苛立たしげに永倉が舌打ちする。

「全部、薩摩の策略だったのかよ。そのせいで平助は無駄に命を」
 ここにいるのは、試衛館の連中だけではないから、あえて永倉が言葉を選ぶ。まだ、二人が生きていると知っているのは私たちだけでいい。

「ったく、何だってんだよ! もっと早く分かってりゃよぉ。大石っ、てめぇ何だって平助を斬ったんだ!? あん時平助は敵対意思を見せちゃいなかっただろーが!」
 大石が藤堂を斬った瞬間しか葉桜は見ていない。だけど、原田の苛立ちはわかる。

「ああ、俺も納得がいかねェ。大石、とっくりと説明してもらおうかッ!!」
 だけど、二人とも甘いよ。大石にはちゃんとした正当な理由がある。

「ふっ、敵である藤堂さんを斬って何が悪いんです? 俺は任務を果たしただけですよ。藤堂さんを助けろとも言われてなかったですし。それのどこが悪いと?」
 そう、大石は何も悪くない。

「ふざけんじゃねーぞっ!!」
「だったら聞くぜ。平助が、やっぱりあんたが、と言ったのはどういう意味だい?」
「さぁ? 分かりませんね」
 この男の真意なんて知らない。だけど、あの切り口。あれは、確かに梅さんたちを斬ったものと酷似している。それを他の者は見ていないから、わからない。知っているのは葉桜と半次郎と斬った当人だけだけど、もしも大石が斬ったとしても何も言わないだろう。

「……気に入らないな」
「アタシもハジメちゃんと同じ意見よ」
 感情的になっては、ダメだ。

「大石、原田から聞いたんだが、おまえあの時すぐ近くに伝令が来ていたそうだな? なぜ、それを聞かなかった?」
「原田さんにはもう報告しましたよ」
「いいから、聞かせろ」
 その笑い方が、ムカツク。なんで、こんなに人が死んでるのに、こんなにこいつは楽しそうなんだよ。

「あのままでは伊東さんを逃がしてしまうところでしたからね。それに、葉桜さんも襲われていたでしょう?」
「殺気がなかったことぐらいわかっていただろう」
 葉桜の言葉に怯む様子はない。

「伝令が来ない場合はそのまま作戦遂行、当初からの予定通りに動いただけですよ」
 いけしゃあしゃあと、よく言う。いくら温厚な私でも、限度がある。

「いつまでも、嘘を突き通せると思うなよ? おまえは伊東を斬ってから私に気が付いたんだろう!?」
「ちょ、葉桜ちゃん!?」
 両肩をしっかりと山崎に抑えられて動けないけれど、それでも食ってかかるぐらいは出来る。

「おまえ、何がしたいんだ! そんなに仲間が死ぬのが楽しいのか!?」
「落ち着いて、葉桜ちゃんっ」
「何をそんなに怒ってんだい? 言っただろう、俺は伝令を聞いていないから、そのまま作戦を遂行しただけだって」
 でも、伊東が死ななければ、こんなに大切な人たちが、仲間が死ぬようなコトはなかった。

「それに、永倉さんや原田さんも、問題は藤堂さんだけかい? 他の服部さんたちなら殺してもよかった…そう言うのかい? そういう差別は良くないよねぇ。やるならやる、やらないならやらない。はっきりしなきゃ」
「貴様ー!!」
 風を斬る音が空間を切り裂いて、キレイに大石の後ろの柱に刺さった。真横だというのに、大石は眉目一つ動かさない。その刀を投げたのは、それまで黙っていた近藤だ。

「…これは?」
「今回の活躍に対する褒美だよ。取っときな」
「ありがたき幸せ」
 平然と笑い、大石は柱に刺さったその刀を抜いて部屋を出て行った。

 気配が完全に離れてから葉桜は元の通り、山崎の隣に腰を下ろす。力が抜けたのもあるけど、もっといろいろいってやりたかったけど、全部終わってしまったことだから。

 永倉に目配せする。お互いに頷き合い、それぞれに隣に耳打ちした。大声を出して、気が付かれるとまずいのだ。話したのは、藤堂と鈴花が生きているという話だ。

「それは、本当か?」
 いぶかしげな土方に二人合わせて頷くと、珍しく安堵の表情を浮かべる。

「あの状況で、流石葉桜君だねぇ」
 本当に嬉しそうに近藤は言ってくれるけど、結局伊東を助けられなかったということが重荷となっていて、うまく笑えたかどうかわからない。

「つか、なんでさっさと俺に教えねーんだよ!」
 声を荒げる原田を、永倉と二人で笑う。

「左之~、オメーにあの状況で嘘が突き通せるか?」
「誰にも二人が生きていることを知られちゃいけない、もちろん大石自身にも斬ったと思わせておかなきゃいけない。原田にそんな演技が出来るのか?」
「……たしかに」
「まぁ~、左之ちゃんには無理よね~ぇ」
 斎藤が頷き、山崎も同意すると、当然怒る原田を隣の永倉がなだめる。

「はっはっはっ、オメーは真っ正直だからな~」
 なだめる? 違うな、からかってる。気持ちはわかる。

 ひとしきり、皆に笑顔が戻ってくれて、少しだけ気持ちが楽になった。もう、大丈夫。これからが大変なんだから、しっかりしよう。

 力の抜けた身体を山崎に預ける。

「葉桜ちゃん?」
「…ちょっと、疲れちゃった」
「え?」
「少しだけ、こうしてていい?」
「…ええ、いいわよ」
 笑い声を遮り、そっと山崎の着物に包み込まれる。その華やかな香りが少しだけ今は有難い。

「おつかれさま、葉桜ちゃん」
 優しい声と優しい気配に包まれて、葉桜は才谷と石川と共にいた日々を少しだけ想い、夢とした。葉桜が泣いていたことには、山崎以外、葉桜自身でさえ気が付かなかった。



ーー思ひつつ 寝ればや人の見えつらむ  夢と知りせば さめざらましをーー



あとがき

1-二人


(2006/9/6)


(94)→(96)にふり直し。
(2006/9/13)


2-会見


(2006/9/6)


(95)→(97)にふり直し。
(2006/9/13)


12章本編修正に併せて、一部改訂。
(2006/9/14)


3-奸賊ばら


(2006/9/6)


(96)→(98)にふり直し。
(2006/9/13)


4-奸賊ばら


うーん、どうしても暗くなってしまう話なので、せめて笑顔で終わらせてみました。
この章はもっと短いハズなんですけど、なんだかファイルが大きくなってしまったので本編を分けてみたら4つに!
長くてスイマセン。
次はもっと長くなります(ォィ。
リクエストもいっぱいなんで、もっと楽しい話には出来そうです。
(2006/9/5 15:24:27)


最後に和歌をひとつ追加。
なんとなく。
ここまでで亡くなってしまった人たちの日々をヒロインは思い出しているけれど
この歌は夢だと分かっていたら起きなかったのに、というように実際は起きてしまっているわけで。
起きたら現実が待っているとわかっていても、ちゃんと目覚めよう。
みたいな(みたいじゃない。
(2006/9/6 18:52:09)


(97)→(99)にふり直し。
(2006/9/13)


~次回までの経過コメント
斎藤
「篠原さんたちが薩摩藩邸に入ったらしい…」
「今後は薩摩藩の後ろ盾で活動していくつもりだろうが…」
「これで…伊東さんの意思を引き継ぐ者はいなくなってしまったか…」