(原田視点)
その姿を見たとき、一瞬息を飲んだ。余りに普段のあいつとは違いすぎていたから。すれ違い様に掴んだ腕は余りに細くて、折れてしまいそうだったから。
「おい、オマエ。…葉桜、か?」
平然と屯所に入る人影を止めたつもりが、見慣れない同僚の姿に言葉を失った。だけど、葉桜はそんな俺のことを気にも留めずにいつも通りに笑い返してくる。
「お、さすが原田。よく私だとわかったな。…野生の勘ってやつか?」
質素ながらも無地の着物をしゃなりと着こなし、笑顔とともに簪がリリリ…と音を立てる。そんな姿を見るのは初めてで、女だったんだなと改めて認識したのに、その一言さえも出せない。しかし、葉桜はそんな俺の動揺を気にすることもなく、手を取った。
「原田。ヒマならちょっと相手しないか?」
葉桜がまっすぐに人の目を見て話すヤツだって知っているのに、今はその真っ直ぐな視線が照れくさくて、俺は慌てて手を離す。
「な、なな何のだよ…っ」
「何って、稽古だよ」
他に何かあるか? と小首を傾げると、普段は気にならない細い首筋があらわになる。こんなに女らしい女だっただろうかと思い返しても、今の姿があまりに印象強すぎてしまって思い出せない。
「じゃあ、先に道場に行っててくれ。私は着替えてから行くから」
軽やかな足どりで機嫌良く葉桜を、その姿が見えなくなるまで目で追い、それから顔を片手で覆う。それでも、脳裏に残る印象的な姿は消えてくれない。
葉桜はただの仲間で、女だなんて意識することなんてないぐらいに俺の中に溶け込んでいて、女だなんて意識する必要がないほどに頼りになるやつで。
「…いきなりこれは強烈だろ」
空を仰ぐ。ぐらりと心が傾いているのがわかる。これまでずっと忘れていたことが急に現実味を帯びて、世界が葉桜の色に染まるような気がする。違いなんて、格好だけのハズなのに。
これから一緒に稽古をすることになったが、俺は普段通りでいられるだろうか。
(葉桜視点)
槍相手の稽古はさすがに原田の方が最適だ。もともと槍術の得意なものなど周りにいなかったので、彼との稽古は技の発見が多くて楽しい。
「ハァッ!」
気合いだけで倒れた相手を見下ろし、木刀を突きつける。
「ま、参った」
ただそれは相手にやる気がないと全然楽しくない。気の抜けた相手との稽古じゃ、まったくもって楽しくない。
「原田ー、やる気ないのな?」
相手は答えず、稽古が始まってからもこちらを直視しようとしない。巫山戯ているとしか思えない。倒れている原田の胸倉を掴み、引き寄せる。
「うわっ、何だよっ!」
「たしかに相手しろとは言ったけど、これじゃ意味無いじゃん」
ふと、その顔がわずかに赤いことに気がつく。
「何だか様子が変だな。熱でもあるのか?」
「…んなことあるかよ」
やっと喋った。
「だけど、態度が不審なんだよねー」
「不審って何なんだよ」
「私、何かまずいコトした? それなら謝るから。原田にこーゆー態度とられると困るよ」
胸に顔を寄せる。彼らしい鼓動の音が聞こえてくる。
「あ…」
「そのまんまで、いてくれよ。私の居場所、消さないで」
気がつかないわけ、ない。原田の反応はとてもわかりやすい。だから、困る。
「葉桜」
戸惑う声に繰り返す。変わらないことを、願う。彼には間違えてほしくないから。私ではなく、他を見つけてほしいから。
「ただの私でいられる居場所を、消さないでくれ」
揺らぐ瞳でその顔を見上げる。さらに赤くなりつつも、その顔が照れとは違う風に赤くなる。
「んだよ、それ」
その名は、怒り。
「なんだよ、それっ」
「ふふ、私みたいな男女を好きになっても、不幸になるだけだぞ?」
「っ! だ、誰がっっっ」
叫ぶ原田から素早く身を引き、木刀を手にして、突きつける。
「さあ、続けよう」
言葉と共に打ちかかろうとする葉桜を交わし、素早く槍の間合いになる原田。その顔はまだ怒りで赤く、なのに動揺で蒼白だ。
「おい、葉桜」
「ごちゃごちゃ言ってると、怪我するよ!」
ダンッと力強く踏み込んで打ちかかる。戸惑いつつも、槍術ではやはり敵わないこともおおい。特に、こんな風にお互いに心乱れているときには、ただ打ち合わせているだけとも言える。それでも、今はそうしているだけでもいいと思った。
原田が集中してくると、だんだんと力の度合いが変わってくる。手加減なんてさせないために、こちらも踏み込みを強く、打ち込みも強くしてゆく。打ち合わせる木と木の音の旋律が身体に心地よく響いてくる。
「俺は別にそんなっ、じゃなくて。ただちっと驚いただけでっ、よ!」
「んなこと聞いてないってーのっ」
ガキンと噛み合わせた互いの得物を挟んで真っ直ぐに向かい合う。もう原田の瞳は逸らされることなく、真っ直ぐに見つめ返してくる。
「それに、葉桜を男女だなんて思ったことなんてねーよっ」
その本当に真っ直ぐな言葉に戸惑ったのは葉桜の方で、緩んだ力の弾みで吹き飛ばされる。受け身は取ったけれども、飛ばされた衝撃は大きく、受け流しきれない力で床に打ち付けられる。少し身体が痺れて痛い。
「悪ぃ! 大丈夫か、葉桜っ!」
「…だ、大丈夫」
抱き起こされて、顔が近いことに自分の方が動揺してしまって、思わず葉桜は顔を逸らしていた。それを咎めるように強く身体を抱えられ、驚いて原田を見ると、彼も顔を逸らしている。
「別に葉桜をそういう風にみるつもりなんかねーよ。ただ、なんで自分をそんな風に言うんだ?」
「俺は大抵の女といるとあがっちまってよ、あんま上手く話せなくなる。だけど、葉桜といるときはなんつーか自然体でいられて、その、楽なんだ」
「だからって、それを好きだとかそんなんに当てはめるワケじゃねー。けどよ、そんなんじゃなくても葉桜はちゃんと女だって」
照れている原田とは対照的に、葉桜は目の前が白くなっていくように感じる。それは、漠然と考えていたモノが急に現実味を帯びて、迫ってくるような感じだ。
「えーっと、その、なんだ。ま、まあ、わかってるって言いたいだけだ!」
遠くで葉桜を探す平隊士の呼び声に、慌てて原田が離れ、急いで道場を出て行った。たぶん照れているのだろうけど、それについて葉桜はつっこんでいる程の余裕がない。
ガクガクと足元から現実が崩れていく気がする。どうして、いつも思うようにいかないのだろう。自分がいなくなったとき、悲しむ人がいないように行動しているはずなのに、どうして皆自分をかまうのだろう。問いかけながらも、理由はわかっている。自分がひとりではいられないということをわかってくれているからだということを。
「葉桜、人間ってなぁ一人じゃ生きられない弱い生き物なんだ」
父様の言葉が蘇ってくる。
「おまえも強がってないで大切なヤツをちゃんと見つけろ」
遠い遠い記憶の中でも、強く父様は薦めてくれてる。だけど、父様以上に大切な人はいない。父様がもういないから、次に大切なのは父様が守ろうとした世界そのもの。そこに生きているすべての人たちが大切で、とても愛おしい。だからこそ、一番大切な人、は作ってはいけないのだ。その人を優先してしまって、世界を守れなくなってしまうから。
守るべき世界が壊れないように、そのために自分はいるから。
「…仲間でいさせてよ、もぅ…」
零れた言葉は震えていて、私はそれを聞いている人がいるなんて、まったく気がつかなかった。