冬にしては風も穏やかで、日差しも温かで、のどかという表現がぴったりな日。葉桜は布団に寝転がったまま、じっと空を見つめていた。ただ冬晴れの空を見ているしかできない我が身が歯がゆくもあるが、他に何が出来るわけもない。
大坂の近藤や沖田はどうしているだろうか。故郷の家族のことを考えなくもないけれど、自分の半身たる表の巫女のことを考えなくもないけれど、今は何よりも新選組の行く末が気になって仕方がない。
才谷の力でまとまりかけていた佐幕と討幕も、彼がいなくなってからは最悪の事態をじっくりと歩んでいる。一度だけ運ばれてきた半次郎からの手紙には、ただ坂本竜馬が命を取り留めたことのみが書かれていた。おそらく薩摩は全てが終わるまで才谷を解放するつもりはないだろうから、すべての戦いが終わるまで会うことは難しいだろう。
それから、「王政復古の大号令」がかけられ、事実上幕府は廃絶されたも同然だった。それでも、自分が生きているということは、虫の息ながら幕府の生きる道があるのかとも思ったが、どうやら幕府とは別なところで何か動きがあるらしい。それも、宇都宮藩で。
これからきっと関わって来るであろう、自分の故郷。今は代が替わり、従兄弟が藩主になったと聞いている。あまり会ったこともないのでどういった人物だとかそういうことはよくわからない。ただ願うのは、新選組の敵とならないで欲しいということだけだ。
「げ、マジで居やがるよ」
気配もなくやってきた永倉に笑いかける。
「よ。土方さんにでも聞いてきたのか?」
「おぅ、よくわかったな」
「さっき話が聞こえてたから。ああ、この部屋に入らない方がいいぞ」
「あァ、なんでだ?」
忠告も聞かずに踏み出した足がさくっと斬れる。痛みはなかったのか、永倉は叫ぶこともせずに冷静に足を引っ込めた。
「烝ちゃんがたっぷりの罠仕掛けてったから」
「先にそれを言え」
どかりと腰を下ろす永倉に尋ねる。
「痛くないのか?」
「痛ェよ」
苦笑して、布団から起き上がり、手近な棚から塗り薬を取り出して、畳を滑らせる。縁側でしっかりと受け止めた永倉に、水筒を転がして渡す。
「おい、無理すんな」
「これぐらいは無理にはいんないって。そんなことより、傷口洗って、薬を塗っておきな」
近くから羽織を探し出し、肩にかけて、布団に戻る。今度は寝転がらずに、座って。
「ここ、何があんだ?」
「ふ。よく見てみればわかると思うけど、鋼糸が張ってあるんだよ」
ここまで信用されていないかと思うと泣けてくるが、こちら側からは角度を変えればよく見える鋭い鋼糸が部屋の入り口という入り口に張り巡らされている。ちなみに、これをやった本人も帰ってきたときにひっかかるだろうというほどに大量に張り巡らされていて、山崎の部屋以外は移動できないようになっている。一応の心遣いなのか、山南から拝借してきたという書物はあるが、既に読み終わってしまえば用はない。
しかし、葉桜の泣き言にもふぅんと永倉は感心している。
「ここまでされちゃ、オメーも大人しくしてるしかねェな」
「…抜け出すつもりもないってのに、何回言っても信用してくれないんだ」
「前科があるからだろ」
「前科言うな」
永倉が座したまま、腰の小太刀を取り出す。
「あ、それもやめた方がいい」
「なんだ、出たくねェのか?」
「そうじゃなくて」
永倉の小太刀が鋼糸に触れた瞬間、そこから細かな火花が煌めいた。
「烝ちゃんが山南さんから発明品を借りてきてるから」
「~~~だから、それを先にいいやがれっ」
今度は痛かったのか、永倉は踞り、刀を握っていた手首を押さえて呻いている。効果を初めて見たけれど、一体何の目的で山南はこんなものを作ったのだろう。金物が当たると火花が出てくると聞いている。
「永倉は今日、非番なのか?」
「ん、まあな」
真面目くさった顔をしている永倉にからかうように言葉を続ける。
「島原には行かないのか?」
「…そういや、しばらく行ってねェな…」
「姐さんら寂しがるぞ」
「オメーはそんなに俺を島原に行かせてェのか」
「うん。永倉は疲れているみたいだからな。姐さんらの綺麗な踊りで少し癒されてきたほうがいい」
余計な世話だ、と永倉はふくれている。さっきも土方に進言して無下にされたから、拗ねているのだろう。
尾張の人たちからすれば、どう考えても今の政府に反対する旧幕府の新選組は火種だ。この先近くで起こるであろう戦火を考えても、出て行けというのも道理。
ふむ、とひとつ頷く。
「私も少し出掛けてくるか」
「出掛けるったって、オメー…」
「そこ閉めて、少し待ってろ」
素直に従う永倉の後ろに数秒後、いつもの男姿に着替えた葉桜が現れた。着地に少し失敗して体勢を崩した体を抱き留められる。
「そこまでして出てくるこたねェだろ」
肩を借りて立ちながら、少しの間痛みを堪えている葉桜を不意に永倉が抱き上げた。蹌踉めくこともない力強さに戸惑いつつも、しがみつく。なんと言っても、永倉と葉桜の身長差は僅かだ。自分と同じ程度の背丈の男に抱き上げられるというのは、初めてでなくとも恥ずかしい。それに、屯所内でこんなトコを誰かに見られたら、またいらぬ噂を立てられる。
「わ、ちょ、降ろせっ」
「無理すんな。まだそんなに体力も戻ってねェんだろ?」
「でも、こんなトコ誰かに見られたらっ」
「別に問題ねェだろ」
あるに決まってる。
「で、どこに行くんだ?」
何食わぬ顔で聞いてくる永倉がどこまで本気なのか、量りかねながらも葉桜はとりあえず屯所の外へ連れ出してもらった。
(永倉視点)
屯所を出て直ぐ、葉桜を地面に立たせて、腕を貸してやりながら二人で寄り添って歩く。普段とは違い、少しばかり薬草の匂いがするが、それでもどこか甘い気がするのは俺の気のせいか。
傷が痛むせいで時折眉根を寄せているが、訊ねると違うと言い張る強がりは可愛いけれど、こりゃあまり長くは歩かせられねェなと覚悟する。
まず、葉桜は近くの茶屋まで足を進めた。店が見える辺りで体を離し、何食わぬ顔で歩くのは何のためか。そうと知るまでに時間はかからなかった。
「お姉さん、お団子とお茶もらえる?」
囁くようにかけられる声に女中が顔をほんのり赤らめる。たしかにこいつは男勝りで、男姿をしているときはより女を感じさせねェけどよ。なんで、そんなに慣れてんだ。
店先で並んで座っても、葉桜は笑ってばかりで答えてはくれなかった。いや、そればかりか女中と親しげに言葉を交わしている。最近の店の客の様子やこの辺りの治安の話、それから困り事はないかとか。そんな風に話をしては、にこやかに店を後にしていく。この辺りの二、三軒を回ってからようやく葉桜は帰る気になってくれたが、怪我なんて微塵も感じさせない割にほんの少し呼気が乱れている。
「なァ、そろそろ教えてくれてもいいんじゃねェか?」
「…気分転換ってことで納得しないか?」
「山崎に今日のコト言うぞ」
「うわ、それ卑怯」
からからと強がりの笑いを零す葉桜は、さっさと屯所の裏手まで歩いてゆく。夕陽も沈んでしまった刻のこの辺りは、薄闇で表情の判別はかなりし難い。
不意に葉桜が壁に手をついて立ち止まる。
「一応、自分の目で確認しておきたかったんだよ」
笑いを潜め、落ちついた声音で囁くように言葉を紡ぎ出す。表情は闇に紛れてわからないが、葉桜はひどく辛そうだ。
「今の幕府の状況、新選組の状況。世情、とか、そう言ったヤツを、な」
泣いているのかもしれない。そう感じるほどに沈んでいた。これまで葉桜がここまで深く沈んでいることなどなかったから、余計にそう思ったのかもしれない。
「んで、どう思ったよ」
その囁く程に小さな声は、風の音にかき消されて届かない。そのまま体が揺らぐ。
「お、おいっ」
「あはっ、部屋戻れないそうもないや」
抱き留めた体は着物越しだというのに、高い熱を伝えてくる。しまった、歩かせすぎた。抱き上げて、屯所内の自室へと駆け込み、敷きっぱなしだった自分の布団へと降ろす。
「ごめん、永倉」
「いいから、さっさと寝ろ」
掴んでくる手は普段よりも酷く弱く、震えている。
「土方のトコ、連れてって」
なんで、と思った。こんな状況で、居る場所を選ぶ余裕なんてないはずなのに。
「永倉に迷惑かけられな」
「余計なコト考えてんじゃねェ」
布団に引き倒し、上掛けを乱暴に被せる。抵抗する力は普通の女よりも、ない。体調が万全なら、受け流せる程度の力は持っているのに、それさえも出来ない。その日常との差が何故か腹立たしかった。
「熱が下がってから行きゃァいいだろ」
目一杯に潤ませ、縋りついてくる瞳を見下ろし、深く息を吐く。こんな状況でなけりゃ、襲っちまいそうだ。
「…ごめん、永倉」
「謝んな」
乱暴に頭を撫でると、ようやく笑ってくれた。
「…ありがと。面倒、かける」
余計な一言とともに葉桜がふっつりと意識を失った後、丁度隣の部屋に戻ったばかりの左之に頼んで、水桶と手拭いを持ってきてもらう。
眉根を寄せる左之を言いくるめ、ひとりで葉桜の枕元に座り、冷たい手拭いを額に乗せてやるとわずかに苦しげな表情が和らぐ。こうしていると段々と腹が立ってくると共にどこか哀しくもなってくる。
「俺じゃ、駄目なのかよ」
眠っている葉桜は答えない。何の夢を見ているのか、何も見ていないのか、表情もない。熱で張り付いた髪を避け、枕元に流した髪を掴み挙げる。サラサラと掌から零れ落ちる髪は、葉桜と同じにこちらの思うようにはならない。
「迷惑なワケあるか。好きな女の世話が面倒なハズねェだろ」
熱で溢れた涙を拭ってやると、何が楽しいのかかすかに笑ったようだった。それだけで、どこか許されているような気がしたのに、次の寝言で血が凍り付いた。
「父様に、会いたい…」
本当の願いは死んだ父親を追うことだ、と。伝えてくる言葉に、布団から出された手を握りしめる。死んでしまった者を追うよりも、絶対に生きることが楽しいのだと、生きていることこそが幸福なのだと教えてやらなければと強く決意した夜だった。
珍しく妄想の赴くままに書いてしまったので、後で書き直すかも。
報われない永倉さんが大好きです。
(2006/10/18 00:28:19)
~次回までの経過コメント
島田
「土方さん、小幡三郎を薩摩藩邸に潜入させました」
土方
「そうか…。ちったぁ有益な情報でも得られればいいんだが」
島田
「そうですね…。まあ、期待して待ちましょう」