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書名:幕末恋風記
章名:日常

話名:慶応三年師走 15章 - 15.3.1-鍛錬


作:ひまうさ
公開日(更新日):2006.10.18
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:2660 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 2 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
揺らぎの葉(111)

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p.1

 振り下ろした真剣から風が起こり、高い声を発する。薙いだ剣筋に軌跡が残る。以前とは少しばかり違う自分の腕に落胆しつつも、真剣にその型を続ける。

 昼も過ぎ、隊務を続ける者があり、島原に繰り出す者があり、昼寝をする者があり、鍛錬をする者がある。そのどこにも病み上がりの葉桜がいる居場所はないので、人気もまばらな中庭で振るう剣は舞の型だ。

 時に鋭く、時に柔らかく、時に滑らかに振るわれる動きの一つ一つに意味があるらしいのだが、葉桜はよく覚えていない。ただこれが力を高め、業を昇華するために必要な鍛錬だということしか知らない。ただ頭のてっぺんから爪先、指先、果ては剣先までも自らの身の一部とし、世界に同調してゆく。それだけでも心地よさが体中に染みこんでくる。

 動作を区切り、ゆるりと剣を降ろす。

「何か用か、斎藤」
 鞘に仕舞いつつ訊ねると、木陰から無口な男が静かに姿を現した。

「烝ちゃんにでも頼まれた? 心配しなくても今は誰かと剣を混じらせるつもりも、隊務に戻る気もない。まだ完治してはいないからな」
 出掛ける気はないという言葉の通り、今の葉桜の姿は腰のものを除けば女姿である。片手で結わえていた髪留めの紐を外すと、はらりと肩にぬばたまが流れ落ちる。

 答えない男の横を葉桜が機嫌良く通り過ぎようとすると、空気をわずかに震わせて声が届いてきた。

「それにしては、長い間やっていたな」
「ほんの半刻…いや、もう一刻か。でもこの程度なら長いということもないだろう」
「…そうか」
 疑問なのか納得なのか。その言葉の裏側はよくわからないが、振り返ることなく通り過ぎようとして。



 キィン



 澄んだ音を響かせた鋼の打ち合う音が、空気を震わせて響く。先に抜いたのは斎藤だ。

「おいおい、こっちは病み上がり…」
「充分だ」
「あ?」
 目で道場へと誘われる。どうやら、鍛錬の相手を求めているのはお互い様といったところだ。

 後で山崎や土方、それに永倉にも怒られるかもしれない。井上にだって、怒られるかもしれない。だけど、あの稽古嫌いの斎藤から誘われているのに、断る理由はないってものだ。

「一本だけだからな」
「ああ」
「木刀だからな?」
「無論」
 小走りに斎藤を追い抜き、道場をめざす。幸いに誰ともすれ違うことはなかったが、流石に道場で稽古している者も少なからず居るようだ。駆け寄ってくる平隊士らを誤魔化していると斎藤も追いついてきて、手を引かれて不機嫌に遠ざけられた。

 周囲を取り囲む隊士の一人に二振りの木刀を取ってもらい、二人で青眼に構えて向かい合う。

 斎藤との稽古はいつも相当の集中力がいる。たったこれだけで周囲の音が遠ざかるのだから大したものだ。でも、正攻法は葉桜の戦い方とは異なるものだ。剣先をゆっくりと降ろし、片手の剣で自然体に構える。ここからのほうが葉桜には対応しやすいからだ。

 力では負けても、速さで勝つ。それが、葉桜流の戦い方なのだ。

「あんまり長くやると、土方に怒られるな」
 久々の戦いに血が内側から沸き立つように騒いでいるのがわかる。長時間の鍛錬は体が持たないだろうが、相手は斎藤だ。他の者よりも一本の隙は少ない。勝負を決するのは一瞬だろう。その一瞬で、この興奮を収めることは出来るだろうか。

 自然と口角が上がり、笑いが溢れてくる。楽しいと、血が喜んでいる。それは戦いの巫女としての性なのか、それとも本来のものなのか。葉桜は未だ知らずに地を蹴り、斎藤の懐に木刀を構えて踏み込んだ。



p.2





 肌に塗られる打身薬に小さな呻きで耐える。それもこれも結局は自業自得ということなので仕方がないといえば仕方がない。が。

「土方さん、わざと染みる薬を使ってませんか?」
 肩越しに窺うように相手を顧みて、直ぐさま葉桜は前に向き直った。土方の背後に何かとてつもなく黒いものが見えたような気がしたのは、きっと気のせいだということにしておこう。断じて怖いわけではないが、関わりたくない空気だ。まあ、関わらないわけにはいかないのだろう。斎藤と一本だけとはいえ稽古して、その上で自主鍛錬までバレて、怒らないわけがない。

 不意に薬を塗るのとは違う感じに背中をなぞられて、背筋がぞくぞくと感じる。

「ひ、じ、か、た、さん~?」
 もう一度振り返って、小さく目を見張った。先ほどとは違う風に眉根を寄せて、厳しいというよりも苦しげな視線で背中をなぞっている。その軌跡はおそらく。

「ふふ、やっぱり気になりますか」
 葉桜の肌は決して綺麗とは言えない。肌は若者特有の張りがあるが、それ以上に目立つ数々の傷跡は男でもなかなか見られないものだ。背中だけでなく体中にある傷跡は古いものも新しいものも含めて、もう葉桜自身では数え切れない。

 薬は塗り終わっているのだろうと踏んで、着物を直す。どんな傷も見ていて気持ちのいいものじゃない。

「普通の傷は消えてくれるんですけどねー。巫女としての傷痕は消えることは生涯決してありません」
「そう、なのか?」
「普通の傷じゃありませんから。もしも私に巫女としての本来の力があれば、傷など残さなくてもできるんでしょうけど…」
 本当の巫女ならば、傷を代償に昇華する必要などない。母も傷一つ無い美しい人だったのだから。

 葉桜が落ち込んで見えたのか、手を伸ばしてくる土方を笑顔で押しとどめる。

「ま、元々無いものをねだっても出てくるワケじゃありませんし、これが私ですから。幸い、使えもしない神気だけなら過去最高らしいんで巫女の力が使えなくても」
 話を遮るように、顔を土方の胸に押しつけられる。心地よい土方の香に瞳を閉じる。

「もういい」
 苦しげな声に、ああ心配させたなと思う。反面で、どこかこの温もりを嬉しいと感じている自分もいる。

「巫女なんかじゃなくても、葉桜は十分よくやってくれてるぜ」
 頭を撫でる大きな手から溢れてくる優しさが心地よくて、心の芯から潤ってゆく。心の中の空白を埋める温もりに心を預けてしまいそうだ。

 もちろん自分にそんな資格なんてないことぐらいわかっている。だから、やわらかく土方の体を押し返した。

「あったりまえですよ。新選組は私にとってーー」
 あれ、と思った。何故だかこぼれ落ちてくる雫の意味が分からない。笑ってるし、哀しい気持ちなんてどこにもないのに、どうして涙が溢れてくるんだろう。

「新選組は私にとって、」
 声が、掠れる。

「私にとって、第二の故郷みたいなーー」
 口に出した途端、強制的に視界が暗転した。音も光もなくなって、指先ひとつ動かせなくなった。

あとがき

万全の体調で斎藤と稽古してもヒロインは怪我をします。
ほとんど互角ですから。
後半は気分で土方。
こうして書いてると、実は私土方スキーかもしれません。
永倉も多いが、なんとなくて書く機会が多い土方。
公開していない分で残ってるのも土方(オイ。
(2006/10/13 16:10:48)


~次回までの経過コメント
土方
「ついに慶喜公が薩摩討伐を決意された!」
「今後は表立て薩摩とケンカだ!全員、戦備えで待機しろ!」