永倉を突き放した翌朝はひどく気分が悪かった。慣れない嘘なんてついたものだから、夢の中で誰かに怒られた気がする。深く深呼吸し、いつもの男姿に着替える。ぼーっとしている場合じゃない。薩摩討伐の噂を聞いて、ますます町中が浮き足立っているのだ。こういう時こそ、しっかりとしなければ。
今日は大事をとって休んでおけと言われてはいるけれど、こういうときこそ自由に町を見回れるのだ。
「あれ、斎藤? おはよう、今日は早いんだな」
睨まれて、肩をすくめる。まあ、葉桜も人のことを言えたものではない。こんな時間に起き出して、屯所を出るなんて、新選組の人間にしては酔狂な方だ。一応、昔からの習慣だと近藤にも土方にも説明してあるからこうして出られるが、他の人間ならまず脱走を疑われるというものだ。
「どこへ行く」
「んー、昼寝…じゃなかった。朝寝? まぁ、なんだっていいや。屯所の外で寝たい気分でね」
欠伸を噛み殺しながら、屯所の外をゆるりと歩く。後ろからついてくる気配に、心の中で歎息して、振り返る。
「何? 一緒に来るの?」
無言で見つめてくる相手に苦笑して、葉桜は観念した。こういうときの斎藤はどう言ったって、動かない。
「しょうがないな。じゃあ、昼寝はやめて、でーと、でもするか?」
表情を変えないけれど、意味はわかっているのだろうか。なんだっていいんだけど、と白く冷たい冬の寒空を眺める。誰がいたって、誰もいなくたって、何かが変わるわけでもない。そう、たとえ私がここにいなくても時は移ろい、時代は変わってゆくのだろう。たとえ私が何をしようとも幕府の終焉は避けられない。そう、何をしても。
手を引かれて、我に返る。ここ最近は気を抜くとすぐにこれだ。状況も考えずに、深く落ち込んでしまう。そんな時間はないってわかっているのに、どうして私ってヤツは。
「なぁ、どこに向かってんだ?」
いつまでも手を引いて歩く斎藤の隣に並ぶ。力任せに外すのは無理だとよくわかっているからだ。女の力だから敵わないというのでなく、単にこいつが馬鹿力なだけだ。沖田と同じに。
と、急に斎藤が立ち止まり、振り返る。
「どこへ行きたい?」
「…いや、私が訊いているんですが」
困惑を表に出して、彼を見やると、その口元がふっと緩んだ。
「おまえが行きたい所で良い。これは、でーと、なのだろう?」
意味をわかっていて、こうしているってことかよ。まいったな、と深く息を吐く。冗談でも今はこの手のことを軽くかわせる余裕がない。それをわかっているのか、斎藤は再び葉桜の手を引いて歩き出した。
どういうつもりなのか問い詰めるべきなのかもしれない。今すぐにでもこの手を振り払ってしまうべきなのかもしれない。だけど、昨日の出来事が珍しく尾を引いているせいか、そうする気にもなれない。
まあ、考えてみれば斎藤との間に言葉はほとんど不要だ。だったら、たまにはこうして二人で歩くのもいいかもしれない。少なくとも他の連中に比べればずいぶんとマシだ。どれだけ離れようとしても、自分が新選組から本当に離れることなんてできないとわかっているのだから。
「じゃあさ、京饂飩の美味い店知ってるから、そこに行こうっ」
足を早めて斎藤を追い越し、引かれるままだった手を導く手に変える。
「こう寒いときは何かあったかいもの食べるべきだって」
少し驚いていた斎藤が、急にふわりと微笑む瞳を一瞬だけ見てしまった。普段はほとんど変化のないそこに光を見つけてしまって、慌てて目を逸らす。他の誰とも違う、あたたかな、いたことはないけれど兄のような視線に惑わされてしまいそうだ。温もりを求める心が縋りついてしまうのを恐れ、振り払うように足を早めた。
食事をした後、斎藤と二人でかなり遠回りで屯所への道をゆっくりと歩く。あの月夜のように、葉桜が前で扇子を鳴らしながら。背後に感じる斎藤の視線に自然とした苦笑が零れてきた。丁度良い距離でいてくれるから、安心していられる。すでに落ちかけた夕陽を受けて、私も扇子も斎藤も町並みも、全てが柿色に染まっていて、なんだかたったそれだけのことが楽しい。久しく感じていなかった心楽しさに鼻唄を歌いたくなってくる。
ここまで気持ちが浮上するのに、斎藤が何かを話した訳じゃなかった。ただ、彼はずっと共にいてくれただけだった。何も言わない、何も聞かれないというただそれだけのことがとても有難くて、嬉しかった。
屯所が近くなると、流石に人通りも少なくなる。少し前に通り過ぎた家からは温かな煮物の匂いがしてきていて、そんな些細な幸せがそこにあるということがとても特別に思えて、元気が出た。
あとひとつ角を曲がれば、屯所前というところで足を止めて、振り返る。
「斎藤、今日は付き合ってくれてありがとな」
こういうことを言うのはすこし照れくさいけど、言っておきたいって思ったんだ。何も言わずにいてくれる存在が、今の葉桜には何にも代えがたいから。だから、他の誰にも言えなかった御礼の言葉を口にする。
「一緒にいてくれて、よかった」
朝のままの葉桜ならば、そのまま一人で出ていたならば、きっと立ち直れなかった。ずっと、永倉とのコトも引きずっていた。だけど、何も言わずにいてくれたことに心から感謝していると、伝わるだろうか。
近づいてきた斎藤がしっかりと目線を合わせてくれる。言葉ではなく、瞳からも伝えたいから。今、こうして心楽しいことを伝えたいから、葉桜はゆるい笑顔を向けた。と、斎藤が吃驚した顔をしている。次いで、同じようにゆるく微笑んだ。
「ああ、そうだな」
伝わったのだと、思った。最高の友人だと語らなくても伝わったのだと、思った瞬間には目の前に斎藤の目があった。閉じられた瞳、そして口元に温かな感触。苦しいほどに抱きすくめられ、気がつけば斎藤に口づけられていた。
不意打ち過ぎた。息をするのも忘れ、目の前の斎藤に魅入っていると、ぱちりとその瞳が開き、目を閉じろと語る。
そんなこといわれたって、どうしてという考えしか浮上してこない。何故、どうして、斎藤が、だって友達で、親友で、仲間で…。
「さい…!」
名前を呼ぼうとした瞬間に、今度は舌が口内にねじこめられてくる。必死に抵抗しようにも、きつく抱きしめられて苦しいぐらいなので身動きもままならない。
「…っ」
抵抗する気力がなくなった頃、ようやくその口が離される。
「な、んで…こんな…」
振り絞るように言葉を零す葉桜を、斎藤は優しく胸に抱きしめている。近いせいで、その鼓動の音がよく聞こえる。
「おまえは好きでもない相手にこういうことをするのか?」
「…え?」
責めるのではない、優しい問いかけに心を無理矢理に落ちつかせようとしながら、考える。
つまり、斎藤は好きだからしたと言っているのだ。普通の好きならば、素直に喜べるけれど、これは葉桜の望む好きではなくて。いや、でも、聞き違いとか。
「斎藤…ちょっと私、気が動転して頭が混乱してるんだけど…斎藤はいったいどういうつもりで」
わずかな希望を打ち砕くように、柔らかい言葉が体中に響いてくる。
「俺は自分のしたことは十分理解しているつもりだ。おまえのことがずっと好きだった。だからこうしたいと思った。それだけのことだ」
何でもない風に言っているけれど、触れている体からしっかりと波打つ心臓の音が聞こえてくる。表面的には何も変わったようには見えないけれど、たしかにわかる緊張の証。
「おまえが心に思う相手がいないなら、おまえが振り向くまで俺は努力する。憶えておいてくれ」
すごく恥ずかしくて、憎らしいくらいに落ちついてしまう自分も確かにいることはわかっている。だけど、やっぱり私のと斎藤のでは好きの種類が違うと思う。
「いつから…。斎藤が私のコト好きだなんて初めて聞いたよ?」
「当たり前だ。今初めて言ったからな」
平然と言っているけど、変だって気がつかないのだろうか。胸の内からこみ上げてくる温かな笑いは響くだろうか。
「そもそも、普通はあんなことをする前に、相手の意思を確認したりしないか?」
寄り掛かっていると肩を掴まれ、まっすぐに目を見つめられて。その真剣さがくすぐったい。
「おまえは、俺が嫌いか?」
「ふっ、嫌いじゃない」
柔らかくなる目線に、やんわりと釘を刺す。
「さっきまでは最高の友人だと思っていたよ」
「だけど、私はともかく他の女にこんな不意打ちなんてしたら、よほど好意を持っていたとしても怒られるぞ。どう返事をしたものかも悩むだろうし」
そんなことはしないと即座に否定される。
「俺は葉桜だから、した」
「だからそうじゃなくてだなー。…ああ~っ、もうっ! おまえね、少しは乙女心ってモノを分かれよっ!」
もしも好きかもしれないと思った瞬間にこんなコトされてたら、もう何がなんだかどう返事したら良いもんだか、世の乙女は困るんだってば。もちろん、自分が世間一般に当てはまらないことなど百も承知しているが、それにしたって順番とか手順だとかあるだろうが。
「ふむ。乙女心、か」
想いが通じたのか、すこし考え込んだ後でようやくその腕から解放された。
「確かに、不意打ちはよくないな。それはすまなかった。今日のところは引いておこう。返事はまた今度で構わない。ただし、なるべく早目に返事してほしい」
「無茶言うな」
なにがだ、とこんな時ばかり目で問いかけるな。
「悪いが、私はもう一番大切なヤツは作らないことに決めているんだ。父様が亡くなった時にな」
自分の両手に目を落とす。父様に導かれ、ずっと血塗られてきた道を歩き続けてきた。それを後悔することがないわけじゃないが、気がついたときにはもうこの生き方しかなかったから、他の幸せなんて知らない。ただ望むのは大切な人たちが生きてくれることだけだ。
「それに仲間をそういう対象として見ることはないよ」
大切なものは大切になるほどに手の内からこぼれ落ちてしまう。だから、大切な信頼できる仲間だから、無くしたくはない。一番大切な人がいなくなったら、きっと自分は今度こそ本当に壊れてしまうだろうから。
「そうか…。では好きなだけ考えてくれ。好きになった女が成り行きやはずみで俺を選んでも嬉しくない」
「おい、話聞いてなかったのか?」
訝しむ顔を向けると、まっすぐな真剣さで射抜いてくる。諦める気はない、と。そういえば、さっきそう言われたばかりだ。
おまえが心に思う相手がいないなら、おまえが振り向くまで俺は努力する、と。
こんな風に真っ直ぐに好かれるのは正直、嬉しい。予想もしていない展開に、心が駄目だと制止をかける。そんな葉桜に斎藤が追い打ちをかける。
「御陵衛士たちと行動をともにしていた間も、おまえのことばかり考えていた。今日は二人で歩いているうちにどうしても自分の思いをおまえに伝えたくなったんだ」
だからって、いきなりこれはないと思う。真っ直ぐな気持ちを受け止める自信が無くて、顔を背けた。この場から逃げ出したい。だけど、ひとつだけ気になった。
普段の斎藤は、まさか沖田と同い年とは思えないほどにいつでも冷静沈着な男だ。戦いの場においても、背中を預けるに足るほどの実力の持ち主でもある。だけど、こんなにも心の熱い人だったなんて、気がつかなかった。今まで、葉桜の回りにそういう人物はいなかったから。
だからこそ、ひとつだけどうしても知りたいと思った。
「斎藤は…その…いったい私のどこにひかれたんだ?」
今までも告白されたりということがなかったわけじゃない。自慢じゃないが、男女ともに好かれる自信はある。だけど、だからこそわからない。自分のような人間が好かれる理由というものが。
「最初は無茶ばかりしているおまえから目が離せなくて困っていた。いつも自分を追い詰めているように見えた。だが、おまえは俺の想像以上にたくましく、また諦めが悪く、どんなことでも覆せると思えるほどに強かった。そして、いつしか俺はおまえの物事に一喜一憂する様をとても綺麗だと感じるようになった。そして俺はまた、おまえから目が離せなくなった。もっと見ていたくて、ずっと側にいたくて」
淡々と語られるほどに、顔が熱くなってくるのを感じる。どうしてこういうことを真顔で語れるのか、一度頭の中身を覗いてみたいものだ。これだけ熱烈な告白というのは初めてで、正直、とても困る。
すこしの間をおいて、ふわりと斎藤が私の髪の一房を手に取る。
「俺のものにしたいと心から思った」
髪の毛に意識があるように、気持ちが直接流れ込んでくる気がした。
「俺は、ずっとおまえの側にいる」
「!?」
「決しておまえを一人にしないと誓おう」
息が、止まる。それはずっと昔からある願いだったから、予想外の事態に対して、一気に涙が溢れ、視界がぼやける。
同じ言葉を言った人はもうこの世にいない。だから、その約束が永遠のものでないことなどわかっている。だけど、その言葉だけは縋りつかずにはいられなかった。
斎藤の袖に片手をかけて、だけれど引き寄せることも顔を向けることもできない。ほとほとと、地面に雫が落ちてゆく。
「…っ…有難う…っ」
どうして、それを言ってくれるんだ。
引き寄せられ、顔を胸に押し当てられる。泣いても良いと、その手が髪を、背中を撫でる。言葉より雄弁に語られるその行動が、何よりも温かくて、優しいと感じた。でも、このまま泣いてしまうわけにはいかない。
両腕を突っぱねて、斎藤の体を押し返す。
「嘘でも、嬉しい」
「…嘘?」
「でも、できない約束はするべきじゃないよ。斎藤には斎藤の道がある」
もうすぐ別れてしまうと知っているから、ここで彼を留めるわけにもいかない。
「すべてが終わって、もしも私が生き残っていたら…その時、必ず今日の返事をさせてもらうよ」
くるりと斎藤に背を向けて、手の甲で涙を拭って笑った。
「だから、絶対に生き抜けよっ」
返答も聞かずに歩き去った葉桜の背中を斎藤は立ち止まったまま見つめていた。こちらの気持ちを受け取ったようでいて、しっかりと押し返されてしまったような心持ちだ。伝わらなかったのだろうかと考え、ひとつ大きく、斎藤は頷いた。
そうに違いない。だったら、もっとはっきりと態度で示さなければ。
斎藤の決意を知らず、葉桜は一人で歩きながらもう一度言葉を噛みしめていた。それが嘘でも本当に嬉しかったから。夕闇の薄く笑う三日月を見上げて、葉桜はまた満面の笑顔を浮かべていた。
違うんです。
ちゃんと普通に書こうとしていたんですよ。本当ですよ。
なのにどうして読み返すと斎藤さんがストーカー危険人物に見えてくるのでしょうか?
あぁぁリクエストなのに、斎藤さんが変人に…!
いや、基本的に私が書くと大抵変人になるとか言われるんですが。
ええとWeb拍手でリクエストくれた方、どうでしょうか(ドキドキ
なにか不満とかあったら、遠慮無くメールや拍手でどうぞ!
(2006/11/1 01:03:52)