監察方として山崎の下で働いていた私は、彼のいなくなった後も自然とその役を引き受けて続けていた。山崎に叩きこまれた監察方としての能力が役に立っていることは嬉しい。戦いにおいて情報は命とも言えるし、何より今の状態では絶対に違えてはならないものだからだ。
「はぁっ…はぁっ…はぁっ…はぁっ…」
任務失敗なんて、一番あってはならないことだった。伝えなければならない大切なコトがあるのに、それさえできずに死んでゆくなんてできない。せめて、山崎のように烏が使えたら、情報だけでも残せるのに。それが私にできる仕事なのに。
路地に隠れて気配を立ち、追っ手をやり過ごす。笛の音と複数の足音が消えてから、息を吐き出す。本当なら直ぐにでも行きたいのだが、足を挫いて容易に動けない状態だ。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
新選組監察方として、これはすぐにでも伝えなければいけない情報なのに。体が言うことを聞かない。咳き込んだ拍子に手が赤く染まる。いつの間に肺までやられる怪我をしていたのか。血に染まった手を握り、手拭いで拭き取る。今は一刻も早く土方のもとへ戻って、報告をしなければ。
再び聞こえる足音に気配を更に抑える。これが通り過ぎたら行こう。両目を閉じ、刻を待つ。町中の砂利を踏む足音が近づく毎に高鳴る鼓動を、胸を押さえて抑え込む。気配を闇に溶け込ませて、やり過ごさなければ。
『美雪さんは気配を消すのも読むのも下手だよね』
ずっと昔、仲間に言われた言葉を思い出す。藤堂に何度も言われたそれは山崎の手助けでかなり上達したつもりだった。だけど。
(…うん、やっぱりまだ私は苦手だよ、平助君)
夜空を仰ぎ、今はもう居ない仲間に言い返す。足音はまっすぐにこちらへ向かってくる。胸元の懐剣を静かに取り出し、見えないように逆手で構える。
(勝負は、一瞬)
今はただ生きることだけを目当てにいくしかない。
「高遠、か?」
聞き覚えのある声に、緊張を解く。探ってみればそれはよく知った土方の気配だ。安心に気がゆるみ、倒れかけた体が強い腕に支えられる。
「土方、さん、申し訳ありません」
これは迎えに来させてしまったことと、その心配する空気への謝罪だ。
「怪我をしてるのか!?」
肩を押し返そうとするも震える腕を押さえられる。
「たいしたことはありません、それより」
また近づいてくる気配に二人共が反応する。このまま二人共がつかまるわけにはいかないし、なにより土方がいなくなってしまったら、新選組が本当になくなってしまう。
「失礼します、土方さん」
とっさに両腕を土方の首に回し、その口に自分を合わせる。戸惑っている土方だったが、すぐに私に合わせて腰に手を回してくる。唇を割って割り込んでくる舌に自分も絡め、できるだけ自分自身を煽情させる。私たちを見た敵がそのまま立ち去ってくれればそれでよし、そうでなければ。
足音が去っていくことに安堵し、口と腕を放す。熱くなった吐息が溜まらずこぼれ落ちる。
「行きましたね」
「ああ」
「土方さん?」
「…嫌なら拒め」
「んっ…!?」
腰に回された腕はそのまま、再び強く口を吸われる。さっきまでの偽装とは全然違う甘い接吻に感情さえも蕩けさせる。さすが京で幾人もの女性を落としてきただけはある、と思ったのは仲間の元へ戻ってからだ。
まったく力の入らなくなった体を大切そうに抱きしめられ、ぼんやりとした幸せに浸りかけ、慌てて自分を叱咤する。今はそんな場合じゃないのに、土方ともあろう人が何をしているんだ。
「すまねえ」
上から溢される自責の念に、苦笑する。嫌じゃないから拒まなかった。こんな簡単なことが分からない人じゃないはずなのに、そうとう混乱しているらしい。
「折角ですから、報告の間支えていていただけますか?」
広い胸に頬を押しつけ、ささやく。返ってくる肯定に、監察方としての報告を済ませる間、ずっとその鼓動を聞いていた。
安心できる腕があるなんて、新選組に入るまで知らなかった。とりわけ、最初はとても怖かったこの人の腕が一番安心できる場所だなんて、今の今まで知らなかった愚を取り返すように、耳を澄ませて、聞き続けた。
(土方視点)
今までずっとただの仲間だと、ただの新選組隊士なのだと言い聞かせてきた。それが一瞬で崩れるとは思わなかった。
追っ手を撒くためとはいえ、こいつが自分から口を寄せてくるなんて思いもよらなかった上に、偽装とはいえぎこちなく絡められたそれで初めてとわかるのに、口を離したとたんに女の色香を振りまいて。
何故ただの監察方のこいつを探しにきてしまったのか、そんなことで漸く気が付いた。いつの間にかこいつは俺にとって大切な女へと変わっていたのだと。
二度目に合わせた口は震えていたが、それでもまったく拒まれることはなく、甘い甘い舌を絡めさせ、段々と預けられてくる体重に嬉しさがこみ上げる。このままでは押し倒しかねない自身を抑え、美雪を解放した。
胸の中でされる甘くない報告を聞きながらも、頭の半分で様子を見つめる目が離せない。
最初に口を合わせたとき、美雪からは血の香りがしていた。普段ならあの程度の追っ手を撒くことぐらいはこいつは雑作もなくやってのけるのに、こんなところで休んでいた。そこから推測すると、足に怪我を負っているのかもしれない。着物は幾筋かの切り傷はあるものの、どれも肌に届いてはいない。なのに、血を吐いたと言うことは、殴られでもしたか。
「報告は以上です。帰りましょう、土方さん」
緩めた腕から抜け出すも、少し体がふらついている。支えに伸ばした腕に、手がかかる。
「そうだな、帰ったら他の報告も聞かせてくれ」
「え?」
「監察方としてお前がやってきたことを、聞きたい」
戸惑いに見上げてくる瞳から視線を逸らす。
「何故、ですか?」
問われると答えに窮する。ただ何をしてきたか知りたいというのだけではいけないのか。
以前なら山崎もいたし、美雪に監察方をさせても助けることはできた。でも、今あの頃の仲間はいない。そばにいて、守ってやることもできないが、だからといって他に信頼できる仲間はほとんど残っていない。
「興味本位と言われるならば、話せません」
「好きな女のことだから知りたい、というのでは駄目か」
見下ろした美雪は泣きそうな顔で笑い、反則ですと呟いた。言っている本人の方が反則だろう。
「なおさら、お話できません」
「何故だ」
「土方さんに嫌われたくないんです」
手を離れ、怪我などしていないかのように、路地を出ようとする体を引き寄せる。抱きしめる体からも俺からも血の匂いがする。戦ってきた証とはいえ、苦しいものだ。好きな女にその手を血で染めさせてきた、自分自身に不甲斐なさを感じる。
「今更、嫌うわけがないだろう」
今初めて気が付いたとはいえ、この心が簡単に美雪を嫌いになる方法なんて、俺には思い付かない。
腕を解き、こちらを向いた美雪は艶やかに微笑む。
「それでも駄目です。土方さんだからこそ、私は知って欲しくない」
一人で乗り越えてきたからこそ、今こうして笑えるのだろう。強い美雪が少し羨ましくもある。
「私、新選組隊士として土方さんの助けになれることが嬉しいんです」
今まで俺は美雪にみっともない姿を見せられないとも思ってやっていたが、まさか相手も同じように想っているとは考えもしなかった。いつもいつも一生懸命で、ただ新選組の一隊士としてついてきているものとだけ思っていた。
再び近づいてくる足音に、お互い体をこわばらせる。
「逃げましょう!」
ふたりであれば切り抜けられると、美雪が俺を見上げる。澄んだ瞳は変わらず、もう一度俺は口を合わせる。
「行くぞ」
「は、はいっ!」
二人で切り抜け、林中に身を隠しつつ、仲間の元へ向かう。途中何度も転ぶ美雪に手を貸そうとするも、自力で起き上がり、すぐにそばまで駆け寄ってくる。
「すげー女だよ、お前は」
「は? いいから、早く行きましょうっ」
「おう」
戻ってから幾ら聞いても、問いには答えてくれなかった。ただ楽しそうに笑って、内緒です、と。艶やかに強く優しく開く華を前に、俺は何も聞けなくなった。
突発土方夢。ヒロイン、たぶんゲーム主人公じゃなさそうですね。
明るい話を目指しているのに、何故こんなシリアスになっているんでしょう。
しかもこの土方ヘタレですね!ニセモノやん。
土方ファンの方々、申し訳ありません。精進します…。
(2006/05/08 16:59)
連載を書いてみたものの気に入らないので、書き直し~。
今週…えと、今年はこれでご勘弁ください。
(2006/12/27 00:12:27)