幕末恋風記>> 本編>> [慶応四年弥生] 17章 - 2-大久保大和

書名:幕末恋風記
章名:本編

話名:[慶応四年弥生] 17章 - 2-大久保大和


作:ひまうさ
公開日(更新日):2007.2.14 (2007.2.28)
状態:公開
ページ数:9 頁
文字数:18662 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 12 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
6-旧幕府軍:揺らぎの葉(144)
7-宇都宮戦:揺らぎの葉(145)
8-処刑場:揺らぎの葉(146)
9-約束:揺らぎの葉(147)

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p.1

6-旧幕府軍



 そもそも鴻ノ台に抗戦勢力が集まっていたのは、勝海舟が新政府軍に対して無血開城を行うためにその諸隊を江戸から退去させたのが原因であった。しかし、幕府最大戦力を誇る元歩兵奉行大鳥圭介率いる伝習隊ら幕府歩兵隊は、無血開城後一斉に徳川家の霊山たる日光東照宮を目指して進軍を開始した。この進軍途中で葉桜らはこれに合流することになる。

「とんだ里帰りだなぁ」
 ぼんやりと木陰に腰を下ろしながら空を見上げていたら、そんな呟きが口をついて出てきた。一見笑顔ではあるが、付き合いの長い者ならば、その瞳が少しも笑っていないことがわかる。

 近づくにつれ、濃く感じる故郷の初夏の空気を感じていても心が安まらないのは当然だ。もうあそこには父様も、対だった表の巫女もいない。影の私だけが残ってしまった。

 顔を撫でて駆け去ってゆく風に目を細める。おかえりと、自分に言ってくれる人などいるのだろうか。

 草を踏みしだく音に片目を開き、こちらに来るのを確認してから目を閉じる。彼はただ自然に、葉桜の隣に腰を下ろした。何かを言われる前に、口を開く。

「新選組が私の居場所なんだ。彼らを助けたいから、離れる気はないよ」
 口調は軽く。冗談みたいで冗談でない、わずかに真剣味を含ませた言葉に、僅かな驚愕が混じる。気配はとても懐かしく、温かい。

「もしも離れるとしたら、それは彼らに本当に平穏が訪れるときだ」
 問われることには答えない。自分のコトなら、望むことはただひとつ。

「…夢があるんだ。ただ皆でのんびりとしたいだけなんだ」
 望むことはもうずっと昔から変わらない。小さい頃のように、ただ大好きな人たちに囲まれて、冗談言ったり、馬鹿やったり、喧嘩したり、ただただ平和な日常が欲しかった。

 時々考えるのは、普通に生まれたかったということ。巫女でなくても、神力がなくても、剣が使えなくても。ただ、普通の女の子でいたかった。

 でも、同時に今の自分も気に入っている。大切な人を守れる力があることだけは最高に感謝している。そのおかげで知り合えた人たちにも感謝してもしきれない。この人もその一人だ。

 だけど今は立ち上がり、袴についた土を軽く払い落とす。

「あなたや、他の人からしたら凄く平凡でツマンナイって言われるかもしれないけど、私にはとても貴重で大きな夢だよ」
 顔を一度も向けずに歩き出す。力強さはないだろう。だけど、自分らしさを失わない足取りであることはしっかりと感じ取れている。

 彼の目も誰の目も届かぬ所まできてから立ち止まり、自分の両手を見下ろす。それはどうしようもないぐらいに、震えていた。手だけじゃない、足も、体中が震えていた。ーー嗤い出したくなるほどの、恐怖で。

 望みは叶わない。いや、叶えようとするから、届かない。一人で叶えるには余りにも大きすぎる夢だから。だから、新選組に縋りついているような気もする。巻き込むとわかっていても、離れられない自分がいる。自分が一人だけで立っていられない弱い人間だなんていうのは、もうずっと前からわかっていた。誰かを助けるのは、そうしないと立っていられないから。

 夢は叶わない。ささやかでも、ほんの一時でも、叶わない。最後の手段を使ってしまえば、もう側にいることは出来ないだろう。代償として手にはいるのは、大切な人たちの平和な時間だ。それでいいという自分と、そこにいたいという我が侭な自分が混在している。

 仰ぐ空は澄んだ春の空で、風はまだ冷たい。だが、温かくて柔らかな日差しがゆるゆると包み込んで、癒そうとしてくれる。世界の温かさに目を閉じたら、涙が溢れた。



p.2

 自分はこんなに体力がなかっただろうかと木陰に隠れ、肩で何度も大きく息をする。刀を持つ手が重い。そこかしこで死んでゆく命の悲鳴が聞こえる気がして、心が重い。だけど、それ以上に生きる仲間の命の比重が高いから、自分は剣を振るい続けるしかない。

 たとえ、その敵が故郷の者だとしても。

「撃てぇぇぇっ!」
 号令に続く銃声に、仲間の心が折れるのがわかる。

「こっ、これじゃあ勝てねぇ!」
「た、助けてくれぇ~っ!!」
 下がろうとする仲間を助けようとする葉桜の隣を通り抜けていく人影に、目を見張る。

「待て!」
 見慣れないせいで一瞬わからなかったが、それは洋装で刀を抜いている土方だ。葉桜に見えない位置で仲間に鋭い声を投げかけていて、その姿はかつての「鬼の副長」に他ならない。

「でっ、ですが!」
「問答無用! 退却する者は容赦なく斬る! 前へ進めっ! 戦うんだ!」
 かつて新選組隊士ならば、皆のそろっていたあの頃の隊士ならば、逃げるという選択肢を持つものはひとりもいなかった。だけど、ねぇ、土方。今はーー。

「う…うぉぉぉぉっ!!」
 急に聞こえた雄叫びに俯きかけた顔を上げる。

「こうなりゃ斬って斬って斬りまくってやる~っ!」
 遠ざかっていく声に導かれるように体を動かし、何食わぬ顔で土方の隣に立つ。

「もう少し、かな。行くよ、土方」
「油断するなよ」
「ふふん、この私を誰だと思って」
 大した力を入れられたワケじゃなかった。だけど、自分で思っていたよりも簡単に体が揺らいでしまって。倒れ込んだ自分の体が土方に当たるのをどこか申し訳なく感じた。しっかりと柔らかく抱き留めたまま、至近距離で怒鳴られる。

「…っ馬鹿か、おまえは!」
「はは、どうしたんだろうな。それほど疲れているわけじゃ」
「少しその辺で休んでおけ」
「もう休んだよ」
「この状態で戦場にいられちゃ迷惑だ」
 普通ならたぶん、ショックを受ける言葉なのだろうけど、これだけ一緒にいて気がつかないほど間抜けじゃない。土方のこのキツイのはすべて優しさだから。甘えちゃいけない。

「私のことは気にするな。人数は幾らも足りてないんだからな」
 大地にしっかりと足をつけ、体勢を整えつつ、その腕から逃れる。すぐにここも戦場となるのだろう。じゃあと駆け出そうとした葉桜の腕をもう一度、今度は強く土方が掴む。

「痛…っ」
 ほんの少しの刺激が体中に痛みを伝えてくる。

「怪我までしてんなら尚更だ。いいから、一度戻れ」
「これは土方が掴んだのが痛かっただけだっての! 怪我なんかしてるわけないだろっ?」
「そうか、すまん」
 口では謝っているけど、ぐいぐいとその力で掴んだまま、人のことを無理矢理に引きずるように下がらせようとする。

「いーやーだーっ、まだ戦えるんだからっ」
「駄目だ」
 こんな風に土方にされるのは初めてだけど、総司以上に力があるなとか考えている余裕もなくて、引っ張る力に逆らうように腰を落とし、抵抗する。

「ここは私の庭だ。危険な場所も安全な場所もよく知ってるっ」
 ずるずるずる。

「土方!」
 ずるずるずる。

 かなりの距離を引きずられ、本当に強引に戦線を離脱させられてしまって。止まっていることにも気がつかなかった葉桜は腕を離された途端に、勢いよく後ろへ転がった。

「もう、急に離すなよー!」
「おまえが離せと言ったんだぜ?」
 そりゃそうだ。

 近づいてきた土方が差し伸べてくる手を借りて立ち上がる。ぽんと、自然にその胸に体が吸い寄せられる。肩口に顔を預ければ、その香りはそれでも以前と変わらなくて。ここは戦場で戦わなきゃいけないのに、安心した。

「あまり無理をするな。気持ちは有難いが、こっちの心臓のが持たねえ」
 響いてくる心配を軽く笑う。

「無理じゃないって」
 こんなのは今までだって沢山あったのに、今更だ。

「今の俺はおまえを助けてやれない。だから、無理をするな」
 頭を撫でる大きな手から、温もりが伝わってくる。その優しさが、伝わってくる。

「…土方」
 仲間がいてもいなくても、それでも、自分に出来ることをやるしかない。今ココに他の仲間がいたとして、やはり自分はそれをしただろう。

「私は死なないよ。近藤さんを取り戻すまでは、あの平和な日常を取り戻すまでは、絶対に死なない」
 幕府の存在は既に虫の息だ。だが、もう自分が死ぬ予感は、ない。

「いいかげんなコト言ってんじゃねぇ」
「あははっ、ま、ただの勘だけどな」
 腕に力を込めて、少しだけ体を離す。

「…土方、もう行ってくれ。指揮官があまり離れてちゃ、他の奴らが不安になるだろう?」
「葉桜は」
「私は、戻るよ」
「そうか」
 ぐしゃぐしゃと頭を撫でてから、土方は戦場へと戻っていった。そして、葉桜は一度戻ってから書き置きを一枚、他の隊士に託して、姿をくらませた。



「里帰りしてきます」



 その一文だけを残して。



p.3

7-宇都宮戦



 宇都宮での旧幕府軍と新政府軍の戦いは熾烈を極めた。だが、少しずつ、少しずつ旧幕府軍が押していって、最後の最後、宇都宮は自らその城を明け渡した。

「宇都宮城を開放する!」
 開いた門の向こうから、血と泥と汗にまみれた旧幕府軍を迎えたのは、鮮やかな赤を幾重にも重ね合わせた姫君で。呆気にとられている面々に向かって出てきたその声は誰もが聞き覚えのあるはずなのに、誰にもわからなかった。わかったことはその姫がひどく風変わりだということだけだ。

 城内を案内する姫君は一言も口を聞かず、ただまっすぐに広い城内へと旧幕府軍を招き入れる。そして、最初に気がついたのはやはり、土方だった。物もいわずに腕を引き、まっすぐに見つめてくる目を軽く笑う。

「お食事はすぐにお持ちいたします。みなさま、ごゆるりと戦の疲れを癒してくださいませ」
 慣れたように抜け出て部屋を後にする。が、部屋を出たところで自分に行く場所がないのは当然だ。調理場に自分は入れてもらえなかった。曰く、

「葉桜様にそのようなことをさせるわけにはまいりません!!」
 と家中総出で断られてしまった。いや、自分の料理の下手さはわかっているけどさ、もうちょっと信用してくれてもいいだろう。五年もの間留守にしていたとはいえ、その間に少しぐらい上達したんじゃないかって疑ってくれてもいいのに。

 部屋の外でしゃがみ込んで気配を殺していると、部屋から土方が出てきた。彼はしゃがみ込んでいる葉桜を一度見た後、深くふかーく息を吐く。

「急にいなくなったかと思えば…」
「少しはお役に立てましたか? 副長殿」
 くすくすと笑う葉桜は差し伸べられた手をとって立ち上がる。

「もっとも私の手は必要なかったかもしれませんけど」
 無言の土方を隣の空き部屋に招き入れる。そこは四畳半ほどの板張りで、何もないただの部屋だった。それでも床に映りこんでいる自分がいることで、掃除だけはずっとされていることがわかる。そんな部屋だった。

「もっといろいろしてあげられるといいんだけど、私がここでできることは少ないんだ」
 部屋の奥の壁の前に立つ葉桜の後ろで、土方は動かない。葉桜も、振り返れないでいた。何も話さない土方がどうしてか怖くて、必死に言葉を繋げた。

「この部屋は昔、母上が使っていたもので、隣の大部屋ではよく舞の稽古をしていたんだ。母上の舞は前藩主が惚れ込むほどのものだった。京へ上れば都一と謳われること間違いなしの腕前で」
 近づいてくる気配に尚も言葉を繋げる。

「だけど、母上は影巫女だから、無闇にそれを人にみせることができなかった。影巫女の技は一人に注がれてはならないもので、そして無闇に人に知られてはならないものだったから。だけど、父上と恋仲にあった頃の母上はよく父上のためだけに舞っていたそうだ」
 触れられそうな予感がして振り返ると、土方が怖い顔をして睨んでいた。跳ね返すように笑顔を作る。

「まさか自分が母上の着物を着ることになるとは思わなかったよ。案外、誰も気がつかないもんだな」
 低い声が自分を呼ぶ。それに体中でびくりと震える。

「ええと、私ちょっと呼ばれてて、宮に戻らないといけない、」
「葉桜」
 今度のははっきりとした声音で。震えを悟られないように笑顔で答える。

「はい」
 次の言葉を待つ間も意識して笑顔を絶やさないでいたら、しかたないねぇなと呆れかえられた。

「無茶をすんなっといっても聞いた試しがないな、葉桜は」
 ぽんと軽く頭に手を置かれる。そのままぽんぽんと続けて柔らかく叩かれて、撫でられて。たったそれだけなのに、なにか緊張の糸みたいなものが切れてしまったみたいで。ほろほろと零れる涙が見えないようにと俯く。

「新選組も大切だけど、やっぱり私はここを捨てられない」
「ああ」
「この町をまた戦場にしたくなかったんだ」
「……」
「楽しい想い出ばかりじゃないけど、それでも私はここが好きだから」
 強く包まれる感覚に、目の前の胸に顔を擦りつける。

「やっぱり、護りたかったのかもしれない」
 声を出さずに泣き続ける葉桜の髪を、土方はずっと手で梳いてくれた。静かな部屋に土方の声が響く。

「宮ってのは日光東照宮のことか?」
 こくりと頷く。

「まあ、あっちには大鳥さんが行ってるし、当然か」
 またこくりと頷く。旧幕府軍の本隊が向かっているのも、新政府軍が向かっているのもどちらも日光東照宮だ。そろそろと体を離して、袖で涙を拭う。もうゆっくりとしている時間は少ない。

「ここの守りはまかせた。新政府軍があっさり諦めたのが気になるしな」
「ああ、任せておけ」
 頼もしい返事に照れ隠しの笑顔を返すと、強く額を叩かれた。

「痛っ!」
「おまえも気をつけろ。日光に向かってるのは板垣らしい」
「…うん」
 しゅるりと衣擦れの音と共に去ろうとした体を一度だけ後ろに引かれる。耳元に響く低い声と甘い吐息に頭がくらくらした。この人、絶対、自覚ない。

「言い忘れていたがな」
「な、何?」
「よく似合ってる」
 この人、実はわかっててやってるんじゃないだろうか。

 顔を朱くして振り返った葉桜を、土方はただ柔らかく笑っていた。



p.4

 葉桜が城を後にした数時間後、城内から火の手が上がった。火は瞬く間に燃え広がり、辛くも脱出した旧幕府軍は為す術もなく火を見つめる他なかったのだった。火を点けたのは新政府軍だったとわかったのは、ずっと後の話だ。

 一方で日光東照宮手前で新政府軍率いる板垣と旧幕府軍率いる大鳥は、話し合いにて一時的に双方とも退くことになった。意外にも、日光東照宮はその歴史的価値も高く戦で失われるというのは惜しいという板垣からの申し出があったからだ。

 宮で待ち構えていた葉桜は深く安堵の息を吐いたのだった。

「じゃあ皆、元気で、生き抜いてね」
 さっさと出て行こうとする葉桜を止める者はいない。ただまっすぐに見つめていた。心配の色濃い視線を感じて、軽い笑いを零す。

「いって、らっしゃいませ」
 帰ってくる気がないことぐらい、もうわかっているだろうにそんなことを言う。願いであると同時に、それはとても温かいものだ。心に灯る柔らかな炎をそっと抱いて、微笑む。

「いってきますー」
 普段と変わらない調子で返して、背を向けた。ここに自分が戻ることは二度とないだろう。決して良い想い出ばかりではないけれど、それでも多くの時間を過ごした場所だ。良いことも嫌なこともひっくるめて、私はここが好きだった。

 里に降りてから一度だけ振り返り、深く頭を下げた。これから自分がすることがなんなのかわかっていても、誰も止めなかった。許してくれているとまでは思わないけれど、理解はしてくれたことを嬉しく思う。

(…きっと、やり遂げるよ)
 何を犠牲にしてでも、そうしなければきっとこの国の平和は本当に終わってしまうだろう。自分に出来ることは少ないけれど、それでも出来ることは全部やる。悔いだけは絶対に残さない。そんな後ろを振り返るような生なんてまっぴらだ。

 だから、葉桜は前を見て、歩き続ける。不安を振り払うように、風を切って、ただ真っ直ぐに。一度も、振り返らずに。



p.5

8-処刑場



 雨の音が耳に付く。誰かが泣いているから、きっとこんなにも降るんだと、葉桜は静かに目を閉じて感じ入っていた。しとしとと降る雨は何を想って泣いているのだろうか。あの人の覚悟?死? そんなもの、私は認めない。泣いてなんか、やらない。

 ここ最近はよく思い出す。過去を振り返らないと決めたけど、楽しい想い出を振り返っていなければ強くいられない。それほどに、自分が弱っていることを感じる。おそらく最後となるであろう休息を、静かに世界を感じて過ごす。

 宇都宮城での戦況が報告され、東山道先鋒総督府が板橋から他の場所へ移されることが決まった。その混乱のさなか、近藤を坂本暗殺の仕掛け人と信じる土佐藩の強硬な主張により、近藤の処刑が執行されることとなった。一貫して近藤を敵将として処遇すべきだと主張していた中村半次郎、そして近藤を捕縛した有馬藤太らといった薩摩藩士らの温情措置願いは無視され、近藤は切腹ではなく斬首刑として処せられることが決まった。

 そんな報告が隣の部屋から聞こえてくる。島田が来て、土方が部屋を出てすぐ、葉桜は服を着替えた。静かに、いつものように、男姿になり、髪を結い上げる。

 自分が護られているとは思わない。自分は守られる側じゃなく、守る側だ。だから、近藤を守るためには行かなきゃならない。

「土方」
 島田のいなくなる気配と共に襖を開ける。後悔に苛まれている彼を見下ろし、静かに柔らかく微笑んだ。

「私、行くよ」
「どこへ行く気だ?」
 聞かなくてもわかっているだろうに、言わせたいのか。

「最初に言ったよ。私は、あなたたちを守るために来たのだと」
「……」
「近藤さんは立派な武将であって、罪人じゃない。こんな死に方、認められるわけないじゃないか」
 取られそうになる手をゆっくりと避ける。触れられないことを不思議にも思わない様子の土方を小さく笑う。

「…葉桜、熱は下がっていないんだな?」
 隊に戻ってすぐ、葉桜は熱を出した。だから、いまだ江戸に留まっているのだ。他の者たちはもう次の戦場へと向かってしまった。

「こんな程度、騒ぐコトじゃない。あの時ほど酷くもないしな」
 知っているだろう、と囁く声で話す。彼は昔、高熱を出した葉桜に小太刀を奪われたことがあるのだ。

「でも長話をするほどの余裕はないんだ。土方は先に本隊に合流していてくれ。近藤さんを助けたら、私もすぐに向かう」
 じゃあなと葉桜は雨の中へと駆けだした。追いかけられないように、最短経路で板橋への道を急ぐ。小さい頃からよく来ているし、いろんな人に抜け道という抜け道を教わっている。それは役目を知っていようといなかろうと同じだ。父様の娘ということで色々な意味で皆親切だった。

 有難うと思いながら細い路地を抜けたり、人様の庭をつっきったりと子供の時分に辿った経路を急ぐ。

 耳元で強く泣く雨が急かしている。間に合ってと泣いているのはきっと自分だ。近藤はきっともう覚悟を決めているだろう。そういう人だ。だけど、ねえ、忘れないでよ。置いていかないって、言ったじゃないか。

 刑場に近くなり、舗装された砂利道を走り続ける。足が痛い気もするけど、これぐらいはどうってことない。斬れても折れてもいないのだから。

 今、近藤は何を考えているのか、間近に迫った自分の死をどう受け止めているのかなんて、自分は知らない。知りたくない。自分が思うようにしか、葉桜は生きる術を知らない。わかるのは、思うとおりに出来なければ、きっと自分が自分でなくなってしまうということだ。

 もし、葉桜が普通の生活を送っている女性だったら、今頃はただ、めそめそと泣いてるだけかもしれない。だけど、今の自分は泣くことなんかできない。だって、誓ったんだ。共に戦い続けると、誓ったのだから。

「あなたなら、あの人とともに大空を羽ばたけることでしょう。あの人を支えてあげてください」
 そう語った強い女性が待っている。待つ人がいるのに、何もかも諦めてしまう人じゃない。今の近藤が羽ばたけないというのなら、私が翼を届けよう。

 近藤さんの魂がこもった、この剣を。

「ここから先は入ってはダメだ! 見物は柵の向こうから、」
 振るう剣の向こうで人影が揺らぐ。

「き、貴様…何者だっ!」
 力を空気に乗せて、ゆるりと流れるままに斬りつける。かつて、舞のようだと褒められたこともある葉桜の剣の前にまた一人、斃れる。

「新選組一番隊組長代理、葉桜」
 死ぬつもりはないけれど、自分の命などどうでもいい。近藤をおとしめた人たちすべてを斬り捨ててやる気持ちで剣を振るう。

「近藤さん! 今、行きます!」
 走りながら振るう剣の先、葉桜の前に立ち塞がれるほどの実力者などいない。

「侵入者だ! 敵は一人だっ! 殺せぇ~っ!!」
「新選組をバカにするな!」
 こんな程度の人間を切り抜けられないような者は、かつての新選組にいなかった。

「ここから先へは行かせん!」
「行ってみせるさ」
 下から切り上げた剣の前にまた一人、斃れてゆく。血が、命が重いけれど、背負う覚悟なんてとうの昔に出来ている。

「ぐぁっ…!!」
 足も剣も止めずに、願うことはただひとつ。

「お願いだ…! 間に合ってくれ!」
 ずっと助けられてきた。きっと出会った時からもうずっと、知らずに頼りにしてきたのだろう。近藤の人柄故というのもあるが、その纏う空気に無意識に心を救われていた。だから、今度は自分が助ける番だ。近藤を助けられるというのなら、すべてを捨てても構わない。そう願って見据える未来には、まだ何も見えなかった。



p.6

 風が強く吹く。それは時流を、定められた運命を変える風だ。だから、目の前で死に装束をした近藤を前に、葉桜は笑う。笑って、彼の愛刀を突き出す。

「ウソツキ。おいていかないって、言ったじゃない」
 突然現れた葉桜に呆然としていた近藤の表情が、驚愕に変わってゆく。

「葉桜君、どうしてここに!?」
 ここというのは、これから近藤が処刑されようとしている処刑場だからだ。敵陣ど真ん中で刀を差しだし、葉桜は目で語る。

「私を愛してくれるなら、最後まで諦めないで」
 強く笑うとき、それは運命を変えようと強がる葉桜の癖となっていた。本人さえも気がつかないそれに、近藤は支えられてきた。葉桜が握らせた刀を近藤が抜くと、それは嬉しそうに啼く。

「そう、だな。泣き虫な葉桜君を残して逝ったら、芹沢さんにも顔が立たないところだった」
「間違いなく鉄扇で殴られますよ。私が父様以外に初めて愛した人ですから」
「…それは、ちょっと妬けるなぁ」
 かちゃりと周囲を囲む相手を見据えながら、二人で不適に笑う。二人でいれば、勝てない敵なんていない。あの頃のように近藤は戦えないけど、あの頃のように葉桜は戦えないけど。

「不思議だね、負ける気がしない」
「同感です」
 顔を見合わせなくたって、互いがどんな顔をしているかわかりすぎるぐらいにわかってる。

「我こそは新選組局長近藤勇なり! 剣士近藤勇、最後の戦いザマ! しかと、その目に焼き付けときな!」
 剣を手に声を張り上げ、名乗りを挙げる近藤に葉桜も続く。

「我こそは、徳川幕府が守り手の巫女なりっ」
 辺りが急にざわめく。近藤も驚いているのがわかるが、ここで言わずにいつ言えと。

「同時に新選組一番隊組長代理の葉桜だ。近藤さんはあんたたちなんかに絶対に殺させない!!」
 これが何を意味するのかなんて、私が一番分かっている。徳川幕府の守り巫女というのは広い意味での呼称となっているから、知っている者は知っているだろう。本当の役目は業を受ける器なのだが、それでも言葉に威力があることはわかっている。

 案の定、こちらに来る相手は半数以上。でも、腕がなければいままで生き残ってこれるはずがない。

「くっ…相手はたった二人だ! 生死は問わんっ! 我らの力を見せつけてやれ! 死ねっ、死ね~っ!!」
 新選組の近藤と葉桜。この二人の名前を知らない者などいないので、指揮官の声に兵達が怯んでいるのがわかる。たった二人でも、剣でこの二人に勝てる者など数えるほどしかいない。

 交わす剣の最中、小さく近藤の呻く声に、心配する。

「近藤さん! やっぱりまだ右肩が…」
「はは…最後の晴れ舞台だ。今さら自分の身など惜しんでられねぇよ」
 意を決している近藤が振るう剣の前で、葉桜の心はかすかに揺らいだ。これだけの覚悟を決めている人を、自分に変えられることなどできるだろうか。いいや、変えてみせると近藤の姿を視界に修めて、強く意識する。こんなところで近藤を死なせやしない。この人には待っている家族だってあるんだ。

「ほら、次に死にたいヤツは誰だい?」
 どこか投げているような近藤の隣で、葉桜もまた剣を振るった。だが、流石にこの人数を二人で捌くには無理がある。お互いに息が上がってきたが、その頃には向かってくる敵も幸いに少なくなっていた。気迫に押されて、誰も向かってこなくなる。

「はぁっ…はぁっ…ううっ…」
「そろそろ限界かい、葉桜君?」
「そうですね。ここへ来るまでかなりの無理をしましたし。近藤さんは?」
「俺ももうダメだな」
「それじゃあ、そろそろ」
「そうだな、そろそろ死のうか」
 互いを前に剣を構える。口では近藤に合わせているけれど、葉桜はこうして死ぬために来たワケじゃない。時間を稼ぐために、笑いかけて囁く。

「近藤さん…私は、葉桜はあなたを愛してます」
 それは、今までずっと封じ込めてきた囁き。二度ということなどないと思っていた。そして、驚いきながら「ああ、俺も、」と泣き笑いみたいな顔で言う近藤に続ける。

「だから、最後にひとつだけ言って良いですか?」
「なんだい?」
 どこか不思議そうにしている近藤を前に口の両端を大きくつり上げて笑う。そして、お腹の底から叫んだ。

「 近藤さんの馬鹿ー!」

「……え?」
「私が愛した男は、こんな状況でも絶対に諦めたりなんかしないっ! そんな情けない男が好きだったなんて、父様に顔向けできないじゃないか! 約束を破ってまで愛した人がこんなんじゃ、私は父様の近くに行くことさえ望めない!! 私をこんなに変えておいて、そんなこと許さないっ」
「…葉桜、君」
 驚いている近藤に剣を向けたまま語りかける。その頑なになった心まで、願いが届いて欲しい。

「生きたいと言って、近藤さん。そうしたら、絶対に道を繋げるからっ」
 欲しいのはたった一言。

「生きたいと言ってくださいっ」
「…でも、俺は…っ」
 涙を湛えた瞳で強く見つめる葉桜と戸惑う近藤とは別に、戦場にもうひとつの騒ぎが生まれる。それが誰かわかっているのでふぅと小さく葉桜は息を吐いた。現れた人影に、近藤は動揺を隠せず、剣を降ろす。

「あはは、強情さでは葉桜さんに勝てないと思いますよ、近藤さん」
 敵が開けた道を真っ直ぐに歩いてくるのは沖田総司だ。その腕には以前の煌めきが戻っている。

「総司、なんでおまえまでここに…。いや、それより剣…」
 沖田の病はまだ完治していないことになっている。そうするように、良順に頼んだのだ。だが、剣を振れるほどの回復に気がつかないはずはない。呆然としている近藤に沖田が笑いかける。

「葉桜さんに頼まれたんです。近藤さんを殺してくれ、と」
 聞いた近藤は顔を伏せ、哀しそうな笑い声を零した。

「そう、いうことか~」
「……」
「これが許さないってこと、か」
「違います。総司も誤解を招くような発言をしない」
 きょとんとしている近藤ににやりと笑いかける。

「許さないって言ったでしょ? 諦めるなんて、許さないから。近藤さんがどんな状況だって、私はこの命に代えても助けるから」
 約束なんかじゃない。これは、本当に私のわがまま。大切な人に生きて欲しい、ただそれだけの願い。

「ねぇ、生きたいと言ってください。これが、最後通告ですよ」
 意味するところは、誰にも明かしていない。だけど、本当にここが分かれ道。近藤を斬るか斬らないか。だけれど、その答えは。

「……」
 葉桜は刀を近藤に向けて構えなおす。

「…私、頑固なんです。こうと決めたら、誰にもその道は邪魔させない」
「よく、知ってるさ」
「じゃあ、私がこれから何をしようとしているのかもわかりますね? 剣を構えてください、近藤さん。総司、邪魔をするなよ」
「はい」
 邪魔者は、いない。対峙する二人を前に動ける者は誰も。

「近藤さん、私、あなたが大好きです」
「ああ、俺もだよ」
 先ほどの同じような問いかけを繰り返すが、葉桜にもう悲痛な響きはない。

「だけど、今の近藤さんは嫌い。諦めている近藤さんなんて近藤さんじゃないから、私が殺してあげる」
「…ああ」
「最後に言いたいことは?」
「…ないよ」
 目を閉じた近藤に向かい、葉桜は剣を振り上げる。

「ハァァァッ!」
 風が、起こる。それは流れを妨げようとするもの。何度だって、感じてきたけど、何度だって切り抜けてきた。そうできる力を自分が持っていることを今ほど感謝したことはない。空の風、地の風、そして剣の風が二人を包み込む。

「……?」
 目を開けた近藤の目の前には触れそうな距離で留められた剣があり、葉桜は泣きながら笑っていた。

「ばーか、できるわけないじゃない。そんな犠牲で払えるほど、業は易くないんだから」
「…そう、か」
「近藤さんが死ぬというのなら、私は絶対に生かすよ。これ以上の犠牲は沢山だ」
 もういいんだ、と笑う。

「今までありがとう、近藤さん」
 風が止んで、沖田と、いつのまにか来ていた山崎が近づいてくるのに微笑む。

「総司、烝。近藤さんを頼む」
 二人はただ頷いて、引き受けてくれた。近藤に手を貸して、二人が立ち上がらせている間に、葉桜の背後に気配が浮かび上がった。とても、よく知る者だ。

「連れていかれるのは困る」
「…こいつは、私が相手をする」
 振り返らずに、三人に笑いかける。いつものように、絶対に大丈夫だと信頼させるように。

「…葉桜君…」
「行って」
 剣を無限に構え、気迫で自らを覆う。背後の相手は、斬りつけてこない。そういう奴じゃない。

 相手が見えている山崎が不安そうに、だが厳しい視線で呟く。

「生きて戻って来なきゃ、絶対許さないんだから」
「ふっ、わかってるよ、烝ちゃん。それから、邪魔したら総司でも容赦しないぞ」
「わかってますって。さ、行きましょう、近藤さん」
「…葉桜君、俺は…!」
 尚も言い募ろうとする近藤の言葉を遮る。

「近藤さんに幕は引かせませんよ。これはもう私の戦いなんだから」
 どんな手を使ってでも、後でどれだけ恨まれても。

「生きてください、近藤さん」
 それだけが葉桜の望みだ。それ以外の何も、今は、望まない。



p.7

9-約束



 三人を止められる者は誰もいなかった。それ程に葉桜の存在というのは大きい。徳川の守り手の巫女。それが何を意味するのか、わからないものなどいない。だが、誰が手を出せるだろう。たとえ銃があったとしても、勝てる気がしない。それほどの存在感と気迫が葉桜にはある。

 ふいに葉桜が謳うように問いかける。

「で、やる? 人斬り半次郎」
 何をして遊ぼうかというような無邪気な問いかけに、背後にいた半次郎は小さな笑いを零した。

「いいや。葉桜とやるのは割に合わん」
「そう?」
「…俺もただの男だということか」
 ざわめきにかき消され、その呟きの聞こえなかった葉桜が首を傾げる。それを笑うように、半次郎は続けた。

「この者の身は俺が預かる。道を空けろ」
「な、中村様…!?」
 意外すぎる言葉に驚く葉桜を守るように半次郎が立つ。

「ここを抜け出すのだろう? 一度くらい、味方してやるさ」
「そう、だけど…そんなことしていいの?」
「おまえに死なれたくはないからな」
 今まで幾度となく剣を交わしてきた。明確な殺意は互いの間になく、ただ彼の雇い主と葉桜の守ろうとする人が敵対するから戦ってきたのだ。ずっと変わらない、殺意のない敵対関係がずっと続くのだと思っていたから、余計に驚いた。この人が、そんなことを考えていたとは。

「生きたいのだろう?」
「…うん」
「だったら、最後の最後まで足掻いて見せろ。どうしても駄目なら、俺が介錯してやる」
「…半次郎」
「今だけだ。次に会ったときはもう敵だからな」
「ああ。今だけ、な」
 これほどの心強い味方はいない。敵同士でありながら、その腕は葉桜の知る者の中でも群を抜く強さを誇る。だからこそ、敵も怯む。これほどに手強い敵はない。だから、すんなりと葉桜は囲みを抜け出せた。

 別れる前に、葉桜は柔らかな笑顔で語りかけた。

「私はな、ずっと半次郎が羨ましかった。揺るぎない、おまえのようになりたかったよ。人は自分以外の誰にもなれない。不便なものだ。だけど、だからこそ、私は人を捨てられない。すべてを捨ててしまうことができなかったんだ。ーー今までは」
 含みのある言葉に、半次郎が眉根を寄せる。気がついただろうか。その決意の意味に。

「いつか決着をつけような、半次郎!」
「葉桜…おまえ…」
「今は心が離れているから無理だけど、近くて遠い未来のいつかに、また剣を交わそう」
 わかっているだろう。だけど、何も聞かずに彼は頷いた。有難かった。

「……ああ」
「私が会いに行くまで、死ぬんじゃないぞ」
「ふっ、おまえ以外に俺は殺せん」
「約束だ」
 互いの手を固く握りかわし、両目を閉じて、祈るように言の葉を紡ぐ。

「ーーたとえどんな姿であろうとも、私はこの約束を忘れない。おまえと交わした剣のすべてを覚えているよ」
 死ぬつもりはない。が、人の身で業を受けるには既に手遅れともなれば、方法は一つしかない。だから、この姿で半次郎と見えるのはこれが最後だろう。

 わかっていても彼は何も言わなかった。葉桜もはっきりとは、言えなかった。

 確実なことなど何もない。それが定められたコトだというのなら、なんだって変えてみせよう。そうできるだけの力は誰だって持っているけど、気がついていないだけだ。だったら、それに気がついている自分はやるべきだ。

 力はある。あとは、覚悟さえあればいい。世界を守る覚悟だけ、あればいい。他には何もいらない。



p.8

 元の宿まで戻る前に、途中で葉桜は力尽きた。拾い上げたのは、懐かしい腕だ。

「…ほんっと、無茶ばっかり…」
 呆れたような、安心したような、泣きそうなものを綯い交ぜにしたような優しい声が体中に響いてくる。

「これだから、葉桜ちゃんを置いてなんていけないのよね」
 前髪を避ける優しい手が額に触れる。そして、柔らかな指ではない熱が触れる。

「自覚、してよ。アンタはアタシたちにとって、特別、なのよ?」
 柔らかい囁きのくすぐったさにわずかに口元が綻んだ。

(わかってる)
 でも、私だって皆が特別で大切だから。これだけは絶対に譲れないんだ。たとえ許してくれなくても、守らせて欲しい。それ以外に、私はこの気持ちを伝える術を持てないから。



p.9

 体調が思わしくないにかかわらず周囲で騒がれるのは慣れている。だけど、だけどね。これはちょっと問題だと思うんだ。

「僕は確かにあなたが誰を一番に好きになっても構わない」
 目の前で膝を突き合わせ、両手を押さえられて、身動きが取れない。とりあえず、熱でふらついているのだけは気取られぬように願う。

「でも、何故近藤さんなんですか?」
 彼はあの告白を聞いていたから、こうして問い詰められている。疲れているから眠いと言っても、話すまで眠らせないと言われてしまった。

「なんでって言われても、私にもよくわから」
「はっきり聞くまで寝かせませんよ」
 ぎらりと睨まれ、肩をすくめる。近藤は既に寝かせてあったので、彼に追求されることだけは避けられたのだが、元気な沖田はかなり厄介だ。

「…あれは勢い、」
「葉桜さん」
 うぅ、誤魔化すのは駄目ですか。いつになく厳しい追及に、視線を逸らす。直視するのはかなり難しい。

「あなたは勢いであんなことを言う人じゃない」
「そ…そんなことはな、」
「好き、というのはよく口にしますけれどあんな風に大声で、愛し、」
「あぁぁ、言わないでいいから。わかってるからっ」
 冷静になって思い返してみると、本当に恥ずかしい。あのとき言ったのはウソじゃない。だけど、本当に自分が選んだのかと問われると、非常に困る。だって、選んではならないのだ。誰一人、自分が選んではならない。残していくとわかっていて、選ぶことなど出来ない。

 熱くなって俯いている葉桜の額に沖田が自分のを合わせる。

「こんなことなら、葉桜さんから離れるんじゃなかった…」
 囁くようなため息が響いてくる。

「近藤さんや土方さんを一番と思ってくれるのも嬉しいと、考えていました。でも、いざそうなってみると、案外に僕も心が狭いようです」
「あなたの中に僕以外の特別な誰かがいるのが耐えられない」
 顔が、あげられない。こんな状態で、なんてこと言い出すんだ。最近、手紙もサボりがちだったから、そのせいだろうか。いやでも、それでも十日に一通は出していたはず。それ以上は隊務もあるし、他の者へも手紙を書いているから時間がないのだ。

「総司、あれはだな」
「冗談でもあなたはそれを避けてきた人だ。いつから、近藤さんのことを?」
 いつから? そんなの、よくわからない。それに、どう話せばいい。こいつは勘が良いから、正直に話せば追求されるのは目に見えている。結末を教えたら、止めるに決まっている。だったら、教えるわけにはいかない。

「…どうしてそんなに聞きたがる?」
 手を返して、沖田の手をぎゅっと握り返す。そして、ゆっくりと言の葉を紡いで、自分の流れへと導く。

「心配せずとも私はここにいる」
「…葉桜さん、そうではなくて…」
「ここにいるし、どこへも行かないよ」
 まっすぐにその瞳の奥を見据えると、沖田の方が揺らぐ。どうして、と呟かれるのを聞こえないフリをして、小さく嗤った。沖田をではなく、自分の滑稽さを。

「皆と共にいることが、私の願いだ」
 大切な人たちが幸せに生き抜く未来を手にするためなら、何を犠牲にしようとも構わない。そこに、自分がいないのだとしても、それでも彼らが幸せであるならば。

 頬に触れる硬い手に顔を寄せる。

「誰も、選ばない…と?」
 しまった。どうしてこう自分は黙っていられないのだろう。いや、どうしてなんて聞かなくてもわかっている。話してしまうのは不安で不安で仕方ないからだ。いくら自分を納得させても、自分が死ぬという恐怖までは消せない。業を昇華すれば生きていてもきっと元には戻れない。だからこそ、零れてしまう。

「僕たちを、騙していたんですか?」
「…私は最初から誰かを選ぶとは一言も言っていない」
 ぐいと顎をつかんで顔を上げられ、無理やりに目線を合わせられる。これ以上の誤魔化しなど無用だろう。綻びがひとつ見つかれば、後はもうすべてが明るみに出てしまう。

「あなたは…っ」
「最初から言っておいただろう。お前たちが生き残ることが約束なのだと」
 特別を探していたわけじゃない。ただ、自分がいるのは世界の望みを叶えるため。ただ、それだけなのだと告げる。

「私はあの子の望みを叶えるためにいるんだ」
「…それでは、葉桜さんの望みは誰が叶えるんですか? いえ、それ以上にあなたが望むことはないんですか?」
 苦しそうに覗き込まれて、不思議に思う。どうして、そんなことを沖田が気にするのか。

「私の望みは、おまえたちが無事に生き抜いてくれることだけだよ」
「そのほかには?」
 他の願いなんて考えたこともない。

「例えば、一番そばにいてほしい人などはいないんですか?」
 そばにいてほしい人なんて、今までに願ったのはたった一人しかいない。でも、それは叶わない願いだ。父様も母上も彼も、もうこの世界のどこにもいない。苦しい気持ちを隠して微笑む。

「お前たちといること、だな」
「僕は、一番、を聞いているんです」
 何を言っているのか、わからない。一番、近くにいてほしい人なんて…あれから一度も考えたこともないとは言わない。だけど、やっぱり誰も選べない。

 ふるふると頭を振る葉桜を沖田が胸に抱き込む。

「わからないんですか?」
 誰も、選んじゃいけない。誰かを選ぶことは、契約違反。

 ……あれ? 何故、今、そんな風に思うんだろう。誰ともそんな約束はしていない。役目でもそんなものは交わしていない。自分が交わすのは人の「約束」ばかりだ。

「それとも気づかずに選んでいるのですか?」
 わから、ない。そういえば、父様のことを想うときもずっとそれはあった。誰も選んではいけない、という無意識の意識が常にあった。何故、わからないのだろう。確かに交わしたもののような気がするのに、まったく覚えがない。

 ふるふると頭を振る。考えてはいけないような気もするけれど、考えなければと焦る気持ちもある。

「ねえ、葉桜さん。…葉桜さん?」
 頭を振る。抱きしめられているので胸に頭を押しつける形にはなっているけれど、それを気にするほどの余裕はなかった。

 どうして、なぜ、わからない、とそれらに思考を占められてしまって、自分を作ることさえも出来ないでいて。気がつけば、目の前に近藤がいて、頬が痛い。

「…あれ、近藤さん? 寝ていたんじゃなかったんですか?」
「葉桜君…っ」
 がばっと抱きしめられて、はっと我に返る。

「わ、わわ、ちょ、苦しいっ」
「もう…戻らないかと…っ」
 暴れてみるが、さすがに男の腕は簡単に抜けられるものじゃない。健康体であるなら投げ飛ばす方法もあるのだが、近藤は衰弱しているのだ。無理は出来ない。まあ、衰弱している割に力は普段以上という気もしなくもない。

「戻らない? 何を言ってるんですか?」
 見渡せる範囲で部屋を見回し、何ら変わりのない宿屋と認める。どこに誰が戻らないと言っているのか。意味が全くわからない。

「いくら私でもさっき戻ったばかりで出かける元気なんかないですよ」
 体を離して顔をのぞきこむ近藤は今にも泣き出しそうだ。見下ろされているのに、なんだか小さな子供のように見える近藤をくすりと笑う。

「近藤さんの無事を確認したら隊に戻るつもりだったけど、ちょっと難しいようですね」
 沖田の腕の中にいたのにどうして今ここにいるのかわからないけれど、安心を運ぶように微笑む。

「…さっきまでのこと、覚えてない?」
 さっき?

 首を傾げている葉桜を近藤は哀しそうに見つめて、そっと頭を撫でた。心地よさに思わず目を閉じる。

「いいや、なんでもないよ」
 瞳の上からそっとふれられる感触にびくりと体が震える。

「なんでもないんだ」
「近藤、さん…?」
 ひどく不安で寂しそうな声を感じるけれど、目を開けられない。戸惑う葉桜の口唇を柔らかくて温かなもので塞がれる。それは言われなくてもわかる、近藤の口で。ぎゅっと堅く引き結ぶ前に口内へ安々と進入されてしまう。巧みに体を押さえられ、身動きはとれない。息もつかせないほどの口吻に気が遠くなりそうだ。

「どこへもいかないで、ここにいてよ」
「…何、言って…?」
「俺のそばにいてよ」
 くらくらと混濁する意識に甘い囁きが降ってくる。それはとても魅力的な誘いで、許されるのならばその手を取りたいと思う。だけど、すべてを投げ出すような人間だったらそもそもここにはいないのだと近藤だってわかっているはずだ。その上で、そんな優しい囁きをくれる人だから、好きだなぁと思って小さな笑いが零れた。

「ふふ、駄目です。駄目ですよ、近藤さん。それじゃ私でなくなってしまいます」
 わかっているでしょう、と柔らかく問いかける。

「ねえ、気がついているんでしょう? 私は自分に出来ることがある限り逃げるわけにはいかない。近藤さんだって、待っていてくれる人がいる限り諦めちゃいけない」
 手を伸ばし、その泣きそうな顔の頬を撫でる。いや、実際は泣きそうだったのは自分だったような気がする。視界の向こうで近藤の顔が歪んでいたから。

「この先の近藤さんの未来を私は知りません。作るのはあなた自身。だから、あなたは逃げたければ逃げていいし、戦いたければ戦えばいい。ただし、死ぬことだけは許しません」
「葉桜君…」
「どうしても死にたいというのなら、先に私を殺して」
「!?」
「出来ないのなら、絶対に生き抜いて」
 酷いことを言っているのだとわかっている。だけど、死なせたくないという気持ちだけは真実だ。

「近藤さんがいない世界なんて、もっと意味がない」
「…どうして、君は…」
 戸惑う近藤を前に笑いがこみ上げる。どうして、なんて自分にだってわからない。ただ、嫌なのだ。それだけ。

 たっぷりの間をおいて、ようやく近藤に笑顔が戻る。

「ほんっとワガママだよねぇ、葉桜君は」
「今頃気がついたんですか?」
「いいや。…ずっと知っていたさ」
 抱き寄せられて、胸に耳をつけると鼓動の音が響いてくる。生きているこの音が愛しくて、葉桜も腕を伸ばして、抱きしめ返す。

「ーー惚れた弱み、ってやつかぁ」
「え?」
 聞こえないふりして返すと、笑ってなんでもないよと返された。

 久しぶりに互いの温もりを感じて眠る夜が明けてから、そっと葉桜は寝床を抜け出す。ぐっすりと眠っている近藤はとても無防備で、だけれど安心している少年のようなあどけない寝顔に自然と口を寄せていた。

「戦い続けるというのなら、また会える」
 眠っている近藤は何の反応も返さない。だけど、それで良かった。

ーーもし、戦わないのだとしたら、すべてが終わってから、会いに行きます。

 後の言葉を飲み込んで、葉桜は朝靄のかかる町中へと姿を消した。足音一つ立てない、気配もないそれがしばらく過ぎてから、近藤がふぅと息を吐き出す。

(ったく、わかっててやってるのかねぇ)
 先ほどまであった温もりに手を伸ばす。

(葉桜君が戦い続けているのに、俺が逃げるワケにはいかないじゃないか)
 いつだって一人ですべてを抱えている彼女をひとりにはできない。その約束はまだ生きているはずだ。だとすれば、自分のとる道はひとつしかない。

 各々の決意を受け止め、靄はゆっくりと晴れてゆく。その先に何が待っているのか。それは、まだ誰にもわからない。



あとがき

6-旧幕府軍


あれ?宇都宮城は?…まだです。
ストーリーをなぞったら、土方の名台詞出てきちゃって、これは外せないなぁ、と。
すいません、1話しか終わりませんでした。
近藤さんの出番は何時だろう…。
次こそは本戦です。たぶん(?
(2007/2/14 09:09:12)


7-宇都宮戦


戦争は難しいですね。
書けない…。
私の文章力じゃ書けない…。
今更ながら、この話は無謀だったかなぁ。
て、ここまで書いておいて本当に今更ですね。
次回でやっと近藤さんの話に戻ります。
長くてすいません。
(2007/2/20 14:12:02)


8-処刑場


趣味に走ってごめんなさい。
長いので、さらに半分に分けました。
なっがい章になってしまいましたー。
(2007/02/28 10:33:31)


9-約束


うーん、いろいろとね、問題はあるような気がします。
別のゲームやってて、かつ同じ声優さんだとキャラに確実に影響が。
いや、それ以上にこれで展開が確実に予測不能に。
もしかすると、しばらく間が開くかもしれませんし(仕事の都合もありますが)、
ぱぱっと安易に終わるかも。
え、安易じゃないことの方が多い?
うーん。「お約束」好きなんで、そればっかりは…。
てゆーか流石にこの後の章はどうすればいいのかさっぱりです。
(2007/02/28 10:31:48)