幕末恋風記>> 本編>> (慶応四年皐月頃) 19章-開眼

書名:幕末恋風記
章名:本編

話名:(慶応四年皐月頃) 19章-開眼


作:ひまうさ
公開日(更新日):2007.3.6
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:4371 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 3 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
揺らぎの葉(148)

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p.1

(沖田視点)



 彼女が近藤さんを助け、姿を隠してからもう一月が経とうとしていた。桜も見頃を僅かに過ぎ、青々とした若葉を薄紅の狭間に揺らし始めている。だけど、彼女ーー葉桜さんが僕たちの元へ戻ってくる気配はない。

 ひゅっと腕を振るう。風を切る音は彼女とともに戦っていた頃よりも劣ってはいるが、確実に力を取り戻しつつある。治る病ではないのだと、葉桜さんの起こした奇跡だと松本先生は笑っていた。預けられた守り刀はまだ僕の手元にある。

 目を閉じれば、目の前にあの頃の葉桜さんの姿が思い浮かべられる。軽く微笑んで余裕を見せた構えが特徴で、これまでに一度も真剣に剣を交わしてくれたことはない。構えている間は本気ではないのだと、構えがないのが彼女流なのだと。そう言ったのは葉桜さん本人で。打ち負けて道場の床に倒れ込んだ僕をまだまだだと楽しそうに笑って、小さいな子供にするみたいに頭を軽く叩いてくれた。

「賭をしようか」
 楽しそうに笑って提案してきた約束を、葉桜さんは覚えているだろうか。

「二人ともが最後まで生き抜いたら真剣な仕合をしてやろう」
 守り刀を預けてくれるときに交わした二人だけの約束だ。誰にも言ったことはない。

「そのときに総司が私を越えられたら、私の時間をあげよう」
 甘いけれど甘くない囁きに笑いを含め、だけど瞳だけが深く沈んでいたことを覚えている。

「…それは僕が勝ったら、葉桜さんは僕を選んでくれるってことですか?」
 求婚の意味にしか取りようのないそれは冗談にしか聞こえなかった。だって、そのときの僕はもう自分の死期を感じていたのだから。

「どうかな?」
「どうかなって、」
「あー、それでもいいけれど、もっと良いものをあげられる」
 言っている意味は要領を得なくて、とても良いものだと繰り返すだけの葉桜さんを僕は不思議そうに見つめる以外になかった。

「総司にとってとても必要なものだよ」
 答えはくれなかったけれど、僕にとって必要なものはひとつしか思い浮かばなかった。葉桜さんが一緒にいてくれること、それだけだ。

「もうすっかり良いんだな、総司」
 急にかけられた声に動揺を押し隠して顧みる。近藤さんの視線に気がつけなかったのは、考え事をしていたせいだろうか。視界に納めた姿はもうすっかり以前の通りで、落ち着きを取り戻している。

「おはようございます、近藤さん」
 葉桜さんが姿を消して、一番動揺していたのは近藤さんだった。表には出さないものの、よく知るものには明らかな落胆が見て取れる。

「久々に一本やるかい?」
「また松本先生に怒られますよ」
 近藤さんの肩は完治する前に無理をしすぎたせいだろう。なかなか全快とまではなっていない。

「大丈夫だって~、もうすっかり良いんだからさぁ」
 心配しすぎだぜと呟いているが、本人が一番よくわかっているだろう。それでも早く早くと急かすのは。

「…これ以上合流するのに遅れたら、あとで葉桜君にどんなことを言われるか…」
 文句を言われるとぼやいてはいるが、それ以上に会いたいという気持ちの方が大きいはずだ。

 僕がいない間に二人の間に何があったのかというのは聞いていない。だけど、空気でわかるのは葉桜さんが近藤さんを深く受け入れていると言うことだ。僕や山崎さんを呼び寄せてでも、どんな手を使っても助けたいのだと。再会したところで耳にしたのは初めて聞く告白だった。

 僕がいない間に二人の間に何があったのかは知らない。だけど、何故と疑問が浮かぶ。葉桜さんは近藤さんが既に既婚者だということを知っているはずだ。知っていて、それを壊すような真似をするとは到底思えなかった。何か事情があるのだと、信じたかった。

「案外、葉桜さんは寄り道しているかもしれませんよ」
「それはそれでありそうだね」
 というか、一人で動いて彼女がすんなりと目的地につけるのかと問われると困る。京の町に住んでいてもさんざん迷っていたのだから。

「よく、板橋まで来られたな…」
 それだけ真剣だったということだ。それだけの真剣さを持っているということで葉桜さんの近藤さんに対する想いの深さが見えてしまう気がして、僕はもう一度思い切りよく剣を振るった。

 空気を切り裂く音もたたない。それを見て、もう一度近藤さんが言う。

「剣を使わない稽古ならどうだい?」
 大きく吹いた風に目を閉じることなく僕を見る近藤さんは、あのときの葉桜さんと同じ目をしていた。顔は笑っているのに深く寂しい色を忍ばせていた。

 ゆらりと近藤さんが立ち上がる。ただそれだけなのに、びりびりと体中が震え出す。しばらく稽古をしていないとはいっても、流石だ。その気合いだけで僕は一歩も動けない。空気が重くなるなんて、初めてだ。

 この人は、とても強い。知っていたはずなのに、不意にかけられた圧力で指先一つ動かせない。揺らぐ意識を押さえつけ、しっかりとその姿を見つめる。何かをしているわけじゃない。剣一つもっているわけもない。だけど、その気合だけで動けなくなる。葉桜さんの数倍強い、と。知っていたはずなのに、忘れていた自分を呪いたい。

「葉桜君はおそらく俺よりももっと上だぜ」
 不意にいわれる言葉も耳に入らない。

「どれでもないというのはおそらくどれでもあると同意だ。葉桜君はありとあらゆる流派を修めていると考えた方が良い」
 それでも倒れないのは、倒れられないのは手加減されているせいだと感じた。

「勝ちたいなら、死ぬ気で行くしかない」
 急に空気が軽くなり、倒れる僕を近藤さんが抱き留める。

「…どうして、僕にそれを…?」
 滝のように流れてゆく汗を子供の頃のように袖で拭われ、あの頃と同じ目で笑われる。

「どうしてだろうな」
 俺にもわからないと呟いている近藤さんはやはり、葉桜さんと同じで。とても、遠い。

「きっと、総司になら…。いや、総司にしか止められないからかもしれない」
 ひどく疲れてしまって、まぶたが重い。聞かなければいけないと思うのに、起きていられない。あの、山南さんと葉桜さんの話を盗み聞きしていたときとひどく似ている。

「…俺には止められない…」
 弱々しい声だけが、聞こえた。近藤さんらしくもない、弱音だけが。

「…葉桜君を、救ってくれ…」
 彼女を包み込む闇の中から助けてくれと。らしくない言葉だけを抱えて、僕は意識を手放した。



p.2

(近藤視点)



 無理をさせすぎだと松本先生にこっぴどく説教されてしまった。気絶してしまった総司はそのまま熱を出して寝込んでいる。いくら元気に見えても総司は長く労咳を患っていたのだ。すぐにもとのようになるわけじゃないとわかっていたのに、焦ってしまった。

 外来の診療部屋から総司の眠っている離れの部屋までの廊下をゆっくりと歩きながら、物思いにふける。手には小さな小さな白丁花が一輪と手紙が一通。俺たちに宛てられたそれに差出人は書いてないけれど、おそらく葉桜君からだろう。どこでどうしているのかはわからないが、どうやら試衛館に寄ってくれたらしい。

 元気でやっていてくれるなら、それ以上を望むのは欲張りかなと苦笑がこぼれた。逢いたい、抱きたい、と。そう口にすることを許してはくれない。一度諦めてしまった俺を彼女は決して許してくれないだろう。だけど、何もしなくてもきっと会えると自惚れても良いだろうか。君が俺を求めてくれているのだと。

 何度隣で眠ることを許してくれても、それ以上触れることは出来なかった。だけど、見えない何かが繋げてくれている気がする。体の繋がりなんかじゃなくて、不確かなのにとても確信できてしまう繋がりがある。

「愛しい人、か」
 その感情は恋心とは別物だ。ただ、愛しい。そばにいて、安らげる人。それが、葉桜君にとっての俺らしい。何度か耳にしたのは彼女を育てた父親に「似ている」のだということだ。姿形でなく、空気がと。聞くたびに不安になるとわかっていて言ってくれているようだった。

 くるくると指先で小さな花を弄びながら総司の眠っている部屋の前に立つ。

「総司、起きてるか~?」
 襖を開けると、ぴりりと僅かな緊張が空気を振るわせる。ったく、あいつは本当に剣が好きなんだなと空の布団を越えて、縁側から庭へと足を向けた。

(おいおい…)
 教本のようにピシリと真剣を構えている姿に苦笑いが零れる。どうやら、俺の声は耳にも入っていないらしい。たいした集中力だ。

 縁側で胡座をかいてしばらくの間、その姿を眺める。試衛館にいた頃とは違って、総司はずいぶんと成長した。それもこれもどうやら葉桜君が絡んでいるらしい。

「僕は葉桜さんが好きです」
 彼女がいなくなった日、まっすぐに言われた姿はもう立派な青年で。いつまでも子供だと思っていたのに、いつのまにかしっかりと成長していた。

「…俺もだよ」
 苦笑いと共に返すと、すぐに不満そうな顔をする。そういうところはまだまだ子供だ。

 真っ青な春空の下に立つ総司は、やはりどこか変わったように見える。空気だろうか。以前のような無邪気さが完全になくなったわけじゃない。だけど、落ち着いた立ち姿はやはりもう大人なのだと実感する。試衛館を出て五年。大人になるには十分だ。

「総司、葉桜君から手紙が届いたよ」
 ぴくり、と剣先がわずかに震える。

「…葉桜、さん…?」
「ああ、元気にしているみたいだ、」
 総司が構えを解いて、手を降ろす。それが妙にゆっくりと過ぎる。どうして、気がつかなかったのか。

「…総司…」
「…やっと、手に入れました」
 慌てて庭へ飛び降り、揺らぐ姿を支える。総司は、何も、持っていなかった。

「これなら、きっと傷つけずに勝てます」
 気がつかなかった。何も持っていなかったなんて。

 意識を失った総司を布団へ寝かせる。熱が上がってまた魘されている様子からは、さっきのことがまるで想像できない。夢現のこととはいえ、なんて才能だ。なんて…男を育てちまったんだ、俺は。

「こりゃ、俺もうかうかしてられねぇな~」
 部屋を出て、松本先生のいる外来部屋へと足を向ける。もうほとんど怪我の状態は良く、先日軽く交わした総司との稽古じゃ、ほとんど支障はなかった。これ以上ここにいても体が鈍るだけだし、何よりも早く調子を取り戻して、葉桜君と再会するために。彼女の力となるために。

「松本先生、ちょっと良いですか?」
 開けた障子の向こうで、松本先生は目を細めて笑った。言いたいことはわかってくれているようだ。

「実はーー」
 すぐに追いつくさ。俺は葉桜君と一緒にいてやることぐらいしかできないけど、それで少しでも安らいでくれるなら構わない。

 だから、さ。もう少しだけ君を追いかけ続けることを許してほしい。すべてを見届けたら、きっと約束を守ると誓うから。

あとがき

久々に沖田で書きました。
でも、なんだか近藤さんメインに見えます。
開眼のイベントは最初に行き着いたエンドだったんですよね~。
狙っていなかったのに、適当やってたらころりと。
気が合ったんだろうなぁ、たぶん。
好きなタイプとは違うんですけどね。
時間がこの辺り前後しているんですよね~。
というわけで、こっちの章を先にしました。
近藤さんの斬首が弥生で、沖田の病死が閏卯月で、上野戦争が皐月ですよね?
んーと、真相はゲームを自力でやってみて確かめてください(コラ。
(2007/03/06 23:34:50)