触れるな、彼女に触レルナ
「春霞」
静かにその名を呼ぶ。凍りつくような顔で錆びた機械人形みたいにギチギチと音を立てそうな勢いで彼女たちは振り返った。
「珪!」
輪の中で、彼女が凛とした声で笑顔で俺を呼ぶ。
「…葉月、くん」
震える声で誰かが呼んでいるけど、春霞の左腕だけを引く。細い腕を折ってしまいそうなくらい強く握る。強く、引く。
「じゃぁね」
残される彼女たちに言葉を残す春霞に、何故かイライラした。
俺以外の誰も、見ないで。誰も必要としないで。誰も、心に住まわせるな。
数歩歩いて、春霞が足を止めようとするのを無理やり引っ張る。小走りになっている足音に、少し歩調を緩める。そうすると、ようやく周りが見えてくる。
何、してるんだ。俺。
「珪、止まってってば!痛い!!」
か細い悲鳴にようやく足を止める。
何、してるんだ。俺。
「腕、痛い…っ」
「あぁ」
目を細める様が、少し仔猫みたいで可愛いと思った。
ここはいつもの撮影所だ。春霞は先日二人で買いに行った淡いピンクの服を着ていて、やっぱりよく似合っている。
「さっきは…」
なにか言い出そうとしているのに、音が急に聞こえなくなる。おまえの声がやけに遠く、鮮やかな唇にこころ奪われる。いつもより艶やかな口唇、いつもより白い顔。かすかに紅潮した頬。
「悪い」
寒さでそうなっているのはわかるけど、それが誘っているようで直視すると危険だ。襲って、しまいたくなる。
「なんで珪が謝るの。悪いのはあの子達だもん、珪は全然悪くないよ」
伸ばした腕で俺の両腕を掴んで、下から顔をのぞき込んでくる。
「それに珪は人気あるから、皆、大好きだから。だから、つい見えなくなっちゃうんだよね。大切なこと」
下から覗きこむのはやめろって、言っておいたのに。どうしていつもやるんだ、こいつ。わかってないだろ。
「わからなくもないけどね。でも、それってやっぱり違うとおもうの。好きだからって、何をしてもいいってわけじゃない。珪から全部取り去ろうだなんて、あたしは許さない」
強い視線が身体中に鎖を掛けて、俺をおまえから離れられなくさせる。
「俺…勝手なこと、したな」
「だから、ありがとうって! まだ言い足りないこといっぱいだけど、ちょっと歯止めきかなくなってたから助かったわ。珪が来てくれなかったら、あたし、彼女たちを傷つけちゃうところだったから」
そういう春霞の方がすごく傷ついた顔をして、視線を逸らす。
助ける?なんのことだ?
俺が楽しそうなお前を勝手に連れ出して、怒っているかと思ったのに。
「いつかあるとは思ったけど、すごいねー。あのパワーはあたしも見習わないと」
そういえば、さっきから何か言っていたような気がするけど。
「まぁあたしなら徒党組んでないで、タイマンで呼び出すけど!」
そういって抱きついてくる体を抱き止めて、ようやく理解する。
呼び出されてたのか、こいつ。しかも原因が俺。さっきのやつらが、雑誌とかの俺を見て騒いでる勝手なヤツで、こいつは俺のありのままを受けとめてくれる…彼女。
「あ!珪、撮影中じゃないの?」
「時間来ても、春霞が来ないから待ってた。お前、そうやって…」
「待たないで始めてよ。もうカメラさんとかに迷惑かけちゃっ」
また見上げてくる唇に耐えきれなくなって、俺のを重ねる。
春霞の隠している震えが伝わってくる。
いつも巧妙に隠してはいるけれど、強くて弱いカノジョはこの腕の中でだけその鎧を外す。うれしくもあるけれど、少し哀しい。
「ごめんな。もう、大丈夫だ」
耳元で囁くと、涙が溢れ出す。真珠の光が零れ落ちるのがもったいなくて、それを掬いとる。
「もう大丈夫だから」
今一度、口唇を重ね合う。深く彼女の不安までも俺が吸いこんであげられたらいいのに。春霞は全部自分でどうにかできてしまう。それは、すこし哀しい。
「…珪」
震える腕で押し返そうとするのをもう一度、抱きしめる。強がろうとしているのは知ってる。でも、たまには俺も支えてやりたい。
「次からは、俺に言えよ」
春霞は頷かない。頭を押さえこんで、腕の中で震えつづける身体を宥める。
「言えよ」
「言わない」
こんな時まで意地を張らないで、大人しく頷かない。昔のまま、まっすぐな春霞。
どうして、そのままでいられるんだろうな。
あっさりこの腕で大人しくしていてくれるなら、どんなにか俺は安心していられだろう。
穏やかな午後の陽射しをその身にもっているのに、凍てつく刃も隠し持つ。
「珪がおもうほど、あたしは弱くないから。大丈夫、だから」
ね?と微笑む春霞は、俺の腕の中で静かに女神のように微笑んでいた。
その光が輝きだけが、俺を狂わせる。永遠の俺だけの白き薔薇=。
あのホワイトローズは春霞。
どこまでも白く、汚れることを知らない。
その輝きは、男心を狂わせるーー。