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書名:幕末恋風記
章名:他

話名:若葉の候


作:ひまうさ
公開日(更新日):2007.5.30 (2007.7.4)
状態:公開
ページ数:3 頁
文字数:6575 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 5 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
「揺らぎの葉」以前の話

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p.1

 徳川幕府にはその創始より祈りの巫女があった。古くは邪馬台国のころから存在していたという神卸しの巫女がその源流とされている。巫女は祈りによって家康公の望みを願い続けてきたといい、亡くなってからも家康公を奉る日光東照宮でその役目を代々続けてきた。祈りは願い。平和を願う巫女の正常な祈りは、徳川幕府へ長い治世をもたらした。

 ここにもう一つの歴史がある。表舞台では決して語られることはないが、家康公には一人の白拍子が仕えていた。彼女もまた古くから神通力を身につけ、その舞で龍神を操ることもできれば、霊魂を導くこともできた一族が一人だった。彼女は徳川の御代となる以前から彼に仕え、家康公に降りかかる全ての厄災を避ける役目を負っていたが、彼が亡くなってからは姿を隠したと伝えられている。

 徳川幕府はその白拍子の功を讃えると共に永く幕府を守り続けるためと、国中の巫女の中から特に舞に優れた者を選び、影の巫女としての役目を与えた。

 物心が付いたときにはもう私にはその役目があった。母上が幕府の影の巫女というのをやっていたというのが理由としては大きい。巫女の力は女へと受け継がれやすく、そしてまた、私の神通力というのが見る人が見れば相当の容量があるらしいというのも主な理由だ。

 舞の稽古は嫌いではなかったけど、そう好きというわけでもなかった。役目としての必須条件だったからやっていただけだ。教えてくれていた母上はもうそばにいなくて、教わったことだけをただ繰り返すだけの毎日。稽古の間は誰にも見せてはならず、ただ秘して伝えられるこれを一人で続けるにはもう心を閉じる以外の方法を保たなかった。

「葉桜様」
 使いの者が来て、駕籠で知らない場所まで運ばれて、指定された場所で舞って。そうして、世に出てきてしまいそうな邪なものを鎮めるのが私の役目だ。本当なら昇華させることもできるのだろうけれど、未完成の私の舞ではそうするだけで精一杯だった。

 いつものように駕籠に揺られて、遠くへと運ばれる。どこを曲がったとか、どこの道が急だったとか。篭屋さんはいつも元気だなーなんて考えることも出来ないぐらい、私はもう限界だった。

 人としても、巫女としても中途半端。何も、できない。落ち込んで、自分の膝を抱えて、目をつむる。その時だけが休息。

(死んでしまいたい)
 もとよりこの世界がどうなっても、この時代がどうなっても関心はなかった。徳川家のためといわれても忠義の心のない私には無意味で。偉い人が自分を役目から降ろしてくれるのなら、大歓迎したいくらいだ。処刑でも何でもされてもいい。そう思っても言葉には出来なくて、表情一つ作れない私はただの人形のように見られるだけだった。

(消えてしまいたい)
 がたん、と駕籠が乱暴に落ちて思考が中断される。

「乱暴はしないでくださいよ、大切な姫様ですから」
 駕籠の外から聞こえてくるのは楽しそうな付き人の声だ。ということは彼が裏切ったということでない限り、安全であるのは確かだから、心配することはないだろう。

「あいつの娘、ねぇ。の割には供はオメーだけか」
 ばさりと、駕籠を開けられる。そこには見たこともない大きな人がいた。私の周りにこんなに大きい人はいない。身体がとかじゃなく、存在が大きい。そして、目はとても優しい。父上に似ている気がするけど、違う。父上はこんな風な優しい目で私を見ない。

 男の伸ばす手に、何故か自然と自分も身体を寄せていた。

「お」
「え?」
 軽々と抱え上げられた腕はとても強く、深い緑の匂いを身にまとっている。

「俺が怖くはないか」
 問いかけられ、深く頷く。そう、自分に害を為す人かどうかはわからないけれど、何故か強く惹かれた。

「父上に似てます」
 彼と付き人は一瞬目を丸くし、同時に笑い出す。

「あは、さすがは葉桜様ですね」
「似てるなんて一度も言われたことねぇのに、わかるのか? すっげーな」
「…でも、父上より…」
 小さく呟いた言葉に男は尚も笑った。聞いていない付き人が戸惑う。が、何かを察知したのか、大きく頷いた。

「この方はお父上の弟君にあらせられ…」
「なあ、おまえ、俺の娘にならねえか?」
 唐突なその言葉に、私は何故か自然と頷いていた。

「え、葉桜様!?」
 何故と詰め寄られ、何故だろうと首をかしげる。

「わかりません」
「わからないのに、そうホイホイ頷いちゃダメですよっ」
「そうかー、あとでうちのかあちゃんにも聞いてくるな~」
「ちょ、貴男まで何言ってんですか。そんなもの却下です、却下。葉桜様にはちゃんとしたお父上が」
 ちゃんとした、と言われて自然と顔がこわばる。ちゃんとした父上は一季節に一度会いに来れば良い方だといわれるぐらいに疎遠だ。それも、大抵仕事がらみで、まともに自分をみてくれたことは一度もない。

「父様」
 ぎゅっと男の身体に腕を回す。全然知らない人のはずなのに、安心してしまう。

「おー可愛いなー葉桜は」
「…いや、たしかにちょっとぐらいは貴男の行動は予想してましたよ。でも、まさか葉桜様までというのは…」
「よし、んじゃさっそく紹介しねえとな」
 ぶつくさ言っている付き人を置いて、父様が歩き出す。流れ込んでくる温かさが心地よい。母上といるみたいだ。彼はすぐ近くの道場の門をくぐった。

「…あったかい」
「ん? ああ、今日は風も強いから」
「父様…生きてる…」
「……たりめぇだ」
 きゅっと抱きしめると、ぎゅっと抱きしめ返される。そんな当たり前の愛情を忘れかけていた。死んでしまった母上以外、してくれなかった。

「お二人とも置いていかないでくださいよ~」
 付き人が追いついてきたとたんに、父様はなんの前触れもなく葉桜を高く上げた。

「わ、わ、わ、」
「ははは、オメーも温かいぜ、葉桜」
「わーっ、ちょ、何やってんですか!!」
 ちっと舌打ちした父様が元のように私を抱えなおす。そして、不意に私の頬をうにーと引っ張る。

「…こりゃ重症だ」
「?」
「でしょう? 先代が亡くなられてからはずっとこの調子で、元は良く笑うとーっても可愛い姫君なんですよ。って何してんですか姫様の顔が伸びたらどうなさるおつもりですか。というか葉桜様も黙ってないで何か言ってくださいっ」
「とうひゃま」
「おうよ」
「とうひゃま」
「どした」
 ぎゅっとしがみつこうとしたけれど、頬をつままれているせいか届かなくてじたじたする。それから、父様が笑い出した。

「ははは、泣くな泣くな。そんなんじゃ、これから俺の娘をやるのは大変だぞ~」
 どうやら泣き出してしまいそうだったらしい。慌てて、きゅっと表情を引き締める。

「よしよし」
「たしかに気が合うだろうな~と思って引き合わせましたけどね。だからって俺を無視して親子の情を深めなくてもいいじゃないですか。ってか無視しないでください」
「なんだ、オメーもうちの子になりてえのか。だけど、男はもういらねえんだよな。あいつ、すぐ拗ねるし」
「子供…」
「ああ、葉桜より二つ下のガキがいるんだ」
「……」
「んな顔しなくても、オメーはもううちの子だ」
「……父様」
 きゅともう一度しがみつく。しっかりと力強く抱き返される。

「だーかーらー、俺を無視して、情を深めないでくださいっ」
 べりっと父様から引きはがされて、付き人へ抱えられるが、父様の方へとじたじたと手を伸ばす。

「父様」
「う~…そんなにこの方がいいんですか、葉桜様?」
「ん」
「…俺に慣れてくれるまで時間かかったのに、なんでこの人はこう…」
「ほら、返せ」
「あ…父様」
 きゅっと。ぎゅっと。

「俺のはいる余地ない?」
「ねえな」「ない」
「口を揃えないでください。あーもうじゃあ帰る頃にむかえにきますからよろしくお願いします」
「?」
 背を向ける付き人に無意識に手が伸びる。

「おーい」
 振り返った彼の嬉しそうな顔に、思わず伸ばしていた腕をひこうかどうか迷った。

「ああ、葉桜様っ、大丈夫ですよ。ちゃんとお迎えに参りますから、どうか良い子にしていてくださいね」
 まくし立てる彼に言えたのは結局一言だけで。

「…どこ行くの」
「ちょっとした野暮用なんです。こう見えて俺もお年頃で…って本気にしないでくださいよ。俺はいつでも葉桜様一筋ですからねっ」
 きいてないことまで。

「えへへ、それじゃいってきます~」
 残された私はきゅっと父様にしがみつく。彼もまた、ぎゅっと抱きかえしてくれる。そんななんでもない普通のことが嬉しい。

「さて、んじゃ行くか」
 そうして、案内された部屋には母様というひとがいた。彼女は自己紹介した私を目を潤ませて見つめ、それからぎゅっと抱きしめてくれた。

「かわいい…っ」
「だろ~、あいつ、ぜってぇ恥ずかしがってるだけだって」
 それは違う、と首をふる。だけど、二人は聞いてくれない。

「父様、父様、」
「かわいい~っ、ね、私のことも母様って呼んで」
「…母様?」
「か、かわいい~っ、いやん~、こんな子が欲しかったの~」
 小首をかしげて問うと、思いっきり抱きしめられた。母上とは違う、生が満ちあふれたこの場所で、何かが始まったのだとわかった。



p.2

 いつからだったのか、よく覚えていない。だけど、父様と出会ってからも私の帰る場所はお城だった。それは付き人の彼たっての願いでもあったけど、私自身も何故か離れてはいけないという気がしていたからだ。巫女の勘だと言えれば良いのだけど、私の巫女としての素質はほとんどないに等しく、先代の母上に比べずとも明らかに劣っていた。神気に限って言えば、かつて無いほど清浄なのだと宮の奥の偉い人に言われたけど、私自身にはよくわからない。わかるのは、自分が今までのどの巫女よりも役立たずだというぐらいだ。

 だが、そんな巫女でもいなければ困るのだと言う。表の巫女と違い、影の巫女は容易に継げるものではない。素質が必要なのだと聞いた。もっともそれを言った人も私を見つめて、深いため息をついたのだけど。

「それほどの神気をお持ちなら、まず間違いなく出来るはずの術ですよ」
 なんどため息をつかれても、私は術の一つも満足に使えない。最初は申し訳ないと思っていたが、何年も何年も同じ事を繰り返されると何とも思わなくなるようになった。

 縁側に座って、地面に届かない足をぶらぶらと遊ばせながら、父様と子供の稽古を見ているのは、楽しいけれどつまらない。父様が遊んでいるのはわかる。だけど、一緒に楽しみたいというのが本音で。それを言うには勇気が必要だったのだけど、私には言うことが出来なかった。

「えいっ! やぁっ!」
「お、なかなか様になってきたな」
 誰かの笑顔が欲しいなんて、考えたこともなかった。独り占めしたいなんて、思ったこともなかったのに、父様に限っては別だった。それは父上に似ていたからなのか、それとも単に馬が合うということだけだったのかわからない。ただ、気がついたら父様が大好きだった。

 子供が疲れ果て、肩で息をしているところでぴょんと縁側から飛び降り、その手から木刀を奪い取る。

「やる」
「え、ええ!?」
 初めて持ったその得物はとても重くて、両手で持っているのもやっとだった。だけど、よろよろとふらつきながらも持ったそれを無理には持ち上げずに、父様と初めて対峙する。剣の前の父様はいつもと違う目をしていて、ぞくぞくとした不思議な感覚が心地良い。

「葉桜、遊びなら別なことにしようぜ」
「や。これが、いい」
 深く息を吐いた父様が真剣に私に向かって構える。

「一度だけだ。よけれたら、教えてやる」
 こくんと深く頷く私の目の前で、急に父様が知らない人に変わった。同時に自分の中に今までになかった感情が顔を出してくる。なんだろう、この感情は。初めて、だ。ドキドキして、心臓が破裂しそうだ。真っ直ぐに向けられる剣先もその視線も感覚の全てが自分に向かっているのがわかる。

 ふいに父様が口元を弛める。楽しそうな、その顔につられて、葉桜も初めてその感情をあらわにする。

「父様」
 甘く、囁くように、呼ぶ。対して、父様はただ深く頷いた。それでいいと言われている気がして、葉桜は重い木刀を両手で持ちながら、舞を舞う時と同じに軽やかに地を蹴った。

「はぁぁぁぁっ!!」
 舞の稽古の成果なのか、それとも生来の資質なのか。それだけで葉桜の体は父様を見下ろす位置まで飛び上がった。後は、木刀と自分の重さで落ちるだけだ。

「…甘ぇな」
 なにがそうさせたのか。頭で考えるよりも先に体が回転して、向けられた父様の木刀を蹴るようにして、後方へと落ちる。旋風で踊る木の葉のようにくるりと回転し、ころりと転がる。

「痛ーっ」
 その上に落ちる影に顔をあげると、父様はいつもよりも嬉しそうに笑っていた。

「見事だ、葉桜」
 差し出された腕に縋ると抱き上げられて、ぐるりと世界が回った後にはその大きな胸の温かさに包まれている。

「どうして先に剣ができると言わねぇ! そうしたら、もっといっぱい遊べるだろーがっ」
「と、父様…っ」
 そんなことを言われても剣を持ったのはさっきが初めてだ。ぐりぐりと後頭を撫で回す父様から逃げながら、それを伝える。

「私、舞しか、してない」
「剣舞か? そうか、大陸の舞なら、剣に通じてるからなぁ」
 ものすごい誤解をうけている気がする。

「私の舞、巫女のものだ、から。剣、使わない」
「そうなのか?」
 こくりと頷くと父様は少し逡巡したもの、次には私を高く抱き上げていた。

「わ」
「まあなんでもいいか」
「父様?」
「初めて、葉桜の顔が見えたからな」
 よく言っている意味が分からなくて。戸惑う私をまだ父様は嬉しそうに見つめている。

「剣を握っているときのおまえは、最っ高にイイ顔してたぜ」
 このときの私は自分に表情がないのだということにも気がつけなくて、だからこれほどに父様が喜んでいる意味がわからなかった。

 ちなみに、この後で父様は母様に思いっきり怒られた。だけど、またやろうって言ってくれた父様の顔は一生忘れない。私の大好きな、父様の笑顔。



p.3

 剣を習い始めて数日経った頃だろうか。いつもの魂鎮めを舞っているとき、偶然父様が現れた。ただそれだけで、私は集中を乱してしまった。

「葉桜か」
「…っ」
 人に見られてはならない技だからとかそんなんじゃなくて、こうして人形のようにただ舞うだけの自分を父様にだけは見られたくなかった。父様と出会う前となんら変わらない、私。ただ、舞を舞うだけの人形のような自分。

 乱れた気から邪な気が抜け出そうともがく。

(駄目。落ち着いて)
 一度乱れた気を戻すにはまだ、私は幼すぎた。揺らぐ感情の隙を突いて、ソレが結界の範囲から逃げ出す。その向かう先は。

「い…いやぁぁぁっ!!」
 自分だけに見える幻視に身体中を恐怖が駆け抜けてゆく。やっと見つけた自分の居場所を己の手で壊してしまう恐怖に、感情が弾けた。

 人はそれを才能と呼ぶのか。何度稽古でやっても上手くはいかなかったのに、とっさに抜いた懐剣を振りかざし、私は躊躇いなくそれに突き立てていた。懐剣は普段から持ち歩いている守り刀で、それを持っていること自体に意味があると言われたことはあるがさっぱりわからなかった。ただ、想いはただ一つ。父様を無くしたくない一心だった。

「ゥオオオォォオオォオオオオオオオオオ!!!」
 断末魔の叫びと共にソレが霧散する。いつものように消えるのとは違い、霧散しながら光に溶けてふわふわと天へと昇っていく。

「ハッ、ハッ、ハッ」
 ただ必死だった。父様がいなくなってしまうことだけが怖くて、ただそれだけだった。

「大丈夫か、葉桜!?」
 ソレに剣を突き刺したのと同じ部分が痛い。ズキズキと酷い痛みを伴い、眩暈までしてくる。父様が躊躇いなく私の帯を解いてゆく。そして、背中を見て、ぎょっと目をむいた後、強く強く、私を抱きしめた。

「ちっくしょ…っ、なんで…っっっ」
 父様の腕の中はとても温かくて、痛みの中なのに、なんだか私は嬉しかった。父様を守れたことが、ただ嬉しかった。

 この時の怪我はどれだけの時を経ても消えなくなった。刀で闇を払う代償なのだと気が付いたのは、もっとずっと後になってからだ。



あとがき

二次創作で書き始めたヒロインの過去話開始
これは…オリジナル、でいいのかな?それとも二次創作???
(2007/05/30 10:33:48)


ふと書いてて思ったんですけど…
ヒロインがどうしたってファザコンにしか見えませんね
単に実の親に愛されなかった分も愛してくれた養父に愛情が一直線なだけなんです
実親に抱きしめられない分、自分を愛してくれる人が大切で大好きで
実親が愛してくれない世界だから、根っこのトコで破壊衝動を持ってる
ただそれだけなんです


そろそろ芹沢を出そうか。それとも、付き人の話にしようか(悩
(2007/07/04 09:14:05)