幕末恋風記>> 他>> 若葉の候 - 傍若無人

書名:幕末恋風記
章名:他

話名:若葉の候 - 傍若無人


作:ひまうさ
公開日(更新日):2007.10.17
状態:公開
ページ数:2 頁
文字数:4811 文字
四百字詰原稿用紙換算枚数:約 4 枚
デフォルト名:榛野/葉桜
1)
「揺らぎの葉」以前の話
芹沢編

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p.1

 空を見上げるのがクセになったのはいつからだっただろうか。最初は父様の真似をしていただけだった。付き人だった男が「涙がこぼれないように」と言ったこともあった。

 だけど、どれだけの理由をつけても間違いなく自分はこの空を見るのが好きなのだと思う。

「ただいまーっ」
 初めて来たとき変わらず城住まいの葉桜だったが、それでも月日が流れる間に変化も多かった。駕籠で来ることが無くなり、付き人もいなくなり、一人で往来を歩くようになり、巫女装束を着なくなり。そして、腰には一振りの小太刀を携えていることが多くなった。

「おかえりなさい、葉桜」
 出迎えてくれる母様はいつも穏やかな笑顔を浮かべている人で、私はこの人が取り乱すのを見たことがない。

「道場が騒がしいようだけど、道場破りでも来てるのか?」
「ええ、そうみたい。おまんじゅう食べてからにする? 先に行ってくる?」
「父様は食べたのか?」
「まだよ」
「じゃあ、持っていく」
「お客様にお茶も出してちょうだい。今日は近づくなって言われてるの」
「ふ~ん、じゃあ強いのだな」
 にやりと微笑む私をただ黙って母様は見つめる。その優しい眼差しに幾度救われてきただろうか。

 用意されたお茶とお茶菓子を手に、軽い足取りで道場へ向かう。そして、中の様子が緊迫しているのに気が付きながら、勢いよく扉を開け放つ。

 そこにいる男の気配に心がざわめく。存在の大きさは父様に敵わないにしても、それなりだ。だが、葉桜が何よりも気になったのは、その影。

 刀を差している者なら誰しもひとつやふたつのそれを持っているだろう。だけど、彼の場合は違っていた。今にも取り憑き殺そうと隙を伺っている闇が一つや二つではない。

「誰だ」
 注意深く足を踏み出す。闇に足を取られないように近づく葉桜を彼は露骨に訝しんでいる。

「葉桜、止めておけ」
 もう少しというところで後ろから肩を引かれ、大きな腕に包まれていた。父様は普通の人間だけど、勘がよい。だから、わかっているのだろう。

「お茶を出すだけだ、父様」
「いいから、おまえは近づくな」
「ほぅ、貴様の娘か。似てないな」
 ぴくりと父様と同時に眉を顰める。ここでそういうことを言う者の方が少ない。むしろ、本当の親子と思っている者の方が多いぐらいだ。血の繋がりは多少あるが、やはり他人という事実は変わらない。

「それとも、小姓にそう呼ばせているだけ、か。どちらにしても酔狂な」
 投げた小刀が男の頬をかすめて、向こう側の壁に刺さった。普通は狼狽えるものだが、男は逆に興味深げに私を見る。

「違うのか?」
「当たり前だ!」
「なら、丁度良い」
 どかどかと目の前に歩いてくる男が真っ直ぐに父様と向かい合うのをじっと見上げる。

「こいつを俺にくれ」
「やだ」
 父様が答える前に言い、ぎゅっと頼れる体にしがみつく。父様はただ、笑って。

 私を差し出した。

「ああ、いいぜ」
「え、や、やだぁっ」
 じたばたする私を猫の子のようにつまみ上げる男は口の両端をつり上げて笑う。

「はっはっはっ、冗談だ。そこまで女に不自由してねぇよ」
「!」
 ほいと放り投げられ、体を回転させて、着地する。いつもならすぐに立ち上がれるのに。急に突き放されたことでうまくバランスが取れない。不格好に崩れ落ちたまま、父様を見上げる。

「なんだ、あんたなら構わねぇと思ったんだがな」
 どうしてと疑問と絶望が頭の中をぐるぐると回る私を、父様が軽々と抱き上げる。その頭をきゅっと抱きしめると、まだぎゅっと抱きしめ返してくれる。だけど、絶望が消えない。

「葉桜は外を知らねぇ。しばらくいるなら構ってやってくれ」
 そんなのいらないのに。父様さえいてくれれば、私は他の何もどうでもいいのに。

 ぎゅっとしがみつく葉桜の背をいつものように優しく叩いてくれる。

「さて、いつものいくか?」
「……」
「真剣勝負だ。何を使っても構わねぇぜ。やるか?」
 頷いて顔を上げる。大きな父様の手が頬を引っ張る。

「俺が悪かった。機嫌直して、相手してくれ」
「父様の馬鹿…っ」
「あーわかったわかった。あんたも茶ぁ飲んでいけや」
 腕から飛び降り、壁際へ真っ直ぐ向かっていき、一振りを手にして、もう一振りを父様に渡す。

 真剣勝負は葉桜の好きな遊びの一つだ。木刀でやるよりも真っ直ぐに向かってくる真剣な父様を独り占め出来る仕合は一番好きだ。

 低う唸るような声に振り返る。

「貴様、俺とは木刀っていったな?」
「おうよ」
「そのガキはなんだ?」
「俺の愛娘だ」
 刀を構える父様の前で、葉桜も下段に構える。剣を習い始めてから一度として父様は構えを教えてくれたことはない。そして、葉桜も教わったことはない。ただ見て覚えた。

「行くよ、父様」
 最初とおなじに深く頷くのを見て、自然と浮かぶ笑顔。地を一蹴りし、真っ直ぐに突進する葉桜の剣を片手で軽々と父様は受け止める。

「鍔迫り合いはよせよ。すぐに終わっちまう」
 わかっているから葉桜はそのまま止まることなく、剣戟を繰り返した。

 剣を交わしているときは抱かれているときよりも父様が近くにいる気がする。次に何をしようとしているのか、すべてが見えるし、他の何も見えなくなる。聞こえなくなる。

 息遣い、空を切る刃の音、かすかな動作が生む風の道。舞を舞う時のように世界の全てが凝縮されている気がして、自然と笑顔になる。

「っ!」
 不意に父様が剣に向かって手を伸ばす。切ってしまわないように軌道をずらしたところで来る一凪を、宙に浮いて交わし。父様に向かう軌跡に地を蹴って、光を払った。

 道場へ響き渡る高い金属音を前に、葉桜は相手を睨みつける。体は、父様に抱えられている。

「そいつは、何だ?」
「葉桜をくれてやってもいいとは言ったが、傷を付けるというのなら別だ。こいつに余計な傷を増やすな」
 辺りに充満する殺気はいつもと違った。葉桜の隣にいるとき、父様はいつも殺気を抑えている。だけど、これは。

「…父様…」
「あんたを気に入っちゃいるが、葉桜を傷つけるというのなら容赦しねぇぜ」
 男はしばらく私たちを見つめた後、小さく笑って刀を収めた。

「俺は下村嗣司。面白そうだから、しばらくいてやるぜ」
「帰れ!」
「ふむ、そりゃあいい。遊んでもらえ、葉桜」
「え、ええぇぇぇぇっ」
「…ふっ、いいだろう。ただし、容赦しねぇからな」
 言い放つ男に父様はにやりと笑った。

「ただし、使うのは木刀だけだ。葉桜も気合い入れていけよ」
「父様…」
「こいつは強い。きっと楽しいぜ~」
 父様以外に興味なんて無かった。父様以外の気配なんて知りたくなかった。私の世界は父様がいれば十分で、他の何もいらなかった。

「世界は広いんだぜ、葉桜」
「……」
 だけど、それを口に出してしまったら何かが終わってしまう気がして、私は何も言えなかった。



p.2

(下村/芹沢視点)



 初対面だというのに睨みつけてくる子供を、初めて美しいと感じた。これまで遊郭で美人など見飽きるほど見ているのに、何故こんな年端もいかない子供に感嘆するのか。次の瞬間には自分を呪いたくなった。

 父親を呼ぶ甘い囁きには女が宿っている気がしてからかってやれば、すぐにむくれる。ただの子供だ。

 ひとつだけ不自然だったのは、その表情がほとんど変わらないことだ。父親に対しているときでさえも、まず変わらない。

 だが、変わった瞬間に目を離せなくなった。剣を持ち、まっすぐに相手を見据える瞳は純粋で一途。子供特有のものなのに、葉桜のは違った。

 欲しいといったのは冗談だった。だが、本気で育ててみたくなった。

 懐くまではひどく時間がかかった。二人でいても葉桜は怒ってばかりで、だが、剣を持って対峙するときだけが別で、真っ直ぐに向かってくる感情は心地いい。

「刀を持っている時だけ、葉桜は最高にいい女だぜ」
「だけってなんだよ!」
 笑顔を見せてくれるようになったのは、いつからだったか。噛みつくように叫ぶ葉桜の口を塞げるようになったのはいつからか。

 自分が女に溺れるコトなんてないと思っていた。

「…っ…嫌いだ、あんたなんか」
「奇遇だな。俺もガキは嫌いなんだ」
 子供のクセに、女みたいな色香に気づいたのはいつからだったか。あの目に囚われたのはいつからだったのか。

 だが、俺たちの関係は口吻以上進むことはなかった。葉桜が拒むのに俺は逆らえないほど、のめり込んでいた。

「下村はいつか出て行くだろう? そんな男に私はもったいない」
「だから一緒に来いと言っている」
「やだ、私は父様といたい」
「またそれか」
「話したはずだ。父様は私の世界の全て。ここを離れたら、」
 葉桜の言葉を継ぎながら、再び口付ける。

「生きていけない、か」
 甘い甘い囁きだけでも充分だった。その存在が、いじめたくなるほど愛しくて。攫おうとしたのも一度や二度ではない。

 交わす剣も、交わる吐息も、交わす口吻も。触れる手も、小さな体も、髪の一筋さえも。全てが俺を狂わせる。

「葉桜がほしいか?」
「ああ」
 彼の言葉に即答するほどに、俺は欲していた。葉桜がいれば、何でも出来ると思った。だが、彼はそれを許さなかった。

「玉造組を抜けろ。それが条件だ」
 どこでそれを知ったのか。男は俺の素性全てを調べ上げていた。時間はあった。だが、バレない自信はあったのだが、通用しないらしい。

「葉桜は誰よりも幸せを掴まなきゃならねぇ。だが、今のお前では無理だ」
 溺愛していることは最初からわかっていた。そして、その絆の深さを知っていたから、無理矢理に連れて行くことも出来なかった。そうしてしまえば、葉桜は羽根を切り落とされた鳥のようにすぐに死んでしまうだろう。今の輝きを失ってしまうだろう。

 それじゃ意味がない。今のままの葉桜がそばにいるのでなければ、意味がない。

「成功して、絶対に迎えに来る。そう、言っておいてくれ」
 別れの言葉も交わさずに出て行った。葉桜は、追いかけては来なかった。

 当然だ。あの二人の絆は親子の情を越えていて、恋人でもないのに互いがいなければ生きていけないと見えるほどだ。だから、葉桜が俺を追うはずはないんだ。

 数年後、風の便りで男が死んだことを知った。葉桜はどうしているだろうと思ったが、会いに行くことは出来なかった。俺はまだ何も叶えちゃいなかったし、葉桜を迎え入れられるほどの成功を持たないままだった。

 浴びるほどの酒を飲んでも、葉桜を忘れたことはなかった。抱く女もあいつの成長を思うように年を重ねていくように変わっていった。

 幾度会いたいと願っても、約束を果たせぬ間に逢うわけにはいかなかった。交わした相手が死んでいても、約束は消えない。次第に無理と思って人目でも逢いにいこうかと悩んだりしたが、今の俺をみて葉桜はなんと言うだろう。笑うだろうか。

「女に手を挙げるなんて、最っ低ー」
 酒を飲んで泥酔している耳に甘い囁きが聞こえる。逢うはずのない女の影に、俺はまだ恋い焦がれているのか。

「酒飲んで暴れるなんて、最低だよ。…こんな再会はしたくなかったな」
 うつろな目で見上げる女は、まっすぐに俺を射抜く。剣を交わしていた頃と変わらない真っ直ぐな愛しい瞳を引き寄せ、口付ける。

「っ!」
 噛まれた唇の痛さに驚いている間に昏倒させられ、気が付けば部屋で一人眠っていた。

 闇の中で身を起こし、喧噪で居場所を知る。俺を昏倒させるほどの力をもつ女はいない。だが、あのとき確かに成長した葉桜を見た気がした。男の格好をしていても、その存在を隠せるわけがない。あの温かな気配を忘れるわけがない。あの愛しい想いを消せるわけがない。

「…ちっ」
 何年もあっていないのに、ついさっき会った気がするほど、まだ溺れたままの自分に舌打ちする。このままじゃ今夜も眠れそうにない。

「おい、誰か酒を持ってこい!」
 部屋を出て叫ぶ。長い長い夜はまだ始まったばかりだ。



あとがき

長く続けるつもりだったんですが、芹沢視点で書いてみたらあっさり終わってしまいました
本編では出さなかった、ヒロインと芹沢の関係
ベッタベタですけど、恋人同士です
2章本編で葉桜が言っていたのは「成功して、迎えに来る」約束。すっげーベタですね
(2007/07/18 23:11:32)


趣味話でごめんなさい。しかもストックだ(書けよ
花柳剣士伝は評判良いみたいですね
OPのPVは何度も見ているんですが、庵さんがちょー気になる
でも、そっちをコンプしてから読んでくださった方が
前作をやりなおしてみようかなとか言ってくださるのはもっと嬉しいです
恋華布教活動ってわけじゃないですけど
(2007/10/17)