「来月、祝言を挙げるんです」
嬉しそうに言った小料理屋の娘のお膳立てをしたのは、私だった。だけど、まさか彼女に懸想している男が他にもいるなんて考えてもいなかったし、しかもそれが私自身の仲間内にいるなんて思いも寄らなかった。彼女はどこにでもいるようなごく普通の娘で、何かしらのきっかけがなければ、万人の目に止まるようなことだってない。私にとってはそういう普通なのがとても羨ましくて、彼女には絶対に幸せになってもらいたかった。だから、彼女からの祝言の報告はとても嬉しかった。直後に、原田が告白しているのを目撃しなければ、私はもっと喜べた。
「……葉桜さん~っ」
情けない顔で戻ってきた彼女が目の前にしゃがみ込んでしまったので、私は椅子に座ったままで彼女の頭に手を置き、撫でてやる。
「おかえり~、良かったねぇ」
「良くないですよ~、私、あんなに怖そうな人から告白されるなんて……」
「見た目は怖いけど、中身は悪いヤツじゃないよ」
「やっぱり、お知り合いなんですか」
私が苦笑していると、涙を浮かべたまま上目遣いに睨まれる。怖いというよりもそれはかなり可愛い。
「知り合いってか、仕事仲間」
少し考え込んだ後で娘がふぅと息を吐き出す。その仕草一つ一つが私にとっては可愛くて仕方がない。もしも生まれ変わるなら、力も剣の腕もなくていいから、彼女のように普通になりたいと願う。
「お仕事、今は新選組でしたっけ」
「そ。まあ、今日は非番だけどね~」
「なんでそんな怖そうな所にいるんですか」
「まあ、これも仕事、」
「いっつも、そうですよね。葉桜さんと会うときは、いっつも仕事だって」
どうみても私が遊んでいるようにしか見えないとふくれている彼女が仲間に呼ばれて、奥へ戻る。その間に私は他の従業員に代金を払って、店を出た。これ以上いると、またいつものお小言を言われるに決まっているのだ。
私が彼女と出会ったのは京へ来て直ぐだった。道に迷って入ったこの店で、案内してもらったのがきっかけで、何の特徴もない彼女がかえって、私には好ましく映った。
私はゆっくりと空を仰ぎ、町人に挨拶をしながら、のんびりと壬生寺へ向かう。途中すれちがった原田に、私は小さく謝っておいた。
片手に徳利を持ち、片手で杯を一つ持ったまま、私は足で勢いよくその部屋の障子を開けた。
「おーい、起きてる?」
空は既に暗く、宵の口と呼ばれる時刻の良い月夜だ。もちろん、私はその部屋の住人が起きていると予想してきている。案の定、行燈の薄暗い光の中、永倉、原田、藤堂はまだ起きていた。彼らの間にはすでに酒があるようだ。
「葉桜さん、静かにっ」
「土方さんに見つかったらやべェだろっ」
「問題ないよ。許可は取ってあるから」
私は輪に混ざって、原田と永倉の間にどかりと座り、持っている徳利から自分の杯へ注いで原田に差し出す。怪訝そうに私を見つめる原田に笑顔で勧める。
「旨い酒もらったし、お裾分けしにきたんだ。飲んでみて」
「……いや、俺は……」
「こらー、私の酒が飲めないのかー?」
カラカラと笑い、飲まない原田の代わりに私は自分で杯を傾ける。
「っかー、旨い! さすが名酒ってだけあるわ」
「自分で飲むなよ」
「えーだって、原田が飲まないから」
「飲まねーなんて言ってねぇだろっ、貸せ!」
杯を奪い取った原田に対し、私はにやにやと笑いながら、酒を注いだ。たった一杯、されど一杯。ぐいっと原田がそれを一気に煽るのを私は柔らかな目で見届ける。
呆気にとられている永倉と藤堂を放っておいて、私はにっこりと笑顔で原田に問いかけた。
「どうよ? うまかろう?」
反応のかえってこない原田を放って、私は少し体を外へ向けて、夜月を仰いだ。
「今夜は月も綺麗だし、こんな日は上手い酒呑まれるのもいいよな」
「……葉桜、おまえ……」
「悪いけど、ちょっとだけ私につきあってよ。こんな酒はこれっきりにしておくから、さ」
原田のために用意した酒だったけど、飲んでいるうちに私の方が感傷的になってしまった。こうして飲んでいると、私が京へ上るよりもずっと前のこと、かつて芹沢と過ごした時間が鮮明に思い出されてくる。
「山南さんに聞いていると思うから全部は言わないけど、私は結局あの人が好きだったんだ。恋とかそんな甘ったるい感じじゃなくて、ずっと一緒にいたかった。だから、戻れるなら、あの頃のあの人に戻って欲しかった」
何も考えずに一緒に笑っていられたあの頃に、私は戻りたかった。
誰と明言しなくても、気がついているのか、三人は私の話を静かに聞いてくれる。
「生きていれば、やりなおせたかもしれないのに。もう戻れないところまで来てしまっていたから、彼も私の手にかかってくれたんだ。あの人は最期まで全部分かってた。分かっていたから、何も言わずに逝ってしまった」
「こんなことなら、あの日に全部言ってしまえば良かったって、何度も後悔したんだ。後悔したまま再会したのに、私は何も言えなかった。変わってしまったことがただ哀しくて、その内面まで見ようとしなかったんだ。いや、全てが変わってしまっていることが怖くて、見るのが怖かった。ちゃんと見つめれば、よかった……」
全ては過去。戻ることの叶わない過去だ。
「最近になって、やっとそうわかった。あの人の行動は理不尽に見えて、無意味に見えて、どこかしらにちゃんと理由があったことも、今はわかる。分からなくなっていたのは私の方だって、わかるよ」
「……葉桜……」
それは誰の声だろう。心配そうに自分の名を呼ばれ、私は首だけ軽く振り返った。
「許してなんて言えないよね。殺したのは私なんだから」
「原田たちは迷っちゃダメだよ。後悔するような選択をしちゃダメだ。何が大切なのか、何を守るべきなのか、ちゃんと見極めて。そうして、一度選んだらもう振り返っちゃいけない」
それがどれだけ辛い選択だったとしても、と私は付け加える。自分と同じ過ちを犯してはほしくないから、全てが自分に言い聞かせる言葉だとしても、ここに居る誰か一人でも言いから届けばいいと思った。
「明日はいつだってあるわけじゃないって、知っておいて」
からりと私が笑うと、原田から同じくカラリとした返事が返ってきた。
「バーカ。そんなん当たり前だろーが」
永倉からの当たり前のそんな答えがただ嬉しくて、酔っているせいもあって、私は自然と涙が溢れていた。
「おいおい、何泣いてんだよ」
「まだ調子よくないんじゃないの、葉桜さん?」
自分でもどうしてか分からないので、可笑しくて、泣きながら私は笑った。
「器用なことするなー」
「ね、葉桜さん。俺にもその酒ちょうだい?」
「やだ」
「なにしにきたんだ、オメーは」
手を伸ばした藤堂から私が冗談で徳利を避けると、すかさず永倉から背中を叩かれ、痛い。
「加減考えない永倉にはあげない。藤堂ー、ほら」
「へへっ。悪いね、新八さん」
嬉々とした藤堂に私が杯を差し出すと、藤堂が受け取る前に永倉が横から奪い取り、さっさと煽ってしまう。
「おー、こりゃイイ酒だ。どこからもらってきたんだ?」
永倉から杯を奪い返して、酒を注ぎ、私は自分で煽る。
「ああ、美味しい」
「……葉桜さん~」
哀しそうな顔をしている藤堂に徳利ごと酒を渡して、私は立ち上がる。もう一度仰ぎみた月はもう西へ沈みかけていた。
「そういや、葉桜は明日当番じゃなかったか?」
思い出した原田の声を振り返らずに私は小さく笑う。
「明日は休みとってあるから」
ここ数日真面目に仕事していたおかげで、私は休みをすんなりととれた。それどころか、やっと休む気になったのかと私は思いっきり安堵されてしまった。私が思っていた以上にいろんな人に迷惑と心配をかけていたらしい。
「聞いてくれて有難う、な」
三人それぞれの快い声を背中に、私は自室へと戻る。温かな心がようやく体中に広がって、久しぶりに深く優しい眠りにつけた夜だった。
最初、原田をからかおうかと思ったんですが、
あまりに難しかったのでこんなんなりました
(2007/06/20)
改訂
(2010/01/20)