神社の石段を前に私は辺りを見回した。はっきりと直接あったことはないけれど、きっとわかる気がしたから。
だって、あんなに『話』したから。
あけましておめでとうございます、千晴君。
「ねえちゃん、何してんだよ?」
後ろを振り返って、私が付いてきていないことに気がついた尽が、石段を数段飛ばしで降りてくる。小さな手が、私の手を引いた。
「ごめん、尽っ」
「んな、歩きにくい振り袖なんか着てくるからだろ」
プリプリと怒りながら、寒さで頬を赤くしている。首にはしっかりとマフラーを巻いて。
「えー似合うでしょ?」
笑いながら言うと、俺のねえちゃんなんだからアタリマエだろ!と怒鳴り返された。
千晴君は留学生って言ってたから、もしかしてアメリカに帰ってるのかな?
それでも別にいいけれど。
尽に手を引かれて階段を登りながら、また周囲を見回す。元旦の神社はものすごく混んでて、どこも人がいっぱいだ。いつもはあんなにがらんとしてるのに。
「何立ち止まってんだよっ」
また、怒られた。今年の尽は怒りっぽい。
「ちょっと疲れたー」
「んなの自分のせいだろー。根性でなんとかしろよ」
「根性ないもん」
なんだかんだいいながら、先に行くと言わない辺り、可愛い弟だ。
「ねえちゃん来ないと、おみくじひけねーからな…」
小さな呟きはしっかりと耳に入ってきたが、聞こえない振りをした。なんだ、そんな理由。
もしも日本にいたら、一緒に初詣に行きませんか?
立ち止まる私を引っ張りあげるように、尽が石段を登る。小さいけれど、大きな背中だ。
「頑張れ尽」
「ち…自分で登れよーっ」
ようやく石段を登りきった時には、尽は肩で大きく息をついていた。腰を曲げて、膝に手を当てて、大げさな。
一緒にっていうのは、待ち合わせるとかじゃなくていいから。
「こんなことでへたれてるようじゃ、イイ男になれないぞ。尽」
「おうよ!」
私を見上げる瞳が逡巡して、涙を滲ませた声が返ってくる。
たとえば、同じ日の同じ時間に神社でお参りするとか。
もう一度、石段の上から人の波を見渡す。統制が無さそうなのに、人波は半分は登り、半分は降りときちんと分れている。だれかが決めているワケじゃないのに。
自分の姿に目を落とす。目立つようにと赤の振り袖を着てきたけど、ここに来るとさほど目立たないみたいだ。手元の時計に目を落とす。
「急ごう、尽!!」
「え? なんだよ、急に!」
慌てて境内に向かう私を尽が追い掛けてくる。
一月一日十一時十一分に私は神社に初詣に行きます。
運が良かったら、会えますよね?
境内の中はもっと人がいっぱいで、私は困ったように人込みに埋もれた。どうしよう、間に合わないかも。
足がもつれて、視界が人の頭で埋まる。お参り、出来ないかも。
「こっちですっ」
誰かが私の腕を掴んで引っ張っている。顔は見えないけど、男の人の腕だ。大きくて強くて熱い。
引かれるままに進むと、急に人の波から抜け出した。
「っはーぁっ」
「ダイジョウブですか?」
「あ、いえ。ありがとうございま…す……」
空に溶け込むような人だった。着ているのは普通の洋服で、空気が少し日本人らしくないけど、顔は日本人っぽい。目鼻立ちは整っているし、カッコイイんじゃないかなと思う。でも、固まった理由はそんなことじゃなくて。
「あ…」
顔を見合わせ、お互いに同時に話しだし、同時に口を噤んだ。
「えと、先にどうぞ」
「いえ、あの…」
見たことがある人だ。よく出かけると会う人で、実はけっこう気になっている人だったりする。自然、顔が熱くなる。
「貴方もお参りに?」
「え、いえ…そう、ですね。そうです」
彼の目が泳いでいる。コートを着こんでいるのに顔が赤いよ?
「アナタも?」
「はい。学業成就なんて、殊勝にお願いしちゃおうと思ったので」
それと、人と会いに。
「待ち合わせ、ですか?」
「どうだろう? ちゃんと話してないし。それに、この人込みだから…」
人の波を見回すけど、流石にあの中に戻る気にはなれない。
「目立つと思ったんだけど、今日は失敗」
「何が失敗なのですか?」
「これ」
袖を持ち上げてみせるけど、彼にはわからないようで。
「折角、振り袖着てきたんだけど、目立たないみたい」
笑ってかえしたところで、じっと見つめられていることに気がつく。視線が上から下まで動いて、その目がすごく真剣で、私も動けなくなる。
「そうですか? とてもよく似合いますよ」
真剣だった空色の瞳が、境内の緑葉を溶けこませて、柔らかな色を灯した。彼の笑顔はなんだか春の陽だまりみたいに暖かい。今は、冬なのに。
「そう、ですか? でも、人込みでもうぐちゃぐちゃ…」
「そんなことアリマセン! とてもアナタに似合っています。自信を持ってください」
言葉が静かに心に染みこんでくる。喧騒が遠退き、雨みたいに静かに深く広がって、私の中に溶け込む。
この人の言葉は、何故かすんなりと聞こえる。素直になれる気がした。なりたいとおもった。なろうと、思った。
「ありがとう」
返ってくる笑顔をやはり、春の木漏れ日に重ねる。
「あ、おみくじ引きません?」
「オミクジ?」
「今年はいいことありますか?って、神様に聞いてみるのっあそこで…えっと、買ってくる!そこで、待ってて!!」
返事も聞かずに駆け出した。待っていていくれるかわからないけど、急いで引いて戻る。
そこにはもう彼の姿はなくて。さーっと、足元から地面がなくなりそうになった。そうだ、名前も聞いていない。私としたことが、どうして聞かなかったの。
「……私のバカ…っ」
自己嫌悪で沈みながら、ふと手元のオミクジをみる。まだ未開封だ。一緒に見ようと思ってたのに。
ゆっくりと、オミクジを開く。
今年の運勢は…?