暗い空を見上げるのは嫌いだ。闇を思い出すから、大嫌いだ。
「うふふ、この私の機嫌最悪の時に来るなんて。タイミングばっちりよ、侵入者さん」
笑いながら、短銃をくるりと回し、軽く引き金を引いた。そこから銃声は起こらず、美桜は片手で耳を塞いでいる。銃を持っている手の方にはもちろん、耳栓が。そして、銃口からは風船がどんどん膨らんでゆく。
「さぁさ、始めましょうか。楽しい楽しいお祭りをっ」
合図のように風船が割れて、ものの数秒もしない間に倒れ伏す者たちの上で高笑いする美桜の姿があった。
「はーっはっはっ! 弱い! 弱すぎっ!」
「でも、あれじゃ直に真選組にばれますってっ」
のんびりとしている美桜のそばでは、すでに荷を積み終わった仲間達がトラックに次々と乗り込んでいる。
「その辺は私に任せてっていってるじゃん。ヤツらは私から何も聞き出せないよ」
「……」
「快援隊には恩がある。恩に仇で報いるほど薄情じゃないさ」
エンジンに煽られた髪を抑えた美桜は柔らかく微笑む。
「さあ、あなたもさっさと行きなさい」
「はい。美桜もお気をつけて」
トラックを見送り、美桜ははぁと息をつく。それから、くるりと後ろを振り返る。
「これでもさぁ、真選組のお仕事も手伝ってやってるつもりなのよ、退くん」
いつからいたのか。それはいつものことだ。この男は如何にも脇役ですみたいな顔をしているクセに、気配を消すのも上手いし、情報収集能力にも長けている。
こっちへおいでと手招きしても決して来ることはないだろう。自分はいつだって一歩下がって見ているぐらいが丁度良いのだとか抜かしていやがった。それでいて、実は誰よりも美桜の事情に精通している男だ。自分を脅そうと思えば造作もないだろう。
だが、こいつはそれをしない。そういう部分を信用しているから、美桜も山崎を斬らない。
「土方たちには適当に言っておいてってワケにはいかない?」
「すいません」
心底申し訳なさそうに言われては仕方がない。美桜はポケットからピクニックシートを取り出し、地面に敷く。そこへ胡座をかいて座り、ぽんぽんと隣を叩いた。
「…あの、美桜さん?」
「湯飲みはあったかな」
ごそごそと腰の小さなバッグを探り、小さな湯飲みをひとつ取り出す。それから、短銃を弄り始めた美桜を見て、流石に山崎は焦りだした。
「なななにやってんですかァァァッ!」
「お茶持ってきてるの」
ガシャンと笑顔で短銃を湯飲みにセットし、引き金を引く。ムンクの叫びみたいな顔をする山崎をクスクスと笑う美桜の手元からは、ちょろちょろと液体が流れ、湯飲みに注がれる。
「なんでそこからお茶が出てくるんですかっ?」
「私、お茶が好きだから。いつでも飲めるように頼んでおいたの」
「はぁ~」
疲れたため息をつく苦労人の監察方にそれを勧める。
「いいんですか?」
「折角だから、土方たちが着くまでお話しようよ」
「それ、俺だけが副長に怒られる気がするんですが」
「しかたないよ。土方、私が大好きだもん」
「それ、自分で言いますか~」
よっこらしょと山崎が斜向かいに正座する。
「湯飲み、もう一つないんですか?」
「一個で充分。飲んだら返してね」
「…マジで、俺は今度こそ殺される予感がするんですが」
「それそれ。その相談もノってあげるから」
お茶菓子だと饅頭を懐から取り出す。ちょっと温いが饅頭だから良いだろう。
「はい」
「用意いいですね。いつも持ち歩いているんですか?」
「大抵はね。本当は洋菓子好きなんだけど、ケーキもパフェも持ち歩けないからねぇ」
「ああ、その辺はやっぱり万事屋の旦那と同じなんですね~」
お茶をこくりと飲む山崎を視界から外し、夜空を見上げる。この界隈の空はあんまり暗くない。昔はもっと見えていた星たちもスモッグに隠されてよく見えない。
「あ、船」
「見えるんですかっ?」
「わけないじゃん。冗談だよ、冗談」
クスクスと笑う美桜を見る山崎も釣られて笑い出す。辺りがほわんと温かな空気になったところで、切り出す。
「で、優秀な監察方が私のことを報告しない理由は何?」
「へ? だって、全部自分で言ってたじゃないですか。俺が報告するコトなんて、あれ以上はないですよ」
「あら、あるでしょ。私が捕らわれていた組織とか」
どうするかと見ていたら、山崎は小さく笑った。
「それこそ、報告するコトじゃないです。すべて終わったことなんでしょう?」
「本当に終わっていたら、きっと坂本さんは私の望み通りに連れて行ってくれたよ。終わっていないから、ここに戻した。やっかいになったんでしょ」
自分を捕らえていた組織が、簡単に諦めるとは思っていない。だから、坂本さんの判断は正しい。自分には居たいという資格はない。迷惑をかけるのだとわかっていて、居続けるコトなんてできない。
「そんなことはないでしょう。ここには万事屋の旦那や俺たちがいるからじゃないですか?」
私が頼らないのだと、わかっているはずだ。もしくは。
「…たぶん、何も考えてないと思うな。銀ちゃんを知ってて、私を知っていた。だから、連れてきた。ただそれだけ」
見上げる空の星はよく見えない。江戸の夜は、明るすぎる。だから、こんなにも早く彼は着いてしまうのだろうか。
立ち上がり、上着の土を払う。
「真選組、関わったのは失敗だったな。隠れてりゃよかった」
顧みた男は険しい顔をしている。
「一週間後は近江屋を見張ってろ。何か釣れるぜ~?」
駆けてくる土方らを笑顔を迎え入れながら、山崎だけに囁く。
「またですか~?」
答えは返らず、山崎がため息をついている様子を横目に眺めて、美桜は笑っていた。