傘が嫌いなのだと言っていた。だから、雨が降るといつも彼女は真選組屯所へと訪れる。
「総悟~総悟~」
庭先から猫を呼ぶように俺を呼び、俺は用意しておいたタオルを持って、彼女を迎え入れる。彼女は上機嫌に屯所の湯屋へと入ってゆく。それが、いつものことだった。
「またですかィ、美桜さん」
風呂上がりに俺の部屋の前で座り込み、タオルを被ったまま空を見つめてぼーっとしている彼女に声をかけると、生返事が帰ってくる。この人はいつもそうだ。俺どころか土方の話だって無視する人だ。だから、この程度は当たり前のことだ。
「総悟、雨が赤い」
ぎくり、として彼女を振り返る。美桜さんは空を見つめたまま微動だにしていないし、タオルで表情も隠れて見えない。
「何言ってるんでさァ」
「あは、そうだね。何言っちゃってるんだろ」
乾いた笑いを零し、美桜さんは空を見るのを止めた。肩が小さく震えているのが見える。ずっと昔はとても大きく見えていたこの人が、今はとても小さく見える。ただの女のようだ。
「美桜さん」
おそれながらかけた声に大きく肩を震わせ、彼女は再び空を見上げた。
「よく降るねぇ」
「…今日は泊まっていかれるんですかィ?」
ある理由により一月ほど美桜は屯所の大部屋で寝起きしていた。その理由がほぼ解消されたということで、今は恒道館へ寝泊まりしている。それでも時々ここへきていつのまにやら大部屋に寝ていたり、万事屋のトコにもちょくちょく行っているらしい。
だが、雨の日はいつも屯所へ来る。近藤さんの部屋で眠るのだ。
「そうだねぇ。追い出されなきゃいるかな」
返事は以前と変わらない。あの頃と、何も。
「たまには俺の部屋なんてどうですかィ?」
雨の音がやけにうるさい。美桜の声が聞こえなくなりそうだと思ったが、静かな声は意外に良く通る。
「そうだねぇ。近藤さんに追い出されなくて、退くんにも追い出されなくて、土方にも追い出されなかったら、ね」
「その無茶苦茶な順番はなんでィ」
何故近藤さんの次が山崎なのかが解せない。
「無茶苦茶じゃないよ。退くんは…そうね、裏切らないから、かな」
「俺らだって、美桜さんは裏切りゃしねぇさァ」
「それは、わからないよ。その辺は退くんもよくわからないかも。あいつは…なんで…」
再び雨を見つめて物思いにふけっている美桜にそっと近づき、背後から抱きしめる。顔を覗き込んで、声をかけようとして、かける言葉を忘れた。
雨を見ていた美桜さんは声も出さず、肩も震わせずに泣いていた。
「…美桜さん」
「雨が、赤いよ。総悟」
美桜さんはただ繰り返した。俺にはただ抱きしめていることしか、できなかった。この人の闇は深すぎて、誰にも辿り着けない。
「おぉ!? 総悟と美桜、仲良し?」
戻ってきた近藤さんがタオルで雨を拭きながら問いかけ、すぐに顔を険しくした。
「総悟、悪いがあったかい茶を持ってくるように、誰かに頼んでくれねぇか」
「わかりやした」
俺が離れると、近藤さんはそっと美桜さんを抱き上げ、部屋へと戻っていった。俺も静かに後を追いかける。
「総悟」
一度振り返った近藤さんはしかたねぇなと言いながらついてくるのを許してくれた。
部屋に戻ってから、やっと俺は美桜さんが静かに眠っていることを知る。近藤さんは腕に抱いたまま、胡座をかいて座った。
「近藤さんは知ってたんですかィ」
「誰にも言うなって言われてんだがなぁ」
「教えてくだせィ」
美桜さんの髪をゆっくりと撫でる近藤さんの手は優しく、その眼差しは我が子を見るようなものだった。
雨が降ると彼女は赤い雨の降る夢をみる。大切な人の命を奪ったのが自分だと苛んでいるのだと。
「拾ったときにはもうこんな状態だったが、美桜は誰にも話さないでくれと言ったからな」
慣れているのだと勝手に思っていた。俺たちと同じく、斬ることに躊躇う姿を見たことは一度もない。
「この調子じゃあ、おそらく万事屋にも言ってねぇんだろ。ったく、俺がもしいなくなったらどうするつもりなんだか」
普段よりも声を抑えているのは美桜さんを起こさないためだろう。小さく丸まるように眠り続ける姿を見つめる。
「そんときゃ、俺が代わりまさァ」
「だといいんだがなぁ」
美桜さんは何の意地か俺だけは決して頼らない。山崎や他の隊士を頼っても、俺だけは。
眠っている美桜さんに手を伸ばし、涙の後へそっと触れる。
「雨が赤いって言ってやした。この人の目、イカれちまったんですかィ?」
「雨の日だけな」
囁くように、愛おしそうに呟き、近藤さんも美桜さんの髪を撫で続ける。美桜さんは、ただ静かに眠り続けていた。
この人の目を治してやりたい。雨の日にも綺麗なモノがあるのだと、教えてやりたい。そう決意した俺の頭も近藤さんが撫でる。
「このことは誰にも言うなよ」
「わかってまさァ」
これは土方も知らないコトなのだろうか。だが、あの人が本当に気が付いていないだなんてことはありえない気がする。
「近藤さん、美桜さんは」
「引き上げて目を覚ましたときにはもっと酷かった。すっかり良くなったと思っていたんだがなぁ」
赤い雨を見なくなったと言って、美桜は真選組から出て行ったのだという。そんな話は初めて聞いた。そういえば、行動の端々を思い出してみれば、表情にこそ出していなかったが、雨の日は必ず近藤さんのそばに不安そうな美桜さんがいたような気がする。
「戻ってきたときには更に別なモンまで抱え込んで、溜め込むなっつっても無理な話だぁ」
そっと撫でる近藤さんの行動にわずかに不自然さを感じる。この人はウソをつくのは下手だ。
「俺ァそろそろ仕事に戻りまさァ」
「お、おぉ!? 珍しいじゃねぇか」
「ここにいても面白くねェ」
ここにいても俺には美桜さんに何もしてあげられない。この人の求めるモノの何一つわからないし、あげられない。わかっていることなのに、苛々した。
「帰る前に顔見せるように伝えてくだせィ」
頼んでも来てくれる保証などない。だけど、このまま別れてしまうとあの涙を思い出してしまって、何かイヤだった。早く、いつもの脳天気な笑顔が見たかった。
総悟がいなくなるのを見計らったように、美桜が目を覚ます。
「…んむ…こんどーさん…? …と、ひじかふぁ~っ」
目を覚ました美桜は大口を開けて欠伸をする。襖をゆっくりと開けた土方は呆れたように見下ろした。
「わざと総悟に気づかせてどーすんだ、美桜」
起き上がった美桜は近藤の隣に座り直し、苦笑いする。
「総悟、最近面白くないんだもん」
「はァ?」
「余裕無かったってのもあったけど、雨の日の私を見て、土方だって驚いてたじゃない? なのに、あいつってば何度行っても平然としてんの。ムカツクったら」
おいおい、と苦笑しながら、土方は近藤と美桜の前に胡座をかいた。
「雨、雨、雨! あーもううっとーしい!!」
苛ついた言葉とは裏腹に、のんびりと近藤に寄りかかっている。だが、それも美桜にとっては必要なことだ。
「なんでこんなに壊れちゃってんのかしらね、この目は」
雨だけじゃなく、見える全ての景色が赤く染まる。だからこそ、余計に苛つく。土方の煙草の煙さえも、炎のように見えるから。美桜はその手で握りつぶして捨てた。
「おい!」
慌てる二人の声を右から左へ聞き流し、はぁと息を吐き出す。
「近藤さんもわかってるんだから、さっさと帰ってきてよ。でないと、総悟襲っちゃいそうだわ」
「……美桜」
「襲うなら、俺にしとけ。存っ分に可愛がってやらぁ」
「あら~やきもち~? つか、土方は仕事で忙しいでしょ。サボってる総悟で遊んでりゃ、あいつだってそのうち仕事に戻るわよ」
そんな日は一生来ないような気もするが。
ガリガリと女らしさも欠片もない様子で頭をかきむしり、美桜は近藤の膝を枕に目を閉じる。これはもう美桜が真選組に来たときから変わらない。そして、これを知るのも近藤と土方と、あと一人だけだ。
「一度は治ったのになぁ」
治ったから屯所を出て行ったのは本当だ。だが、戦後のいろいろで前以上に酷くなっているのも本当だ。
「こればっかりは、銀ちゃんたちにも言えないし」
「言えばいいじゃねぇか」
「言えないよ。思い出させたくないんだ」
「だからって、てめぇ一人で苦しむこたァねぇよ」
「…いいんだよ、こんなのは私だけで」
話ながら眠くなっているのか、美桜の言葉は覚束無い。
「土方ァ、雨が降っている間に私を近藤さんから引きはがしたらぶっ殺す」
「……美桜、俺は動いちゃだめ?ねぇ、駄目?」
「だぁめ」
美桜の静かな寝息と雨音を聞きながら、男二人は静かに笑った。
なーにーをかーいていーるのかなー?
と、自分につっこみたくなりました
総悟で何かを書きたかっただけ!(オイ
(2007/08/31)
公開
(2007/09/26)