真選組滞在二日目。
大勢の気合いの声で目を覚ました。普段とは違う目覚めに少し気分が高揚する。こんな風に過ごすのは、自宅以外で迎える朝というのはこうも興奮するものなのだろうか。
山崎に持ってきてもらった着替えの中から、あまり目立たなそうな紺のパンツスーツに着替える。同色のキャスケット帽で耳を隠し。
「そんなの被らなくてもいいんですぜィ」
いつのまに部屋へ入ってきていたのか、沖田がまたも耳をひっつかんだ。
「、っっっ」
油断していたから物凄く痛い。耳を引っ張られて起きたことなら何度かあったが、最近はなかったというのに。これだから、自宅以外で過ごすのは。
ぎっと睨みつけると、やっと離してくれる。
「いい目でさァ」
うっとりと言われて、ぞわぞわと背筋が寒くなる。こっちは半端でなく痛いのを堪えているのに、この男どういう神経をしているのだ。それとも、そう言う趣味なのか。
「沖田さん」
「おはようごぜぇます、お嬢さん。俺と一緒にデートでもどうです」
「お断りします」
「即答ですかィ」
「人の耳を遠慮無く引っ張るような男は信用できませんから」
「…痛いんですかィ? 俺ァ何も言わないからてっきり痛くないのかと思ってやしたがねィ」
よく言う。
「あんたは表情がなさすぎでさァ。もう少しぐらい愛想があってもバチはあたりやせんぜ」
「愛想なんか振りまいてどうなるっていうんですか。そんなもので助けてもらえるってんなら、いくらだって振りまいてあげますよ」
だがしかし、と強く沖田を睨みつける。
「私の過去の経験から言って、愛想を振りまいてもろくなコトになりません」
部屋の入り口にいる沖田を押しやり、なんとか外へと出る。背中に声がかかる。
「少なくとも俺に愛想振りまいてくれりゃァ、あんたを助けてやってもいいんですぜ」
「ふっ、ご冗談を」
どちらでもあり、どちらでもないから知っていることが一つだけある。
「あなたたちだって天人は嫌いでしょう? 私だって大っ嫌いなの。そして、あなた達も嫌いだわ」
見せ物を見るように人を見る男の前で、深く帽子を被り直す。歩き出そうとした視線の先、土方が咥え煙草で立っている。
「自分の身は自分で守る。誰かに護られるなんて真っ平ゴメンだわ」
守ってくれることなど無かった。昔から、生まれたときから自分には敵である者と敵以外である者しかいなくて、味方なんて一人もいなかった。
「あなたたちはせいぜいちっぽけな治安でも守っていることね」
土方を通り過ぎ、昨日教わっていた食堂へと向かう。何をするにも体力をつけないといけない。
昨日やってもらったようにカウンターで膳を受け取り、部屋の隅、入り口近くへと座る。すぐに逃げやすい位置に座るのはクセのようなものだ。
膳には純和風の食卓があって、ご飯と味噌汁と焼き魚を急いで食べ、それからケータイを取り出す。と、先に着信があった。少し考えてから通話ボタンを押す。
「おはよ~、アルト」
「おはようございます、オジサマ。朝っぱらからの電話がくだらない用なら切りますよ」
「夕べはよく眠れたかぃ。外泊は初めてだろぅ」
そう思うのなら外泊させないで欲しい。敵のただ中でよく眠れるほど、私は太い神経を持っていない。
「オジサマの手腕は認めておりますけどね、私には護衛なんていりません」
「せいぜいこき使ってやってくれぃ。おいちゃんはアルトが無事ならそれでいい」
無事なら? どの口がそれをいうのか。
「…オジサマ」
「そうだ、栗子が会いたがってたぞ~」
「忙しいので会えませんと言っておいてください。それから、絶対に私の居場所を教えないで」
「別にいいじゃねぇか」
「私はね、進んで自分を苛める人に会いたがるほど暇じゃないんです」
「栗子は苛めてるわけじゃないだろ~。ただ、おまえさんの」
「自分の身が可愛いなら教えるなよ、クソジジイ。ないことないこと奥さんに言ってやるから」
返答も聞かずに通話を終える。ふぅと一息つくと、目の前でもふぅと煙を吐き出す奴がいた。
「煙草は好きません」
「そうかよ」
この人は何を考えているのか、よくわからない。最初はあれほど私を嫌っていたのに、夕べは随分と優しかった。耳を撫でてくれた優しさをまだ覚えている。
思い出したら、居心地が悪くなってきた。
「今日は少し心当たりを回ってきます。護衛は結構です」
「そうはいかねぇよ。お嬢さんはとっつぁんの大事な預かりモンだ」
どうやらここでの松平はとてつもない権力者らしい。まあ、あの人らしいか。
「大勢はいりませんよ。せいぜい一人にしてください」
「昨日狙撃された奴がなにいきがってんだ」
「潜入の得意な者を一人」
「……」
「足手纏いならいりません」
きっぱりというと、男は喉の奥を小さくならした。それがどこかあの男を連想して、嫌だ。
「山崎ィ」
「はい」
それほど大きな声だったわけではない。だが、監察方を努める男はすぐに私のそばへ来た。
「こいつに怪我一つ負わせたら、おまえ、切腹な」
一瞬、彼は何かを言いかけて、やめた。
「わかりました」
真っ直ぐな目でこちらを見る。が、すぐに柔らかく相好を崩した。
「今日はよろしくお願いします、山崎さん」
「はいっ」
「早速ですが、出かけます」
「はいっ。…え?」
「本社に出かけて参ります。いくらオジサマの命令でも、こればかりは譲れません」
「え、で、でも」
「ついてきてください」
彼は少し戸惑った後で肯いた。
「準備してくるんで、ちょっと待ってください」
そういって山崎さんがいなくなってから、再び土方と向き合う形になる。
「わざわざ敵がいるかも知れない場所に乗り込むってのか」
「社内の方が返って安全です。それに、情報はあちらの方が収集しやすい」
「ふん」
面白くなさそうだ。その手がさっと私の帽子を取る。
「なんですか?」
彼の目は私の頭の上にあるので、たぶん耳を見ているのだろう。
「いや、なんでもねぇ。気をつけて行けよ」
何を考えているのか、すぐに奪った帽子を返してくれる。
「午後には戻ります」
そう言って、私は山崎を連れて出社した。
いつもとは違う道なので、タクシーを拾う。隣に座っている男は妙にスーツが似合っている。取り立てて格好イイわけでもなく、不細工でもない。きわめて凡庸といえる男をじっと見つめ、着慣れていなくて居心地の悪そうな男を小さく笑う。
「あの、俺は何を」
「何もしなくていいわ」
「え?」
「調査も必要ないの。必要なのは相手の居場所だけ」
「そ、それじゃあ困るんですけど」
「私は困らない。邪魔だけはしないでね」
そのために潜入の得意な者を頼んだ。悪目立ちしたいわけじゃない。それから、と言いつける。
「社内でこの頭の上にある者のことを知っている者は少ない。むやみに口走らないで」
「、わかりましたっ」
車が到着し、私はすぐに地下の部屋へと降りる。そこには数少ない仲間が揃っている。
「社長、この書類にサインをお願いします」
「社長は辞めてちょうだい。そんな大層なお飾りじゃないから」
奥のデスクに座り、パソコンを立ち上げる。持ち歩いているものよりも当然スペックも回線も上だ。
部屋の入り口から彼が入ってくる気配はない。すぐに社内のブラックボックスにアクセスする。これは自分が独自に集めたこの会社の敵対者リスト。
「すごいですね、これ」
急に後ろから声をかけられて吃驚した。
「これだけの情報があるなら、たしかに俺達は必要ないかも」
「いつの間にいたの?」
「え? さっきからずっと後ろについてましたよ」
俺って存在感ないんですよね~と笑い、自分の言葉にそのまま落ち込んでいる男を見つめる。別に自分は運動能力が高いわけでもないし、武術をかじったことがあるわけでもない。だが、危機察知能力は高い方だ。
「山崎さんって、すごいんですね」
「はい?」
いいえ、と言ってからパソコンと向かい合い、しかしすぐに苦笑した。
「パソコン触りたい?」
「え? い、いや、そういうわけじゃ」
「何処の情報が見たいの? ここからなら、どこにでもアクセスできるわよ」
「…どこにでも?」
「真選組でも、幕府のお偉いさんでも」
「…攘夷志士とか」
「ネットカフェがあったかもしれない」
「!」
山崎の目の前でアクセスしてみせる。
「だ、大丈夫なんですか?」
「なにが?」
「なにがって、ここの場所とかわかっちゃったりとか」
なんだそんなことか。にっと口端をあげて笑う。
「心配ないわ。真選組を経由してるから」
少しの間の後、山崎の顔が青ざめる。
「え、と、今のはどういう…?」
「大学にプログラムの得意な仲間がいてね、ハッキングの仕方を教わったの」
「な、なんで、真選組から?」
「あら、わかってないわね。真選組ってどちらからも狙われにくいいい場所なのよ。そのくせ、情報だだ漏れ」
「ええ!?」
「私があなた達の顔を知ってたのわからなかった?」
今度は松平公のデータサーバにアクセスし、真選組の名簿を引き出す。そこにはしっかりと顔写真と個人情報が記載されている。
呆然とする男をつついてみる。
「ね?」
彼が呆然としている間に必要な情報を引き出し、昼前には社を後にした。そのまま帰ってもイイが、自宅の様子も気にかかる。まあ、自分は真選組にいるのだとばれているので、そちらの被害はないだろうが。
「ねえ、山崎さん。ちょっと家に帰ってきても」
いいかと聞こうとして、ひゅっと喉が鳴った。胃から逆流してくるものを思わずはき出したら鉄の味がした。そして、腹部に鈍い痛み。
「次は命を取ってやる。嬉しいかい、お嬢さん?」
そう、聞こえた。いや、聞こえるはずがない。雑踏に紛れた暗殺者のささやきに心底震えた。近づいてくる山崎の姿を目にとめ、相手の居場所を教えようとした腕はあがらない。
「すぐに救急車を呼びますからね、しっかりしてください!」
目の前が赤く染まる。
「、病院、だめ、」
「そんなことを言ってる場合じゃないでしょう!?」
情けないことに、意識を失った私はどこに運ばれたのかもわからなかった。
気がつけば白い部屋の白いベッドの上で、仰向けに寝かされていた。病院だと気づき、起き上がったら、お腹が痛かった。
「無理するな」
「っ、土方、さん…?」
「すいませんでしたっ」
座っている土方の半歩後ろで、山崎が頭を下げる。どうしてだろうと、回らない頭で考え、ああと気がつく。
「大事にしてしまいましたね」
腕につけられた点滴を引き抜き、彼らとは逆側からベッドを降りる。
「帽子、は?」
ふらふらと数歩歩いたが、痛みでそのまま座り込んでしまう。
「無理すんなってんだろ」
ひどく不機嫌そうな声がかけられたと思うと、ふわりと抱え上げられてしまう。近くで感じる温もりが、怖い。
「まだ寝てろ」
そっとベッドに寝かされ、否応なく白いシーツを掛けられる。
「あれから、どのくらい?」
「心配するな。あんたが刺されてからたったの五時間ぐらいだ」
そういえば、外が夕色に染まりかけているな、とカーテン越しの空を眺めて気がつく。
「時間を無駄にしちゃった」
「あんたを刺した奴は」
「逃がしたのでしょう? 心配しなくてもあなたたちにどうこうできるとは思ってません」
ますます不機嫌なのはプライドを傷つけられたからだろうか。だが、こちらとしては最初から頼るつもりは毛頭無い。
「山崎さん、私の鞄は?」
差し出された鞄からケータイを取り出し、すぐに松平へとつなげる。
「オジサマ」
「どうしたい?」
「これから私がすることに口を出さないでくださいね。そうしたら、栗子と遊ぶ時間を作るわ」
「…何ぃする気だ」
「お礼参り」
「ほどほどに、な」
通話を終え、今度は彼らのいる方からベッドを降りる。
「山崎さん、肩を貸してもらえる?」
「まだ寝てなきゃあ駄目ですよ」
「寝てる場合じゃない。このまま殺されてなるものですか」
逃げてばかりで、ただ殺されるのをまつなんて出来ない。
「生きたいのなら立ち向かわなきゃ駄目なの」
彼を支えに足を進める。痛むお腹に血が滲む。
「生きたかったら、自分がなんとかするしかないのよ」
肩を掴まれ、後ろへと引かれる。
「寝てろ」
「いや」
「あんたがやろうとしていることの指示をくれ。その通りにしてやる」
助けの手は自分で選んでいる。数少ない仲間がいれば。味方なんて、だれもいらない。
「私のやることは誰にも邪魔させない」
「邪魔するなんて言ってねぇだろ」
「真選組そのものが邪魔と言ったの。私のやることに口を出せばその首が飛ぶわよ」
これは嘘だ。だけど、松平との繋がりを知っていればやりかねないと思うだろう。もっとも自分にそれほどの権限などないし、あったとしてもやるつもりはない。
「ちっ、これだから女は面倒だ」
「ちょっと副長!」
山崎が抗議の声を上げてくれたが、どうでもいい。一度深呼吸し、気力で痛みを堪え、背筋を伸ばす。
「私の帽子は何処?」
くるりと振り返り、棚を探す。だが、どこにもない。まったく、仕方がない。ともう一度ケータイを使おうとしたら、取り上げられた。
「寝てろっつってんだろっ」
「余計なお世話です。返してくださいっ!」
「病院でケータイは厳禁だろっ」
「ここは個室です。問題ありませんっ」
届かない手に飛び上がっても、それは手が届きそうになかった。何度か繰り返すほどの体力はない。
「っ」
一度目のジャンプですぐに痛みが広がり、堪えきれずに腹を押さえる。やばい、血が滲んでる。
「! だから、言っただろ」
「院内、では…お静かに…」
「ちっ。山崎、医者呼んでこい!」
「はい!」
座り込む私の背中をさする手が温かくて、その気遣いが優しすぎて、泣きそうだ。
「吐きそうなのか?」
馬鹿な、男だ。私なんかに関わっても良いこと何てないのに。
「おいっ?」
ぐらりと世界が傾いて、私はまた倒れてしまった。
二時間後、アルトは歌舞伎町のキャバクラに来ていた。シンプルで短めの赤いフレアスカートからは白く細い足が惜しげもなく披露され、肩には深紅のコートを羽織り、頭には羽根と華で彩られた派手な帽子を被り、丸い小さなサングラスをかけている。
一見とても趣味の良くないように見えるのに、道行く人は振り返り、思わず感嘆の声を上げてしまうほどだ。
「いらっしゃいませ、今日は…」
入ってすぐに目的の人物を捜す。
「あの、お客様?」
手にしていたバッグから物も言わずに札束を渡し、口を封じる。そして、私はその男の前に立つ。
「殺されに来てやったわよ」
「酔狂なことだねぇ」
面白そうに笑う彼の向かいに座り、ホステスに飲み物を頼む。そうして、人を遠ざける。
「命乞いに来たの間違いじゃねぇの?」
「残念ながら、」
常にはしない笑顔を浮かべると、男は少し動揺を見せた。普段からあまり笑わない彼女の最大の譲歩。
「大人しく殺されるくらいなら、自殺してやるわ。でも、あなたの依頼人はそれを喜ばないのよね?」
そこで男は漸く笑うのをやめた。
「てめぇ、」
「面白いニュースをやってるのよ。見たくない?」
バッグから小型のケータイTVを取り出し、チャンネルをニュースへと回す。丁度始まった番組を彼へと向けた。
内容は推して知るべし。
「これで、依頼人はいなくなった。あなたはどうする?」
「別に」
「私を殺す?」
「前払いでもらってっからなぁ」
くすりと笑う。
「私を殺す?」
「それも悪くねぇな。あんたの苦痛に怯える様はなかなかそそるぜ」
にこにこと笑顔でイイながら互いに近づく。
「下世話だわ。私、そういう趣味はないの」
「そりゃあ残念」
あと一歩で身を引く。男のナイフが私の喉が有った位置を切り裂いた。
「おしいっ!」
楽しそうに言うと、いつのまにか男と私の間に立っている人が呆れた声を上げた。
「あんた、いくらなんでも無謀すぎるぜ」
「怒ってますか?」
「いいや」
斬りかかってきた男を剣も使わずに気絶させ、彼は、近藤は私に向き直った。
「腹ァ刺されたはずでしょう」
「そうね」
「病院じゃあ大騒ぎですよ」
「それはおかしいわね。ちゃんと手続きを踏んで退院したんですけど」
険しい顔をする男により一層笑いかける。
「あの程度のこと、日常茶飯事ですよ?」
「狙撃されたり、刺されたりがですか? いくらなんでもそんな」
「ふんぞりかえってる天人だけだとお思いにならないでください。弱きは虐げられる。それが世界の摂理です」
私はそれを身をもって知っている。
真剣な近藤を心配させないために、背を向けた。
「皆さん、私のような半端者に構うことはありませんよ」
店を出たら、土方さんが車に寄りかかるようにして待っていた。
「ケリはついたのか」
「ええ、だからこのまま帰ります」
通り過ぎようとした腕を押さえられる。引きつるような痛みに耐えながらも彼を見ることはしない。オジサマの頼みとはいえ、彼らには近寄るべきじゃなかった。
「そういうわけにゃいかねぇんだ。こっちもとっつぁんに頼まれてるんでな。何が何でも一週間はあんたを帰すなだとよ」
「っ、オジサマに連絡します」
「屯所で待ってる。行くぞ」
何でこの男は人の傷口を掴むのか。痛くて痛くて堪らない。
「離しなさいっ」
「ちっ、暴れるんじゃねぇ! 傷口が開くだろうがっ」
ぐいと腕を引かれ、片腕で強く抱き留められる。
「離しなさいっ!」
ぱっと離され、反動で勢いよく倒れる。お腹が痛い。
「ぅ…っ」
「暴れるんじゃねぇぜ」
「大きなお世話ですっ」
次に担ぎ上げられたときには何も言う気になれなかった。これ以上逆らっても無駄だ。乱暴にパトカーの後部座席へ座らされ、そのまま男が乗り込んでくる。反対側には、
「また妙な帽子を被ってますねェ」
すでに座っていた沖田が帽子を取り上げる。取り返すよりも先に頭を抑える。
「今すぐ帰るわっ」
「大人しくしてろィ」
腕を引かれ、抱きつくような格好で座らされる。
「山崎、出せ」
「近藤さんはいいんですか?」
窓の外を見た土方さんは軽く息を吐き出した。少し遅れて乗り込んできた近藤は、私の姿を見て一瞬目を見開き、一言を言ってくれた。
「総悟、耳に触ってやるなよ」
「ちっ」
明らかな舌打ち、だけど、近藤や土方の優しさは少し辛い。
屯所ではオジサマが待っていて、現れた私を見て目を見張った。帽子は手に持っている。
「そんな似合わない格好で何処行ってきやがった」
「オジサマのお好きなキャバクラです」
とたんに渋い顔をする彼の前に正座する。
「片をつけました。帰ってもイイでしょう?」
「だめだ」
「なんでよ」
「アルト、俺は言ったはずだ。一週間、とな。そいつは今回の件だけじゃぁねぇんだぜ」
襲われるのは日常茶飯事。だが、多くは気がつかれないようにしてきたつもりだった。
「腹ァどうした」
「っ」
「護衛についてた奴、腹ァ斬れ」
そんなことはさせない。いつもは見せない満面の笑顔で、彼を呼ぶ。
「松平様」
「なんでぇ。アルトに怪我ァさせたんだ、当然だろ」
「オジサマがそういうおつもりでしたら、私がまず腹を切りましょう」
両手をついて、頭を丁寧に下げる。
「今回の件、私の身勝手にて負った傷です。全ての責任は私にあります」
「アルトちゃん!?」
「アルトさん、やめてくださいっ」
近藤と山崎が止める声が頭を越える。
「彼を切腹させると言うのであれば、私がまず責を負うべきです」
少しの間をおいて、肩を掴んで顔を上げさせられる。
「ったく、その融通の気かなさは誰に似やがった」
「母でしょうね」
「しれねぇ」
くつくつと笑う松平に笑顔を見せる。
「いいだろう。今回はアルトに免じて許してやる。だが、また傷一つつけてみろ」
ぎっと口を引き結び、真選組の者達へと向き直る。
「残り六日間、よろしくお願いいたします」
深く頭を下げた私の背中を、そっと松平は撫でた。
「この通り気の強ぇお嬢さんだけどよぉ、ま、よろしく頼むぜ」
顔を上げると彼らはそれぞれの顔で笑っていて、少しばかり頼もしい仲間を手に入れたとわかった。
オジサマの帰った後の夜、病院へは戻らずに主治医を呼びつけ、部屋で傷を見てもらった。医者は私の無茶に慣れてはいたけれど、決して無理をしないようにと言い置いて、真選組に送られて帰っていった。
その後風呂にはいるわけにも行かず、タオルで拭くために部屋へとこもる。
「アルト」
「入らないでください」
「わかってまさァ」
廊下側の障子に彼の影が映っている。だが、確かに入る気配はない。
「近藤さんに聞いたんだけど、あんたまだ十六だって?」
「そうですよ」
「なんでェ年下かィ。苛めて悪かったな」
「自覚があるのなら、耳を引っ張らないでください」
少しの間が空く。その間に体を拭き終わり、きちんとネグリジェを着直して廊下へ出た。
「いつまでここにいるつもりですか?」
「今夜は俺が番をしてやりまさァ」
「もう護衛は必要ないんですよ。すべて、終わらせてきましたから」
「そうでしょうかねィ」
彼がいるのとは反対側へ距離を置いて座る。
「もう苛めやしねェって」
「あれだけ耳を引っ張られて信用するとでも思ってるんですか」
反論すると違ぇねやと楽しそうに笑った。
「なあ、あんたの星はどこにあるんでィ」
「ここですよ」
即答する私を不思議そうに見る。今度は私が笑う番だ。
「生まれも育ちもこの江戸です。何かおかしいですか?」
「…いいや、」
自宅から見る以外の夜空には良い想い出などなかった。
「沖田さん」
「総悟でいい」
え、と気がついたときには後ろに座り、私を抱きしめている。
「今日は大変だったってぇ聞いたぜ」
聞こえる方の耳に吐息がかかって、気持ちが悪い。
「何してるんですか、沖田さん」
「あんた、誰かを頼ったりとかしねぇのかィ」
コトの顛末を聞いている様子にますますわからなくなる。誰かを頼るなんて。
「誰を?」
「俺」
「…ふざけてるんですか?」
どうしてそういう話になるのか、皆目見当がつかない。
不意に長い耳を撫でられる感触でぞわぞわと鳥肌が立つ。
「っ」
「あんたは、どうしてそう、強がるのかねィ」
鳥肌が立つのに、気持ちが良いと感じてしまう。しばらく誰にも触らせていなかったからだろうか。
「ウサギは一人だと寂しくて眠れなくなるって聞きやしたが、一緒に寝てやろうかィ」
ああ、どうしよう。気持ちいい。死にそうに気持ちいい。
「アルト?」
「あ、やめないで…っ」
止まりそうになった手に、つい、口走ってしまった。はっと気がついて、口を押さえる。
「や、これは、その違…っ! 違うんですっ」
慌てて立ち上がり、部屋に入って障子を閉めて、そのまま布団に潜り込んだ。
(今、私は何を口走ったの!?)
とんでもないことを言ってしまったのは一夜が明けてからとなる。だが、怪我をして疲れていた今はただ、静かに深い眠りについた。
だから、部屋に誰かが入ってきたのにも気がつかなかった。
「こうしてりゃァ、カワイイんですがねェ」
夢の中で柔らかく耳を撫でられ、つい甘い声が出る。
「ふっ、なんてぇ声で啼きやがんでェ。襲いたくなっちまうだろィ」
柔らかな音が降り注いで、とても暖かくて、とても優しくて、夢の中で私は誰かに甘えていた。普段は誰にも甘えられないのに、その人だけには甘えられた。
「どうしたィ」
「、ここに、いて、」
「ああ、いるぜ」
「ずっと、ね」
夢の中でその人の手をしっかりと握って。
「ぜったい、よ?」
現実では考えられないぐらい、いっぱい泣いた。
「こうしてりゃァ可愛いのに」
二度目の夜は暖かくて柔らかくて、泣きたいぐらいに幸せだった。